135 おそらく、ゲームクリエイターの一人だ
階段の上に現れたのは、白い肌をした美しい女だった。
「……氷の女王か?」
アデルに尋ねる。
「かもしれないけど、あたしの知っている奴じゃない」
「私の姿は1つではないわ」
階段の上に立つ女が言った。
「だとさ。まあ、本人だね」
アデルが確認し、俺は頷いた。城に入って、標的が自ら出てくるのは有難い。城に入ってからも延々と戦いが続くのかと思っていたが、氷の平原に入ってから出くわしたのは、ほとんどが自分で考えることができないような操作された魔物だった。
氷の女王といえども、魔力に限界があるのだろう。
「俺はカロン。勇者だ」
「勇者であれば、災厄の女神ヴァルメスを倒すべきでしょう。わざわざあの山を超えて、何をしに来たの?」
「ヴァルメスってのは……災厄の女神なのか?」
「いちいち、あたしに確認しなさんな」
アデルにも知らないことはある。舌打ちされ、俺ももっともだと自覚した。
「あ、ああ、悪い。ヴァルメスを倒すのは、別の奴らがやっている。勇者の仕事は魔王を倒すことだ」
「……魔王。私は……違うわ」
「わかっているさ。七魔将の一人だろう。魔王を復活させようとしている。魔王がどうして死んだのか知らないが」
「おかしなことを言うのね。勇者は魔王を倒すのが仕事だというなら、魔王様が復活するまで待つべきじゃない?」
確かにそうかもしれない。普通は、魔王が猛威を振るってから勇者が立ち上がるのだ。
「し、しかし、魔王がいるとわかっていて、復活させようとしている連中がいて……手をこまねいているわけには行かないだろう」
俺は動揺した。自分の声が震えたのがわかった。
「そう? 黙ってみているのが嫌なら、魔王様の復活に協力しない? 報酬は弾むわよ」
「な、なにを言っている。そんなわけには……」
「そう? でもね、勇者が平時に、何のためにいるの? 何を期待されていると思うの? 厄介者に過ぎないわ。でも魔王様がいれば違う。魔王様だという名前だけで、人間たちは勇者をありがたがる。カロン、あなたは勇者として、まず魔王様の復活に尽力すべきなのよ」
「……そ、そうか?」
「カロン、カーネルとの約束を忘れたのかい! それに、幼馴染を迎えに行くんだろう。魔王の復活に力を貸したなんて、その娘に言えるのかい?」
アデルが俺の尻を蹴り上げた。体は小さいが全身が鉛でできた悪魔族の戦士である。かなり痛い。
「あ……ああ……そうだな。カーネル……そうだ。ヴァルメルは近いうちに倒される。氷の女王が、ヴァルメスが弱っている間に攻めてこないよう、俺が来たんだ。だが……幼馴染だって? なんのことだ?」
アデルの言葉の前半は理解したが、後半がわからない。俺はこの世界に来た。カロン少年の体に入った。少年は死ぬところだった。俺の幼馴染など、この世界にはいない。
俺がいうと、アデルは驚いたように目を剥いた。
口を開こうとしたが、言ったのは氷の女王の方が早かった。
「そっちの小さいのはアデルね……火鬼のビリーの愛人だと聴いているわ。勇者と魔将軍の娼婦が一緒に……魔王様を裏切るの? それとも……私と同じように、勇者に魔王様の復活を手伝わせようとしているのかしら?」
「アデルは死んだよ。あたしはアリスだ」
ずっとアデルと名乗っているので忘れかけていたが、本来はアリスの魂が入っただけの俺の世界の住人だ。もともとカマキリだったが、エルフの秘術で死んだアデルの肉体に入ったのだ。
「また……おかしなことを言って。アデルの頭が弱いことは知っているわ。少し落ち着きなさい。本当は、城まで辿り着いたら、城を崩して氷の中に閉じ込めてしまうこともできたのよ。すぐに殺すつもりだったけど……気が変わったわ。勇者に悪魔……魔王様の復活に力を貸すのなら、報酬は望みのままよ。それに……特に勇者は、最高の条件で世界にその存在を知られるようになる。それからは、魔王様とうまく組んで、世界に希望をもたらしながら、各地で魔物と戦うといいわ。世界が絶望であふれるより、ほんの少しの希望があったほうが、魔王様の治世も安定するものよ」
氷の女王は背を向けた。氷の女王は、俺たちを氷に閉じ込めることもできたのだと言った。確かに、それをやられたら俺は凍死するだろう。アデルも、少なくとも春までは出てこられない。
「待て。その前に答えてくれ。女王ヴァルメスが倒されたら、あんたはあの国を襲うのか?」
「まさか。ヴァルメスはあの山に縛り付けられているのよ。人間の国で討伐されたら、再び山に戻る。それだけだもの。私にとっては、むしろ人間の国に近寄りがたくなるわね」
「しかし……人間の騎士……カーネルという男と約束した。ヴァルメスを倒せば、その機に乗じて氷の女王が攻めてくるかもしれない。だから、俺に先にあんたを討伐するために来た」
「間違いだらけね。まあ、所詮人間の考えることだもの。真実はわかっていないわ……私はあの国に興味はない。それだけで十分でしょう。カロンが魔王復活を手伝う理由にはね」
女王が去る。俺は追いかけようとしたが、階段が消えた。階段の段が消え、滑らかなスロープに変化した。元より氷だ。これでは登れない。
ホールで立ち往生した俺たちの前に、周囲の壁のなかにある一枚の扉を見つけた。
「アデル、どう思う?」
「なんについての質問だい?」
「あの扉についてと……その他全部だな。氷の女王は、本当に人間を攻める気はないのか? 俺は、魔王復活に力を貸すべきなのか……」
俺は迷っていた。確かに、魔王が実際にはいない世界で勇者を名乗っても疎まれるだけだ。
魔王についてエルフは警戒し、世界を救う勇者を探す使者を放っていた。だが、それはエルフの森が魔王の配下ビリーに侵されていたからでもあるし、敏感に魔王復活の脅威を察知していたからでもある。
人間達は魔王についてなにも知らず、俺は職業上勇者だが、人間相手に名乗ったことはない。意味がないことを知っているからだ。
「……まあ、あの扉は、待ち構えているんだろうね。なにがあの先にあるのかはわからない。あるいは罠かもしれないが、行くつもりなら、氷の女王に着くか罠にかかるかことを承知で飛び込むしかないだろう。そうでなければ、このまま帰るかね。
氷の女王のことについては、あたしにもわからないね。あたしがビリーの配下になった時には、もう魔王はいなかった。あたしはただビリーに協力していただけだ。だけど……はっきりしているのは、魔王が本当に復活したとして、あんたは魔王と並び立てるほど強くないってことだろうね。勇者の能力はチートかもしれないが、鉛の体を持つあたしなら、一般職であんたを殴り倒せる。あたしを吹き飛ばす魔法なら、あんたも吹き飛ぶだろう。普通の人間からは化け物並に強く見られても、本物の化け物に簡単には勝てないだろう。それはあんたもわかっているはずだ」
「……そうだな。魔王って……何者なんだ?」
「さあねぇ。さっきも言ったが、あたしが知ってることはないよ」
「氷の女王は魔王に会ったことがあると思うか?」
「そりゃそうじゃないか? 氷の女王はこの地が出来たと同時に君臨したって話だ。それが本当かどうか知らないけどね」
「……なら、行くしかないな」
俺は扉を見つめた。
「このままじゃ帰れない。どの道、進むしかないさ」
「そうだな」
俺は扉に向かう。
扉の前に立ち、触れる前に扉が開く。やはり、アデルの言う通り、待ち構えていたのだ。
扉の先には、居心地の良さそうなリビングがあった。
ただし、全ては氷でできている。
俺とアデルが用心しながら部屋に入ると、ひんやりとした空気がたちこめているものの、それほど寒くもなく、むしろ快適な部屋だった。まるで、雪を重ねて作ったカマクラの中にいるようだと感じていた。
ソファーに腰を下ろす。冷たい上に柔らかくない。
流石に尻の温度で氷が溶けたら水浸しになると感じた俺は、アイテムボックスから魔物の毛皮を取り出して敷いた。アデルはそのままだ。冷たい場所では、アデルの皮膚はどこまででも冷たくなるのだ。
「ようこそ。待っていたわ」
氷の女王の声がどうかはわからないが、この状況で話しかけてくるのであれば、氷の女王の他にはいないだろう。
俺は姿を探して、首を巡らせた。
先程階段の上にいた、白い肌をした女がいるのではないかと思ったのだ。
「どこを見ているの? 私は目の前にいるわ」
俺が首の向きを正面に戻すと、目の前の景色が歪んでいるのがわかった。
氷の像がある。周囲に溶け込んでいたのでわからなかった。
さらに見つめ続け、それが透明な氷で作られた女の彫像だということがわかった。
あまりにも透明度が高い氷でできているため、当初はいることすらわからなかったのだ。
「氷の女王か?」
「ええ。ヴィジーと呼ばれているけど……あなたにその名で呼ばせるほど、親しくはないわね」
「……アデル、本物か?」
「ああ。あたしが知っている氷の女王だよ」
「……さっきの姿は? 俺はてっきり、人間とあまり変わらないのかと思ったが……」
氷の彫像の表情は変わらない。だが、俺には笑ったように感じられた。
「私を殺しにきたとわかっているのに、本体をそう易々とは晒せないわ。さっきのだって、あなたが巨人どもを殺した魔法を使われていたら危なかった。あなたを信用させるために、少し親しみやすい姿を見せたのよ。確かに、本体の見た目は、人間とそれほど違うものではないわ。ただし、私は人間じゃない。女王と呼ばれているけど、種族は氷の精霊よ」
「……俺が魔王の復活に力を貸すと、本気で思っているのか? 魔王……正確にはその配下の連中のために、俺は随分苦労をさせられた。魔王が復活なんかしたら、どんな災難が起こるかわからない」
「その話を繰り返すの? 意外と頭が悪いのね。あなたが勇者なのだとしても、誰にも必要とはされないわ。ただ、過剰な力を持つバケモノとして扱われるだけ。だけど、魔王という脅威がいれば状況は全く違う。世界があなたにひれ伏すわ。どこに行ってもちやほやされて、世界中の女があなたの子種を欲しがるでしょう」
「カロン、よだれ」
アデルに言われ、俺は慌てて口のまわりを拭った。
「『よだれ』なんて、出ていないぞ」
「そうかい? 見間違えたかね」
アデルがぶっきらぼうに言った。事実、俺はよだれを垂らしていてもおかしくない表情をしていたのだろう。
「……確かに、魅力的ではないとはいわないが……その勇者が魔王を復活させたと人間たちにバレたら、元も子もない。あんたがそれを知っているというのは、脅されるネタをあえて作るようなものだ。お断りだ」
「……本当に?」
氷の女王ヴィジーが小首を傾げる。嫌な表情だ。氷の顔に表情はないが、あるように感じた。
「俺が断れない事情があるのか?」
「そうは言わないわ。でも……あなたは人間じゃないでしょう?」
「俺は人間だ」
「でも、本来人間がもてる力をすでにはるかに超えているわ。あなたが使用している魔法……見たことがあるのよ」
ヴィジーは笑っている。俺は、頭の中で不吉なものが繋がるのを感じた。
「……アデル、魔王はいつ現れた?」
ヴィジーのことは信用できない。だから、アデルに尋ねた。
「3年前だね」
俺がこの世界に来たのは一年前だ。アリスが転移してきた時期と重なる。
「その時は、アデルは何をしていた?」
「魔王様に仕えるために、ビリーの愛人件用心棒として謁見した。この世界で最も強い7人の魔物が魔王に招集を受けたんだ」
「……魔王の死因はなんだった?」
「たぶん老衰だ」
「種族は?」
「あたしが見る限り、人間だよ。見る限りよぼよぼの爺さんだった」
「……死んだ人間が魔王だったなら……生き返らないだろう」
「この世界でもっとも強い魔物が7人、ただ1つの魂をつなぎとめるために力を注いだんだ。その術の行使は氷の女王ヴィジーが行った。魔王の魂は、まだこの世界に止まっている。器を用意して、エルフの秘術を使えば復活はできるはずさ。エルフの秘術がなくても、ほかに方法はあるだろう」
「……老衰で死んだ人間が魔王って……おかしいだろう?」
俺が指摘すると、アデルは難しい顔をして頷いた。
「でも……あの魔力……見せてくれた魔法……確かに、魔王にふさわしい……」
「アデル、いや……アリス。俺たちはゲームをプレイしようとして、この世界に飛ばされた。そうだな?」
「ああ……そうだよ」
「この世界に入り込むのが……プレイヤーだけとは限らない」
「……えっ?」
「ゲームのボスキャラ……例えば魔王……もし……ボスキャラも人間が操作する前提で設定されていて……プレイヤーを待ち構えているのだとしたら……」
「……この世界に転移したって言いたいのかい?」
「俺たちのように、レベル1からじゃない。初めから最強のボスキャラとして転移していたら……死にかけの肉体に入り込み……老衰で死んだ人間の肉体に入っても、しばらくは動けたかもしれない。なにしろ、持っている力が絶大だ」
「……つまり……魔王ってのは……」
「あくまでもまだ可能性だが……俺たちと同じ世界から……とんでもない設定を持ってやってきた……おそらく、ゲームクリエイターの一人だ」
俺の喉が上下する。俺の顔から一度も視線を外さず、氷の女王ヴィジーが微笑んだ。