149 無駄がないだろう?
出るときは追われ、入るときは潜入する。
俺はどうやら、あまり進歩していないようだ。
エルフたちが自分の森を閉ざした。地続きになってしまったので、歩いて行くことができる。
エルフの森のような特殊な森でなくとも、巨大な森林地帯が広がっている場所を抜けなければならないが、知り合いの冒険者エスメルたちが行き来しているように、ある程度整備された道がある。
俺は、カロン少年の産まれた国に戻ると決めた時から、何か大切なことを忘れているような気がしてならなかった。
街道は粗末だが、エルフの森が閉ざされてから急いで作ったものだと聞いている。馬車も通れず獣道のような場所もあるが、何も無いよりはましだ。
人目を避けて森を進むということも考えたが、国を出て一年以上が経過している。俺の容疑はただの逃亡奴隷だ。現在では、魔物を狩って金に換えたため、以前とは比べ物にならないほど金銭には余裕がある。恐れる事はないだろうと考え、街道を進むことにした。
「アデル、俺……何か忘れているような気がするんだけど……」
俺の同世界人アリスの魂が入った悪魔族の娘は、相変わらず目深にフードを被っている。全身が鉛で出来ているため、肌を晒せば人間でないことがすぐにわかってしまうのだ。
「あたしに借りた金のことかい?」
「……そういえば、ララに金を借りたままだったな……」
ララは俺の同世界人で、猫に転生していた。一年中雪が溶けない国で、貴族の屋敷で飼われることになった。そのうち迎えに行くつもりだが、その時に完全に猫になってしまっているのではないかと俺は心配している。
「ああ……そんなこともあったね。忘れていた……」
アデルは頬を掻いた。ちなみに、アデルから金を借りたという覚えはないが、借りならたくさんあるので、あえて突っ込まないことにした。
「まあ……アデル……アリスと会う前のことだろうから、知っているはずもないんだが……」
「なんだい。そんなことなら聞きなさんな」
突然アデルの声が高い所から聞こえた。俺が振り返ると、アデルは巨大な鳥の背にまたがっていた。俺の知る中では、ダチョウに近い。
だが、アデルは重い。股がられた瞬間から、巨大な鳥の背中が辛そうに湾曲するのがわかった。
「どうした? この鳥……」
「よく鳥ってわかるね……ああ……そりゃそうか。ダチョウとかいたから、鳥ってわからないはずがないか。テイムしたのさ。今夜は鳥料理が食えるよ」
「乗用にしておいて、食べるのか……」
「無駄がないだろう?」
アデルの口元だけが見えた。にっかと笑ったのがわかる。股がられた巨大な鳥はキョトンとしている。ご愁傷様だ。
俺は、結局美味しくいただいた。
国境線というはっきりとした目印があったわけではないが、そろそろ入った頃だろうと思われる場所に立ち入ってから一昼夜の後、乗用の鳥を潰してから半日後、俺とアデルは街道脇に転がる荷車を発見した。
左右を岩場に挟まれた細い街道で、切り立った崖を見上げる形になり、見通しも悪い。
人間が曳くのであれば相当な人数が必要だろうと思われる大きな荷車は、まだ新しく、風化した様子もなかったので、事情はわからないが、俺とアデルは物色を始めた。
物色を始めてすぐ、アデルに呼ばれた。
声のする方向に行くと、アデルが年老いた男の上半身を引き起こしていた。
痩せて白髪が目立つが、身なりはきちんとしており、金持ちそうだ。
「誰だ?」
「知るかい」
アデルに言われた。それもそうだと、俺は気を失った男にスキル「オウキュウテアテ」を施した。
「……うぁ。ここはどこ……あなたたちは誰ですか?」
「ここがどこかは、俺たちもわからない。俺たちの名前だけなら教えてもいいが、素性を話すほど、あんたとは親しくない」
「……あっ。そんなことより、お、お嬢様を助けて下さい」
突然、男が俺に掴みかかった。年寄りとはいえ必死なのだろう。かなりの力だった。
だが、俺はあっさりと引き剥がした。
「落ち着け。何があった?」
「聞くのかい? 面倒に巻き込まれるよ」
「俺たち目的だって、はっきりしないからな。寄り道上等だろう?」
「まあね。カロンがそう言うならいいさ」
アデルが肩を竦める。小さな肩なので、わずかに動いたことだけがわかる。
「……カロン? あの、剣闘士の?」
男が呟いた。俺は舌打ちをする。
「それほど名前が広がっているとは思わなかったが、忘れられるほど、時間は経っていなかったか」
「殺すのかい?」
「できれば、人間は殺したくないが」
「まっ、待ってください。私は官憲じゃない。カロンの名前は、強い剣闘士としてしか知りません。ちょうど……年恰好があなたぐらいで、竜兵と戦って行き伸びたとか……」
「俺だ」
誤魔化すこともできないだろう。俺は素直に認めた。
「……ああ。なら、なおのこと良かった。魔物たちにお嬢様がさらわれて、積荷を奪われたのです。お願いします。せめて、お嬢様だけでも助けてください」
「どんな魔物だ?」
「空飛ぶ魔物の群れです。ガーゴイルのようにも見えましたが……わかりません」
「飛ぶやつは面倒だな」
「そうでもないさ。地形に関係なく移動するから、方角をまちがえなければ巻かれることもない」
アデルが口を挟む。魔物については、俺よりはるかに長けている。
「追えるか?」
「ちょっと時間をもらえればね」
アデルが、ローブの裾から鞭を取り出して見せた。テイムするのだ。
「わかった。3羽必要だな。この男、このままにしてはおけないだろう」
「当然だね。カロンのことを吹聴するかもしれないしね」
アデルが応じた。俺はそういうつもりではなかったが、確かにその可能性もあるだろう。
アデルが飛行手段を確保するために岩場を登って行く間、俺はさらに男に質問した。
「ガーゴイルというは見たことがない。どんな奴らだ?」
「石像のような姿をしています。翼を持った亜人の姿で……何年でも動かずにいることができるそうです。詳しい生態はわかっていません」
「盗まれた荷物というのはなんだ?」
「交易品です。お嬢様は……輿入れのために、隣国に行くところでした」
「ああ……お嬢様だけ積んで行くのは無駄だから、交易品をついでに積んでいたのか」
「はい」
「麻薬か?」
「はっ? と、とんでもない。ただの保存食です。この先の国では、栽培できる植物が限られているらしく、野菜や肉を保存処理したものが高く売れます」
「一年中、冬のような国だからな」
「はい」
俺は交易相手のことを聞かなかったが、男のいいぶりから想定できた。
しばらくして、アデルが6本足のクマを連れてきた。見たことがある。戦った記憶がある。
そのときは苦戦したはずだが、アデルは当然のように従えてきた。
「言うことを聞くのか?」
「まあね」
アデルは巨大なクマにまたがり、こぶしを見せた。拳でテイムするのがアデル流なのだ。さっき見せた鞭の意味があっさたのかは、俺にはわからない。
「鳥を捕まえに行ったのかと思っていた」
「強い獣なら、たいてい真っすぐには進めるのさ。飛ぶことにこだわる意味はないよ」
「アデルが言うなら、そうなんだろう。しかし、このクマに3人乗るのは無理だな……あんた、一人で大丈夫か?」
俺は、見つけた男も連れて行くつもりでいた。魔物が出る場所に、一人で置いておくのは心配だ。だが、アデルは薄く笑っていた。
「街道沿いは魔物が少ない。積荷を襲ったり、人間をさらったり、普通はしないもんだ……こいつを襲ったガーゴイル、誰かに操られているんじゃないかね」
男が頷いたので、アデルの認識通りなのだろう。加えて、魔物が目的を持って行動しているとなれば、俺たちには心当たりがある。
「ペペカテプか?」
「かもね。ゴブリン王を探しているとなれば、この国に大きな部隊がいるんじゃないかね」
「そうかもしれないな……小さな賢者の立場はわからないが、無関係ではないだろう。追おう。安全だというなら、あんたはここにいろ」
アデルの同意を得た後、俺は男に言った。
「わかりました。積荷は結構です。お嬢様だけは救出してください」
人命優先は当然だとは、元の世界での話に過ぎないが、俺にはわかりやすかった。
巨大なクマの背に飛び乗り、男に声をかける。
「積荷が残っていたら、報酬がわりに貰っておく」
「わかりました。それで結構です」
「行くよ」
アデルがクマの頭を拳骨で殴ると、クマが走り出す。
アデルに殴られたクマには同情したが、それも一瞬だった。クマの乗り心地は最悪だったのだ。