138 冒険者に年齢制限があるわけじゃないけど、死ぬ確率が高い
俺は、カーネルに氷の女王と交わした協定について説明し、署名した羊皮紙を渡した。
カーネルは氷の女王を殺さなかったことを聴くと眉を釣り上げたが、やはりカロンには過ぎた任務だったのだと、声を荒げることもなかった。
ドディアの件はララの言う通りで、カーネルにはどうにもできなかったようだ。
気落ちする俺に、ララが首を捻った。
「カロンには幼馴染がいるニャ。ドディアとどっちをとるニャ?」
「……何を言っている?」
「カロン、もう忘れたのかい?」
「あ……ああ。そうだな……幼馴染か……」
床の上で転がっている猫が首をひねったところで、ただじゃれているだけにしか見えないが、俺には深刻なことだ。
「……今はドディアだよ。幼馴染のことは……いずれ、なんとかしないとな。記憶を奪われたなら……思い出す方法を探さなければ……」
「記憶を奪われたニャ?」
「後にしろ。カーネルもいるんだ」
「……本当に、猫と話せるのか?」
カーネルはコップを傾けた。湯気をあげているが、白湯ではないだろう。ミリーと呼ばれたメイドが傍に控えているが、俺たちに対する態度とはあきらかに違う殊勝な様子を見せている。
「まあな。この猫だけだ……と思う。それより、氷の女王を倒せなかったし、ドディアのこともカーネルの落ち度ではなかったのだから、報酬はいい」
「そうなのか?」
「いいのかい?」
カーネルと同時にアデルが尋ねた。アリスの魂が言っているのか、アデルの記憶が言っているのかはわからない。
「ああ。俺たちはこれから、冒険者として活動する。国を超えることも多くなる。カーネルには世話になった。魔物の肉を売れば、かなりの金になると思っているから、心配はいらない」
「……そうか。3年という限定された期間であれ、氷の女王が脅威とならないのは有難い。それだけあれば、国は立て直せる。ヴァルメス女王に振り回させることもない。できれば我が国に引き止めたいが……あの獣人の娘のこともある。気をつけて行け」
「ああ。ありがとう」
俺はカーネルと握手を交わした。
この世界に来て、それなりの立場にある人物にきちんと扱われたのは初めてのような気がする。
最初の印象こそ悪かったが、それは女王ヴァルメスを警戒してのことだとわかっている。
俺はカーネルの屋敷を出た。
冒険者組合に向かう。
肩の荷をおろし、新しい冒険に向かう。
そんな気分だった。
「なんだか浮かれているニャ。僕は、もっとあの家にいたかったニャ。猫には快適な暖炉だったニャー」
俺の背負い袋から顔を出したララが、耳元で愚痴った。
「残っていてもいいんじゃないか?」
アデルが背後から応じる。
「カロンとアデルが心配だから、ついて来てやったニャ」
「ああ……悪いな」
俺が背後に手を伸ばすと、ララに噛み付かれた。
猫の気分はわからないと、俺は肝に命じた。
冒険者組合を訪れる。
情報収集には、国家を越えてやり取りをしている冒険者たちの情報網を利用するのがもっとも確実だと思ったのだ。
何より、冒険者組合がありながらまともに依頼を受けたことが無い俺は、ちゃんと来てみたかった。
前回きた時は知り合いに会って気持ちのいい展開になったが、そんことがそうあるはずもない。
冬の国でもすでに春が近い時期らしく、冒険者組合の中は、活気があるという感じでもないが前回のぞいた時よりも多くの人間がたむろしていた。
仕事の依頼を張り出した掲示板を覗き、小さな賢者に関する依頼がないかどうかを確認する。
「直接、組合の人間に聞いた方がいいだろうよ。人間たちの間でなんて呼ばれているかもわからないし、有名人かどうかもわからないんだからね」
「そうだな。正体が魔物だったら、人間の情報網で何と呼ばれているかわからないしな」
アデルに尻を叩かれて、俺は受付のカウンターに向かった。
「人を探しているんだ」
「人探しのご依頼ですか?」
受付で対応してくれたのは、落ち着いた感じの細身の女性だった。すらりとした美女ではあるが、目つきが鋭いのは、もともと冒険者だったのだろうか。
「情報を聴きたいだけでも……依頼になるのかな?」
「ご利用は初めてですか?」
「ああ。付き添われてなら何度か……別国で利用したことはある。だけど、この国では初めてだね」
全くの素人だと思われて足元を見られるのを嫌った俺は、それなりにできるのだというところをアピールしたつもりだった。
だが、俺の外見は15歳のカロン少年だし、アデルは全身を覆っているので幼女にしか見えない。俺の背負い袋から猫が顔を出していれば、軽く見られない方法があるとは言い難い。
「情報によるわね。教えてあげるのに、お金をとることもあるし、お金を積んでも教えてあげられないこともある。国家の機密とか、個人資産の内容とかね。それでも……冒険者組合の仕事に関わることなら話は別だし、君は冒険者じゃないよね?」
やはり軽く見られた。俺の外見と話の内容から、子どもだと思われたようだ。落ち着いた雰囲気の女は突然口調を変えてきた。
この世界で過ごした年月ほどには、人の社会に接していない俺は面食らった。人間以外とはかなり接してきたが、人間の、奴隷以外の社会とはあまり馴染みがないのだ。
「できれば……冒険者やってみたいと思っています。弱くはないんですよ。冒険者に奴隷として雇われたことも何度もありますし」
「奴隷としてね……」
受付の女が、突然かわいそうな生物を見るような目で俺を見た。
「あっ……じょ、冗談……じゃないか。ただの剣奴から、ちゃんと剣闘士になったんですよ。逃亡奴隷だったけど……別の国から逃げただけで、この国では何もしていないから大丈夫です。犯罪とかしてないから」
振り返って考えると、俺は元の国の逃亡奴隷だ。国を超えてどんな扱いになるのかはわからない。とっさに嘘をついて取り繕おうとしたが、どうにも上手くいかなかった。
「……苦労したのね。そっちの子は妹さん?」
「仲間です」
「……猫も?」
「はい」
「わかった。ちゃんと話を聞いてあげるわ。そっちの隅で、もう少し待てる? お昼になったら、受付が交代になるから」
「あっ、はい……」
俺は、何か勘違いをされているような気がしたが、断ることもないだろうと、言われた通り壁際に立っていた。
俺たちの前を通りかかる冒険者たちの気の毒そうな視線が痛い。
俺と受付の女性の話は聞かれていたらしい。
俺は、ただ座っているだけで、数十枚の銅貨を手に入れた。可哀想な子どもだと思われたらしい。
一時間ぐらいだろうか。俺は冒険者組合で、お礼を言い続けた。
俺とアデルに対する義援金が積み上げられ続けたからだ。総額にして大した額ではない。
これまで、魔物や魔獣の肉を売りさばいていたのは肉屋である。冒険者組合でさばいていればこんなことにはならなかったが、後の祭りだ。
「ごめんね。待たせたよね」
「……いえ。こちらも……なんだか儲かりました」
「ははっ。君、可愛いから。ちょっと外に出ない? ここじゃ、落ち着かないでしょうから」
「はい」
カウンターから出てきた女性は、やはりすらりとした美女だった。俺はちょっと浮かれて立ち上がる。もちろん、相手には哀れみの感情しかないだろう。
変な気は起こさないように気を引き締めて、俺は若干アデルに足を踏まれながら、女性の後に続いた。
俺は女性に連れられて、食堂に入った。
俺が魔獣の肉を何度か卸した店だったので、店主が話しかけて来ようとしたが、女性が一緒であることを察して遠ざかっていった。
席に着き、冒険者組合受付の女性は昼食を3人前注文した。
「こっちの子は兄弟?」
注文が終わると、受付の女性は俺に尋ねた。
「いえ。全くの他人ですが、仲間です」
「ふふっ。お互いに、冒険者になろうって約束したの?」
「まあ……そんなところです」
俺もアデルも、目的の小さな賢者を探すには、冒険者を使うのが早いと考えていた。冒険者に信頼されるためには、自分たちも冒険者になる必要があるとも考えていた。ならば、間違ってはいない。
「君、面倒見がいいのね。でも、その子は小さすぎるわ。冒険者に年齢制限があるわけじゃないけど、死ぬ確率が高い仕事よ。孤児を預かる施設を紹介しましょうか?」
「いえ。アデルは大丈夫です」
「その子はアデルっていうのね。私はテリー。君の名は?」
「カロンです」
テリーと名乗った女性は、少し困ったように首を傾げた。
「……カロン、カロン……聞いたような名前ね」
「珍しい名前じゃありません」
「そうね……そんなはずないわね。私が見たのは……手配書だもの」
「手配書……」
「ええ。賞金稼ぎ専門の冒険者もいるわ。中には、懸賞金が高いだけで強くない相手もいるから、美味しい仕事だっていう冒険者もいるけど……カロンってのは元剣闘士だったから、美味しい相手とはいえないわねって……こんなことを言っても仕方ないわね。君が冒険者をするのは難しいと教えたかっただけなんだから」
「……そのカロンって、まだ指名手配されているんですか?」
「知り合いなの? それとも、同じ名前だから気になるの? でも……指名手配されていたのは以前の話よ。確か撤回されたわ。なんでも、騎士隊の上の方から、この国での自由を保証したとか。詳しいことは知らないけどね」
俺は安堵した。どうやら、俺は冒険者組合でお尋ね者になっているらしい。間違いなく、俺の生まれた国が賞金首にしたのだ。一体、どれほど俺を嫌えば気がすむのだろう。
俺は、自分の国に帰る理由がないことに感謝した。その瞬間、妙に空虚な気持ちになった。
その賞金を、カーネルがなんとかしてくれたのだろう。やるべきことはやってくれたのだ。
「そうか……でも、年齢制限がないなら冒険者になりたいな。探したい人がいるんだ」
「……へぇ。誰かしら? 君が危険な目に合わなくても済むように、少しは情報を流してあげるわよ」
テリーは長い髪を掻き上げた。その仕草に見とれる隙もなく、アデルに蹴飛ばされる。
「『小さな賢者』って呼ばれている人なんだ」
「……それだけ? 本名は?」
「……わからない」
「特徴は?」
特徴と言われて、俺は焦った。氷の女王からは、ほとんど何も聞いていない。
だが、魔王のそばにいたらしい。『小さな賢者』と名乗ったのではなく、本当に小さかったから周囲からそう呼ばれるようになったらしい、というのを思い出した。
「小さいんだ。多分、普段は顔を出していない。こんな姿じゃないかな……」
俺はアデルの背を押した。
「……じゃあ、この子なんじゃないの?」
「アデルは、賢者とは真逆だよ」
「悪かったね」
アデルが俺の手に噛み付いた。
俺がアデルを引き剥がしたところに、給仕が料理を運んできた。
冬の国の冬場の食事だ。暖かいスープと固いパン、チーズらしいものがついたが、豪華とは言えない。
テリーが嬉しそうに口に運ぶ。これが普通の食事なのだと理解する。
もっとも、残飯のような食事すら、食わせてもらえなかった時代もある。俺が食事に注文をつけるのは、お門違いだとは理解している。
「手がかりでもいいから、情報が欲しい。依頼を出してもいいけど、ただ待っているより、冒険者として活動しながらの方がいいと思ってね」
「……ふうん。ただ、生活に困ってかと思っていたわ。自暴自棄になったのかと。そういう理由なら止めないけど……仕事はこちらで選ばせてもらうわよ。できるだけ、危険がない仕事にね」
「……はぁ」
この世界は極端だ。俺を恨んでいるのかと思えるほどの試練を与えたかと思えば、突然過保護になる。
逆らっても仕方がない。俺は黙ってテリーに従うことにした。
昼食の代金は、俺が支払うことをテリーが許さなかった。