13 ライオンがいくらするのか、知っているのか
俺がいたのは、円形に切り取られた広場だった。闘技場のミニチュア版といった風情で、客席には剣奴たちがずらりと並んでいる。
どうして剣奴とわかるのかといえば、何人か見覚えのある顔かあり、服がお揃いだ。俺には囚人用としか見えない粗末な服を着ているし、何よりみすぼらしい。
金を払って見物に来たとは思えない。食堂で言われたとおり、噂を聞いて俺を笑いに来たのだ。
俺の正面には巨大な檻があり、中にいたのはメスのライオンだった。俺が知っているライオンと同じかどうかわかないが、見ただけでは違いがわからない。目が6つあるということもない、普通のライオンに見える。
ということは、俺に勝ち目があるとは思えない。
「檻を開けろ!」
俺の背後から、ブウの命令が飛ぶ。客席から鎖を引っ張る男たちの動きに合わせて、メスライオンが入った檻が開き始める。
メスライオンは、体勢を低く構え、地面を掻いていた。早く出せというアピールだ。腹を空かせているのだろう。やる気満々だ。
檻が上がるのを待たずに、這いずるように出てきた。たぶん、腹ペコだ。俺が美味しそうに見えるのだ。
餌だとしか思っていないのだ。
どこが訓練所だ。過激すぎるだろう。
内心で愚痴ってもしかたがない。ある程度のいびりは覚悟していたところだ。
どうも、ある程度ではなく、命がけになってしまったが、俺にはむしろちょうどいいかもしれない。
相手を殺さなくても、倒したと判定されれば経験値が入ることがわかったが、木造の人型を殴りつけているだけで経験値が入るとは、どうしても思えない。経験値を貯めてレベルアップするには、どうしても実践形式の戦闘が必要なのだ。
「おいっ! 武器をくれ!」
なにしろ、俺は丸腰だったのだ。
アイテムボックスに石斧は入っているが、それを堂々と出すわけにもいかない。
俺は、背後の豚の相手はせず、客席で笑っている先輩方に訴えた。
メスライオンが檻から出る。鎖にも繋がれていない。
俺は、武器を貰えるまでは、とにかく避けようとした。
足が止まった。
動かない。さっきまで、鉄球の重さはあまり感じていなかった。どうして動けないのかと振り向くと、鉄格子の扉が降りて、その向こうにブウがいた。
だが、俺が動けない理由は、ブウが何かしたからではなかった。
俺が足元に目をやると、俺の右足につながっていた鉄球が、降りた鉄格子の向こう側にある。俺は、模擬試合をする訓練場に足を踏み入れた。だが、俺のお供である鉄球は、踏み入れていなかったのだ。
結果として俺は鉄球と生き別れとなり、俺と別れたくない鉄球の奴に引き止められることとなった。
「くそっ!」
柄にもなく、意味のない悪態が口をついて出た。意味のないことを口走るのは好きではない。それだけ、切羽詰まっていたのだ。
俺の上に影が落ちる。
俺は、とっさに頭を下げた。
俺の上に、どしりと思い肉の塊が覆いかぶさり、俺の背中に食らいついた。
血が流れる。俺の血だ。背中に牙を立てられた。
痛い。
俺は、肘でメスライオンの腹部を突き上げた。
手加減などしていられない。全力だ。
俺の全力を込めた渾身の一撃で、メスライオンが仰け反る。
俺は、目の前にあった、体の割には細い、後ろ足に組みついた。
メスライオンが仰向けに転がる。
俺も転がる。
メスとはいえ、前足の力強さはオスと変わらない。ばたばたと前足を動かし、俺の肌を傷だらけにしてくれる。
「おいっ、ライオンは高価だ。殺すなよ」
ブウが笑いながら言った。俺は、どうしようもなく腹が立った。
「俺が死んだら、お前も責任を問われるぞ!」
「訓練中に若い奴が死ぬのは、よくあることだ」
「訓練と言うのなら、せめて武器をよこせ」
俺は現在戦士だ。修道士ではない。素手でライオンとは戦えない。
ブウはニタニタと笑いながら、客席に向かって怒鳴った。
「おいっ! このクソ生意気な新人と心中してもいい奴、武器を渡せ!」
そんな言い方で、武器を俺に渡す人間がいるとは思えなかった。俺に協力すれば、一緒に殺すと宣言しているようなものだ。
その間にも、メスライオンは起き上がっていた。目が爛々と輝いている。俺の血を味わい、ますます食欲が増進したようだ。
俺は逃げられない。背後の鉄格子を持ち上げようとすれば、背中を向けなればならない。その間に、美味しくいただかれてしまうだろう。
「誰か! 武器を!」
空気が光った。いや、空中で、何かが光った。光を反射して輝いた、薄汚れた短剣が、訓練場の地面に突き刺さった。
ライオンが跳躍する。
俺は、短剣を拾い上げた。
メスライオンの牙が、俺の肩に食い込んだ。
肩の骨が噛み砕かれる感触と、叫びたいほどの激痛、鮮血がほとばしる絶望感で、俺の心はいっぱいになる。
だが、噛みつかれると同時に、俺は間一髪で拾い上げた短剣を、ライオンの胸に突き立てていた。
俺の肩を美味そうかじるライオンが、力なく崩れる。
剣の柄まで、肉に埋もれた。傷は深い。だが、致命傷ではないだろう。絶命するには、長い時間がかかる。ライオンは、光る目を俺に向けていた。
「……来いよ」
砕けていない方の手に短剣を持ち替え、ライオンを挑発する。俺の知る世界で地上の肉食獣の頂点にいた動物は、静かに足を折った。
負傷してまで戦う相手ではないと考えたのだろう。さすがに百獣の王の一族だけあって、計算高いようだ。
俺は深く息を吐き、その場に座り込んだ。
俺が座っても、ライオンは動かなかった。
警戒を解いたわけではないことを、理解しているのだ。
背後で、ブウの舌打ちが聞こえたのが、愉快だった。
俺の対戦相手が攻撃してこなくなったので、ひとまず試合は終わりだ。ライオンが、おとなしく座っているからといって、背中を見せられるほど俺は豪胆ではない。
最強の獣を見つめ、俺はその場に座り続けた。背後で鉄格子が上がる音がする。
俺の隣に、ブウが並んだ。
「おいっ! 誰がこいつに武器を投げた! こいつと同じ目にあいたいのか!」
俺は、鉄格子が上がった瞬間に、鉄球を引き寄せておいた。これで、少なくとも移動はできる。
観客席が静まり返る。ただ1人、訓練場に飛び降りた影があった。
昨日、俺を助けてくれた男かと思ったが、どうやら別の、もっと若い男だった。
俺の体であるカロンよりはだいぶ歳上だろうが、剣奴たちの中ではもっとも若いかもしれない。
すらりと背が高く、彫りの深い顔をした美男子だ。あっちのアバターの方がよかったと思わせる青年である。もちろん、俺の現在の顔は、たぶんアバターではない。
「こいつと一緒、というのなら、生き残れそうな気がするよ」
「お前かっ! 俺に土下座して泣いて謝ったのを、忘れたのか?」
ブウが粘りつくような声を出した。どうやら、以前いじめられていた男のようだ。男の額に青筋が浮かぶのがわかった。
「忘れてはいない。だが……生き延びるために、最善を尽くす」
声の調子が落ちた。かなり、酷い目にあったらしい。
「後悔するぞ」
ブウが笑った。どうやら、その時は近い。男は、訓練場に降りて、俺の前に立った。ブウと向かい合っていた。つまり、ライオンに背を向けていたのだ。
メスライオンは腹を空かせいていた。手痛い傷を負ったのは確かでも、その程度で行動不能に陥るほど、甘い獣ではなかったのだ。
伸び上がる。
男の首筋を狙った、見事な跳躍だった。
俺はとっさに飛び出していた。
右足の鉄球が跳ね上がるほどの勢いだ。
剣を持ったままだった。
「伏せろ!」
何が起きたのか、理解したのだろう。男は頭を抱えてかがみ込んだ。格好は悪いが、正しい選択だ。
俺は大きく飛び出し、持っていた剣を突き上げた。
ライオンの体が、地面に落ちる。仰向けに倒れ、なお抵抗しようともがく。
最後まで、自分が死ぬことなど考えていない。ただ、相手を噛み殺すことだけを考えている。だからこその、獣の王なのだろう。
俺は、4本の足をばたつかせるライオンに刺した剣を、さらに捻った。そうすれば、ダメージを与えられると知っていたわけではない。ただ、自然に体が動いたのだ。
ライオンの体から大量の血が吹き上がり、さらに幾度も抵抗を試みたあげく、ライオンは動かなくなった。
「お、お前ら! ライオンがいくらするのか、知っているのか! お前たちが一生働いても、返せないぞ」
「このライオンを殺させたのはお前だ」
俺は立ち上がり、ブウを睨みつけた。どうやら、この豚と仲良くやっていこうというのは、もう無理なようだ。
徹底的に対立するしかない。
「怪我はないか?」
「ああ。あんたは、怪我をしているようだな」
頭を下げて伏していた男は、俺がうらやましいと思えるような笑顔を見せた。俺は手を伸ばし、男がしっかりと握った。引き上げる。
男が立ち上がる。俺の肩から背中が痛んだ。いまの俺は戦士だ。覚えた魔法やスキルは使えるらしく、回復魔法も使えることになっているが、MPが0のため、使用することができない。
「覚えておけ! 一生、ここでこき使ってやる」
ブウは捨て台詞だけを残して、足早に去った。観客席から俺を見下ろしていた剣奴たちは、不景気な顔で去っていく。訓練に戻るのだろう。
「あんた、本当にいいのか? あの豚に、だいぶやられたんだろ?」
青年は、にかりと笑った。
「ああ。思い出すだけで胸が悪くなるほどな。しかし、肝心なのは、生き残ることだ。誰かと一緒に戦うなら、俺はあんたがいい。そう思えた。だから、武器を投げた」
「そうか。助かった。よろしく頼む」
青年はエレンと名乗った。俺もカロンだと名乗り、俺はこの世界で、初めて友人と思える相手を得た。
俺が連れてこられた訓練場は、未熟な剣奴しかいないらしい。だから、オークのブウが最強だったのだ。
剣奴の役目は闘技場で、多くの観客を喜ばせ、死ぬことにある。
メインとなる戦闘イベントに出るのは、剣闘士と呼ばれる剣奴から成り上がった奴隷たちだ。身分は同じ奴隷だが、自由がないだけで、かなり待遇はいいらしい。
といっても、試合で負ければ死ぬのは当然で、試合を拒否することもできなければ、その相手も強力な魔物が多いという。だが、そんな試合ばかりではすぐに剣闘士が全滅して、試合が成立しなくなる。
そこで、俺が連れてこられた訓練場に多数いる、まだ見習い程度の扱いの、一般剣奴がいるのだ。
この世界の、というかこの国の剣奴の試合は、ほとんどが人間対囚われた魔物、という図式で行われるらしい。
人間を超える不可思議な生き物たちが跳梁している世界で、わざわざ人間同士で殺し合いをさせても、客は喜ばないということか。
まず、前座として比較的弱い魔物と、俺や俺と同じような、訓練場にいる剣奴を戦わせる。一対一の時もあれば、集団戦の時もあり、また少し強い魔物と、大勢の剣奴対一匹、で戦うというのもあるらしい。すべて、その日の流れを考慮して興行主が決めるのだ。
ゴラッソというじいさんは、意外と繊細なことをしているのだ。
その前座試合で実力が認められるか、人気が出てくると、後半に登場する剣闘士の仲間入りができる。
俺が連れてこられた訓練場には、本物の剣闘士などいなかったということだ。
後半の試合も、基本的な部分は前半と一緒だが、相手がもっと恐ろしい魔物で、さらに剣闘士側の力量に合わせて人数が減るらしい。
どうしてそんなことを、といえば、当然観客が盛り上がるからという以外に理由は要らない。実にやりたくない行為だが、それをやらなくては、俺が入り込んだカロンという少年の目的は達成できない。
剣奴のままでも、金持ちが目をつけて護衛やら奴隷として購入されることもあり、若い剣奴にはその機会も多いという。だから、俺も比較的高い値段で買われたらしいのだが、エレンのような男は、まさにそれを狙っているのだろう。
だが、それではいつまでも奴隷のままだ。奴隷から自由な立場になりたければ、剣闘士に成り上がり、国王の御前試合で活躍することが必要らしい。しかも、御前試合で王が剣闘士を自由にするのは、王自身の気まぐれでしかないというのだから、性質が悪い。
そんなものを目指すより、金持ちの奴隷として買われたほうがよほどいい目が見られると、エレンは熱っぽく教えてくれた。
曖昧に同意しておいたが、俺はカロン少年の幼馴染のファニーを追いかけて剣奴になったのだ。
たまたま、ファニーを買った相手が俺を買ってくれるという幸運がないかぎり、俺が自由になるのを諦めると言うことはない。その場合でも、ファニーとただ同じ職場だというだけで、カロン少年の望みが叶えられるわけではない。
カロン少年の望みを叶えるのには、俺が自由になり、さらに金を稼いで、ファニーという少女を自由にしてあげることが必要だ。
そうでなければ、目的を成し遂げたとは言えないだろう。
エレンには悪いが、俺は剣闘士を、しかも最強の剣闘士を目指すのだ。