101 世界は、敵の敵は全て味方、というほど単純ではない
エルフの森に、魔将軍の1人火鬼のビリーがいる。エルフの女王と結婚の準備をしているらしい。
一の配下である魔獣使いアデルは、ビリーとエルフの女王との結婚に反対しており、エルフの女王より綺麗な嫁を探しに出て行った。
どうして、ビリーとエルフの女王との結婚に反対しているのかはわからなかった。
エルフたちも知らないらしい。
ひょっとして、アデルの行動は魔王の命令に背くことになるからかもしれない。
とにかく、5日後にはビリーとエルフの女王の結婚が予定されており、それまでにアデルが戻ってくる予定だということがわかった。
ならば、敵の戦力が揃うまで待っている必要はない。
解放したエルフたちに向けて、俺は宣言した。
「これから、火鬼のビリーを退治に行く。案内してもらおう」
現在、魔王の軍門に下ってしまったエルフとはいえ、魔将軍であるビリーを討伐するといえば、協力するに違いない。俺はそう思っていた。だが、俺の予想とは、少しばかり反応が違った。
「ビリーは、エルフの女王の夫となるお方です。魔王に従うと決めたのも、ビリーあってのこと。それを討伐するということでしたら、私たちを殺して行きなさ……嘘です。殺されたくはないけれど……協力することはできません」
「……ロマリーニ、どういうことだ?」
エルフのロマリーニは、魔王を討伐できる強者を探していると言った。だから、でもないが、俺は強くなるために経験値を稼いできたし、せっかくここまで来たのだから、魔将軍でもまずは戦ってみようと思ったのだ。
話が違う。俺はロマリーニを追求した。
「……私が世界に放たれた時、森はまだエルフのものでした。森に魔将軍が住み着いているということもなく、私は森に迫る脅威を取り除ける強者を探していたのです」
「その時にはもう……エルフの女王は、ビリーに首ったけだったよ」
俺が解放したエルフの1人が言った。ロマリーニが目を見開く。
「まさか! あの……女王が……そんな……」
ロマリーニは落ち込んだ。がっくりと膝をつき、地面に手をついた。俺は腹を立てていたが、さすがにロマリーニの落ち込みようは気の毒になった。
「ずいぶん動揺しているな。エルフの女王は、ロマリーニの血縁とかか?」
「……まさか。そんなはずはありませんよ。私は、エルフの中では末端の家系です。そうでなければ、エルフの森から出て長期任務につくはずがありません。でも……憧れでした。私には戦う力はなくても、強者を連れて来れば、認められると思っていました。カロンさんを見つけた時、私の願いも叶うと思ったものです」
「……寝取られ……でもないか。ロマリーニの勝手な横恋慕だ。火鬼のビリー……エルフの女王をものにするとは、大したものだな」
「女王に対して、無礼な発言は控えなさい。女王はまだ純潔を守っておいでです。女王が汚れれば、森が汚れます。エルフの女王は純潔でなければなりません」
縛られたまのエルフの女がいきり立つ。
「……意味がわからない。さっき、女王がかわいそうだと言っただろう。だが、女王はビリーに夢中だというし……ロマリーニは女王に憧れ……女王は純潔でなければいけないという。エルフの女王とは、どんな存在なんだ?」
俺の頭は、エルフから聞かされた女王像があまりにも矛盾するため、混乱していた。エルフたちは互いに見交わし、そのうちの1人が口を開いた。
「女王に触れず、傷つけないというのなら、女王のところに案内します。ですが……あなたは有名な妖術師です。あなたの妖術を封じる術は持ち合わせていない。目隠しをします。私たちの誘導に従って歩くこと。それでよろしいですか?」
「わかった。目隠しをされて歩くのは慣れている。問題ない。ああ……それと、俺の魔法を妖術と言ったが、エルフたちこそ人間に知られていない魔法を知っているのだろう? 俺の知り合いが寿命を迎えて、魂を入れる体を探している。エルフの秘法でなんとかなると、ロマリーニから聴いたのだが」
俺は、尋ねながら、目隠しをされた。
俺の頭の上にいたアリスが期待に身を乗り出したのが、頭皮の感覚でわかった。
「……この世にとどまっている魂であれば、移動させることはできるでしょう。ですが……魂は死ねば死者の国に行くものです。この世に留まっている魂で、悪霊化していない魂はめずらしいものです。魂の移動は秘法です。成功する可能性は高いのですが……その結果が望まれたものとはかけ離れることが多く、悲劇しか生まないため、秘法とされてきたものです。望むのなら、行ってもいいでしょう。ただし、その後の責任は私たちはとりませんよ」
「……ああ。それでいい。俺の友達は、最長でも寿命が2年程度しかない。助かる」
「……人間ではないのですか? 人間は短命な種族ですが、それでも2年というのはないでしょう」
「カマキリだ」
「ロマリーニ、この人間、頭がおかしいのですか?」
「仕方ありませんよ。カロンさんですから」
「……なるほど」
「ちょっと待て。いま、どうして納得した?」
尋ねた俺の頭を、アリスの鎌が抉った。
「どうでもいいじゃない。これで寿命が伸ばせるわ。カロン、エルフさんたちを怒らせないようにしてよ」
「……わかった。しかし、難しいかもしれないぞ」
エルフたちの態度を見ていた俺は、アリスの注文に答えられないかもしれないと考えながら、目隠しをされたままで森の中を移動した。
途中で何度か足をとられ、頭をぶつけながら、俺はエルフの森の奥深くに連れ込まれた。
目隠しを外される。
青い世界、そう思った。
森の中であるはずなのに、清浄な青い空気が支配した空間だ。
足元に泉が湧き、深く、静かに池を成している。
木々がまるでこの地を守っているかのように見えるが、一本一本はただの樹木にしか見えない。
「……ここは……」
「エルフの森の心臓部、女王フェラリーリがいらっしゃる宮です」
俺の背後から女の声がした。俺を連れてきた女だ。途中の誘導には悪意を感じたが、たどり着いたのでよしとしよう。
「その……フェラーリ女王はどこだ?」
「フェラリーリです。女王は森そのもの、森と精気を共有する森の化身です……奥にいらっしゃいますが……決して、みだりに触れようとはしないように。女王の汚れは森の汚れです」
「火鬼のビリーに触れても、汚れないのか?」
「女王がビリーと交わる時が、この森が朽ちる時です。エルフの森の命は、後5日なのです」
俺の背後で話しているエルフの声に動揺はない。覚悟しているのだろう。そう感じられた。
「エルフたちはどうなる?」
「住処を失うでしょう。ですが……それだけです。ロマリーニと同じように、人間の街で暮らすのもいいでしょう。ただ……森を失ったエルフを、人間たちが今までと同じように遇するとは限りませんが。ならば、早くから魔王の側についた方がまし、と考えるのも、無理のないことではないでしょうか」
「……俺が魔王を倒せるまでに強くなった時には、エルフ族は全員敵に回る、ということか」
「そうとも限りません。ですが……世界は、敵の敵は全て味方、というほど単純ではないのです」
「……覚えておくよ」
難しいことを言い出したエルフの女を残して、俺は前に踏み出した。
あえてエルフを残したわけではない。俺が前に進むのに、ついてこなかっただけである。
背後を振り向き、俺は、俺を案内してきたのは、エルフの女1人だけであることに気づいた。
ロマリーニも、他の男たちもいない。
どういうことだろう。男が入ってはいけない場所であれば、俺自身も入れないはずだ。
理由がわからないまま、俺は進んだ。
足元が濡れ、溜まった澄んだ水に、膝までが浸る。
「カロン、何かいるニャ」
俺のバックパックから、ララが顔を出した。小さな毛玉が、普通にしている。ならば、俺が恐れる必要はない。
「アリスは、何か感じるか?」
「わからないわ。ただ、何かが私たちを見ているのは感じる」
俺の頭の上で、カマキリが言った。何がいるというのだろう。
水音を立てないように、俺はゆっくりと足を動かし、池の中を進んだ。
突然、前方に、繭のようなものが現れた。
繭ではないだろう。糸で構成されていない。
ただ、植物の蔓と水流が、球状にとどまっている。
水面から浮いているのに、何の支えもない。
重力に逆らって浮いているとしか思えない。
「……誰です?」
球状の、繭のようなものから声が響いた。俺の頭に直接語りかけてくるようだった。
「俺は、カロン……人間……いや、勇者だ。魔王を倒すことを目的にしている。あなたは、誰だ?」
「エルフの森の女王……そう言われています。ですが……それももうすぐ終わる……」
「なぜだ? なぜ、エルフの森を……魔王の配下に捧げるようなことをする? エルフの森は、あんたがずっと守ってきたのではないのか?」
「……私はもう……疲れたのです」
本当に、疲れたような声だった。
突然、空中に浮いた球が2つに割れた。
中から現れたのは、エルフの特徴を備えた、10歳にも満たないと思われる、幼女にしか見えない姿の女だった。