122 金に困って冒険者を続けているわけじゃない
俺を追っている奴はいなさそうだったので、顔を隠すこともなく宿屋の一階に降りた。食堂も兼ねているようだが、素泊まりと言って金を払っているので、食堂には入らない。
部屋を借りるときに会った男がカウンターにいる。
「教えて欲しいんだが」
「どうした? 連泊追加か?」
「いや……この辺りで動物の肉を買い取ってくれる場所を教えて欲しい。それと……俺の故郷では冒険者組合ってのがあった。この国にもないか?」
「他国からか……じゃあ知らないだろうが、この国は作物があまり育たない。食料ならどこでも大歓迎だろう。うちでも引き取るぜ。買い叩かれないか心配なら、何店か回ってみな。看板を掲げて入り口が空いている家なら、大抵は引き取るって言うだろうな。それから、冒険者組合は世界規模の組織だ。無い国なんて聞いたことがない。宿を出て右に曲がり、4つ目の角を左に行け。すぐにわかる」
「そうか。これなんだが……」
俺は、道中で大量に狩った古代イワトカゲの肉を取り出した。殺したままアイテムボックスに放り込んだが、ボックス内で見事に解体されて肉だけが取り出された。
「……ほう。魔物の肉か。少しいいか?」
「ああ」
男はナイフを取り出し、一切れをそぎ取って口に運んだ。
しばらく咀嚼していた。
「……美味いな。臭みも少ない。なんて魔物だ?」
「古代イワトカゲ」
「よく狩れたな。岩場をねぐらにしていることは知られているが、皮が硬くてどんな武器も通らないし、魔法で倒すにしても、よほど魔力が高くても一匹倒すだけで限界だという話だ。銀貨10枚でどうだ?」
俺は頭の中で計算する。一泊銀貨5だということは、銀貨一枚が日本円で千円ぐらいだろう。銀貨10枚ということは一万円だ。アイテムボックスには大量に肉がつんである。
「いいよ。その値段で」
「えっ? いいのか? いや……適正価格だ。返さないぞ」
「だから、いいって」
古代イワトカゲの肉が大量にあることは黙っておいた。男の言い振りからして、実際にはかなり足元を見られているのだろう。手元にほとんど金がない俺は、大金でなくてもいいので、金が欲しかった。それに、大量の在庫もアイテムボックス内なら腐らない。精神的にゆとりがあったのだ。
「じゃあ、銀貨一〇枚だ」
「ありがとう」
俺は銀貨を握りしめて宿を出た。出て右に進む。冒険者組合を目指すのだ。
「ララ、さっそく金ができた。あの肉はまだまだあるし、少し返そうか?」
宿代はララのへそくりから出してもらったのだ。そのお釣りも俺が持っている。銀貨九〇枚を猫の体で管理するのは大変だと思ったからだ。
「要らないニャ。あげたものだニャ」
「……そうか。じゃあ遠慮なくもらっておく」
ララが背負い袋の中で寝返りを打つのがわかった。しばらくして、御殿のよう大きな建物にたどり着いた。
冒険者組合の建物らしい。
周囲には飾り気のない質素な建物が並ぶ中、ひときわ大きく、派手に装飾された建物だった。
趣味が良くない。
この国の冒険者は成金趣味なのだろうかと考えてから、俺は冒険者組合を正面から訪れたことがないことに気づいた。
大抵は目隠しをされていた。
奴隷だった。しかも、戦える奴隷ということで、街中の移動は常に目隠しをされたままだった。
ひょっとすると、俺の国の冒険者組合もこうなのかもしれない。
すべからく冒険者は派手好きであったとしても俺は驚かないが、俺の知っている冒険者のイメージとは少し違う。
普通に入って大丈夫だろうかと思いながら、俺は扉をくぐる。
「あっ……エスメル……」
「カロンかい? こりゃ、意外なところで会ったもんだね」
もう中年に至りつつある、かつて奴隷だった俺を雇ったベテランの冒険者と、組合の入り口で鉢合わせした。
エスメルは冒険者組合から出ていくところだった。俺はエスメルに誘われ、近くの休憩所に入った。
俺の知る世界でのカフェである。個室で何をしても周囲にはわからない、というタイプの休憩所ではない。
「メルとシルビスとムーレは?」
俺は、エスメルとパーティーを組んでいた冒険者たちの名前をあげた。
テーブルの1つに向かい合いで座り、休憩所を経営している男に二人分の白湯を注文した後である。
「ああ。一緒だよ。街に入って別行動をとっているけどね。バードのあたしが、単独でここまで旅をするのは自殺行為だかね」
「まとまった金が手に入ったと思ったが……使い切ったかのか? 例のヤモリドラゴンだったか……意外と早く倒されたのか?」
白湯が運ばれてくる。コーヒーを頼みたい気分だが、この世界でコーヒーがあるのかどうかはわからない。お茶らしいものはあるが、俺の知るお茶の葉ではなく、野草を乾燥させて味を染み出させたもので、白湯に飽きた者が、あえて苦味をつけて飲むのだと教わったことがある。
「いや。ヤモリドラゴンは頑張っているし、まだまだ稼いだ金は残っているよ。別に、金に困って冒険者を続けているわけじゃない。暇つぶしと小遣い稼ぎかね。バードでの実入りは少ないし……この歳になると、男を見つけるのも一苦労でさ」
「……そう。俺は……その……ドディアは匂いに敏感なんだ……」
「そうかい。ドディアとまだ一緒かい。そりゃ、よかった。心配しなくていい。カロンを今更買おうなんと考えないよ。もう……奴隷じゃないようだしね。ドディアは元気かい?」
エスメルは柔らかい笑みを浮かべた。懐かしいのだろう。
「ああ。相変わらず俺を寝床がわりにしている。冒険者を続けているってことは、この国に来たのは仕事でかい?」
「ああ。調査依頼だ。南の国の北にあったエルフの森は、人間には抜けられないってことで、歩いて北国までくるのは不可能だった。それが、突然エルフの森がどこかに行っちまった。その原因を探るのと、エルフの森がなくなった北国へのルートが安全か確かめるのと、北国がどんな国か確認するの……まあ、3つぐらい仕事を掛け持ちしているよ。どれも成功報酬で前金もないが、その分気楽だ。あたしたちみたいに当面の金には困っていない人間には、ちょうどいいと思ってね」
「しかし、危険じゃないのか? 俺は、エルフの森の周辺でかなりの数の魔獣を狩った。どんな前衛を雇っているか知らないが、まだその魔獣が残っていたら、かなり危ない旅になったはずだ」
エスメルは白湯を飲む。飲み込み、笑みを作った。
「やっぱりね。カロンを見つけたときから、何か知っているはずだと思ったよ。カロン、かなり色々なことを知っているようだね。盗み聞きされると面白くない。もうちょっと大人の休憩所に行こうか」
「……えっ? さっき、俺を買う気はないって……」
俺は慌てた。エスメルは、前かがみになって服を引っ張った。
俺はエスメルに一方的に犯されたことしかない。エスメルの体を十分に知っているかと言われれば、自信はない。
「気が変わった。ほかの連中とは夜に合流することになっている。かなり時間がある。この街まで来て、わかったことは街の様子と、道中は比較的安全だということだけだ。エルフの森については何もわからない。カロン、お姉さんの言うこと、聞いてくれるよねぇ。ただでとは言わない。今度は、あたしが一方的に満足するだけじゃなく、カロンも満足させてやるよ」
エスメルが舌なめずりをする。
「……さっきも言っただろ。ドディアは匂いに敏感で……」
「獣人の鼻を利かなくする木ノ実の持ち合わせがある。後でくれてやるよ」
「男が見つからないって言ったよな」
「一緒に所帯を持つような男がって意味だよ。経験は多い方だと思うけどね」
「ああ……エスメルは……美人だし……」
「そう言ってくれるってことは、決まりだね」
エスメルが俺の手に触れる。俺は手を引かず、だが振り払わなかった。
人魚だったピノが死んでから随分経つ。俺は生唾を飲み込んだ。