142 もう追われる理由はない
カーネルの屋敷を出たところで、俺はララとパーティー設定を解除した。
これで、アデルと二人のパーティーだ。
「いいのかい? もう、二度と会えないかもしれないよ」
「……ララは俺とは違う。海賊船で飼われていた時にも、不満そうだったわけじゃない。猫の生活に満足しているなら……無理に戦いに駆り出すこともない」
パーティーの設定をしておけば状況は知られる。だが、現在のレベルやHPだけなので、居場所がわかるわけではない。
「次に会う時、ララにあたしらがわかればいいがね」
「あるいは、言葉を失っていなければな」
だんだん、ララが普通の猫に近づいているのではないかと感じる時があった。
肉体に引きずられているのか、あるいはこの世界に馴染んでるのかわからない。ララやアデルは、俺より二年先にこの世界に来ている。
この世界に馴染んで力を失うとすれば、俺に残された時間は、氷の女王と約束した三年よりもっと短いことになる。
俺は気を引き締めて、アデルと共に冒険者組合に向かった。
ダンジョンの探索で半月ほど経過していたので、久しぶり冒険者組合に顔を出した。
すっかり忘れていたが、再び受付嬢のテリーに捕まり、安全な仕事を言いつけられた。
この国の有力者が、力仕事ができる労働力を欲しているとのことだ。
魔物の討伐依頼などを引き受けさせてくれない受付嬢を回避するために、冒険者に取り入ろうとしていた目論見をすっかり忘れていたのだ。
「引っ越しの手伝いですか?」
俺が尋ねると、テリーは小さく首を振る。
「有力な伯爵家のご令嬢が、騎士を引退するので王宮から荷物を引き上げるってことみたいよ」
「……女性で、騎士ですか……」
「寿退官ですって。羨ましいわね」
「……俺にはわかりませんが」
「そうでしょうね」
テリーは笑って、俺に依頼書をくれた。
「その騎士を殺すのかい?」
「どうして?」
「女の死体が必要だろう」
受付から遠ざかったところで、アデルが率直に尋ねて来た。物騒なことだ。
「女の死体で、新鮮なのならなんでもいいんだろう? 冒険者組合に来たのは……ダンジョンに潜る冒険者を探すためと、女性の死亡事故がないか確認するためだ。俺たちが直接女を殺す必要はないよ」
「まあ、そうだね。冒険者を探すって、どうするんだい?」
「別に方法は考えていない」
俺は、受付の隣にある食堂で軽食を注文した。アデルと二人でなんとなく聞き耳を立てる。
自分からダンジョン探索しないかと声をかけるつもりはない。テリーに邪魔されるのがわかっているからだ。
単に噂話に聞き耳を立てているだけだが、時間の浪費だろうと半日粘って結論が出た。
食堂で代金を支払おうとして、支払済だと言われた。
組合を出る時にテリーが手を振っていた。どうやら、再びご馳走になってしまったらしい。
「あんたに気があるんじゃないか?」
冒険者組合を出るなり、アデルは容赦がなかった。ちなみに、アデルは悪魔族であることを隠すために、いつも頭からすっぽりとフードを被っている。
身長も低いので、病気の妹か使役している魔物に見られることもある。
「……まさか。俺が幼く見えるから、構っているんだろう。そんな気があるとは思えないな」
「……あんたはどうなんだい?」
「悪い気はしないが……」
カロン少年の肉体なので、テリーはだいぶ年上に見えるが、俺の実年齢より若いだろう。なんら不満はない。
「ふん。金を貯めて……迎えに行くんだろ。そんなことで、目的が果たせるのかい?」
「ああ……そうだった。迎えに行く……誰を?」
アデルに時々、俺はだれかを迎えに行くらしいことを言われるが、俺には心当たりはない。どうしてアデルがそう考えているのか不思議に思いながら、俺は冒険者組合で与えられた荷物運びの仕事をするため、指定された住所に向かった。
冒険者ギルドに紹介された屋敷は巨大だった。
引越しの手伝いだと言われたが、敷地の限界が見えないような屋敷の引越しを俺とアデルでやるのは無理な話だ。きっと、多くの使用人に紛れて手伝うだけだろう。
「ごめんくださいませーーーーー」
言いながら、鉄の門扉をがちゃがちゃと鳴らす。使用人として呼ばれたからにはこれが正しいのだと、元の世界の知識が俺に告げていた。
しばらくして、腰の曲がった、白髪を玉ねぎ状にまとめた老婆が歩いてきた。
鉄の門扉越しに尋ねられる。
「どなた?」
「冒険者組合から紹介されてきました。引越しの手伝いが必要だとか」
「ああ……その話なら……もう、いや……必要なのかね?」
門扉といっても、総板張りの扉ではない。鉄格子で構成された頑丈そうな扉ではあるが、格子状になっているので向こうの様子は丸見えだ。
雪を書き分けられた庭園の向こうに、見上げるような屋敷が見える。
「要らないなら、帰らせてもらうが……」
「お嬢様の退官に合わせて、王宮から荷物を引き上げようとしているんだ。王宮に行っておくれ。お嬢様の部屋から、荷物をまとめてここに届けてくれればいい」
「なんだ……簡単でよかった。どうして必要ないと思ったんですか?」
最初に断りかけた理由を知りたくなり、俺は尋ねた。老婆は少し顔を曇らせる。あまりよくない話のようだ。
「お嬢様が火傷をされて、まだ王宮から動けないんだよ。しばらく王宮にいることになりそうだから、必要ないかとも思ったけど……結局は退官されることには変わりないのだから、必要だろうと思ってね」
「火傷ですか。治らないんですか?」
「ああ。難しいらしい」
「王宮で火傷……火事でもありましたか?」
俺が知っていることと言えば、災厄の女神が女王として君臨していたが、最近討伐されたということぐらいだ。
俺はその討伐には加わっていないが、関係して小火でもあったのだろうか。大規模な火災なら町でも噂になっているはずだが、その様子はなかった。
「それがね……いや……ただの荷物運びに言うことじゃないね。余計な詮索はしないことだ」
俺は納得して頷いた。特に王宮に絡んだ話であれば、絶対に関わりなど持ちたくない。
王宮の地下で、女王がメイドを食べてしまったなどというのもこりごりだ。
「わかりました。それで、お嬢様の名前は? さすがに、それぐらい知らないとどうにもなりません」
「ああ。シレーネ様だと言えば、知らない奴はいないよ。少し前まで、この国を支える三本柱の一本だったんだがね」
「……ああ……あの方か」
「やっばり、知っているね?」
「……うん」
「カロン、シレーネって……」
側で聞いていたアデルが声を出したが、俺はその口を封じた。
かつて、この国に来たばかりの時、俺はこの国の最強の騎士団の一人と試合を強制された。
圧倒的な速さで俺はなすすべもなく切り刻まれたが、標的さえ指定すれば絶対に外れない俺の魔法の仕様のお陰で勝利することができた。
その相手の名が、青バラの騎士団所属、シレーネという女だ。
「……ありがとう。王宮に行ってみる。荷物をまとめて、持って来れば完了だな」
「ああ。その時に依頼料は渡す。頼んだよ」
老婆に頭を下げ、俺は足取りも重く、王宮に向かった。足取りが重い理由は色々ある。
一度命がけの試合をしてから、シレーネとは始めて会う。火傷の具合がどの程度かわからないが、顔を合わせづらい。また、世話になったカーネルは、騎士から執政官に転身しているらしいが、街を出ると言ってあるので、顔を合わせても気まずい。
ちなみに、この国最強の戦士であるらしいアスラルという男は、まだ俺の事を敵視しているようだと、カーネルからは言われていた。これもまた、顔を合わせたくはない。
思えば、会いたくない人間ばかりだ。
俺がぼやくと、アデルは顔をフードで隠したまま肩をすくめる。
「会わなきゃいいだろ」
「俺もそうしたいんだが……」
「どうせシレーネっていうお転婆には会わなきゃならないし、諦めな。どうせ、無事には済まないよ。あんたはトラブルメーカーだ」
「実に心外だな」
「褒めているんだよ。何もしていなくても、厄介ごとに巻き込まれるのが勇者の性分だろう」
「……そうか。勇者じゃなきゃいいんだ。転職してから王宮に行ってみようか」
「好きにしな。そんなので逃れられるなら……今まで苦労していないだろうよ」
「……そうだな」
アデルとなる前のアリスと出会ってからでも、色々と苦労はしている。
だが、俺の苦労はそのずっと前から始まっていることもアデルには話してある。
ずっとカマキリで耐えたアリスとどっちが、と言われると少し難しいが、カマキリやネコで生活するより、ずっと起伏が大きい生活をしているのは間違いない。
アデルと話しているうちに、この国に来た直後に連れてこられて、逃げ出してからずっと敬遠していた王宮が見えてきた。
「まだ、指名手配されていたらどうする?」
「カーネルに文句を言うか、逃げるか、だな」
「まっ、任せるよ」
アデルは投げ出すと、小さな体で伸びをしながら俺の後についてきた。
そもそも王宮に戻りたくなかったが、ヴァルメスが支配していた時にしか見たことがなかったため、どのように変わったのか興味もあった。
ダンジョンへの往復で二週間程度はかかっているので、すでに体制は落ち着いているだろうと思っていた。俺の想像が正しかったかどうかは断言できないが、見た感じは混乱しているという印象は受けなかった。
門で冒険者であることを名乗り、シレーネの荷物を運び出す手伝いに来たと告げると、俺の外見が気に入らないのか、受付をした兵士から胡乱な視線を向けられたが、道順を教えてくれた。
さすがに、この国を支える最高の騎士だったという噂に違わず、シレーネの部屋は王族の居室の直ぐそばにあるらしかった。
したがって、王宮の中心部に向かって進む。
武装した騎士たちが行き交い、難しい顔をした長い衣の文官たちが囁きあっている。
俺は、自分が間違いなく場違いであることを自覚した。
「ああいう厳つい鎧とか……買った方がいいかな……」
「あんたが? 七五三みたいになるのか落ちだよ」
俺のつぶやきを聞かれ、アデルがすぐに言い返した。
「……騎士見習いぐらいには見えないか?」
「ただの従者が関の山だ」
「厳しいな」
「最近は魔物の肉で金を作ったと言っても、全身を鎧で覆えるほど余裕があるわけじゃないだろ? 死なない限り回復魔法で癒せるんだ。最低限でいいんだよ」
「まあ……今のところはな」
「魔王と対決する必要はなくなっただろう? なら、もう武装はいらないだろう」
「復活を阻止することはしないというだけだ。復活してから、話してみないといけない。その後……敵対しないで済むかどうかはわからない。何しろ、俺は勇者だからな」
「ああ……そうだったね」
勇者と魔王は対決するものだ。俺は、闘技場で叩きのめされた竜兵を思い出していた。
あれほどの兵士が敵対し、なおかつ手も足も出ないのが魔王であるらしい。
魔王が出現したのは、それほど前ではないはずだ。一体、魔王は何をしたというのだろう。
どれほどの強さなのだろう。
俺が考えながら歩いていると、突然胸ぐらを捕まれ、太い柱の影に連れ込まれた。
「……お前……カロンだな?」
相手が誰かわからない。全身を総鎧に包んだ男だ。
「誰だい?」
「……ああ。この姿ではわからないか」
声は男だ。男は、鎧の隙間から青いマントを引き出して見せた。
「……いや。それは、なんだい?」
「青バラの騎士……知らないわけではないだろう」
「ああ。俺は、この国に来て日が浅い。カーネルでなければ……アスラルか?」
この国で、三人しかいない青いマントを使用しているのが、最高の騎士だというのは知っている。その中でも、圧倒的な戦闘力を持つと言われる男の名を上げた。
「どこに行く?」
「シレーネのところだ」
アスラルは、ヴァルメスに絶対の忠誠を誓っているらしい。ヴァルメスに敵対することになった俺を追っていたし、カーネルの作戦で、ヴァルメス討伐時には遠ざけられていたはずだ。それが戻ってきたのだろう。
「何の用だ?」
「荷物運びの手伝いだ。冒険者組合からの依頼で……俺は、もう追われる理由はないはずだ」
「……そうか。突然悪かった。シレーネのところに行くなら……ちょうどいい。これを渡してくれ」
アスラルは、鞘に入った短刀を俺に渡した。
「なんの意味だ?」
「お前が知る必要はない。駄賃が欲しければ、シレーネに言うといい」
「あんたはどうするんだ?」
「……新しい王に、俺は仕えるつもりはない。ヴァルメス陛下を探しにいくつもりだが、許可が降りない。カーネルに掛け合いに行くところだ。あいつは、新しい王のもとで執政官になったらしいからな」
「カーネルは……いや、なんでもない」
ヴァルメスを倒そうと画策したカーネルが、それを許すとは思えなかったが、アスラルに伝えることははばかられた。アスラルが知れば、カーネルを殺そうとするのではないかとすら思えたからだ。
アスラルから渡された短刀を手に、俺は指示されたシレーネの部屋を訪れた。