106 誰が、好き好んで年老いた幼女と結婚したがるんだ
バッキラと人面グモのおかげか、塔に入っても魔物には遭遇しなかった。
時々顔を出す魔物も、二体の魔物を見て顔を引っ込める。
実に頼もしい。
「本当に大丈夫なの? この二体でも苦戦するのに、最悪4対1になるのよ」
俺の頭の上で、アリスが忠告をくれた。『最悪』というのはつまり、魔獣使いのアデルと七魔将火鬼のビリーを敵にし、二体の魔獣が敵に回った場合、ということだろう。
「その場合、確実に死ぬな……でも、外で戦ってていても同じだったと思うぞ。簡単には倒せないから、塔からアデルとビリーが出てくるだろう。敵対している状態で全員と出くわすより、状況にはまだ希望が持てるさ」
「なら、いいけどね」
アリスは、俺の頭皮の上に腹這いになっている。
塔の中は狭く、通路と階段で構成されていた。全ての部屋を回れば時間がかかっただろうが、今回はそんな必要はない。どこにアデルがいるか、バッキラが鼻をひくつかせて教えてくれるのだ。逆に、バッキラの指示と違う場所に行ったら怪しまれるので、まっすぐアデルのいる場所に向かうしかない。
ゆっくりと螺旋を描く階段を登り、眼下に木々の先端を見下ろし、さらに登ったところで、ほぼ最上階だと思われる部屋の前にたどり着く。
「この中にアデルがいるのか?」
「間違いない」
バッキラが鼻を動かす。
最上階の部屋にいるということは、アデルはまっすぐにビリーに会いに来たのだろう。もっともな行動だ。ビリーに会いに塔に来たのだから、その行動に不思議はない。だが、俺は予想していなかった。
アデルとビリーが揃っているところに踊り込んで、命があるだろうか。
「どうした? 入らないのか?」
人面グモが背後から細い前足の一本を伸ばして扉を開けようとする。俺はその足を踏みつけた。
「なにをする」
「中の様子を探ってからだ。アデルが上手くやっているところに邪魔をしたりすれば、アデルから怒られるぞ」
「……そうだな」
「よし。やれっ」
阿吽の呼吸で面倒ごとを俺に押し付ける魔物たちに、なぜか既視感を覚える。
アリスとララが、よくこんな会話をしていたような気がする。アリスは現在頭の上に、ララはバックパックに入っている。
俺は、扉を少しだけ押し開けた。
二人の姿は見えないが、言い争う声は聞こえて来た。
「ビリー、これだけの娘がいて、まだ結婚しないといけないのかい?」
「アデル……お前は肝心のことがわかっていない」
「好き好んで一人の女に縛られることはないだろう。これだけの美女が揃っていれば、ハーレムだよ、ハーレム。毎日したいだけできるのに、どうして結婚なんかしたがるのかね」
「俺が好き好んで結婚したがるはずがないだろう」
「なんだって! ビリーはあたしとも結婚する気はないのかい? どんなに女を囲おうと、最後には私と結婚してくれると思っていたのに」
アデルの言っていることは支離滅裂だ。俺はビリーがどう返事をするのか、興味を持って聞いていた。黙って聞いているぶんには、ただの痴話喧嘩である。立ち聞きは楽しい。
「俺が言っているのは、エルフの女王との結婚だ。誰が、好き好んで年老いた幼女と結婚したがるんだ」
「……だよねぇ。なら、どうして私じゃなくてあんなのと結婚するの? 私のどこが不満なの?」
「……アデルに不満があるわけじゃない。エルフの力が必要なのだ。知っているだろう。魔王の復活には、エルフの秘術が必要だ。エルフの力なしで、魔王の完全復活は非常に難しい。エルフの力を得られなければ、魔王の復活が何年も遅れることになる。エルフの女王は、生涯俺がエルフを愛することで、秘術を授けると約束したのだ。俺が魔王を復活させたとなれば、俺は魔王の片腕となる。七魔将の筆頭……そればかりか、魔王軍の宰相になれるかもしれない」
ビリーの声は弾んでいた。どうやら本気のようだ。アデルとビリーの色恋の話を聞いていたつもりだったが、どうやら魔王の秘密に触れてしまったらしい。
魔王は復活していない。魔王がずっと大人しかったのは、時期を見ているとか、水面下で侵略を進めているという噂があったが、実際には魔王がそもそも復活していないために、何もできなかったということなのだろう。
ただ、なんの力もなく、七魔将と呼ばれる強者が組織され、仕えているはずがない。復活していないまでも、なんらかの形で意思を持ち、力を行使できると考えていいだろう。
エルフの力を、魔王復活に使用するつもりだとは、俺が女王から聞いた話とは違うが、ビリーとフィラリーリが腹を割って話していたとも思えないため、思惑の行き違いがあるのは当然というところだろう。
「そうなったら……凄いのかい?」
「もちろんだ。魔王が世界を支配したら、世界の半分ぐらいはくれるんじゃないか?」
「凄い。そりゃ凄いよ。でも……エルフの女王と生涯を誓うんだろ? あたしの居場所は?」
「生涯ってのは、魔王が復活するまでのことだ。魔王が復帰すれば、エルフにも女王にも用はない。俺の力で燃やし尽くしてやる」
「うわぁ。かっこいい」
「そうか? よし……わかったら、結婚式の邪魔をするな。式に遅れてしまう」
「それは駄目だよ。だって……悔しいじゃないか……」
「アデル……お前はいままで、何を聞いていたんだ? 俺は、エルフの女王と結婚しなくちゃならない。それはアデルのためだ」
「うん。嬉しい。でも、嫌だ」
「どう言えばわかるんだ」
「わかっているよ! でも、嫌なものは嫌だ」
「……もういい。話はここまでだ。誰か! アデルを押さえておけ!」
「ビリーの配下に、アデル様を押さえておける奴はいない」
俺の背後で、バッキラが呟いた。
「……いや。あれ、お前に言っているんじゃないか?」
俺が思い付きで返すと、毛むくじゃらの顔が斜めになった。
「我に? どうしてだ? 我はアデル様の味方しかしない。ビリーがなんと言おうと、知ったことか」
「どうしてって……お前が隠れているから、誰がいるかわからないで、適当に声をあげたんだろう。取り巻きが近くにいると思っているんじゃないか?」
「確かに、いつも側仕えしている魔女たちが、向こう側の扉から出てきたな……アデル様に敵うつもりでいるらしい。愚かなことだ」
人面グモは、見えていないはずのことを見ているかのように説明した。たぶん、目以外の感覚器官も発達しているのだろう。
「お前たちはいいのか? ビリーの命令を無視して?」
「我らは、アデル様にしか仕えん」
扉の向こうで、アデルの激しい声と物音が聞こえてくる。
派手にやっている。そう思った時、俺が少しだけ押し開け、覗き込んでいた扉が盛大に開かれた。
俺の前に、たくましい筋肉をした真っ赤な大男がいた。俺を見て驚いている。
真っ赤な顔に、突き出た角、どことなく人の良さそうな顔つき。
魔将軍火鬼のビリーだ。
俺は、とっさに理解してしまった。