12 悪いが、遊びの対象が1人とはかぎらない。
俺は自己紹介をする間も無く、オークのブウと戦うことになった。
勇者から戦士に転職し、俺は強さを落とした上でオークと戦った。勇者レベル5ではあまりにも強すぎると、オークの動きを見て確信したからだ。
左肩を負傷したが、ブウを叩きのめした。俺の行動範囲は右足をつながれているので、限定されている。
転がって遠ざかるブウを見ているしかない。
ブウは、両手足と首に輪をつけているが、つながれているわけでもなく鉄球のようなものもぶら下がっていない。俺と同じ奴隷のはずだが、優遇されているのだろうか。
泥にまみれながら、ブウが立ち上がった。口から泥を吐き捨てる。
「やるじゃねぇか。ただの生意気なガキかと思ったが、少しは骨があるらしいな」
俺を評価するようなことを言うが、俺は騙されない。相手は魔物だ。
「早くしろよ。豚肉を捌くには、時間がかかるだろう」
ブウは、ブヒーと叫びながら、俺に飛びかかってくる。実に挑発にのりやすい。
俺が体勢を低く構えると、一度受け止められているからか、正面から飛び掛らずに回り込んだ。豚の割に小賢しい真似をする。
横に回り込み、俺の右側から飛びかかってくる。俺の利き腕だ。俺は木剣を跳ね上げた。ブウの体にまともに入ったために、木剣がへし折れた。ブウが再度飛び、宙に浮かんで地面に落ちる。俺が飛ばしたのだ。
右腕に痛みが走る。どうやら、戦士レベル1の筋力の限界を超えていたようだ。
再びオークが顔をあげる。目が充血していた。
「お前……このままでは、済まさないぞ」
「どうした? 生きたまま、肉にされたいのか?」
俺がさらに挑発すると、オークは悔しそうに歯ぎしりをしながら、ゆっくりと倒れた。意識を失ったのだ。
頭の中に、ファンファーレが鳴り響く。戦士のレベルが2に上がったらしい。相手を殺さなくても、戦闘に勝利すれば経験値は入るようだ。
ブウが転がり、1人になった俺を、剣奴たちは静かに見ていた。さきほどまで囃し立てていたのに、全員がゆっくりと背を向ける。俺に抵抗するなと言った壮年の剣奴だけが、俺の背後に回って話しかけてきた。
「坊や、強いな。だが、負けてやれなかったのか?」
「相手はモンスターだよ」
当初、俺はいい感じにやられるつもりだった。そのために、勇者から戦士に、わざと弱くなったのだ。ある程度いい勝負をすれば、いい感じに収まるのではないかと思っていた。
だが、オークのブウが俺の予想より挑戦的だったこともあり、俺も予想外に対抗してしまった。
さっきのブウの言動を見れば、負けた相手に容赦するとは思えなかったのだ。
「だが、ここでは、それなりの顔だ。 ゴラッソのお気に入りでもある。あまり、調子にのるなよ。強ければいい目を見られる。俺たちみたいな剣奴でも、それは変わらない。でもな、闘技場にも出してもらえないで、飼い殺される奴だっているんだ」
「……気をつける」
「ああ。手遅れかもしれないけどな」
男はそう言い置いて、俺から離れていった。
やはり、やり過ぎただろうか。
俺は、大の字になって伸びているブウを見つめた。
腕が痛い。俺は地面に座った。屋内ではあったが、下は土がむき出しだ。あえて土を残しているのだろうか。
やってしまったことは仕方ない。俺は自分のステータスを確認すると、HPは14になっていた。最高値がレベルアップで30になっている。元のHPが多い分、勇者よりHPの伸びもいいが、戦士にはMPがないようだ。
やはり、勇者ほど優遇されてはいないということか。あるいは、さらに成長すると変わるのだろうか。
念のためにHPを満タンにしておこうと思ったが、戦士のためMPが0で、つまり回復魔法が使えない。では勇者に戻ろうかと職業欄に触れると、『転職にはレベル5以上が必要です』と表示された。
どうやら、戦士のレベルを5まで引き上げないと、勇者にも戻れないようだ。
仕方ない。HPの減少以外にステータス異常はないようだし、時間の経過で回復するはずだ。
俺は、その場に寝転がった。
地面の上だろうが、気にすることはない。俺は森の中で寝起きしていたのだ。
それから考えれば、乾いた土の上など、十分なクッションが効いたベッドのようなものだ。
いつの間にか眠ってしまっていたらしい。俺は、蹴り起こされた。
「飯の時間だ。手間を掛けさせるな」
目を開けると、踏ん反り返ったオーク族のブウが見下ろしていた。
俺が体を起こした時には、もう背を向けていた。
「もう元気になったのか。意外とタフだな」
「人間とは出来が違う」
一応、会話は成立した。どうにもギスギスとしているが、それは仕方がない。
オークなのに、剣奴の中では顔だという。闘技場で殺されれば、かなり盛り上がる顔をしている。と考えれば、なるほど相応しいのかと思い至る。
「飯はいいが……誰か闘技場のことを教えてくれないのか? ここに来てから、俺は手荒い歓迎しか受けていないんだが」
「誰かに聞け」
ブウは耳がいいらしい。かなり距離が離れていたが、振り向いて悪態をついた。
他の剣奴たちが並んで食事をもらっている列に、大人しく並んでいる。
この中では一番強いということだが、態度も一番、という感じではない。
オークというのは、かなり理知的な種族なのだろうか。豚扱いして、悪かったかもしれない。
俺は全身が汚れていたが、腹も減っている。何より、自分のアイテムボックスから食料を出さないで、ご飯をいただけるのはありがたい。
横になって眠っている間にHPが全快していた俺は、剣奴たちの様子を見ながら、長い行列に並んだ。
様子を見たのは、この世界の常識に欠けている俺が、これ以上恥をかかないために、作法を盗もうとしていたからである。
それともう一つ、ゲームだけでなく、剣奴たちの元締めまでチュートリアルが不親切な中、俺に闘技場や剣奴のこと、あるいは町のことでもなんでもいいが、教えてくれそうな男がいないかどうか、物色していたのだ。
木のトレイの上に、固そうなパンと濁ったスープをもらいながら、俺は見たことがある顔を見つけた。
この世界に知り合いなんていないし、もしいたとしたら年端もいかない子供だ。剣奴たちに紛れていたら大変なことだ。俺が見つけたのは、ブウと試合をすることになった直後、俺の枷を外してくれた男だ。
あのままだったら、さすがに手も足も出なかったところだ。もし、本当にそうなっていたら、試合ではなく単純なリンチだ。
どうして他の剣奴たちが止めなかったのかと疑いたくなる状況だが、それが、現在の俺とブウとの立場の違いなのかもしれない。
まあ、実際にそうなっていたら、俺は勇者レベル5のままだったはずなので、拘束されたままでも楽に勝てた。
おかげで戦士レベル2という、つまらない強さになってしまった。あまりに強すぎるのも面白くない。命の危険さえなければ、ほどほどの方が楽しめるというものだ。
問題は、命の危険が常にあるような気がすることだ。
俺は配給された食事をトレイに乗せ、親切なのかお節介なのかわからない男の前に座った。
食事をする場所には、長い板を渡した台があり、それをテーブル代わりに食事をするのが粋、というか、他に方法がない。
「あの時はありがとう。助かった」
話の発端として、俺はまず礼を述べた。目的は、情報の収集である。なんでもいいから、相手が話しやすくするのだ。
「あの時? どの時だ?」
「何度かあったから、一言では言えないけど……特に、腕の拘束を解いてくれたことかな」
「ああ……今にして思えば、放っておいた方がよかったかもしれないな。まさか、ブウをねじ伏せるような奴だとは思わなかった」
「放って置かれたら、俺はなぶり殺されていた」
言いながら、パンをむしる。実に固い。この世界のイースト菌は粘着質なのだろうか。
「だが、それだけで済んだ。本当に命を落とすこともあったかもない。だから助けようと思った。実際には、ブウをねじ伏せて、昼寝して起きたらピンピンしている。そんな奴なら、あの時ブウに好きなだけ殴らせればよかった」
「どうして? 意味がわからない」
「言ったはずだ。奴は、執念深い」
「言われたかな? 覚えていないが……さっきのこと、根に持つっていうのか? 俺たち、いつ死ぬかもわからないのに、そんなこと根に持っている場合か?」
言いながら、俺はパンを口に入れた。しっかりと焼き固められているパンは、口の中の水分を全て吸い上げる。味は素朴だ。味付けを意識しているとは思えない。だが、純朴で悪くはない。
「俺たちは、王都の貴族や平民の娯楽のための家畜だ。だが、家畜にもやはり娯楽は必要だ。だから奴は、定期的に誰か1人を徹底的に貶める。強さは関係ない。心を折ろうとする。奴自身は闘技場に出ることはないから、死ぬ心配なんかしていない。何しろ、ゴラッソのお気に入りだ。あいつが闘技場に出たら、間違いなく、観客は殺せと連呼する。オークは、見世物として殺されるのが通例だ。そうしたら、興行主として殺さないわけにはいかない。だから、奴は闘技場には出ない。その代わり、この訓練場の牢名主を気取って、剣奴たちの不満がたまらないように、ガス抜きをするのさ」
「で、その相手が、今回は俺になりそうだってことか?」
「まあな。まず、新入りが洗礼を受ける。特に、生意気な新入りは、誰も面白く思わない。そこで、ブウの奴が面白くする。こいつは、かなり盛り上がる」
「……だろうな」
スープには肉の味がいついていたが、肉は入っていなかった。出汁だけを肉でとったのだろうか。
「助けてはやれない。悪いが、遊びの対象が1人とはかぎらない。身から出た錆だな」
「……わかっている」
男は立ち上がる。まだ聞きたいことはあった。むしろ、まだ何も聞いていない。
俺はひき止めようとしたが、男は逃げるように食器を片付けに行ってしまった。
俺と親しいと思われたくないのだろう。
どうやら、困ったことになりそうだ。
飯を食った後も、俺は1人だった。
親しい者はできない。みんな、俺をまるで腫物であるかのように避けている。
こういう事態を引き起こしたくなかったから、戦士に転職したのだ。これなら、勇者のままの方がよかった。それなら、ブウが何をしようとも、対処できる。現在は、魔法が使えない。これは、実に心もとないのだ。
「どうした? 訓練しないのか? へばったようには見えないが?」
話しかけてきたのは、やはりブウだった。飯の時間に聞いた話しからすると、ブウは俺を酷い目に合わせようと企んでいる。
だが、現在のところ、ただの親切な豚を装っている。俺が疑いだして、邪険にしても、結果は変わらない。どうせ、しばらくは付きまとわれるのだ。俺は、なんでもないという顔をした。
「1人では、どんな訓練をすればいいかわからない」
「ああ。ここじゃ、訓練の仕方も新入りには教えるんだが、親分はあれから次の試合のことで偉いさんから呼び出されて、今日は戻らないな。俺が教えてもいいが、どうせなら、相手がいたほうがいいだろう」
オークの割には流暢に話す。この豚が気に入られたのは、強さではなく知能のほうだろうか。オークにしては賢く、人間として愚鈍であれば、こき使うにはちょうど良さそうだ。
「また、あんたが相手をしてくれるのかい?」
「いや。やる気があるなら紹介してやる。ついて来い」
いやに親切だ。俺は退屈していたこともあり、戦士のレベルを早く5まであげたかったこともあり、大人しく従うことにした。
右足の鎖は、柱ではなく、鉄球に繋がれていた。それほど大きな鉄球ではない。人間の頭ぐらいだ。たぶん、魔法使いとかに転職すれば辛いのだろうが、戦士である俺にはさほどの重りでもない。
俺は鉄球を引きずったままブウに従った。
訓練場から薄暗い通路に入り、出口の前で、オークが立ち止まる。
「この先だ」
「入ればいいのか?」
「ああ。あっちも、訓練相手を探していた。丁度いい」
「……そうか」
俺が通路から明るい場所出た瞬間、背後でがらがらと騒音がひびいた。
振り返ると、ブウが笑顔で鉄格子を上から下ろしたところだった。
鉄格子に表と裏があるのならば、俺が表に、ブウが裏に残された。
つまり、鉄格子を境に、ブウと俺は隔離された。
「なんの真似だ?」
「訓練だよ。俺まで巻き込まれちゃかなわない。坊主、確かにお前は強い。だから、たっぷり楽しんでくれ」
ブウはニヤリと笑った。強いと言われても、ブウと戦った時のレベルは1だ。現在でも2でしかない。強いとはとても思えない。
だが、やるしかなさそうだ。俺を殺す気かもしれないが、ここは訓練場だ。本当に俺を殺すような相手をそうそう飼っていないことを祈りながら、俺は振り向いた。
俺の目の前には、巨大な檻があった。