120 上手く行くとは思わなかったよ
複雑な王宮の中で、俺自身がどう案内されてきたのか覚えていない。
夢中で走り、何度も場所を間違え、違う扉を試し、なんとかドディアとアデルが寝ている部屋に戻ってきた頃には、すでに日が昇っていた。
慌ただしく扉を開けたためか、ドディアがむくりと体を起こした。
「ドディア、無事か?」
「うん……カロン、一緒……」
眠そうに目をこすっている。出会ったばかりの粗暴な様子は、すっかり影を潜めている。
俺が一緒だから大丈夫だという意味か、一人で出かけた俺を責めているのかわからない。
「すぐに出る。出られるか?」
ドディアにほぼ荷物はない。ただ、なにを言われているのか分からないようで、ベッドの上で幸せそうな顔をしている。
「何かあったのかい?」
沈んだベッドの底から、アデルが頭を上げた。
「女王ヴァルメスに襲われた」
「へぇ……噂ではとんでもない化け物だってことだったけど、単なる好き者かい?」
「ドディア、噛むな。なにもしていない。というか、そういう意味じゃない。俺を食おうしたから……魔法で頭を吹き飛ばした」
ドディアが俺の話を聞いて、噛みついていた手を離して舐めてくれる。かなり本気で噛んだようだ。血がにじんでいる。
「はっ、そりゃ凄い。殺したかい?」
「死んではいないだろう。俺を騙して連れて行ったメイドが代わりに食われた。俺が頭を吹き飛ばした後でだ」
「やっぱり、噂通りの化け物ってことかい……で、どうする?」
「王宮から逃げる。それしかないだろう」
「まあね。その後は?」
「この周りの国は? 逃げ込められそうなのか?」
「この周辺は、どこもこの国の領土だ。女王が即位してから戦争に次ぐ戦争で、周りの国から領地をぶん捕り続けている。ほとんど魔物しか住んでいない荒野だけど、この国領地が広がっている。荒野に逃げても簡単には見つからないだろうが……逃げ切るより凍え死なないことのほうが難しいだろうね。当然、あたしは別だけどね」
「なら、街に潜伏しよう。なんだか……こんなことばかりしているな」
「よそ者がまっとうな生活をするってのは、難しいもんだ」
アデルがにっかりと笑う。耳元まで口が裂ける。どうしたわけか、カマキリのアリスを思い出す。
「よし、すぐに逃げよう」
「どこから? すぐに追っ手がくるよ」
「窓からだ。正攻法だろ」
俺は窓から外を見た。客用寝室だと言われたが、高い塔の上だ。今思えば、獲物が逃げられないように高い場所に閉じ込めたのだとわかる。
「言っておくけど……青バラって名乗った騎士の中で、アスラルってのとは戦わない方がいい。あれは多分、ビリーより強い」
「わかった。七魔将より地力で上ってことは、魔王級か?」
「魔王は別格だ。比較はできないけど、魔王を討伐する勇者を誰か選ぶとすれば、あたしならアスラルを選ぶ。そういう奴だ」
「竜兵より強いか?」
「単身ならね」
「それは怖いな」
俺はアイテムボックスからロープを取り出した。俺のアイテムボックスにはかなりの余裕がある。こういう便利グッズは細かく拝借して、収納しておくことにしている。
日頃の努力の成果が出たということにしたい。
「アデル、この壁を壊せるか?」
「お安い御用だ。でも、カロンもできるだろう?」
「スキルと魔力は節約したい。街に逃れるまではな」
「わかったよ。ドディアも離れな。破片が飛ぶよ」
「うん」
アデルは小さく重い体をもって、外に接する壁の前に立った。
アデルが壁に激突した。壁を殴るのかと思ったら、全身で壁に体当たりをした。 まさに全面が壁にあたり、壁が崩れた。
「何事だ!」
扉の外から声が聞こえる。
崩れた壁から外を見た。やはり高い塔の上だ。
「飛び降りたら死ぬな」
「あんたなら死なないんじゃないか? 当然あたしは死なないよ」
「死ぬ」
飛び降りることを想像したのだろう。ドディアが震えて俺にしがみついた。
「ロープがあるし大丈夫だろう。ドディアは俺にしがみつけ」
「うん」
「でもカロン、そのロープはどこに縛り付けるんだい?」
「決まっているさ」
俺はロープの先端を輪にして、アデルの首にかけた。
「ああ。なるほど……で、あたしはどうやって降りる?」
「俺たちがおりた後、飛び降りるといい。その時に言ってくれ。証拠を消す」
「……乱暴な」
「仕方ないだろう。他に手はない」
「仕方ないね。しっかりやりなよ」
結局了解された。
破壊されていない壁に設置されていた扉が開き、兵士らしい男が顔を出すのと、俺がドディアを抱いて飛び降りるのは同時だった。
ロープを掴んでいるが、生きた心地がしない。元の世界の元の肉体だったら、確実に死んでいる高さである。
急激に地面が近づいてくる。
ロープが長すぎたらどうしよう。
長さを確認していなかったことに、飛んでから気がついた。
だが、俺にはまだ運が味方してくれた。
地面から十メートルというところで、俺が握っていたロープが張り、俺は腕に絡みつかせたロープで片腕がちぎれるような衝撃を受けた。
「カロン、行くよ!」
ロープが限界まで伸びたことを、アンカーがわりにしたアデルが気づかなかったはずがない。俺は空中にぶら下がった状態で上を見た。
アデルの黒い肉体が宙に踊り、同時に俺は落下を再開する。
アデルの先の、俺たちの寝室だった部屋に向けて、俺は魔法を放った。
「バン、レベル3」
アデルの背後で、巨大な爆発が生じる。アデルの落下が爆風で加速し、俺は背中から地面に激突する。俺の腹の上に、ドディアが降りた。
直後に、俺の顔を跨ぐようにアデルが着地する。
「……ふう。上手く行くとは思わなかったよ。やるもんだね」
「まだだ。逃げろ!」
「どうした?」
「上だ!」
バンレベル3では、威力が強すぎたようだ。
俺が爆発させた部屋を中心に、巨大な城の塔の一部が吹き飛び、爆発地点から上の塔が、俺たちの上に落ちてきた。
「ひゃっ……でもまあ、大丈夫だろう」
アデルは首を上に向け落下してくる塔を眺めたが、平然と笑った。
俺は隠れた。一番安全だと思われる場所だ。アデルの股の間である。
塔が落ちる。地面が揺れる。
無傷とはいかないが、俺もドディアも軽傷で済んだ。
アデルの頭に、巨大な塔がそのまま襲い掛かり、結局アデルの固さに負けて瓦礫を散乱させることになったのだ。
「アデル……無敵か!」
「魔獣使いの鉛のアデル様を舐めてもらっちゃ困る。尊敬しな」
「……アリスは本当にいるんだろうな?」
「ああ。魂はアリス、頭と体はアデルだ」
ひょっとして、アデルの個性が強すぎてアリスが飲み込まれつつあるのかもしれない。
とにかく、俺は新しい仲間の頼もしさに感激しながら王宮を脱出した。
塔が折れて落ちるという大惨事の現場から人目を忍んで離れると、王宮から出るのは簡単だった。
巨大な王宮に比して、閑散とした人気のない城だったのだ。
災害現場に人が集まっているのかもしれない。それに、女王はメイドを食うのに夢中で、俺に追っ手をさし向けるのを忘れたのかもしれない。
人影のない王宮内を移動し、俺たちは外に出た。
王宮から少し離れて、取り囲むように街が存在する。
あたりは氷に覆われていた。
寒い。アデルは平然としているが、ドディアが体を擦り付けてくる。俺はアデルに頭からフードつきのローブを被せ、王宮の騒ぎなど知らぬ気に横たわる、凍りついた街に踏み込んだ。