青き輝きを持つ者
一偉が運転する車は猛スピードで港町を目指していた。夜、他の車が少ないおかげでほぼスピードを落とさずに進んでいる。このままいけば、通常よりも早く着くことができるだろう。
「で? 誘拐とみて間違いないのか?」
半信半疑で聞いた一偉に、海洞は迷わず頷いた。
「青輝はなにも言わずにいなくなったりはしない。昔、大喧嘩してあの子が家を飛び出したときがあったけど、そのときでさえ“暗くなる前に帰るから捜さないでください”って叫んで行ったんだ」
「なにそれちょっと笑っていい?」
と言いながらすでに口角が上がっているのは後部座席に座っていた希麗だ。
「にやけながら言うな。まぁ、仮に誘拐だとして犯人が誰でなにが目的か、わかりにくいな」
一偉は小さく唸った。なにせ男子高校生を攫ったのだ。方法も理由も想像しにくい。
「知る必要ないよ」
そう言い放った希麗を彼はミラー越しにとらえた。先程とは違う、不適な笑みを浮かべていた。
「青輝君さえ見つけ出せたら、縁でいつでも追える。どこにも逃げられないよ」
一度堅く繋がった縁は切れないのだから。
一偉は思わずため息をついた。こういうとき、希麗はとても頼りになる。しかし警察官のプライドが変に邪魔をして、素直に喜べない。
「まぁ、現行犯逮捕できたら万々歳だけどな」
ちらりと隣を見れば、手を強く組んで辛そうな顔をしている海洞がいる。
なんて顔してんだ。アホ。
「しっかりしろよアホ。お前がそんなんでどうすんだ」
左手で肩をどついてやれば、海洞は驚いた顔をして、小さくごめんと言ってきた。
「これでただの家出だったら、二人まとめて首根っこ摘まむからな」
覚悟しろよ、と念を押すと彼はふにゃりと笑った。余計な力が抜けた証拠だ。
「向こう、動いてないみたいよ。どんどん距離が縮まっていく」
まっすぐに前を見つめる希麗の報告に、一偉は口角を上げた。
「追いついてやる」
ドアが開いても、青輝は微動だにしなかった。魔女は気にせず彼を軽く叩いて声をかけた。
「ほらぁ、鍵借りてきたよぉ。出かける時間だよぉ」
ほら立ってぇ、とゆすると、ようやく青輝は顔を上げた。涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていた。
「俺、帰りたい」
「えぇー」
魔女は子供のように頬を膨らませた。
「よく考えなよぉ。今帰ったら何も変わらないどころかぁ、もっと親御さんの干渉が多くなるよぉ。もしかしたらぁ、外国に連れていかれちゃうよぉ」
彼女はポケットティッシュを取り出すと青輝の顔を拭き始めた。
「そんなの嫌でしょうぅ? 君は救われないよぉ」
「でも、海兄に何も言ってないし、迷惑かけちゃうし」
「連絡取れないよぉ。君のスマートフォンは壊して捨てたしぃ。それに他人のことを今考えている場合じゃないでしょうぅ?」
顔を拭き終えると、魔女は腰につけてるポーチから小さなスプレーを取り出し、短く彼の顔に吹きかけた。
「まず自分の幸せを考えなきゃぁ。自分が幸せじゃないと他人を幸せにできないよぉ」
青輝はぼんやりとしながらそれを聞いた。うまく頭が回らず、言葉はそのまま浸透していった。
「じぶんのしあわせ?」
「そうそうぅ。君は間違っていないよぉ」
「まちがっていない?」
まちがっていない。おれはまちがっていない。
魔女が誘導すると、青輝は素直に車から降りた。彼が車から離れると、彼女はドアを閉めて船まで先導した。
このとき、灰色の泥棒が車から降りて下に隠れたことに、二人とも気が付かなかった。
魔女が借りたのは小さな漁船だ。落ちないように青輝を誘導させると、船のエンジンをかけた。
「しゅっぱーつぅ!」
無邪気に拳を上げた魔女は、そのまま漁船を発進させた。座るように言われていた青輝は、その様子をぼんやりと見つめていた。
真っ暗な闇の中を、船は恐れることなく進んでいく。少し予想外なことが起きたが、魔女はうまく事が進んで上機嫌だった。
そして、自分の魔法を過信していた。
潮の香りは走る風にまたがり青輝を包むと、夢を見せた。
今住んでいる家の風景。しかしどこか懐かしい香りがする。
青輝はドアを開けてリビングに行ってみた。そこには、ソファに座っている幼い海洞と青輝自身、そして二人の祖母である和弥の姿があった。
「名は体を表す」
和弥は二人に優しく語り掛けた。その幼い二人は素直に耳を傾けている。
「青輝。あなたの名前はどんな意味か知っているかい?」
「いみなんてないよっ。だってとうさんとかあさん、かくすうでおれのなまえきめたっていってたよっ」
おやおや、と和弥は笑った。
「じゃあ、おばあちゃんが意味を付けてもいいかい?」
「カッコイイのがいいっ」
無邪気に笑う、幼い自分。そういえば、どんな意味を付けてもらったっけ。青輝は和弥を静かに見つめていた。
じっと考えていた和弥はゆっくりと目を開けて、こんなのはどうだろう、と笑った。
「〝青”は、様々なものを表すことができる。空。海。緑色も、昔は青と呼ばれていた。青はどこにでもある、自由を象徴する色だと、私は思う。
その中で輝く者。自由に生き、輝く者」
それを聞いた幼い自分は、とても嬉しそうにはねた。
「カッコイイっ。おれじゆうになりたいっ。だってかあさん、あれはダメとかこうしなさいとかうるさいんだもんっ」
もっとじゆうになりたい、と声を上げた子供の頭を、和弥は優しくなでた。
「いいかい、青輝。自由と我が儘は違うよ。青輝が言っているそれは、我が儘だよ」
「どう違うの?」
海洞が言うと、和弥は柔らかな笑みを見せた。
「あなた達には、ちょっと難しかったかな? あなたはどうだい?」
そう言って、和弥はこちらを向いた。
驚いてなにも言えない青輝に、彼女はもう一度問いかけた。
「おばあちゃんがつけた名前の意味。今の青輝は、どう受け止める?」
「どうって……」
やっと出た声は思った以上にかすれていて、それがとても情けなく感じて、気づけば青輝は叫んでいた。
「俺、わかんないよっ。なにが自由なの? どうすれば自由になれるの? なんでこういうモノには明確な答えがないんだよっ。“自由”って、なんなんだよ……!」
教えてよ。おばあちゃん。俺にはわからないよ。
和弥は立ち上がってゆっくり青輝に歩み寄った。溢れ出てくる涙を優しく手で拭ってくれた。
「間違えてはいけないよ、青輝。答えを見つけるんじゃない。あなたが、どう受け取るかよ」
「受け取る?」
「言葉の意味なんて、受け取る人それぞれで変わってくる。青輝は、おばあちゃんの言葉をどう感じた?」
自分の名前を、どう思った?
祖母の温かな笑みを見て、少年はつられてふにゃりと笑った。