129 ファニーとは会ったこともない
ちょうど一月が経過したと思われた日、俺とアデルはスノウドドンゴを山に残して街に戻った。
アデルが言うには、スノウドドンゴは完全にテイムしたので、逃げることもないし、呼べば来るそうだ。
アデルの魔獣使いとしての力は、俺の勇者のようにシステム的に約束された力ではなく、この世界での実力であるため、もともと野生だったスノウドドンゴについてどうしてそう言い切れるのかわからなかった。あるいは、この世界の魔法的なものが働いているかもしれないと考えたが、わからないので問わずにいた。
宿屋に着くと、ドディアが飛びついて着た。
「おや、お熱いねぇ……」
長い間一緒に過ごして、何もなかったアデルが茶化した。街の中なので、アデルは幼女のような肢体と黒い顔をローブで隠している。
「久しぶりだからな」
俺は飛びついてきたドディアを抱いたまま、階段を上がって部屋に入った。
宿代は一月分前払いしてあるのだ。
一月前と同じ部屋に泊まっていること自体、何も問題が起きていないことの証拠だろう。
部屋に戻ると、ララが日向ぼっこしていた。
同じく転生者でありながら、ずいぶんと呑気なものだ。
ララは人間に転生した俺を羨んだが、本当は猫に転生して満足しているのではないだろうか。
「予定通りに戻ってきたようだニャ」
「ああ。こちらも変わりはないようだな」
「カーネルっていう騎士の手下が守っているから、何もあるはずがないニャ。カロンが戻ってきたら、部屋の窓を全部開けるように言われているニャ」
「ララに指示したのか? カーネルという男……ララと話せたのか?」
「いや、宿の主人に言っていたニャ。主人が忘れていなければ、そのうち窓を開けに来るニャ」
「そうか。じゃあ、いまのうちに開けておこう……寒くないか?」
「寒いから普通は窓を開けない。だから、合図なんだろう」
アデルは寒くないらしく、フードを脱いで霜や雪を払うと、さっさと窓を開け始めた。
部屋の中には暖炉もない。部屋の中は突然寒くなり、ドディアが俺にしがみついてきた。
「……カロン、弱くなった?」
ドディアの言葉が痛い。抱きついた感触でそう思ったのだろう。
「そうニャ?」
「ああ。雪山ではただのレベル上げだから、持ち技を増やすために、魔法使いに転職していた。勇者に戻れば元に戻る」
「勇者のレベルを上げたほうが、死ににくいニャ……たぶん」
「そうかもしれないが、一月山にこもっても、これ以上勇者のレベルを上げるのは1つか2つが限界だろう。まだ上げてない職業を上げて、できることを増やしたほうがいいと思ったんだ」
「あたしも戦士だ」
「そっちはいいニャ。でも、戦士ではMPが少なそうだニャ。スキルはそのまま使えるといっても……心配だニャ」
「わかっているさ。氷の女王を殴りに行くときには、僧侶に戻す。カロンも勇者にするんだろう?」
「もちろんそのつもりだよ。ドディア、服を着替えるから……ああ、寝ちゃったか……」
俺に抱きついたまま、ドディアは眠っていた。
「枕が変わると寝付けないタチだそうだニャ」
「カロンが枕か……じゃあ、ずっと寝不足だったのかい?」
「そうみたいだニャ」
「ちょっと待て。ドディアは、ララの言葉はわからないだろう?」
「猫に話しかけるほど、寂しかったニャ」
「まあ、カーネルが来るまでは、そうしているんだね」
アデルが俺の肩を叩いた。顔が半笑いだ。
俺はドディアを抱いたままベッドに座り、そのうちにのしかかられて横になった。
外の冷たい風が体を打ち、ドディアがますますしがみついて来る。
俺は部分的に暖かいが、凍えそうだった。
ララも俺の上に乗ってきた。やはり寒いのだ。
アデルが俺の隣で横になったのは嫌がらせに違いない。アデルの鉛の体は、本人の自覚とは無関係にどこまでも冷たくなる。脇腹が凍傷になりそうだと思い出した頃、ようやく求めていた人物が入ってきた。
「この部屋は四六時中部下に見張らせているから、一度全ての窓が開いたのを確認したら閉めてもよかったのだが……それとも、そういう体勢になりたいから、わざとか?」
窓をあけ放ち、俺の周りにドディアとアデル、ついでにララがすり寄っている状況を見て、カーネルが呆れたような声を出した。
「わざとだニャ」
「黙れ……いや、悪い。あんたにじゃない。猫に言ったんだ」
「気をつけろよ。猫に話しかける癖がつくと、色々な噂が立ちやすい」
「……わかった」
俺は苦笑しながら体を起こす。すっかり寝入っていたドディアをベッドに寝かせると、どうやら眠っていなかったらしいアデルがむくりと起き上がった。
「じゃあ、打ち合わせといこうか」
「そうだな」
かつて魔将軍の片腕だった外見幼女の言葉に、カーネルが表情を強張らせて頷いた。
失敗の許されない作戦の打ち合わせであり、カーネルに促されて俺とアデルはカーネルの屋敷に移動した。
カーネルの屋敷は初めてだったが、爵位を持つ貴族でもあり、屋敷の規模も装飾も見事なものだった。
王宮には比べるべくもないが、立派な屋敷だ。
中に入ると執事とメイドがいて、飲み物と菓子を出してくれる。
居間で待たされて、しばらくしてカーネルがやってきた。
「待たせた」
「いい屋敷だな」
「それほどでもない。アスラルの屋敷はこんなもものではないぞ」
「いや……そこまで大きいと面倒だろう」
「ああ。そうかもな。アスラルは戦うしか能のない男だ。館の管理すらできないと、本人もぼやいていた。だが、その戦いの能が問題だ。あれを敵に回すのは、女王本人を倒すより難しい」
「そのアスラルがいない。だろう?」
出されたミルクの入ったカップを傾けながら、アデルが笑った。
「ああ。奴はすでに王都を発ち、西方に向かった。蛮族の平定と領土の拡大が目的だ。アスラルの率いる兵は強い。まず、しばらくは戻らない」
「予定通りというわけか。シレーネは?」
俺は、青バラと呼ばれる騎士団の最後の一人を思い出す。俺と直接戦った唯一の相手で、卓越した戦闘力を持っていた。魔法が使えなければ、俺も負けていたところだ。
「あれはこの作戦の要だ。女王本人を倒す」
「……こちらの味方か」
「そうだ。お前たちは、私たちが女王を討伐した直後に動き出すだろう、氷の女王をねじ伏せるのが仕事だ。倒してもいいし、もし倒せなくても私とシレーネでなんとかする。できるだけ時間を稼げ。アスラルが戻れば、氷の女王にぶつけることもできる」
「アスラルがそれほど強いのなら、氷の女王を討伐に向かわせればよかったのじゃないか?」
「無理を言うな。私たちは騎士だ。この国に、お前のような妖術師はいない。倒すにしても、王都を半壊させるぐらいの罠を仕掛けなければならないだろう。氷に覆われた向こうの国に討ちに行くなど、自殺行為だ」
俺が倒せなくても何とかするというのは、王都の半壊を覚悟してのことらしい。
「わかった。俺たちは、すぐにでも出た方がいいんだな?」
「ああ。お前たちの出発を見届けてから、私たちは女王ヴァルメス討伐に動く」
「……王都での作戦の成否は?」
「何について聞きたい? 成功する可能性か?」
「ああ。俺の連れ、ドディアと猫のララは連れていけない。凍死するのが目に見えている。できれば預かってもらいたい」
「そうか。了解した。私も、失敗した場合の備えは考えてある。執事とメイドたちを巻き添えにするつもりはないのでな。作戦の決行と同時に、この街を抜け出すつもりだ。メイドたちに預けておけばいい。メイドは二人いるが、どちらも戦闘訓練を受けている。ドディアという獣人の娘ぐらい、押さえつけられるだろう」
「わかった」
俺はカーネルの手を握った。
支度金としてさらに金貨を10枚渡された。
その場は屋敷を出て、旅の支度を整えてから、宿に戻る。
ドディアが起きて、ベッドの上で待っていた。
俺が戻ると、さっそく、俺の首筋に噛み付いてきた。
ドディアを置いて出かけたのが気に入らなかったらしい。
アデルは苦笑して、まだ寝ていたララを起こす。
「行くニャ?」
「ああ。ララ、ドディアを頼む」
「やっぱり置いて行くのかニャ?」
「それしかない。ドディアを凍死させたくない」
「……2度とカロンと離れない。その娘は毎日そう言っていたニャ」
独り言なのだろう。ララとドディアは話ができない。ドディアは口数が少ない。独り言を言う癖もない。それでも『毎日言っている』というほど、口にしていたということだ。
「これを最後にするよ。もう2度と離れない。氷の女王を倒せば、この国にとどまれる。魔物を狩って金も作れるし、1年か2年冒険者を続ければ、ある程度の名声も手に入るだろう。そうしたら、ファニーを探しに行く」
「……幼馴染のファニーとドディア、どっちをとるニャ?」
「ドディアだよ。ファニーとは会ったこともない。だから、ただ無事が確認できればいい。それ以上は望んでいない」
「それを聞いて安心したニャ」
「カロンばっかり楽しんでいないで、あたしにも相手を探しておくれよ」
ずっと黙っていたアデルが口を挟む。フードを脱ぎ、真っ黒い小さな顔を晒していた。
「普通の人間じゃ満足しないんだろう? 難しいな」
「火鬼のビリーみたいなのを求めるはずがないじゃないか。普通の人間の男で十分さ。あたしを恐れず簡単には死なない相手なら、生活費はあたしが稼ぐ」
「……簡単に死なないってのが、難しいぞ」
「一人知っているニャ」
ララが片手をあげて俺を指した。
「おい、これから二人で長旅に出るんだ。出かける時に余計なことを言うなよ。ドディアが気を悪くする」
「ごめんだニャ」
ドディアの俺を噛む力が弱まるまで、俺はドディアを抱き、再び寝かしつけ、まっ暗い凍えるような寒さの中、俺はアデルと街を出た。