150 あたしがテイムした人族だってことにした
6本足の熊に揺られ、流石に俺も気持ちが悪くなってきた頃、アデルが俺の胸を突いた。熊のうなじにアデルはまたがり、俺はアデルを抱くようにしがみついていた。
「近いよ」
「わかるのか?」
「ガーゴイルには、特有のにおいがあるからね」
「そりゃ凄い」
「どうする? 突っ込んでもいいけどね」
「ガーゴイルだけとは限らないんだろう?」
「もちろんだ」
「なら、ただ熊が暴れたと思わせるのがいいんじゃないか?」
「ひどい男だね。あたしたちを乗せてきてくれた熊を、囮にするっていうのかい?」
「どうしてもではないが」
「賛成だ」
俺がそれ以上口を開く前に、アデルは熊から手を離して飛び上がった。
アデルを抱えるようにしていた俺は、胸を突き上げられて宙を舞った。
熊が崖地を登っていたところだったので、俺とアデルは足場がなく落下する。
熊は気にせず突進していく。
俺が遮二無二手を伸ばすと、影から突き出た木の根に触れた。指先に懸命に力を込める。
俺は崖に張り付き、アデルは俺にしがみつくことになった。
頭上の崖の上では、熊が咆哮していた。
「アデル、重い」
「仕方ないだろう。あたしは体が鉛なんだ」
アデルは俺の腹にしっかりとしがみついている。掴まれるほど腹の肉はないが、皮を挟まれているのでかなり痛い。
「自分で登ればいいだろう」
「やだよ。ここまで案内したんだ。少しは楽をさせておくれよ」
「仕方ない。スキル、コンシン」
久しぶりに使用した。火事場の馬鹿力を、一定時間出し続けられるスキルだと思えばわかりやすい。
このスキルを使う限り、どれだけ鍛えてもその後には筋肉痛のなるのだとは、最近諦めたところだ。
もっとも、鍛えれば鍛えるほど、発揮できる力が上がっていくのは心強い限りだ。
今も、登ろうと思えばアデルという重しをぶら下げたままでも可能だが、熊と魔物たちとの戦いが気になるため、あえてスキルを使用したのだ。
スキルの力は素晴らしく、俺は駆け上がるかのように崖を登りきった。
6本足の熊が暴れている。
やはり、あの熊は危険なのだ。俺が弱すぎたわけではない。簡単にテイムしてきたアデルが優秀なのだ。
熊に襲われて、ガーゴイルと思われる石の肌をした有翼人型の魔物が逃げ回っている。
「盗まれた交易品とお嬢様はどこだ?」
「奥に岩場がある。運び込んだのかもしれないね」
アデルは、逃げまどうガーゴイルたちの向こうを指差した。
小高い丘の上に、裂けた岩がある。その奥は、ひっそりと暗くなっている。
「相手に気づかれないスキルがあればよかったが」
「それじゃ勇者らしくないだろう。勇者だったら、立ちはだかる魔物の群れを、全部なぎ倒して進まないとね」
「まるでゲームの主人公だ」
「違いない」
アデルが真顔でうなずき、俺は笑ってしまった。ゲームで、勇者が敵のアジトにこっそり侵入するというのは記憶にない。もしあったら、それは別種のゲームだ。
勇者が出てくるゲームで、隠密機能がないのは当然なのかもしない。
俺は真っ直ぐに進んだ。
途中で飛んできたガーゴイルや熊の前足をかいくぐり、裂けた岩場に到達する。
俺とアデルが岩の間に踏み込むと、多くの影がうごめいた。
俺は魔法フラッシュで一時的に光を放つと、器用に二本足で岩場を走る、岩色の肌をしたトカゲを見つけた。
二本の前足で槍のような武器を持ち、後ろ足で岩の壁面を掴んで走っている。
武器を持つ知恵がありながら、外見は完全にトカゲだ。
「アデル、あれは?」
「イワトビトカゲだ。れっきとした魔物だけど、肉は不味くはないね」
「凶暴な魔物が多かったから、ちょっと可愛いな」
「ネズミ並みに繁殖する。それが武器ともいえるね」
「……なるほど」
俺がさらに「フラッシュ」で先を光らせると、左右の壁と床に、立錐の余地もないほど、岩色の肌がひしめいていた。
「タイカ」
「容赦ないね」
「ほかにどうしろと」
「殺さなくても、逃げていくかもしれないだろ」
「……ああ。そうかもしれないな」
俺が歩き出すと、わらわらとイワトビトカゲが散っていく。タイカの一撃で壁一面のトカゲたちが焼け落ちた。恐れられて当然かもしれない。
とにかく、全滅させる必要はなさそうだ。
俺はトカゲを散らしながら、どんどんと進んでいった。
進んでいくうちに、イワトビトカゲの姿が消える。
周囲が闇に包まれた。
「また、明かりをつけるか?」
「いや……感づかれる」
「誰に?」
「見えないかい? 見えないのはあたしもだが、食い物のにおいがする。火を使って調理しているようだ。ただの魔物じゃない。お嬢様をさらった奴らの目的がなんであろうと……お嬢様の無事を確認するのが先だろう?」
「違いない」
アデルにも見えていないと言っていたが、本当は見えているのではないだろうか。俺の先を行く小さな逞しい背中に、俺は足音を殺して従った。
洞窟の奥で見たのは、奇妙な光景だった。
二足歩行の豚であるオークや、首から上が犬のコボルト、緑色の肌の小鬼ゴブリンといった連中が、焚き火を囲んで宴よろしく騒いでいるのだ。
通常、魔物は独自の集落を形成する。他の魔物と共同生活することはない。
全体で30体ほどだ。各種族10体はいない。中には、より大きな体をした鬼のような魔物や、長い首を持った爬虫類めいた魔獣もいる。
さらに宴の外側に、蠢く腐りかけの死体と、荷物とお嬢様を強奪したガーゴイルがいた。
「なんだ……こいつら……」
「いろんな種族がごちゃ混ぜだね。つまり……これがペペカテプなんだろう?」
俺たちが追っているペペカテプは、魔物の集団だという。ならば、目の前の集団が正にそうなのだろう。
「お嬢様はいるか?」
「人間なんだろう。なら……あれじゃないか?」
アデルが一画を指差す。
魔物たちが宴を囲っている片隅に、無造作に荷物が積み上げられ、荷物の周囲に石像の様にガーゴイルが立っている。その山の隙間に、周囲を見回す女の顔が見えた。
「無事のようだな」
「まあ、生きてはいるね」
「切り込むか?」
「見ず知らずの女のために、ペペカテプを敵に回すのかい? ここにいる連中だけなら勝てるだろうけど、小さな賢者については何もわかっていないんだよ」
「そうだな……やっぱり、潜入用のスキルがないのは辛いな」
「問題ないよ」
アデルが前に進んだ。
「どうするつもりだ?」
「魔物なら、どんな奴でも歓迎なのがペペカテプなんだろう? なら、あたしがこそこそする理由があるのかい?」
アデルは悪魔族だった。フードを上げて顔を晒せば、真っ黒い顔に鋭い牙に角もある。この宴に参加しているどの魔物より上位の存在だ。
俺は動かずに待つことにした。
アデルが焚き火に近づく。
オークが道を空ける。アデルは堂々としたもので、焚き火の前に陣取った。
魔物たちから肉を渡される。
荷物の中の肉だろう。ちゃんと加工された保存食の肉であることが遠目でもわかる。
アデルはすぐに打ち解けたようだ。
魔物たちと談笑している。
俺も近くにいれば会話は聞こえたのだろうが、さすがに聞き取れない。
しばらくしてアデルが立ち上がる。俺に近づいてきた。
「どうだった?」
「ああ。カロンは首にこれを巻きな」
アデルが、黒い手に鎖を持っていた。
「どういうことだ?」
「あんたは人間だ。受け入れられない。だから、あたしがテイムした人族だってことにした。魔物の言葉は全てわかるんだろう? 一緒に来な」
アデルは俺の首に鎖を巻いた。
「……アデル、大丈夫か?」
「戦闘になったら、一人も逃がさないことだ。小さな賢者の情報が欲しいならね」
「……ああ。それしかないだろうな」
俺の首に巻かれた鎖を握り、アデルが魔物の集団に戻る。もちろん、テイムした俺を連れてである。
首に鎖を巻いた俺を見て、魔物たちが大いに湧いた。
アデルに酒らしい濁った液体や焼いた肉を勧め、俺を値踏みするように眺め回す。
「ただの人間だろう? どうして連れ歩いているんだ?」
オークの中で、長い牙を持った逞しい体をした個体が尋ねた。オークのリーダーだろうか。
アデルが笑う。
「ゴブリン王だ」
「そいつがか?」
「さあね。あたしはゴブリン王を見たことがない。ゴブリン王は、ゴブリンと話ができる人間なんだろう? 魔物の言葉がわかるやつを片っ端から捕まえるしかないさ」
「確かにな。だが、ゴブリン王なんて本当にいるのか? ゴブリンたちを従えてミノタウロスを倒すとか、夢物語だろう」
「そんなことはねぇ。俺は見た」
途中から、別のオークが口を挟んだ。俺は慌てて顔を伏せた。そのオークは、ブウだ。剣奴の訓練場で奴隷たちをいじめていた大柄なオークで、俺のことを嫌っていた。
「で……ゴブリン王を見つけたところで、何をさせるつもりなんだい?」
アデルは豪快に肉を食いながら尋ねた。さすがに様になっている。本物の悪魔族なのだから、当然ではある。
「あん? 聞いていないのか? 人間の国に大規模な戦争を仕掛けるのに、そいつの力が必要なんだそうだ」
「へぇ……わざわざ戦争なんか仕掛けなくても、魔王様がいりゃ、人間を滅ぼすのなんか簡単だろう?」
「その魔王様が、どこにいるのかがわかれば苦労しないぜ」
「魔王様のことなら、小さな賢者が知っていると思ったけどね」
「その小さな賢者がゴブリン王を探せって言っているんだから……魔王様の居場所を知らないんだろう」
魔物たちにとって、魔王は死んだことにはなっていないのかもしれない。どこか遠くに出かけているだけのような口ぶりだ。
俺は、ブウの様子を慎重に盗み見た。
剣奴のところは失職したのだろうか。もしそうだとしても、魔物であるブウをただ野放しにするとは思えない。逃げ出してきたのだろうか。
俺が見ていると、ブウが俺を見る視線と交錯した。
俺は嫌なことを思い出したが、ブウは思い出さなかったらしい。
「おい、ブウ、どうだ? こいつがゴブリン王か?」
「……わからねぇ」
「お前がゴブリン王を知っているって言うから、一緒に連れてきたんだぜ」
「人間の顔なんて見てわかるかよ」
「ちっ……おい。お前、ゴブリン王か?」
リーダーらしいオークはアデルと話し続けている。別のオークが俺に尋ねた。 言葉が通じない振りはできない。俺は答えた。
「そこのブタがどうして興行師のじじいのところから逃げ出したのか、教えるなら話してやる」
「……貴様!」
ブウがいきり立った。ブウのことをブタと呼んだことから、以前は争いになったのだ。
「久しぶりだな、ブタ。カロンだ。見覚えがないか?」
「カロン?」
その声は全く意外な場所から聞こえた。細く綺麗な声に俺が振り返ると、積み上げられた荷物の中に隠れていたはずの女の片方が、口元を抑えて立ち上がっていた。
俺には、知らない女だった。