130 火事でなければ、炊事だろうな
街を出て山に入り、すぐにアデルはスノウドドンゴを呼び出した。
実に従順に待っていたものだが、アデルは一月かけて、ドラゴンに似た巨体のトカゲを飼いならしたのだ。
ひょっとして、アデルならズンダたちが警戒してただ見張っていることしかできない恐竜すら、テイムできるかもしれない。アデルは、恐竜に食われても糞の中から這い出してくるようなたくましさがある。そもそも鉛の体をしているのだ。飲み込まれても、溶けるような可愛げはあるまい。
とにかく、アデルは氷の女王がどんな環境で暮らしているのか知っていた。
アデルは別にしても、俺が生身のままたどり着ける場所ではないことを知り、早くからスノウドドンゴを乗用として訓練していたのだ。
「アデルって、初めて会った時とはだいぶ印象が違うな」
大人しく頭を下げたトカゲの頭にアデルがまたがる。俺は伸ばされた短い腕につかまりながら、思ったことを口にした。
「そうかい? 初めて会った時のことなんか覚えていないけど、どんなだった?」
「乱暴で、何も考えていないような感じだったんだが」
「はっ! それは、ビリーの愛人だったアデルだろう。あたしは、カマキリだったアリスだよ。体も脳も元のアデルのものだから、記憶が混ざっているのは確かだけど……カロンが最初に会ったアデルとは別の人格だよ」
「……そうか? その割には、カマキリだったアリスとも、なんか違うんだが」
「カマキリだった頃に人格を求めなさんな。あたしは、もともとこんなだよ。正直言って……あたしはアデルを見て、友達になれそうだと思った。もともと、似ていたのさ」
アデルはにっかと笑う。ずらりと並んだ牙がむき出しになる。
「そうか……とにかく助かった。アデルがいなければ、多分俺は、氷の女王の城にもたどり着けなかっただろう」
「いや、あんたは一人でも、なんとかしたよ」
「そうかな? 思いつかないが……」
「それは、あたしがいるからだよ。一人になれば、なんか思いつくだろうよ」
「そうかなぁ」
アデルは、俺を過大評価しているのではないだろうか。
俺が具体的に答えられないまま、アデルはスノウドドンゴを走らせた。
もともと、雪山の中では最大クラスの巨獣である。
襲ってくる魔獣がいるはずもなく、どしどしと雪山を進んだ。
俺とアデルが一月篭った雪山の頂上まで登る。
目指す方向にはさらに大きな山がそびえ、氷の女王の居城は見えない。
「もう1つ、あの山を越えなければいけないのかな」
「ああ。そのはずだ。周辺から女たちを集めるのに、ほうぼう回ったからね。あの山は……封印の山だ。願いを叶える邪神が封じられていた。山を越えると広い雪原があって、氷の山があるはずさ。氷の女王の城ってのは、その氷山全てだってことだよ」
「封じられた邪神っていうのは……」
「もちろん、あの国の女王、ヴァルメスだろう。魔王一派とは別勢力だから、いがみ合ってくれていればよかったけどね……正面からはやりあいたくないらしい」
「そうだな」
徒歩で行けば数日はかかると思われる道を、俺たちは巨獣に乗ったまま、実に半日で山を越えた。
もう1つの山を越えれば氷原があるはずの場所で、俺は寂れた村を発見した。
大量の雪に押しつぶされそうになっているようにも見える。
「人間の村かな……」
「まあ、人間の部類じゃないか?」
俺が人間の村かどうかを疑ったのは、村の家々の、あまりの無骨さと大きさのためである。
アデルは村に住んでいる連中を知っているようだ。
「純粋な人間じゃないのか?」
「さあねぇ。あたしには、純粋な人間とそうじゃない人間の区別ができないからねぇ」
本音らしい。アリスならできるはずだと思い、言うのをやめた。
アリスはずっとカマキリだった。この世界の人間について、詳しくなれというのは無理なのだ。
山間の盆地に、村は隠れるように存在した。
雪に埋もれているが、丸太と岩を組み合わせた巨大な住居だ。
俺は、村と思われる集落を見下ろす小高い丘の上、さらにスノウドドンゴの頭の上で、アデルと並んで座っていた。
「煙が出ている……火事でなければ、炊事だろうな」
「ああ。火を使うぐらいの知恵はあるだろう」
「アデル……何が住んでいるんだ?」
「おおよそ、わかっているじゃないか?」
「巨人か?」
「そんなところだ」
「ああ……まあ、ありがちだな」
山間部に住む巨人というのは、色々な伝承や物語でよく聞く展開だ。
「そうかい。驚かないなら結構だ。どうする? 普通は迂回する」
「危ない連中なのか?」
「あたしにはそうでもない。連中、あたしを食っても消化できないことを知っているからね」
「俺は?」
「まあ、美味そうに見えるだろうね。ここを一人で抜けられる人間は、どこかの国のアスラルって騎士だけだと聞いているよ」
「そのアスラルって……聞いたことがあるぞ」
「だろうねぇ」
アデルはにやりと笑った。
「迂回するとしても、それほど大きな村じゃないし……少し遠回りするぐらいで済むか?」
「いや……奴らの数はそう多くないけど、何しろ狩の範囲が広い。奴らの狩場を迂回しようとすれば、この山の先まで迂回しなければならないだろうね」
「それは……大げさだろう?」
「試したに、向こうまで歩いてみるといい。大きな足跡があったら、もう奴らの縄張りだ。引き返してきたほうがいいよ」
「……勝てるかな」
「無理だとは言わない。あたしの知る限り、五分五分ぐらいじゃないか?」
俺は、山の峰を眺めた。
迂回したとして、数日のロスだろう。
氷の女王の元にたどり着くまでの道のりとしては、大した問題ではないかもしれない。
「迂回したとして、カーネルが指定した期間には間に合うのか?」
「まあ大丈夫だろうね」
「だが……突っ切ろう。レベルをあげるチャンスだ。ここで迂回して、最後に氷の女王に負けたら意味がないんだ。それなら、多少危険でもレベルをあげるチャンスを活かそう」
「そうかい。まあ……ゲーマーとしてはそうだろうね。あたしは戦士で行く。回復魔法はあてにしなさんな」
「わかった。俺は勇者だ」
「だろうね。よし、行きな」
アデルの拳が、ごすりとスノウドドンゴの頭上に落ちる。
スノウドドンゴは、ばたばたと雪上を走り出した。
急な斜面を駆け下りる。
その途中で、俺はいくつか足跡を発見した。
大きい。
俺は胃袋が締め付けられるような感覚を覚えながら、スノウドドンゴにしがみついた。
巨人の集落が近づいてくる。
近づくにつれ、俺の認識が間違っていたことを思い知った。
集落の建物は、俺が思っている以上に大きかった。
巨木と巨石を乱雑に組み合わされており、家というより組み上げた洞穴だ。
スノウドドンゴの動きに気づいたのか、住居に覆いかぶさった雪の一部が弾け飛んだ。
その中から、巨大な顔面が突き出した。