119 陛下は、夜はお眠りになりません
俺はベッドの中で目を覚ました。どこかの荒野に引きずり出されているかもしれないと覚悟しながら目覚めただけに、相変わらずベッドの中で目覚めたのには、素直に嬉しかった。
ドディアもララも一緒だ。アデルの姿が見ないが、ベッドの一部が凹んでいるので、その下に埋もれているのだろう。
ベッドから這い出て伸びをする。久しぶりにゆっくり眠れた気がする。
部屋を回すと、客用寝室だけあってベッド以外は小さな机と鏡台しかない。ベッドだけが豪華な、ビジネスホテルの一室のようだ。
俺が剣闘士だった時は、ベッドの形の台があるビジネスホテルだったので、だいぶ進歩したとも言える。
椅子に座ってしばらくまどろんでいると、扉が叩かれた。
「どうぞ」
「ヴァルメス女王陛下がお呼びです。まだ寝ているようなら、叩き起こすように申しつかりましたが」
扉の向こうからの声は、知らない女性のものだった。
「いや、起きたばかりだが、すぐに行く。俺はカロンだけど、俺一人でいいのかい? 連れも起こそうか?」
「陛下がお呼びなのは、お一人です」
「武器は持っていった方がいいのか?」
「承っておりません。ですが、陛下は佩剣のまま謁見しても気になさらないお方です」
いつ刺客が訪れるかもしれない為政者としては、実に変わっている。だが、俺が知りたかったのは、武器を持っていってもいいかどうかではない。俺を呼びつけて、何かと戦わせる気なのかどうかだった。
そのことを直接尋ねても答えてくれるとは思えず、俺は自分が元々の着衣のままベッドで寝てしまったことを思い出し、今更意味がないことは承知の上で服の皺を伸ばして扉を開けた。
扉の外には、すっきりとしたデザインの服を着た侍女が立っていた。メイド服と言っていいだろう。
「外はまだ暗いようだが、こんな時間に謁見か?」
「陛下は、夜はお眠りになりません」
「……寝ないで生きられるのか?」
「昼間お休みになられます」
メイドは、表情を変えずに答える。ちょっと聞くと冗談のようだが、アデルから魔王とは別種の人知を超えた存在である神族だと聞かされている現在、気味の悪さしかない。
「案内してくれ。要件は聞いているかい?」
「あまりご機嫌はよろしくなかったことだけは確かですが、詳しいことは陛下にお尋ねください」
「……わかった」
侍女は灯りを下げたまま背を向けて歩き出す。
ドディアが目を覚まして俺がいないことを知ったら、心配するかもしないと思ったが、起こすのも可哀想だ。
寝かせておいてやったほうがいいだろう。
メイドは通路を通り、明かりとりの窓から漏れ入る静かな光に、俺は本当にまだ夜なのだと感じた。
「夜明けまで、どのぐらいある?」
「半刻ほどでしょう」
「日が昇ると同時に女王は眠るのか?」
「そうなさる時もありますし、そうでない時もあります。外出する時などは、何日か寝ずに過ごすこともあるそうです」
「仕える人間たちからしてみれば、迷惑なことだろうな」
「陛下の悪口は言わないほうがよろしいでしょう。陛下は、王宮での出来事は全てご存知です」
「悪口ではないさ。人間は眠らなくちゃならないし、寝るのは夜のほうがいい。女王に合わせて、体を壊す奴が出ているだろうと思っただけだ。それが仕事の一部なのだとしたら、当然俺が口を挟むことじゃない」
「何を悪口ととるかは、陛下のご判断です。最良なのは沈黙でしょう」
「わかった。俺もそうするよ」
メイドは歩き続けた。
王宮の奥深く。そこは謁見の間ではない。
丁寧な装飾が施された通路から、分厚い岩石をくりぬいた直方体の中を歩いているような場所に様子が代わり、さらに歩き続けた先に、煤けた扉があった。
「ヴァルメス陛下、連れてまいりました」
「ご苦労。下がってよい」
扉の奥からは、しわがれた声が聞こえる。メイドは一礼して去ろうとし、俺はその手を取った。
「ちょっと、離してよ」
「なら、俺も帰る」
「子供じゃあるまいし。陛下に呼ばれたのよ。光栄に思いなさいよ」
メイドは、明らかに取り乱していた。
女王に会いたくないのだ。その理由は俺にはわからないが、扉の奥から聞こえて来る声から判断するなら、きっと今、女王は人間の姿をしていない。
「何をしておる」
「ほらっ、お呼びじゃない」
「俺一人ですか? メイドさんも一緒でいいですね?」
俺が大声で尋ねると、メイドは頭を抱えてしゃがみこんだ。
『……構わぬ』
「ひっ」
「よかった。一緒に御目通りしよう」
「……嫌……嫌よ。この扉の奥に入った人は、誰も帰って来ないわ……女王に食べられる……そう言われているのに……」
「それが本当なら、退治すればいい」
「できるなら誰かがやっているわ」
メイドはパニックに陥っていた。恐ろしさのあまり気絶してしまうかもしれない。
俺はそれでも構わない。俺をこんな場所に案内してきたのだ。間違いなく、俺が殺されると思って連れてきたのだ。
道連れにする程度なら、許容範囲だろう。
俺はメイドの腕を掴んだまま、扉を開けた。
小さな部屋だ。石壁に覆われた粗末な部屋は、黒く汚れていた。
血のしみだと、匂いで感じた。
俺を呼び出した張本人は、壁際に腰掛けていた。
意外にも人間だった。腰掛けているように見えた。
俺は、メイドを引きずって部屋に入った。
「お呼びにより参上しました、陛下」
「……うむ」
相変わらず、大変な美女である。声が嗄れている。それに、椅子に腰掛けていると俺は思ったが、どうやら、この部屋には椅子がない。
「御用は……」
「近う寄れ」
「……はっ」
しばらく迷って、俺はメイドを引きずったまま女王の前に進みでる。
「それは手放せんのか?」
女王は顎をしゃくってメイドを指した。
「女王陛下に御目通り叶う光栄を、できるだけ多くの者で共有しようかと」
「……そうか。貴様……余が何者か、すでに知っているのか?」
「陛下は、俺の考えなどお見通しでは?」
「それほど万能でもない。答えよ」
「はっ。これから復活する魔王とは別の災いだとしか、聞いておりません」
「……余が人ではないことを、誰から聞いた?」
「連れの女に、魔獣使いの悪魔族がおります」
「……ああ。あの不味そうなやつか。知っているのに、わざわざ地下室まで来たか。では、要件もわかっておろう」
「俺を食うか、俺に討伐されるか、ですね」
女王は口を開けた。その奥から、緑色の液体が飛び出た。
毒だと判断した俺は、すぐにメディカ、ジュンと回復と解毒の魔法を使用した。
前に出る。
メイドを投げつけた。
「キャアァァァァ!」
「美味い」
投げつけられたメイドを、女王は食らった。辺りが新鮮な血で満ちる。
飛び出した俺の足首が囚われた。女王の体の一部だろう。細長いものが絡まり、その先は女王の体につながっている。
どうやら尾のようだ。
女王は椅子に腰掛けていたのではない。下半身が、すでに人間の形状をしていなかったのだ。
おそらく、半身は蛇のような姿をしているのだろう。
「ザン」
メイドに食らいついた女王の顔に、切断魔法をかける。
女王の顔が裂け、その下から鱗状の皮膚が露出した。
「おのれ……」
女王の口は耳元まで裂け、口からメイドが落ちた。動かないのは、死んだか気絶しているか、死んだふりだろう。確認している時間はない。
「ザン」
俺は、自分の足首に巻き付いた女王の尾に魔法を放つ。だが、切れない。傷すらつかない。
「その程度の児戯で、余を倒せると思うか」
尾に引きずられ、俺は壁に叩きつけられた。
受け身をとることもできない。振り回され、何度も壁に叩きつけられた。
途中で回復魔法をかけ続けなれば、意識が飛んでいたかもしれない。
「……しぶといな。まあいい。もはや抵抗もできまい」
女王は尾を高く掲げた。つまり、俺を足首からぶら下げた。
美しい仮初めの皮膚が禿げ、現在はその下のおぞましい顔が覗ける。
ぶら下がった俺を、まるで葡萄の房を食するかのように口を開ける。
俺は、この瞬間を待っていた。
「バン レベル2」
女王の口に向けて、爆発魔法を放つ。
女王の顔が爆発し、爆風で俺自身も壁に叩きつけられた。
女王の体が倒れ、首から上がない。だが、死んでいるとは限らない。
俺は逃げようとした。首から上を吹き飛ばしたのだ。普通は死ぬが、死ななかった場合の対処方がない。
俺が背を向けた瞬間、足首を掴まれた。
まさかヴァルメスかと振り向くと、俺の足首を掴んでいたのは、あるいは死んだかと思っていたメイドだった。
「助けて……お願い……」
俺はとっさにメイドの手を取った。だが、逆にメイドは俺から離れていく。
「助けて……」
メイドの手が、俺の手から離れた。引きずられていくメイドの手が、虚しく空を掻く。
「ビリ」
助けられない。俺はメイドの心臓を止めた。一瞬でメイドは動かなくなり、俺は部屋から脱出して扉を閉めた。