136 幼馴染のこと、本当に忘れちまったのかい?
俺は氷の女王ヴィジーを見つめた。アデルも隣で緊張しているようだ。俺もアデルも氷の女王に対峙しているからではなく、魔王の正体のついての憶測のために、緊張していた。
「……しかし……もし、万が一、仮に……魔王が俺たちと同じ世界から転移してきた奴だとすれば……非常に幸運かもしれない。何しろ……魔王の肩書きと力があっても、中身は現代の人間だろう。人間を平気で殺すようなことはしないはずだ」
「……ああ。そうかもね」
ヴィジーは氷の顔のため表情はわからないが、ただ呟いた。
「勇者カロンは、どこか別の場所から来た……ということみたいね。私は噂に聞いたその力から、魔王様と血の繋がりがあるのではないかと疑っただけなだけれど……それ以上に複雑な関係のようね。そっちの悪魔のお嬢さんまで、同じ世界から来たというの? あなたのことは覚えているわよ。火鬼……私とは対極の関係にあるビリーという魔物に従っていたと思うけど?」
「本来のアデルは死んだ。あたしは、エルフの秘術でアデルの体に入ったカロンの仲間さ。脳の記憶と魂の記憶がごっちゃになっているから、普段はアデルでいい」
「……へぇ。で、さっきの話だけど……確かに魔王様は魔族とは思えないほど優しい方よ。それも、あなたの世界から来たから……というのであれば、そうなのかもしれないわ。私たち7人を魔将軍を任命して、しばらくして魔王様は旅立たれたわ。せっかく新しい世界にきたのにと……悔しそうだった。でも、ベースになった肉体が弱すぎたのね。私たちには止められなかった。魂は依り代に繋ぎ止めてある。必要なものを揃えて儀式を経れば、魔王様はきっと蘇る。そうしたら……あなたたちとは同郷なのでしょう? ならば……魔王と勇者、適度に対立しているふりをしながら、この世界を謳歌するといいわ」
「……確かに悪くない話かもしれない」
「カロン、本気で言っているのかい?」
俺が言うと、アデルは意外そうな声を出した。俺が断ると思っていたのだろう。
「俺は……この世界を救いに来たわけじゃない。誰かに頼まれたのでも、報酬の約束をされたのでもない。ただ……妙な力を持ってこの世界に転移し……酷い扱いを受けた。奴隷としてこきつかわれ、見世物になり、多くの人間も魔物も殺した。俺に世界を救うことは求められていないし……魔王の立場が俺と同じなら……うまくやれるかもしれない」
「……いいのかい? あんたは金を貯めて、幼馴染を探しに行くんだろう? 魔王の片棒を担いでいるって幼馴染が知ったら、どう思うんだろうね?」
俺はアデルを見つめた。
「アデルは反対なのか?」
「……いや。あたしは勇者じゃない。勇者はカロン一人だ。それがシステムのエラーでもバグだろうと、勇者はカロンだけだ。あんたが決めていい。あたしは……悪魔だ。魔王に加担したって誰も不思議に思わないし、カマキリとして過ごした2年間ぐらいで、この世界に愛着も湧かないよ」
「……そうか。俺の『幼馴染』とか……わからないことを言い出したから、反対なのかと思った。俺の幼馴染なら元の世界にいるよ。ゲームとかやっていなかったから、普通に暮らしているだろう。もう結婚したんじゃなかったかな……特に連絡も取り合っていないし、わからないけどな」
「……カロン?」
「どうした?」
「この世界の、あんたの体の持ち主の『幼馴染』は?」
「……誰だ? それ?」
アデルは何のことを言っているだろう。俺にはわからなかった。氷の女王ヴィジーが、やや乱暴にテーブルを叩いた。
「あなたの幼馴染に興味はないわ。結論は出たのでしょう?」
「概ねは……だが、1つ確認しておかなければいけないことがある」
「何かしら?」
ヴィジーが首を傾けた。
「俺たちは、魔王に従う7魔将を退治して回る趣味があるわけじゃない。ヴァルメスという女王がいるあの国の、カーネルという男に依頼されたんだ。ヴァルメスを退治すれば氷の女王がその隙をついて攻めてくるだろうから、ヴァルメスを討伐するタイミングに合わせて、氷の女王を討伐して欲しいと」
「ふん……さっきの話ね。カーネル……噂には聴いているわ。食えない男のようね」
「あんたが、ヴァルメスが死んでもあの国を攻めないというのなら、俺は戦う理由がなくなる。魔王と共謀しようとは思わないが……魔王が俺の世界と同じ場所から来たのなら、会ってみたい。この世界にきた当初は……異世界だと思わなかったのかもしれない。架空の世界だと思ったんだろう。だから、躊躇なく周りの人を殺してしまったのかもしれないが……もともと同じ世界の人間なら、話し合えばわかるはずだ」
「……そう。そうね……もし、ヴァルメスが本当の意味で討伐されて、山の住処も失うのであれば、人の国まで障害はないわね。攻め込むのも面白いかもしれないわ」
「……なら」
「落ち着きなさい。私はそれも面白いと思っただけよ。私が攻め込まなくてはならない、積極的な理由は何もないわ。あの国を攻めるとしたら、退屈しのぎだもの。それをしないことで、あんたたちが魔王復活を手伝うというのなら、当然そんなことはしないわ。それでいいわね?」
「……カーネルには、なんて言えばいい? しばらくは攻め込まないと約束したと……伝えればいいのか?」
「知らないわよ、そんなこと……って言いたいところだけど、せっかく魔王様復活で協力しあうのだから、少しだけサービスするわ。そうね……3年、もしくは魔王様が復活するまで、あの国に進行しないと約束すると伝えるといいわ。もともと、私があの国を攻めたところで、することといったら魔王様復活の手がかりを探すだけだもの。3年ぐらいなら、退屈をがまんすることもできるわ。誓約書をしたためてもいいわよ」
「わかった。では誓約書を頼む。それと……当面、俺たちはどこに行けばいい? 魔王復活の出掛かりはあるのか?」
「ええ。まずは、世界中を放浪している小さな賢者と呼ばれる男を探しなさい。実際には、男なのか女なのかわからないわ。頭からすっぽりフードを被って、顔を見たことがある者はいない。でも、魔王様がご存命中、もっとも近くに控えさせていたわ。魔王様の魂の依り代も、その小さな賢者に託してある。どこかに隠しているかもしれないけど……そいつを見つけることが最優先よ」
「そいつの現在位置は?」
「この辺りにはいないわね。人目を避けているから……砂漠地帯でも探して見たら?」
「氷の次は砂漠か……わかった。『小さな賢者』だな。人間たちにもその名で呼ばれているのなら、探しようはある」
俺は頷くと、天井から氷が落ちてきた。
氷の城が溶けかけているのかと驚いたが、どうやら氷の中に羊皮紙と、俺が要求した誓約書が封じ込められていたらしい。
用心深いことだ。
本気で氷の女王を討伐したいなら、氷の城に侵入したのは間違いだったのだろう。氷の女王は、城を自在に操れるのだ。
俺は誓約書を確認してアイテムボックスに入れると、立ち上がった。
「いいわね。3年よ。それ以上は待たないわ。約束を違えたら……残った魔将たちが殺しに行くわ。私も含めてね。手始めに、これの命はないと思いなさい」
「……『これ』とは?」
氷の女王として俺が話していた氷像が砕け散った。
扉が開き、肉体を持った、氷の女王が現れる。
「……どういうことだ?」
「ヴァルメスは、あんたの予想より早く討伐されたわ。そういうことよ」
扉の前に立っていたのは、ドディアだった。
いつもは猫背の背中を真っ直ぐに伸ばし、獣の耳が頭上からピンと立っている。
その口から、ドディアとは思えない流暢な言葉が、氷の女王の言葉として吐き出されていた。
「……ドディア……本人か?」
「魔王様が復帰かつすれば、すぐにでも返してやる。獣人と人間じゃ、結ばれないことはわかっているだろう? それでも、ご執心のようだからさらってきたけど……思いのほか効果があったよだね」
「……ドディアは寒いのが嫌いだ」
「体の芯まで凍ったまま、眠らせておく。心配ない。そうして保管している体はいくつもある」
「……くそっ……」
「カロン、抑えな。ここで戦えば、まずドディアは助からない」
アデルが冷静に言った。
「……わかった。3年だな……俺が約束を守って……ドディアが生きて戻らなければ、すぐにでも魔王を殺す。お前もろともだ」
「そうかい。この娘に用はない。間違いなく生かして返してやるよ」
ドディアの顔で笑うのを、憎々しいと思うとは想像しなかった。
扉が閉ざされ、ドディアの姿が隠れる。
俺は、氷のテーブルを蹴りつけた。
氷の城から退出し、俺はアデルに尋ねた。
「小さな賢者か……アデル、知っているか?」
ドディアを人質に取られた悔しさも、冷たい空気に晒されて冷めていた。ドディアを救うために、俺はするべきことは単純だ。アデルは頷いた。
「……たぶん、魔王の近くにいたあいつだ。でも……あたしが見たのも、フードを頭から隠していた奴だった。でも……氷の女王ヴィジーが詳しく知らないってことは、魔物たちの中で有名人じゃないってことだろう。賢者とか呼ばれている奴なら……人間に聞いた方がいいかもしれないよ」
「……やはりそうか。人探しなら、冒険者組合だな。くそっ……カーネルの奴、ドディアのことは頼んで来たのに……」
俺とドディアは城を出て歩き続けた。雪原の魔物は、氷の女王の命令のためか一切出てこなかったが、ただ広いだけの氷の雪原を歩いて渡るのは、それだけで過酷だ。
「ドディアのことがなくても、カロンは魔王復活のことは引き受けるつもりだったんだろう。なら……お互い様じゃないか」
「俺の役割は果たした。氷の女王が人間を攻めない期間を確認しただけで十分なはずだろ。カーネルの奴……腹が立つな」
「カーネルに、氷の女王を討伐しなかった言い訳ができたと思いなよ。それより……幼馴染のこと、本当に忘れちまったのかい?」
俺はアデルを見つめた。真っ黒い顔の悪魔に、ふざけている様子はない。
「この体の、つまり……カロン少年の幼馴染という意味だろう? なら……俺がそんなにこだわる必要もないだろう。そもそも、俺自身は会ったこともない」
「……いや、初めからそう言っていたなら、別にいいんだけどね……つい最近まで気持ち悪い石版見て、ニヤニヤしていたからね」
「石版?」
「アイテムボックスに入っているんだろ?」
アデルに言われて、俺は自分のアイテムボックスを確認した。
先頭の方は、この世界に来てからすぐに入手したものが多い。
小石をたくさん拾ったのを思い出した。
ズンダに狩を習ったのも感慨深い。
その後に、不自然な空欄がある。だが、石版らしきものはない。
「……いや。なんのことかわからない……」
「不自然だね。いつまでも思い出を引きずっていたくないとかいう理由でカロンが自分で捨てたんじゃなければ……奪われたのかもね。心当たりは?」
俺は考えてみた。そんなことはないと思っていたが、1つだけ、心当たりがあった。
「……ヴァルメスの妹……幸福の女神シシと言っていた……」
「『幸福の』という部分以外は合っているね。そいつと会ったのかい?」
「……アデルを俺の元に連れて来てくれた。何か……代償を……ということは言っていたかもしれない……」
「……そうかい……」
アデルは黙った。俺は急に不安になった。
「……どうすればいい?」
「悪いけど……女神に契約で奪われたものは戻らない。自分のことだろう。思い出したければ……方法はカロンしか知らない」
「……国に戻れば……しかし……俺は賞金首だ。まだ、戻れない……」
「どの道、まっすぐ国には戻れないさ。まずは賢者とやらを探さなければならないよ。幼馴染の件は、そのついでにするしかないだろう」
「……ああ。そうだな……」
心に何か、空隙ができたような気がする。
ドディアも奪われた。得体の知れない喪失感が、俺を包み込んだ。