141 アデルが悪さをしたからだろう
妖術師の研究室は、異様な臭気に満ちていた。
全体に暗く、氷漬けのままの動物たちがいることからも、暖かくはない。
八畳間ぐらいあるだろう。比較的広い場所だが、あまりにも雑多なものが散乱しており、足の踏み場もない。
中央に巨大な鍋があり、炭火で温めているらしい。
傍らで小さな老婆が、鍋の中に草を投げ入れていた。
「ひっ……来おった。この疫病神が」
「ずいぶんな言われようだね。あたしがいなければ、この部屋ごと吹き飛んでいた頃だよ」
「そ、その男が、アデルの新しい相手かい。ビリーの代わりにしちゃ、頼りないんじゃないかね」
妖術師らしい老婆は、俺を指差してひっひっと笑う。
「……ビリーのことは言うな」
アデルが壁を殴ると、棚が揺れた。
「ひっ……」
「アデル、ここがこいつの寝ぐらだって知っていたのか? ダンジョンだって言って俺を連れて来ただろう」
「忘れていたのさ。2つの記憶が頭の中で混ざっているからね。よくわからなくなることもある。地下20階の扉を見るまで、思い出さなかった。確か……こいつの大切に保管していた、美人の氷漬けの死体を奪ったんだ。大切にしていたから、氷を溶かせば生き返ると思ったんだ」
「そ、そうだ……あれは私の体になるはずだったんだ。どこにやった?」
「動かないから捨てた。ただの死体じゃ意味がない。ビリーの気をひくなら、せめてゾンビじゃなきゃね」
「……わ、私の、体を……」
「ばあさんの体? 違うだろ。それとも、何か意味があるのかい?」
「私が、大金を積んで買い取った死体だ。あの国の大臣の嫁だった。死んでから、裏から手を回して、埋葬された直後に掘り出して持ち帰ったんだ。私の研究が成功すれば、私の体として蘇るはずだったんだ」
「で、研究が成功する見込みは?」
アデルが尋ねると、老婆は唇を尖らせた。
「わからないから……氷漬けにしておいたんだ」
「だろ。なら、あたしに怒るのはお門違いだ」
「そうか?」
俺は思わず口を挟んだが、アデルには無視された。
「そっちの若いの。アデルの相手なんか大変だろう。ここに残りな。いい思いをさせてやる」
老婆はひっひと笑う。
「……遠慮する。それより、どんな研究をしているんだ? 魂を別の肉体に移すのか?」
老婆の目的とは違うが、それはエルフの女王が行った秘術と似ている。
老婆は頷いた。
「死者の蘇生と魂の移譲。これを研究している奴は多い。特に……魔王が出現して、すぐに死んでからね。もっとも、私はそれよりはるか以前から研究していた」
「その中に……小さな賢者って奴がいるかどうか知らないか?」
「……『小さな賢者』ってのは、珍しい名前じゃない。体が小さくて、多少の魔法が使えれば、そう名乗る奴は多いよ」
「魔王のそばにいたはずだ。魔王復活の手かがりを握っている」
「はん。あの魔王に仕えていたってなら、まず魔法か妖術は使えるだろう。魔物の集落で、魔法を使う奴がいるって連中を襲っていれば、いずれ行き着くさ」
「……そうだな」
手がかりとも言えない。気の長い旅になりそうだ。
ダンジョンの最下層には宝が待っている。というのは、人間の冒険者たちの勝手な思い込みらしい。
ダンジョンの多くは、俺の目の前で鍋をかき回している氷の魔女のように、人間の街では生活できない異能者が魔術を研究するための場所らしい。より深く、複雑にすれば、侵入者に邪魔されることもない。さらに、実験の過程で生まれたいらない魔物を捨てる場所にも困らない。
俺が途中で殺してきた魔物たちは、この魔女に捨てられたものたちだったのだ。
「俺の故郷にもダンジョンがあった。地下30階まで攻略したが……地下30階より下は一階ごとに呪われた玉座があって、その玉座に腰掛けると、強力な魔物が出現するんだが」
「まあ……そういう魔道具を開発している奴もいるだろうね。ダンジョンってのは、さっきも言った通り、普通は必要があって作るものだけれどね。単にダンジョンを作るのを趣味にしている奴もいる。その違いは……一番下に、私みたいな善良な魔女がいるか、何もないかさ。ムキになって、一番下まで潜ろうとか思わないことだ。肩透かしを食らうよ」
「今回みたいにね」
アデルがにかりと笑った。
「アデル、あの死体、用済みなら返しなよ」
魔女がアデルに唇を突き出す。アデルは突き出し返した。
「腐ったから捨てたって言っただろう。どこにあるかなんて知るかよ」
「酷いだろう。こんな奴に、坊ちゃんがついていく必要はないだろう。私に乗り換えなよ」
「カロンは勇者だ。シワクチャの魔女になびくもんか」
「勇者? はっ! 何を言い出すかと思えば……アデル、気でも触れたのかい? 魔将のビリーに捨てられて、自分を紛らわせるために、連れの小僧に勇者とか名乗らせているのかい?」
アデルは煮え立った鍋の中に手をいれて、中の液体を掬って魔女に投げた。魔女は慌てる。魔女の皮膚から煙が上がる。劇物なのだろう。直に手を突っ込んだアデルは平然としているが。
「ビリーは死んだ。余計なことは言うな。次にふざけたことを言ったら、この液体、飲み干してやる」
「わ、わかったよ。でも……本当に勇者とか言うなら、悪魔族のアデルがどうして一緒にいるんだよ」
「あたしのことが気に入ったんだ。仕方ないだろう」
アデルが俺ににかりと笑った。俺は、否定できるほど肝が座っていなかった。
「……そうだな。アデルのお陰で、随分助かっている」
「本人も勇者気取りってことかい? まあいいよ。私の魂の入れ物……別のでいいから探してきておくれよ。そうしたら、ここに居てもいいからさ」
魔女が突然取引らしいことを口にした。俺はどう返事をしていいかわからず、アデルに委ねる。
「ここにいていいってだけじゃ、足りないね。あたしらは、人間の冒険者の命を助けて、身元の保証人にしたかっただけだ。このダンジョン……どうせ、ろくに侵入者なんかいないんだろう? なら、他を当たるよ。それだけの縁だ」
「なら話は早いじゃないか。若い女の体なら、この際どうでもいい。誰でもいいから、若い女がいる冒険者をこのダンジョンに連れてきな。そうしたら、その女だけ私の体用にもらう。後は生かして助ければ、お互いに損はない」
「……ふん。悪くないね……」
アデルが納得しようとした。つまり、若い女を含む冒険者グループをひと組おびき寄せて、罠にかけるのだ。
「待ってくれ。アデル、今の話だと、生きている人間の冒険者を連れてきてこの魔女のために死なせることになる。俺はごめんだ。死体でいいんだろ? 死体はどこからか持ってくる。冒険者を連れてくるから、苦戦させてくれ。それが、俺たちの狙いだったんだから」
「……一人だけ殺したほうが簡単だろう?」
アデルがぼやいた。俺は、アデルの肩を掴む。
「しっかりしろ。アリス」
「……あっ、うん……そうだね。生きている人間を殺せっていうのは……ちょっとないね」
アデルは思い出したようだ。かつて、人間だったことを。
「はん。アデルも腑抜けちまったってことかい? 口じゃなんて言っても、アデルはそっちの坊やにベタ惚れとしか見えないよ」
「なんとでも言え。それより、小さな賢者の手がかりは、本当にないんだろうね? それがあれば、別に人間の冒険者になんか、用は無いんだ」
魔女は少し俯いた。寝ているのかと思ったが、記憶を漁っていたらしい。
「……無いね。まあ、新鮮な女の死体を持ってくるっていうなら、調べておいてやる。こう見えても、魔女仲間ってのは、ありがたいもんだ」
「どうやって仲間と連絡をとるんだ?」
「……誰にも言わないかい?」
「ああ」
俺が頷くと、魔女が誰もいない場所を指さした。
その先では、頭に帽子を乗せた小さなネズミが、ちょこりと頭を下げた。
どうやら、小動物をメッセンジャーとしているらしい。
女の冒険者と聞いて、俺は真っ先にエスメルたちを思い出した。俺の故郷で冒険者をしていた女性だけのグループで、ドディアもその中の一人として知り合ったのだ。
最近もエスメルはこの国に来ていたし、また会うこともあるだろう。
だが、あの仲間のうちの誰かを死体にするなどとは考えたくない。
俺は、エスメルにたとえ会ったとしても、今回のことは黙っていようと決めた。
ダンジョンを出る。
街に行って、まずは美女の死体を手に入れるためである。魔女によれば、この国は寒いので、夏でなければ死後3日ぐらいの死体ならいいらしい。
それ以上は腐乱が進むため、アンデッドモンスターとしては活用できても、魂を移す器としては不向きなようだ。
まず死体を調達して、冒険者をダンジョンにおびき寄せ、窮地を救って仲間になり、氷の魔女がその間に小さな賢者の情報を探る。
「……回りくどいね。もっと簡単な方法はなかったのかい?」
ダンジョンを出てから、アデルが文句を言った。ちなみに、ララはダンジョンの間は危険なのでずっと荷物の中から出て来ていない。まるで猫なみの怯え方だ。
現在でもずっと僧侶職なのでかなりレベルは高いはずだが、所詮は猫なので一撃で死ぬこともあるらしい。
「でも、確実だ」
「なんだか、一方的に利用されているだけのような気がするよ」
俺もそんな感じがしていたので、特に反論はなかった。
「アデルが悪さをしたからだろう」
「それ……あたしが悪いのかい?」
「記憶にないか?」
「いや……思い出した」
アデルは相変わらずアリスと記憶が混同するらしい。
この国も春が近いとは言われているが、まだまだ雪深い山の中を、俺はアデルを助けながら街に戻った。
俺がアデルを助けるのは、時々アデルが雪を踏み抜いて、頭の先まで埋まるからだ。
引っ張り出さないと、雪解けまでそうしていることもあるらしい。体が丈夫で重いというのも、苦労が絶えないようだ。
この国の騎士で、現在では執政官らしいカーネルから身分証をもらっており、王都への出入りは自由にできる。
女王ヴァルメスが倒れ、新しくリバレッカという男が王位についたという噂も聞いたが、俺からしたら見ず知らずの他人だ。関わる必要もない。
俺たちはいつもの宿屋に戻った。
借りたままではないので毎回部屋が変わるが、頻繁に利用しているので宿屋の店主とも従業員とも顔馴染みだ。
部屋に入り、荷物のなかからララを取り出して、体を吹きながらアデルと相談する。
「大丈夫かな」
「用意しなきゃならない死体のことかい? それとも、この猫のことかい?」
「両方だが……今は、後者だな」
ずっと荷物の中で震えていたララは、荷物から出ても警戒して震えていた。
「……ララ、大丈夫か?」
「……ニャ……ニャ……」
「ララ、お前……言葉は?」
「わかっているニャ」
ララが小さく頷いたことで、俺は安堵した。だが、やはり様子がおかしい。元気がないようだし、今までは、もっとふてぶてしかった筈だ。俺が弱くなったわけではない。ララが、意味もなく不安を感じているように見える。
「ララ、これから……あたしたちはどんな場所に行くかわからない。猫の体では限界だろう」
「大丈夫……ニャ……」
俺は、ララの体を抱き上げた。柔らかく、暖かい。毛並みも美しい。だが、弱い。
「必ず迎えに来る。長いことじゃない。氷の女王との約束があるからな。その間、カーネルの屋敷に預かってもらおう」
「……ニャ……」
ララは驚いたように俺を見上げた。だが、しばらくしてうなだれた。理解しているのだ。俺とアデルは、極寒の地を渡った。もしララが同じ経験をしていたら、確実に死んでいる。
これから行く先は、高山かも砂漠かもしれない。猫が生きられる環境ではない場所に行くかもしれない。その時、安心して預けられる相手がいるとは限らないのだ。
「カーネルって奴のメイドたちとは、上手くやっているんだろう?」
「……美味しい餌をくれるニャ……」
「なら、不満は?」
「……ない……ニャ……」
「わかった。明日、カーネルのところに行こう」
俺はその日、ララと一緒の布団で休み、翌日この国の執政官カーネルの屋敷に向かった。
ララはメイドたちに歓迎され、俺とアデルは丁寧に頼み込んだ。カーネルは不在だった。俺とアデルは冒険者組合に向かった。