109 目を覚ます前に死んで欲しいが
俺は、相方をアデルに代えて、ビリーが支配する塔を降りた。
地上に出たところで、アデルに尋ねられた。
「お前、名前は?」
今更、そこかと思ったが、俺の名前に興味などなかったのだろう。
「カロン」
「……ふん。つまらない名前だ。アデルのほうがずっといい。お前もそう思うだろう?」
「そうですね」
否定した時の反応が怖かったので、俺は同意しておいた。
「少しは話がわかる奴のようだ。これからエルフの女王を殺しに行く。準備はいいんだね?」
「女王……エルフの?」
俺はてっきり、火鬼のビリーを殺しに行くのだと思っていた。突然言われた予想外の言葉に、俺は動揺した。
「当たり前だろう。他に誰がいる?」
「俺はてっきり、火鬼のビリーを殺しに行くのかと……」
「確かに、二人とも腹立たしいけどね。どっちがよりってことなら、エルフの女王のほうが憎らしいに決まっているさ。ビリーの隙をついて、エルフの女王を殺す。成功すればよし。失敗したら、ビリーと戦わなきゃならない。ビリーは強い。そうならないように祈っておくんだね」
「……アデルは、助けがあればビリーにも勝てるのか?」
「助け次第だ。でも……全く勝てないってわけじゃない。たぶん」
とても心もとない。実際に戦えば、ビリーには勝てないのだろう。
だが、俺がアデルに同行するのには意味がある。アデルの狙いがエルフの女王であるのならなおさらだ。俺は、アデルからエルフの女王を守らなければいけない。エルフの女王が死ねば、エルフの秘術も失われてしまうかもしれない。それでは、俺の頭の上に張り付いているカマキリの寿命が尽きてしまう。
アリスも状況を理解しているのだろう。さっきから、頭がちくちくと痛い。
「……そうですか。わかりました。少し時間を下さい」
「おう。急げよ」
アデルには準備は必要ないらしい。
俺は、俺にしがみついているドディアを引きはがした。
「ドディア、ダンジョンに一緒に潜った頃のこと、覚えているか?」
「うん」
「あの頃を思い出せ。これから、魔王の直属の配下を倒しに行く。自分の身は自分で守れ。危ないと思ったら、ドディアだけでも逃げるんだ」
「……わかった……逃げない」
ちょっと聞くとわかっていないように聞こえるが、俺の言うことを理解した上で、一人で逃げることは拒否したのだ。ドディアはいつもこういう話し方をする。
「それでいい。それから……これを渡しておく」
俺は、俺の頭の上にいたカマキリを指でつまみあげた。
「ちょっと……」
「仕方ないだろう。我慢しろ。回復魔法で、ドディアに何かあったら守ってくれ」
「……仕方ないわね。その代わり、私の寿命の方、きっちり伸ばしてよ」
「わかっている」
ドディアが首を傾げていた。俺が何と話しているのかわからなかったのだろう。
俺は、以前から独り言が多いと思われていたので、気にせずドディアにカマキリを渡そうとした。
「……おやつ?」
俺がつまみあげたカマキリのアリスを見たドディアの第一声に、アリスがびくりと震えた。
「……ひっ。カロン、この子……あたしのこと食べる気だ」
「アリス、落ち着け。いくらドディアでも、喜んで虫を食べたりはしないさ……ドディア、これはただの虫じゃない。魔法を使えるんだ。特に回復魔法が得意だ。大切に……」
アリスを見るドディアの瞳はらんらんと輝き、舌なめずりをした。ひょっとして、ドディアはずっと捕獲されていたために、とても空腹なのかもしれない。獣人であるドディアが、虫を常食としていないとは断言できない。
「カロン、こ、この子、わかっていない……く、食われる」
「……どうやら……そのようだ」
俺は、つまんでいたカマキリを俺の頭の上に戻した。アリスが必死で俺の頭髪にしがみつくのがわかる。カマキリなのにぶるぶると震えている。よほど恐ろしかったのだろう。
「ドディア」
この世界で飢え死にしそうな環境に何度も置かれたことがあり、俺はアイテムボックスに食料を入れておくのが習慣になっていた。アイテムボックスに入れたものは腐らないのだ。一月分ぐらいの食料は常時保管してある。
その中から、俺はアナグマモドキのステーキ肉を取り出してドディアの口に押し付けた。
匂いで何かわかったのか、俺のことを信頼しているからか、ドディアはすぐに大きな口を開けて俺が渡した肉に食らいついた。
唸り声をあげながら肉を食い始める。よほど腹を空かせていたのだろう。もはや、完食するまで落ち着くまい。
その間に、俺はバックパックを背中から下ろし、その中で大人しく丸くなっていたララを引っ張り出した。
「ドディア」
再び名前を呼びララを近づけようとすると、肉の脂まみれの顔でドディアは牙を剥いた。
「カロン、待つニャ。食われるニャ」
「おっと……」
急いでララを引き戻す。ララがいた場所で、ドディアの上下の牙が、がちりと鳴った。
「まだそっちが残っているだろう。それに、これは食べ物じゃない。会ったことがあるだろう? ホライ・ゾンの海賊船で一緒だったじゃないか」
ドディアは再びアナグマモドキのステーキに噛みつきながら、ララに視線を向ける。
ララが俺の腕の中でぶるぶると震えていた。
「……ララ?」
ドディアは頭が悪いわけではない。そのことが証明されたような気がした。あまり接触はなかったと思うが、ララのことをちゃんと覚えていたのだ。
「そうだ。俺の友達になった」
「仲間だニャ」
「仲間と呼ぶほど、俺に協力的だとは思えないが」
「それは仕方ないニャ。転生した種族の限界だニャ」
「……勝手なことを……ああ……ごめん。ドディア、だから、この子は食べちゃだめだ」
ドディアには、ララの言葉は理解できないのだ。ドディアは獣人であり、ララは獣だ。ララは、俺の翻訳機が優秀なだけで実際は『ニャー』としか言っていない。
「……うん。非常食」
他に食べるものがなくなれば食べるという宣言だろうか。ララが非常に嫌そうにしたが、アナグマモドキのステーキを食べて落ち着いたドディアは、ララを受け取ったが牙は剥かなかった。
「俺と同じような回復魔法も使える。背負い袋に入れておけ」
「……わかった」
「僕、シーフだニャ。魔法は苦手ニャ」
「もともとは僧侶だっただろう。そうでなければ、この世界に来た途端に死んでいたはずだ。そうアリスから聞いている。MPは下がったかもしれないが、回復魔法が使えないことはないだろう」
「……わかったニャ……この子、怖いニャ」
「仕方ない。我慢しろ。ドディアを頼む。もし俺とはぐれるようなことがあったら、守ってやってくれ。回復魔法があるのとないのとでは、全く違う」
「……はぁだニャ。それはわかるニャけど……」
「頑張ってね」
俺の頭の上から、アリスが声援を送る。ララは威嚇するように牙を見せた。もちろん、ドディアに見られないようにである。
「こっちの支度は済んだ。それより、ここに残しておく女の子たちは、本当に殺さないんだろうな」
出発の準備が終わり、改めて武装していたアデルに俺は尋ねた。
アデルは、黒い肌を真っ赤な皮の鎧で包み、巨大な斧と複数の武器を装備していた。
「問題ない。あたしが守れと言ったのに、あいつらが食べちまうなんてことは絶対にない」
「魔獣使いの力か?」
「いいや。信頼関係だ」
つまり、魔法的な拘束ではないということだ。それでは信用できないのではないかとも思ったが、アデルと口論しても仕方がない。
「……わかった。ビリーが結婚式をやる場所はわかっているのか?」
「そんなまどろっこしいことをするのは、エルフの習慣さ。エルフに合わせてやっているんだ。ああ、可哀想なビリー……すぐにあのロリババアを血祭りにあげて、目を覚ましてあげるからね」
「目を覚ます前に死んで欲しいが……さて、どうなるか」
「何か言ったかい?」
「いや。なにも」
俺は両手をあげて首を振る。アデルは鼻を鳴らし、巨大な戦斧を担いで塔の窓に身を乗り出した。
「行くよ。ついて来な」
アデルは階段を降りず、窓から飛び降りた。
「カロン……アデル……行った」
地上に降り立つアデルを見下ろし、ドディアが囁く。
「そうだな。だけど、俺たちも行かないと」
「……逃げても、わからない」
「後ろの部屋で、魔獣に見張られている幼女たちはどうする?」
「……いい」
死んでも構わない。そう言いたいのだろう。ドディアは獣人だ。人間に対する考え方が、俺とは違うのだろう。
「……逃げられるかもしれない。だけど、ビリーを倒すチャンスでもある。それに……色々あって、逃げるわけにはいかない。エルフの女王に、エルフの秘術を教わらないといけないんだ」
「……わかった」
ドディアが俺にしがみつく。俺はドディアを抱いたまま、アデルと同じように塔の窓から身を躍らせた。