116 アスラルと戦ってもそなたは死ぬまい
カロンが近づいてくる豪華な馬車と護衛の騎士達に手を上げて助けを求めると、先頭にいた総板張りの鎧を着た重装備の騎士が、ランスを構えて単独で馬を駆った。他の騎士達は胸や肩、つまり人体の急所と関節を守る金属の鎧を厚手の革でつないだものだが、突っ込んで着た一人は全身が隙なく金属の部品で覆われている。
最も重いだろうその一人を乗せた馬の脚力も見事なもので、馬車を護衛する一団を見る間に引き剥がして俺の目の前に迫った。
かつて闘技場で騎士達とは戦ったことがある。だが、その連中とは別物だとすぐに理解した。
俺はドディアを抱いたまま横に逃れた。闘技場では突き出されたランスの先端を掴んで放り投げたこともある。だが、その行為はこの相手には致命的な失敗になるだろう。
ドディアは俺にしがみついている。俺はドディアを背後にかばうように騎士に対峙したつもりだった。
だが、騎士の行動はまたもや俺の理解を超えた。
騎士は馬の突進力を利用した一撃が回避されたと知るや、馬の背から飛び降りたのである。
青いマントを翻して舞うようにとびおりた全身鎧の騎士は、地面が凹むほどの重量を軽やからにいなして見せた。
ガシャリと音がするものの、騎士は揺らぎもせずその場に立った。
腰から剣を抜き、大気が自ら避けているかのように優雅に近づいてくる。
全身を覆う鎧が20キロを下回ることはないだろう。恐ろしい筋力だ。
「待て。俺は、争うつもりはない。街に行きたいんだ。歩いていくつもりだったが……途中で凍えそうになって……馬車に乗せてもらえなくてもいい。何か、体を温めるものをもらえないだろうか?」
本当は馬車に乗せてもらうつもりだったが、近づいてくる馬車の威容に考えを変えた。
ただの馬車に、こんな恐ろしい護衛がついているはずがない。俺が迂闊だったのだ。
「ヴァルメス女王陛下の乗る馬車に向かい、手を降るなど言語道断。死刑が当然だ」
全身鎧の男は、静かな、よく響く声で鎧の中から言った。喋る時にも顔の頬当てを外さない。まるで鎧が話しているようだ。
「待ってくれ……し、知らなかったんだ。女王なのか? そ、そんな偉い人が……こんな辺境の街道を通行するなんて。しかも……そんな少人数で……」
「本当にこの国のことを知らないようだな。女王陛下直近の護衛にのみ、この青いマントが許されている。その数は3……3人で一軍に値すると讃えられている。俺たちを見て女王陛下がそばにいると気づかない奴は、この国にはいない」
男の背後に馬車が近づいてきた。
側に、同じように全身を覆い、同じように青いマントを羽織った、少し華奢な姿が馬を止めた。
「アスラル、どうしたの? 殺せばいいのに」
どうやら声は女だ。青いマントを羽織っているという自信からか、より冷酷だ。
『話は聞こえておる。中に入れよ』
馬車の中からの声は、俺にとっては意外だった。騎士達にとっても同様のようだ。
アスラルと呼ばれた騎士は、やや間を置いてから言った。
「ヴァルメス陛下におかしな真似をしないことだ」
「心配ないでしょ」
そう言ったのは、中身は女性と思われる騎士だった。
俺はドディアを抱えたまま、豪華な馬車に乗り込んだ。
まさか、本当に乗せてもらえるとは思わなかった。アデルがうまく天井の上に登っていることを信じよう。
「問題ない。そいつなら上におる」
女王は、民衆と直接話をしないのではないか。俺はそういう印象を持っていた。だが、目の前の綺麗な女性は違った。
綺麗ではあったが、顔色が悪く、暗い雰囲気をまとった女王だ。隣に、武器を持った護衛の紳士がいた。
紳士としか言いようのない出で立ちをしている。金色の髪に、くるりと巻いた髭に、青い目をしている。
紳士と言われて真っ先に俺が思い描くのと、同じ風貌だった。
「……はっはっ。カーネル、お前のことを理想の紳士だと思っておる。余のこと……顔色が悪いか……」
「ふむ。始末いたしますか?」
カーネルと呼ばれた紳士が言った。名前まで紳士っぽい。
「待つのじゃ。その程度であれば怒ることもない」
俺自身が一言も発さず、二人の会話を聞くだけで、女王の能力は明らかだった。
「……そうじゃ。余にとって、人の考えを読むことぐらい朝飯前じゃ」
俺が一言も発しないのは当然だ。俺が言う前に女王が言ってしまうので、話すことがなくなってしまうのだ。
「では、俺は黙って座っていればいいのでしょうか?」
「余に能力を使い続けろと?」
「やはり、殺しますか?」
「冗談じゃ。対面しておる者の表面上の考えぐらい、なんら力を必要とはせぬわ。余を相手に嘘をつく意味がないことを理解しておれば十分じゃ。それ以外は普通に話して構わん。カーネルが会話についてこられないのでな」
「……はぁ。まずは……馬車に乗せていただいてありがとうございます。あのままでしたら、凍え死ぬところでした。その前に、アスラルさんに殺されるところでしたが……」
「はっ! さっそく嘘か。アスラルは確かに強い。戦えば青バラの中でも最強じゃろう。しかし……アスラルと戦ってもそなたは死ぬまい」
「……ほう。しかし、嘘をつきましたか。ならば……馬車から落としますか?」
カーネルの目がギラリと光る。
「いや……勝てないと本気で思っているわけではないが、本人は死ぬかもしれぬとも思っておる。余を騙そうとしたわけではなかろう。しかし……アスラルより強くなるやもしれぬ。今はまだ、ヒヨコのようなものじゃが……末恐ろしいのう」
俺は、この世界に来て随分立つ。強くなったと思っていた。それでも、まだヒヨコらしい。強くなる余地はかなり残っているのか。最高レベルは99なのだろうか。かなり先は長そうだ。
「カロン、強い」
「ふむ……そっちの娘は獣人か。獣人じゃから……というわけではなかろうが……考えが読めん」
「危険ですな。殺しますか?」
「紳士というより……」
「殺人鬼か? そうとも言えような。ただし、カーネルが実際に殺してきたのは、戦場に限る。カーネルがすぐに殺すと口にするのは、余が殺せと命じれば従うしかないため、機先を制しているのよ。それに……この獣人の娘……読むだけの思考がないだけじゃ。脅威ではない」
「はっ」
外見だけは紳士のカーネルが頭を下げる。
馬車は走り続け、俺は近くの町どころか、女王の都に連れてこられることになった。