103 私が、魔王の意なんか知るか
ちょうど5日後、7魔将の1人、火鬼のビリーとエルフの森の幼女女王フェラリーリの結婚式の当日の朝、魔獣使いのアデルが戻ってきた。
1人で旅立ち、帰りには大きな幌のついた馬車に乗っていた。
アデルがどこから帰ってくるかわからない俺に、アデルの接近を教えたのは、エルフたちである。
エルフたちは、魔王に支配される世界を少しでもましなものにするために、自らの身を犠牲にする女王の考え方を支持していた。だが、心からそれを望んでいる者はいない。
俺がエルフに導かれて暴れれば、エルフだちが魔王に逆らったことになる。逆に、エルフの導きもなく、俺がかってに暴れてビリーを殺してくれるなら、大歓迎といったところだ。
それに、アデルの目的はビリーの結婚を防ぐことにある。つまり、アデルはビリーにも魔王にも逆らって、自分の欲望のために動いているのだ。エルフたちが俺にアデルの居場所を教えて、ビリーに対する背信になるはずもない。
俺は事前に教えられた場所でアデルを待ち受けた。
遠くに、全身をフード付きのローブで包んだ小柄な御者が操る馬車が、ノロノロと近づいてくるのが見える。
婚礼は今日の昼、正午に行われるはずだ。現在は、まだ朝露が残る早朝である。
俺の前に、大きな幌馬車が迫る。
幌馬車を引くのは、ごくありふれた馬たちだ。特別な魔物ではない。人の住む街中を通過するには、馬が曳くほうがいいのだろう。あるいは、魔物が擬態しているのかもしれないが。
「退け。邪魔だ」
フードを被った小柄な御者が、馬の前に立ちふさがった俺に対して、苛立った声を投げかける。馬は立ち止まった。俺は道の中央に立ち、迂回するだけの空隙はない。
女特有の甲高い声に、俺はこの御者がアデルをなのだろうと推測した。魔獣使いが馬車に乗っているというのも不思議な気がしたが、どんな魔獣でも使役できるとしたら、普段から魔獣をはべらせている必要はないのだろう。
「ビリーの一の配下、魔獣使いのアデルか?」
「……この先にあるのは、エルフの森だけだ。エルフたちの差し金か?」
「違う。俺の独断だ」
「……人間が……なにを知っている? 魔王様の予定では、世界に十分な根をおろせるまで、人間たちには悟られないようにしておくと思っていたが……」
アデルの声は落ち着いていた。魔王の予定がどうなろうと、知ったことではないのだろう。ただ、自分の知っている情報とはすり合わせたいらしい。
「エルフは魔王に降った。ビリーに女王を捧げ渡し、エルフの森は失われる。エルフの秘術も失われるだろう。それは、魔王の意に沿うのか?」
「……私が、魔王の意なんか知るか。ビリーは私のものだ。ロリババアになんか渡すものか」
俺は、アデルのことを勘違いしていたようだ。魔王に仕える冷静な配下、ではないようだ。
「2人の結婚を止めようとしても無駄だということは知っているんだろう?」
方向性を変えることにした。理屈で説ける相手ではない。たぶんアデルは、感情だけで生きている。
「はん。2人の仲を引き裂こうとしている私の邪魔をしに来たわけか……人間は意地汚い。さては、雇われたね? エルフに雇われたか、ビリーが雇ったか……ビリー……そんなにあの女との結婚が大事なの……」
突然涙声になった。俺は慌てた。
「ビ、ビリーは、好きで結婚するわけではないだろう。ビリーも将軍として……魔王に……」
どうして俺が、会ったこともない敵のビリーの擁護をしているのか。それは、アデルが悲しんでいるからだ。
「……そうだね。それはわかっているさ。ビリーは、私が大好きなんだ。ずっとそう言っていた。ビリーが私を裏切るはずがない。きっと裏がある。だから、私が助けてやるんだ。ビリーの気を引いて、無理にロリババアと結婚するより、もっとずっと楽しいことがあるって教えてやるんだ」
こいつ、頭悪いんだ。俺は、半ば絶望しながらアデルを見つめた。
「もし、それでもビリーがエルフの女王との結婚をやめないとしたら、どうする?」
俺が尋ねると、アデルは明確に舌打ちした。
「嫌なことを聞く奴だ。長生きしないよ」
「ああ。よく言われる」
「はん。どうしてもビリーが結婚するっていうのなら、それはそれで仕方ないさ。だけど、私は第二夫人の座は譲らない。娘たちを山ほどさらって来たけど、ビリーが結婚しちまった段階で用無しだ」
「……殺すのか?」
「まっ、魔獣の餌だね。役目を果たせない上に、ビリーを誘惑されちゃたまらないからね」
「それは可哀想だろう」
「……女たちが欲しいのかい? だけど駄目だ。まずはビリーの前にぶら下げて、エルフの女王との結婚なんてくだらない真似をやめさせるのが先さ」
どう考えても、アデルの思い通りにビリーが結婚を取りやめるはずがない。
「でも、ビリーが要らないって言ったら、そっちに積んである女たちはもらってもいいんだろ?」
「まあ……構わないけどね。私の魔獣が腹を空かせている。代わりの餌を持ってくるなら考えてやる」
「……アデルの魔獣か……心配はいらないんじゃないか? この森の周りに配置していた奴らだろう?」
「ああ。そうさ。確かに、自力で餌を取れないなんてことはないだろうけど……」
「いや、そうじゃない」
嘘をついても、俺が魔獣を全滅させたとはすぐに知られるのだ。俺は先に言うことにした。
「どういう意味だい?」
「全滅した。嘘だと思うなら、呼んでみろ」
「全滅? あいつらが? エルフの連中はビリーの味方だ。誰があいつらを殺したりするんだ?」
「……通りすがりの人間、かな」
「……お前か?」
「ええと……まあ……そうだ……」
「殺す! 眷属どもよ! 集まれ!」
アデルは御者台に立ち、フードで顔を隠したまま、大気を震わせるような咆哮を放った。魔獣を呼びあつめる雄叫びなのだろう。
アデルの背後の荷馬車から、二体の魔獣が飛び降りた。
八本の足を持つ巨大なクモと、二本足で四本の腕を持つオオカミの頭部を持つ獣である。
後者は色んなところで見た覚えがある。
「……どうした? なぜ集まらない? 本当に……全滅させたのか?」
アデルの声は焦っていた。周囲を見回す。馬車から出て来た2体以外に、魔獣の姿はどこにもない。
「ああ。殺した。皆殺しだ」
「ちっ……ふざけるなよ……」
「仕方なかった。ビリーの命令だ」
「ビリーの? どうして? 何を言っている?」
もちろん嘘だ。だが、動転している。アデルはもともと思い込みが激しいのだろう。簡単に信じた。
「どうしても、エルフの女王と結婚したいのさ。結婚して、幸せな家庭を作りたい。妻は1人でいい。だから、余計な者は排除する。俺は、アデルを殺すためにここで待っていた。アデルの配下を殺しておくのは当然だろう」
「……ビリー……まさか……私を? 私はこんなにも愛しているのに……ビリー……くそっ! フォト! ナムラ! こいつの相手は任せる。私は先に行く。エルフの女王をぶっ殺してやる」
失敗した。俺は悟った。アデルを怒らせて、ビリーと戦わせるつもりだった。エルフの女王フェラリーリに怒りが向かうとは思わなかった。もしビリーがフェラリーリを守ろうとするなら結果は同じかもしれないが、ただ力を欲しているビリーが、フェラリーリを守るかどうかはわからない。
「ちょっと待て! 裏切ったのはビリーだろう」
「ドロボウ猫め! 目にもの見せてくれる」
アデルは休憩していた馬の尻に鞭を入れた。俺は立ちふさがろうとしたが、横から強い衝撃を受けて吹き飛ばされた。
四本腕の直立した魔獣、バッキラに殴り飛ばされたのだ。
地面に落ちるかと思ったが、途中で体が止まった。空中で静止した。
首を巡らすと、巨大なクモが顎をがちがちと鳴らしている。
「待て!」
俺の叫びも虚しく、捉えて来た女たちを積んだ幌馬車は、アデルが操る馬に連れられて運ばれて行く。
「失敗なの? どうする?」
俺の頭にしがみついていたアリスがぼやく。
「……追うしかない。あの捕まった女の人たち、確実に殺されるからね」
「だニャ。でも、その前にここを切りぬけるニャ」
バックパックからララが指摘したように、俺は2体の魔獣に挟まれて、自分も窮地にあった。