145 そうっとしておいてやるのが情け
アスラルにしたのと同じように、俺はシレーネに心臓マッサージを施そうとした。
だが、それをアスラルが止めた。どうしたのかと聴くと、アスラルは俺を押しのけてシレーネの鎧を脱がせた。
「どうやる? お前、俺を蘇生させたのだろう。教えろ」
「……心臓の上に、両手を添えて肘を伸ばせ。体重をかけて、圧力を加えるんだ」
「こうか?」
アスラルがシレーネの心臓に圧力を加える。心臓の鼓動よりもやや速いテンポで、シレーネの筋肉の沈み方からも、十分な力がリズミカルに加えられていることがわかる。俺は続けて人工呼吸も教えた。
シレーネの体には、手を出させたくないのだろう。
仮面を被り、片側だけとなった美女でも、アスラルは見捨てるつもりはないらしい。
「アスラル」
「なんだ?」
アスラルは、一切の動きを止めずに聞き返す。
「シレーネに死んで欲しかったんじゃないのか?」
「なんのことだ?」
「シレーネに短刀を渡しただろう? それを見て、ずっと臥せっていたシレーネが、突然元気になって武装を始めた。腹を立てて、アスラルを殺そうとしたのだと思ったんだが」
「シレーネに短刀なんか送っていない。あれは鞘に入れた手紙だ。ヴァルメス女王が消えた今……かつての立場を忘れて、結婚しようと……手紙で伝えることでもないとは思ったが、俺もシレーネもヴァルメス女王を追い落とした一派に警戒されているようだ。会うことができなかった」
「……どうして、わざわざ鞘に入れたんだ?」
「途中で奪われないためと……照れ隠しだな」
アスラルの顔が赤い。動いているためか、照れているのかわからない。部屋は薄暗い。ヘルムを脱いでいても問題はないのだろう。
「シレーネさんに……そのこと、伝わっているのか?」
「伝わっているさ。そう思うが……俺のために、シレーネはお前を殺そうとしたんだ。伝わっているに決まっている……そうだろう?」
「それとこれとは、別じゃないですか?」
「そうか?」
「あんたに腹を立てていても、名誉が汚されるのは許せないって感じだったよ。どのみち、アスラルのことが好きなんだろうけどね」
側で見守っていたアデルが口を挟む。シレーネに叩きのめされたが、アデルだ。肉体の頑丈さは人間などはるかに及ばない。アデルは言葉を続けた。
「それに……自暴自棄にもなっていたしね。顔を焼かれて、アスラルが逃げていくと思ったんだろう。そんな時に、短刀にしか見えない物を送られれば、死ねと言われているのだと思っても当然だろう」
「……そうか」
アスラルの動きが止まった。ほぼ同時に、シレーネが咳き込んだ。
盛大に咳をした、体を曲げた。
「シレーネ……俺がわかるか?」
「アスラル?」
「ああ。返事を聞かせてくれるか?」
「……返事って……私に、死ねということ?」
「何を言っている。手紙を読んだだろう?」
「手紙って?」
アスラルが俺を振り返る。俺は頷いた。どういう意味で振り返られたのかわからなかったので、頷いた意味も曖昧だ。
「結婚してくれ」
「……はっ?」
シレーネは、半分しか残っていない顔を歪ませた。
「聞こえなかったのか?」
「聞こえたわ。でも……私に死ねと短刀を送っておいて……」
「だから……あれは短刀じゃない。鞘に入った手紙だったんだ」
「でも……私はこんなよ」
シレーネは、仮面をかぶせた顔の半分を撫でた。
「関係ない」
「関係なくはないわ。アスラルなら、放っておいても山ほど女が集まるもの。私がこんなじゃ……いずれ捨てられる。なら……アスラルを誰のものにもさせたくない。私が死んでも同じことね。だから……殺しに来たのよ。そうしたら……カロンに負けたって……」
「カロンのことはいい。では……俺の求婚を受け入れてはもらえないのか?」
「……そうね。もし……3年間、アスラルがほかの女に見向きもしないでいることができたら……私も考え直すわ」
「わかった」
アスラルはヘルムを被り、立ち上がった。
「カロン、これから、お前を俺の従卒にしてやる。魔物の情報がほしいのだろう。俺に付いてくれば、嫌でも魔物たちの情報が入る。これで念願叶っただろう」
アスラルは理不尽なことを言うと、颯爽と歩き出す。シレーネはうずくまり、胸を抑えている。
「……俺は、どっちに行ったらいい?」
「シレーネは一人にしてやりなよ。突然、諦めていた男にプロポーズされて、うっかり厳しい条件を突きつけて……しかも男が二つ返事で承知した。気持ちの整理がつかないのさ。そうっとしておいてやるのが情けってもんさ」
「わかった。アスラルを追えばいいんだな」
アデルが頷く。
「でも、美女の死体を手に入れなきゃいけないのも、忘れちゃいけない。シレーネが自殺するなら簡単だと思ったけど……どうする?」
「あの魔女の要求、こなさなければ困るのか?」
「そうでもない」
「なら、これから魔物退治に参加するということは、魔物に襲われる人間を救助するということだろう。たまたま助けられずに、たまたま死体が綺麗にのこった、たまたま美女がいたら、届ければいい」
「悪どいねぇ。まるで悪魔だ」
「アデルには負けるよ」
アデルが腹を叩いて笑った。
アスラルが立ち止まって見ていた。俺は、アデルを急かしてアスラルを追いかけた。
この日から、この国で最強の騎士、アスラルの従卒としての生活が始まった。
冒険者のように自由な立場ではない。
だが、奴隷であり、剣闘士であり、魔将軍の駒であった時と比べれば、従卒としての生活は快適そのものだった。
何より、アスラルは強いだけでなく、大貴族の御曹司だったのだ。
1日2食の食事は宿の食事より上等で、仕事はアスラルが騎乗するフォルテールという馬の世話がほとんどだ。全身が青く光って見える不思議な白い馬で、何より気性が激しく、すきあらば俺の頭を蹴とばそうとする。俺でなければ何度か命を落としていたかもしれないが、生きているので良しとしよう。
2日後にはすでに魔物討伐の任を受けたらしく、追従を命じられた。
アスラルは青バラの騎士団の中で唯一、騎士としての立場を残したらしい。騎士としての階級は低くなったらしいが、大貴族の御曹司であれば見下されることもなく、魔物退治の任務は真っ先にアスラルに回ってくるそうだ。
俺は、従卒としてロバをあてがわれ、アデルと一緒にその背にまたがった。従卒だからというより、アデルが重すぎて馬には乗れなかったのだ。この世界のロバは頑丈だ。
アスラルを乗せたフォルテールが飛ぶように駆けていくのを、俺とアデルがのんびりと追いかけるといった風情だ。
魔物退治の任務を、単身で任されるのはアスラルだけらしい。
王はアスラルを恐れていて、できれば死んで欲しいと思っているそうだが、真実はわからない。
俺の故郷での扱いを思い出すと、王と呼ばれる人間の気持ちなど、知りたくもない。
アスラルに追従し、二ヶ月が経過した。
相手がどんな魔物であれ、アスラルが特攻し、俺が隙を見て魔法で援護した。
大抵の魔物は簡単に倒せた。
すでに春も終わり、冬の国が短い夏を迎えようというある日、俺とアスラルは辺境の宿場町に泊まった。
この辺りで巨大な魔獣の影が目撃され、街道が脅かされているというのだ。
宿場町に付いた当日は、魔物退治は翌日からと決めた。すでに夜になっていたこともあり、アスラルは早々に宿を決め、食事を部屋に運ばせた。
アスラルの食事を運ぶのは、従卒である俺の仕事である。
運びながら、ちょっと期待した。
アスラルは、人目があるところでは、従卒である俺には粗末な食べ物しか与えない。だが、気分がいい日は食事を部屋に運ばせ、俺にも同じものを振舞ってくれる。
俺が運ぶのはアスラルの分だが、アスラルはたぶん俺の分を宿の従業員に運ばせるだろう。
アスラルの部屋に入ると、部屋は暗かった。窓にはガラスでなく板がはまっていたはずだが、現在は取り外されている。
外から入る月と星の明かりだけが光源だ。
松明が灯された通路から入った直後は暗く感じたが、本を読む習慣がないアスラルは、夜に火を点さない。
早く寝ることもあれば、月明かりを楽しむこともある。
太陽の光を浴びただけで火傷をする過敏な肌は、月の光には反応しないらしい。
元々は同じものだと言えば、アスラルはどう反応するだろう。
言ってみたいとも思ったが、太陽光への反応が心因性のものである場合、月の光にも弱くなる可能性もある。そもそも、この世界では月の光は太陽光の反射ではないかもしれない。
結局、俺は余分なことは言わないことにした。
目が慣れると、俺にも十分に明るい部屋だった。
窓際に机を移動させ、アスラルが見事な筋肉を晒して夜風に当たっているのがわかった。
「ここに運べ」
「はい」
俺が食事をテーブルに置いている間に、俺の後からもう一食分の食事を運んでいた宿の従業員が、扉の近くに食事を置いて下がっていった。
「その分もこっちに」
「はい」
「畏まらなくてもいい」
アデルはいない。アデルは従者である俺のお供であるため、部屋を与えられないことも多い。扱いはひどいが、本人は全く気にしていない。何しろ、鉛の体を持つ悪魔族の娘だ。岩の上で寝ていてもベッドと変わらない体なので、苦にするはずもない。
「俺は従者ですから」
「表向きだけだ。わかっているだろう。もう二ヶ月になるんだ。俺を倒したという噂を広めないための方便だ。これ以上は、嫌味にしかならないぞ」
「わかった」
俺はアスラルに手で示されるまま、床に置かれていた食事を対面に運び、向かい合って椅子に座った。
暖かい食事もあり、酒もある。
アスラルは無言で飯を食べ、酒を呑んだ。
俺も黙っていた。同様に食事をとる。酒は遠慮した。カロン少年は未成年だ。
「この二ヶ月、収穫はあったか?」
突然、アスラルが尋ねた。
「小さな賢者の噂は聞かない。そのことは、アスラルの方がわかっているだろう」
魔物討伐の任務を受けるのはアスラルであり、俺はただ従っているだけだ。俺が掴める情報はほんの一部なのだ。
「魔物と話ができるお前なら、もう探り出しているかもしれないと思っただけだ。ゴブリン王だったか?」
「……知っていたのか」
真っ赤な髪を揺らし、アスラルは笑った。声を立てない静かな笑い方だった。
「調べてはあるさ。俺を倒した少年が、只者であるはずがない」
「……他にはどんなことを知っているんだ?」
「沢山ある。だが……不確かな噂が多い。魔将軍のうち二人を倒したとか……いくらなんでも、それはないだろう」
魔将軍は確かに強い。おそらく、俺が出会った三人目、氷の女王には勝てないだろう。だが、純粋な戦闘力でいえば、それに勝る者もいる。
「俺は……闘技場で竜兵という奴に殺されかけたことがある。アスラルなら……あれに勝てるか?」
「竜兵か……それは厄介だな。だが、あの硬い鱗を斬り裂ける武器があれば勝てるだろう」
「……確かに、その時俺が持っていたのはただの鋼鉄の剣だ。簡単にへし折られた」
俺の言ったことを聞いていたのかどうか、アスラルは酒を煽り、唐突に話題を変えた。
「冒険者ギルドで最も高い賞金がかかっているのは、魔物の集団ペペカテプだ。集団を構成する魔物の数は30体ほどらしいが、神出鬼没で魔法を使う奴がいるらしい。概ねの構成は……獣人……いや、獣交じりの魔物が多いらしい。こういう場合、魔法を使う魔物がいることが多いが……はっきりと目撃されていない。可能性はあるだろう」
獣人の生態を知れば、魔物ではないかと思うこともあるが、この世界では魔物に分類されていない。獣交じりというのは、オークや狼男のように明確に魔物と位置づけられた、獣人以外の獣に近い種族のことだ。
「……その魔法使いが、小さいのか?」
「小さいから目撃されていないのかどうか、あるいはそれが賢者かどうかは分からないがな」
「どうして、その情報を俺に?」
「俺に、その討伐任務はかからない。我が国の領地外のことだ。お前は二ヶ月、よく働いた。これぐらいは……手向けにしてもいいだろう」
「……アスラル、感謝する」
「もう一つ、目的があると言っていたな。美女の死体だったか……それは、自力でどうにかしろ。さっき言ったペペカテプの討伐依頼は、俺が引き受けて知り合いの冒険者に受領させた。誰が倒しても同じことだ」
アスラルは、俺に依頼書を投げた。
「……いいのか?」
「手向けだと言った」
「ありがとう」
俺は立ち上がり、深く頭を下げた。
アスラルは座ったまま、鷹揚に手を振る。
俺はそのまま窓から飛び降り、アデルが寝ている馬小屋に向かった。