114 今日こそ、蹴りをつけてやる
行く先々で立場が悪くなっている俺は、結局北に向かうことにした。
エルフの森を超えると次第に寒くなっていくらしく、北の国は一年の半分を雪と氷に閉じ込められるという。その代わり、魔物の種類が少なく、火に弱いという共通の弱点があるため、人間たちにとってはむしろ住みやすい環境でもあるという。
ということを、アデルの知識として俺は聞いた。黒い悪魔族の魔獣使いに入った転生者アリスの魂は、脳に格納されたアデルの知識を活用できる。そのはずだが、アリスの魂を利用してアデルが単純に復活したかのように見える時がある。すぐに結論を出さなくてもいいだろう。どちらにしろ、俺にはどうにもできない。
人間にとって住みやすいというのは事実らしく、北の軍事大国ゴントワでは武器の製造が盛んで、精強な騎士隊を有するゴントワ軍は、度々傭兵として出張していくという。
自国の生産量だけでは食料を賄えないのだと聞こえるのは、俺の穿ち過ぎだろう。
「あれは街道みたいだな。道沿いにいけば、宿場町とかあるのか?」
今まで、ずっと荒野を移動していた。だんだん寒くなり、まともな設備もなく野宿するのはそろそろ限界だと思っていた俺は、小高い丘に登って周囲を見渡した。すると、うっすらと緑色で覆われた大地に、まるで蛇がのたうつかのように茶色い線が一筋見えたのだ。
「……ああ。街道だね。あたしは、人間に見つからないか見つけて殺すか、どっちかだったから、よくわからないよ。街があったとしても、街には入らないようにしていたしね」
アデルに尋ねたのが間違いなのだろう。
「……よく、それで顔を隠せば悪魔族とはばれないと言えたな」
「えっ? 違うのかい?」
「……もういい。根拠があって言っているのかと思った俺が間違っていた。ドディア、お前の目で街が見えるか?」
獣人のドディアは目がいい、という設定があったかどうか忘れた。だが、悪くはないだろう。俺が尋ねると、かちかちと歯を鳴らして答えた。
「カロン、寒い」
ドディアは薄着だ。誰かに着せられたのか、麻袋に穴を開けたようなものをずっと着ている。俺も厚着ではない。
「俺もだ」
「温まる」
ドディアが抱きついてきた。これは暖かい。なぜかアデルに蹴飛ばされた。
結局、街が見えるかどうかはわからなかったが、ドディアに尋ねた俺が悪かったのだろう。
「アデルは寒くないのか?」
「あたしの体は鉛でできている。あたしが寒いって時は、あんたらは死んでいるよ」
「……魂はアリス、だよな?」
「当然だろう。突然どうした?」
アデルの口調があまりにも俺と敵対していたアデルに似ていたので、俺は不安になった。アリスではあるらしい。
「ドディアと俺が凍える前に街を探すぞ。アデル、魔獣使いだろう。暖かいもこもこした魔獣を呼ぶことはではないか?」
「魔獣使いは魔獣を召喚するわけじゃない。捕まえて躾けるんだ。今いないやつを呼び出すなんてできるもんか」
「だろうな。ドディア、しばらくこのままだ」
「いつもと一緒だニャ」
俺にしがみついたドディアを見て、その背負い袋に入っていたララが呟いた。アデルが舌打ちし、俺は仕返しに、ララを背負い袋から引きずり出して腕に抱いた。ドディアに抱きつかれ、ララを抱き、しばらくは寒さをしのげそうだ。
残念ながら、街道に宿場町を発見する前に夜になった。夜風は身を切るように冷たく、俺に抱きついたままのドディアの体が震えている。
しかも、空から水滴が落ちて来た。雨だ。濡れれば急速に体温がうばわれるだろう。
このままでは凍えて死んでしまうかもしれない。
そう思った時、街道の岩場に面した場所に、深そうな穴があるのを見つけた。
「アデル、ドディア、あそこに穴がある。雨に夜では、アデルは別にして死んでしまう。雨か夜か、どちらかが過ぎるまで待とう」
「……うん」
ドディアは喜ぶと思ったが、曖昧に頷いた。
「そうこなくっちゃね」
アデルはなぜか笑った。
俺は、アデルも疲れているのだと理解して、岩場の隙間のような穴の中にもぐりこんだ。
穴の中は意外なほど広く、岩が土の上に乗っているのではなく、岩に穴が空いた中にもぐりこんだのだとわかった。
広い空間があり、さらにその奥に横穴が続いている。
俺は魔法フラッシュでおおよその広さを把握した後、アイテムボックスからこういう時のためにしまっておいた野営とかいろいろなことに使えそうな道具を取り出した。
乾いたマキに魔法「ボヤ」で火をつける。
暖かい。ドディアの顔が至福に崩れたが、すぐに持ち直す。何かを警戒しているようだ。
「この穴……天然の穴かな?」
「そうだろうね。岩を食うスライムもいることはいるけど、こんな具合に部屋を作ったりはしない。自然にできたんだろう。自然にできた。つまり、誰のものでもない」
「……妙な言い方だな。誰か、俺たちの他にいるのか?」
俺は、焚き火に照らされた黒い顔の持ち主、アデルに尋ねた。
「ああ……この洞窟の住人は、長い間あたしの支配を受け付けなかった。ちょうどいい。今日こそ、蹴りをつけてやる」
アデルはもともと冷えてはいなかったのだろう。体はほとんどが鉛でできているという。腰を上げ、指を鳴らした。
「ちょっと待て……アデル、アリスはどうした?」
「何言っている。あたしはちゃんといる。あたしは一人だよ。ただ……アデルの記憶は脳に残っている。きちんと、蹴りをつけなきゃならない」
「……ララ、アリスってあんな感じなのか?」
「いつも通りだニャ」
焚き火にあたってゴロゴロと転がりだしたネコの言葉はあてにできない。
アデルは、さらに奥にある横穴に近づいていく。
俺は、アイテムボックスからクマの肉を取り出し、ドディアに渡した。
「……なにがいるか、ドディアは分かるか?」
「……多分、トカゲ」
「……わかった。アデルを一人にはできない。ここで待っていてくれ。ララ、ドディアを頼むぞ」
「……うん」「ニャア」
ドディアが珍しく、俺と離れることに同意した。それほど消耗していたか、この洞穴にいるのが恐ろしい相手なのか、どちらかだ。
俺はアデルを追った。
「この穴に入ったことはあるんだろ? そいつらとは戦ったのか?」
「ああ。戦ってねじ伏せる。生きていたら配下にする。魔獣使いってのは、そうやって配下を増やすのさ」
アデルは楽しそうに言ったが、多分一般論ではない。
アデルの前方に、人間がかがんで入るのにちょうどいい大きさの穴があった。
「アデル、明かりは?」
「あたしは要らない。光なんかなくても、あたしは見える。連中も、光に呼び寄せられる習性はない。好きにしな」
「……わかった」
アデルの邪魔はしたくなかったので、結局俺は明かりを灯さなかった。ただ、すぐに松明にできるよう、油を染み込ませたロープを木の枝に巻きつけたものを用意した。ボヤを使えばすぐに視界は確保できる。
アデルが慎重に奥の穴に近づいた時、俺にも見えた。穴の中から、爬虫類そのものの顔が突き出ていた。
頭部の大きさは、アデルの顔を一飲みにできるほどだ。口を開けた。アデルの首から上が消えた。爬虫類に飲み込まれたのだ。
すぐにアデルは爬虫類の横面に拳を入れる。それでも離さない。
「ビリ」
俺が電気の魔法を使うと、あたりが一時的に青白く輝いた。普段は意識しないが、かなり電圧の高い魔法らしい。
アデルをくわえていた爬虫類が驚いた顔で口を開く。
鋭い目で俺を見つめ、すぐに興味を失ったように、唾液だらけのアデルに視線を向ける。
「アデル、どうする?」
「こいつらの牙じゃ、あたしの体は食い千切れない。あたしの拳じゃ、こいつらを殺せない。だから……いままで決着がつかなかったんだ。状況が変わるはずもない。仕方ないね……カロン、手伝わせてやる」
「……一体、俺がいなかったらどうするつもりだったんだ?」
それでも、食われることなく脱出していたのだろう。俺は、アデルという人物について少しだけ慣れはじめていた。体が鉛で覆われているアデルは、とにかく敵に突っ込んで、その頑丈な体で無茶をして、ほぼ無傷で帰ってくる。相手がよほど強くても、アデルを殺すことはできない。
きっと、アデルは無茶ばかりしてきたのだろう。それで今でも生きているのだから、とにかく頑丈なのだ。
「肉は美味いよ。あの嬢ちゃんに、いいとこ見せな」
「わかったよ。バンレベル1」
俺の魔法と同時に、目の前のトカゲの頭が破裂した。俺を食おうと開けていた口の中で爆発させたのだ。