人間は闇を前に動けない
ハッと、弩派手な爆発音で目が覚める。
音は壁を伝って畝りながら、下階へと突き抜けて行った。それに遅れて、髪を攫う風が吹き抜ける。
この緊急時に、私はなんと下らない考えに囚われていたのか。今も戦いが起きて、誰かが死んだのだ、私の行動が原因で。私は叫びたい衝動を押し込め、通路へ目を向けた。
「今の爆発は……?」
針のように狭い通路の先。私たちが向かっていた、上階への階段方面からだ。
状況が気になる。ナオたちに何かあったのでは? しかし下階から来る敵を無視して進む訳にも行かない。なら、別行動を取るか? チビ太郎をここに残し、私だけ先の様子を見に……。いや、それは駄目だ。私だけが行っても、何もできなかろう。それに、もしナオたちに何かあったとしたなら、それこそ最悪の事態を迎える。今は彼女たちを信じる他にないのか?
「解らない。今は、こっちを相手にしないと」
チビ太郎が階段に目を向けたまま言った。
「あと、西から近付いて来る陰が2つある。挟撃されるかもしれない」
「鎧か? どれくらいでこちらに着く?」
「解らない。移動速度が遅いから、生身かもしれない。先に、階下の奴と接敵しそうだ」
「なら、西の方は味方の可能性が高い。彼らは鎧を身に着けておらんから」
おそらく、近付いて来る陰はナオとハートだろう。しかし、だとしたら残りの3人は……。それに敵である可能性も拭い切れない。
「来るよ。仕掛ける」
チビ太郎はパージ・ナイフを片手に、ニ十段以上はあろう階段を飛び降りた。直後、凄まじい打撃音が階段から響く。
まさか自動鎧に肉弾戦を仕掛けたのか? しかも音から察するに、これは飛び蹴りか殴打の類だろ? 馬鹿が。自動鎧の装甲に、そんなもの効く訳が……。
慌てて踊り場を見下ろすと、案の定――
「しゃがんでる!?」
チビ太郎は慌てた様子で叫んでいた。
「しゃがみ走行は自動鎧の基本的な移動姿勢なのだ!!」
普通、自動鎧でも階段を上がるときは立ち上がるもので、踊り場もそのまま通過してしまうのだが、あれの着装者は余程、用心深い奴なのだろう。
チビ太郎の飛び蹴りを受けた敵は即座に、立ち上がり様に予備動作のないアッパーを繰り出す。
それをチビ太郎は寸でで躱したものの、腹部の皮膚に薄く切り傷が走っていた。まるで獣に引っ掻かれでもしたかのような傷だ。
自動鎧の拳には、対人用の殺傷装具――ブラス・ネイルが光っている。これの使用感はメリケンサックと似たようなものだが、鉄拳と同じく爪を有する。それらとの違いは、鎧の拳に溶接されているか、あるいは装甲に初めから備えられていることなのだ。
そのブラス・ネイルは、初めから備わっているタイプ。そして腕部が脆弱なパンサー系自動鎧に、そうしたオプションが付いたヴァージョンはない。
「こいつ、グラス・パンサーってやつじゃ――」
「トラッシュ・ハウンド……!」
対人制圧と軽自動鎧の無力化に特化した中自動鎧。アクション映画、『闇の中シーリズ』によく登場する有名な鎧種で、ラスト間際の15分頃にギャングのボスが持ち出し、主人公を追い詰める役としてお馴染みだ。その最期は、対鎧地雷を豪快に踏み抜いて爆死するのがお決まりとなっている。……だが現実はそれに反し、戦場に於いて対鎧地雷は戦車で無効化されることが多く、そもそも物理的に地雷など仕掛けようがない地下遺跡では、全くただの脅威でしかない。
抜かった。敵がパンサー系のみと思うのは希望的観測が過ぎた。奴にはパージ・ナイフを使った戦法どころか、マダライト・ボムさえも通じるか疑わしい。今のチビ太郎が対抗できる相手ではない。
私は最後の14発を撃ち込むか躊躇った。その逡巡がいけなかった。
奴は、私に発砲した。
●
悲鳴は明確な言葉にならない。ただ反射的に、肺から押し出された空気が声帯を滅裂に震わす。私は、そうした音を立てていた。
失神していたのか、起きていたかは判らない。だが悲鳴を上げてから冷静さを取り戻すまでには時間があったようだ。
……被弾したのが足だったのは、いくらか幸運と考えていい。左の脛から先がなくなっていたが、気力さえ保てば死にはしない。私はこんなところでは死なない。
ああ……あの靴、高かったのだが。生きていれば、あとで取りに来れるかな?
狙いが逸れたのはチビ太郎のお陰だ。彼は敵の上体に食らい付き、その姿勢を歪めたのだった。
いくら自動鎧に姿勢制御機能が備わっているとは云え、男一人の体重が飛びかかれば、僅かでも足元が揺れる。奴の足は、移動に用いるボール式タイヤを射出したままだったのだろう。
射撃に於いて、僅かな角度のズレは大きな齟齬を生む。況して、トラッシュ・ハウンドに内蔵された対鎧銃の使用弾は、確か12~4mm程度。高い初活力のせいで狙いが安定し辛い。それを利用した長距離狙撃用の対鎧銃も存在するが、トラッシュ・ハウンドは近接での人と軽自動鎧を仮想的に置いている。狙いなど初めから期待したものではなく、弾数に任せて近くの目標を木端微塵にすることしか考えられていない。
そして階段と云う遮蔽物もあった。私は足を失って倒れ伏し、奴の視界から消えたのだ。
地を這って進む。工具箱から包帯でもペンチでも半田でもいいから取り出して、血を止めなければ。気を失いそうになるのを振り切って、両手で上体を起こし、右脚全体で体を支えながら這う。
私は死なない。だから痛がっている場合でも、泣いている場合でもない。本当に、私はなんて足手纏いな女だ。いつも、こんなことばっかりなのだ!
●
消魂しい轟音が、マル様との合流を急ぐ俺とパットを慄かせる。それは、どうも金属が立てているものらしいことは、肌で分かった。
地割れと崖崩れ。今まで生きてきた17年間で耳にした音で、この轟音と似ているものを上げるとすれば、それらだろう。だが、この音は地割れでも崖崩れでもない。
ここは地下遺跡だから、崩落はあっても崖崩れはないし、地割れは崩落を意味していた。それに、内部は壊れている部分も多いが、この遺跡が地割れで崩壊するような造りなら、二千年以上も形を保ってなどいないだろう。
「何が起こってる……?」
横にいるパットが毛深い耳をぴくぴくさせながら呟いた。
さぁな。俺も教えて欲しいぐらいだ。
「ウォー、お前の目で何か見えないか?」
パットが心配そうに、自身の負傷した腕を抑えながら訊ねて来た。
「見えてりゃ疾っくに教えてるよ。けど微妙に瘴気が散ってるせいで、視界が晴れないんだ」
今は四の五の言わずに進むしかない。さっきの音は、俺たちが向かうところから響いて来たのだから……。
「パット、お前は後から来い。先に行く」
「待て。状況が解らないのに単独行動は――」
「腕を庇いながらじゃ上手く走れないだろ? 先に行って、何か解ったら中長距離テレパシーで伝えてやる」
それは方便だった。この瘴気だから、テレパシーも変質する可能性が高い。
俺はパットの返答を聞かずに走り出す。
「気を付けろよ!」
後ろから、パットの声が聞こえたような気がした。
●
遠目にでも、倒れる人影と血溜まりは見て取れた。
「マル様!!」
それがマル様だと分かるや否や、俺は更に大慌ててで走り出す。叫んで呼びかけても返事がない。これは……最悪の状況か?
けれど、それなら敵が死体を持ち帰らないのも妙だし、マル様を襲っただろう敵と擦れ違っていないのも変だ。まだナオさんたちと交戦している奴らがいるんだから、普通はそっちの応援に向かうだろ?
彼女は気絶していた。ほっと一息吐きたいが、実は気絶と云うのは結構な重症で、自然界や戦場では死と同義だったりする。近くに敵がいるだろう場所では尚更だ。
ともかく……マル様を水平に寝かせ左脚を持ち上げ、衣服を緩める。その上から、俺の上着をかけた。
さて、次は目を瞑って、周辺を見回す。階下に、激しく動く陰が2つ。これは、交戦してるのか? 誰が? マル様が召喚した悪魔か?
この階から下へのルートは2つしかない。一方は昇降機に近い階段。もう一つは、この直ぐ先にある階段だ。陰は、目の前にある階段よりも遥か下で揺れている。
様子は気になるし意味が分からんが、こちらに危険はなさそうだ。先にマル様の容態を確認しよう。
「マル様! マル様!」
応答なし。脈拍と呼吸は正常。負傷箇所は左脚。脛の中程から先が途切れ、脛骨と腓骨が露わになっているが、血は止まっていた。その手には、工業用の半田鏝が、固く握り締められている。吹き飛んだ箇所に押し当て、止血したらしい。
きっと皮膚を焼いたときの痛みで気を失ったのだろう。
もう一度、目を瞑る。マル様の体内に異物はない。脳波も……痛みを抑えようと必死なようだが、多分、安定している。異常はない。
吹き飛んだ脚の先は、周囲には見当たらない。
「マル様! マル様!!」
頬を強目に叩く。十代前半の娘の横っ面を叩くのは心苦しい。
反応あり。睫毛が、ぴくりと動いた。そのとき――
「おい! 何があった!?」
パットの叫び声が聞こえた。マル様から目を離さずに答える。
「俺にもまだ分からん! マル様の脚と意識がない!」
「脚と意識って……!!」
パットが半ば崩れるようにして、俺の横に滑り込んだ。どうやら走って来たらしい。地味に傷口が開いている。
「どうなってるんだ、これは!!」
「騒ぐな、パッティン・ポロン。意識は、今戻ったのだ」
眉間に皺を寄せたまま、マル様が目を開いた。顔は、まだ床から持ち上がらない。
「マル様!!」
「少し……仮眠を取っていただけだ。心配せずとも良い」
「何があったのですか?」
「うん……。トラッシュ・ハウンドだ。奴らめ、映画の撮影でもしたいらしい。脚は、そいつの銃弾を食らってな」
パットが喉を震わせた。
「それよりお前たち、男を見なかったか? お前たちよりも少しだけ背が低くて、腰巻きだけの男だ」
男?
「誰ですか? まさかトラッシュ・ハウンドの――」
「違う。だが……説明するとなると、少々ややこしいのだ」
何がどうなっているのか……。そう、不思議に思ってパットと顔を見合わせると……。
「なぁ、何か聞こえないか?」
んん?
言われて目を這わす。そして僅かに、空気の揺れを捉えた。マル様の吐息や、パットの震える喉でもない。これは――
「銃声だ」
階下からだ。マル様が登って来ただろう階段の先から。
「……私の代わりに、下の様子を見て来るのだ。生憎、この脚では動けんからな」
マル様は、ぼーっとした瞳を虚空に向けたまま命令する。いつもの覇気や、くるくるとした表情がない。
「分かりました。暫しお待ちを。パット、マル様を頼むぞ」
「ああ」
俺は立ち上がって階段へと向かう……が、その歩みは、三歩もすると止まってしまった。
「どうした?」
パットの疑問に、どう答えていいのやら、全く分からない。あるべきものがないからだ。
「なぁ……階段って、いつ大穴に転職したんだ?」
ただ、底知れぬ真っ暗な穴が広がっていた。俺たちは、これからどうすれば良いのだろう。
●
俺は灰色の自動鎧に――トラッシュなんとかだっけ? そんな見かけも名前も正しくゴミ野郎に取り付いて、首の隙間からナイフを刺し込んでやろうとした。だが入らない。
中自動鎧。霜降りは、そんなことも言っていたか。
明らかにパンサー系と呼ばれた物よりも色々なところが分厚いし、何より重い。背に取り付いただけでも解る重量感だ。しかし、こいつは軽い奴に比べて、痒いところには手が届かない質らしい。背に引っ付いた俺を引き剥がそうと藻掻きはするが、腕がそこまで回らない。装甲を隙間なく埋めたことの弊害か。
この間に呪いを注ぎ込んで中から爆死させれば……。
すると鎧は何か勘付いたのか、後ろに向かって急速突進。壁に背中を打ち付ける。
俺はそれをひらりと躱したものの、次に襲って来たのはあの鉛弾だ。防壁を張るが、完全な相殺には至らない。直ぐ様、鎧の股座に掴みかかって鎧の足元を崩すと、振り払おうとする腕を掻い潜り背中を蹴飛ばしてやった。けれど、その程度で鎧は倒れようともしない。
……なんとなくだが、銃を使ってみて、そして防壁で受けたみたことで、その特性を理解できてきた。
銃弾の運動量では、人は殺せない。それどころか、女の子一人だって抱き上げられない。効力の見定めには、それが持つ熱量そのものではなく、如何に熱量が組織に伝達されるかを重視すべきだ。銃弾の仕事は極めて効率的であるため、人体や鉄板さえも貫通する。なら、防ぐ手立ては……。
「こんの! イタチかおめぇわ!!」
「何? ゴミ野郎」
中自動鎧。どうもこいつは、自身より火力も速度も劣る相手をイビリ殺すことを得意とする手合らしい。だからか知らないけど、恐ろしく機敏な動きに対応するようにはできていない。
「馬鹿が。トラッシュ・ハウンドのトラッシュってのはな、猟犬に狩られるおめぇらのことなんだよ!!」
ゴミ鎧は息巻いて、腕のそれぞれに内蔵された銃を放つ。この狭い空間で一度に放たれれば、死角は皆無になる。ほぼ全裸の俺だが、手加減や容赦する必要などないと気が付いたのだろう。
だが時既に遅し。俺に学習の時間を与えてしまった。
俺の血中を流れるマダライト粒子の大半は今、空になっている。そしてテレパス技術の応用で、エナジーはまた別のエナジーに変換が可能だ。テレパスは熱量を持つ何かであり、基本的には僅かな量が情報として安定した状態を保つものだが、量さえ確保できればエナジーや物質への構築も可能。それには抵抗やタイムラグが存在するが、技術の如何様で著しくゼロに近付けられる。マダライトが発力器や情報媒体として機能するのは、このためである。
理屈を捏ね回せば難しく思えるが、実際にやることは簡単だ。体中の空っぽになったマダライトに、銃弾が持つ運動量を注いで封じてやればいい。
問題は、俺の脳がその処理を行えるか――音速を超える銃弾を分析し切れるかどうかだが――
『助力を申請』
『盟約を確認』
『承諾されました』
俺には神が憑いている。
若干程度、瘴気が散っているが影響はない。
『領域展開』
神の世界が見える。時が緩やかに流れ、空気と熱と、あらゆる力の流れが可視化される。とても幻想的だ。
弾丸は回転しながら大気の膜を裂いていた。回転させることで軌道を安定させ、頭の凹みが着弾時の破壊力を増す仕組みか。左右で回転方向が異なるのは、銃本体の跳ね上がりを内向きにすることで、銃の制御をし易くするためか。思った以上に、よく考えられている。
しかしこれだと、回転に少しの振れを与えるだけで、力の向きを分散させられそうだ。その分散した力を体内のマダライトで呑み込めばいい。外傷は僅かで済む。
全神経を、弾丸へ集中させる。いくらソフト面の処理力を上げたとしても、ハード面の性能が向上した訳ではない。一つでも失敗すれば、そこで勝負が決する。
……何か思い出した。前にも、これと似たような光景を見たことがある。確か、神々《ハムイズ》が争って、地に墜ちて来たときの……。そっか。規模は違うけど、要領はあのときと同じでいいのか。
銃弾が次々と、金網に落ちる。こうなったら石ころと変わらない。
『助力終了』
『待機』
銃が鳴くのをやめる。無駄だと理解したらしい。
すると、鎧はそれと間を置かずに防壁を展開して距離を取った。
正しい判断なのかもしれない。
あの霜降りの少女は、俺がマダライトを呑み込むのを見て仰天していた。ならこいつらも、俺と同じ芸当はできないと考えて良い。
奴は俺が特殊な防壁で以って、銃弾を防いだと考えたのだろう。だとしたなら、奴が恐れるべきはシールド・バッシュだ。
シールド・バッシュ。防壁で殴り付けるだけと云う至極単純な攻撃方法だけど、しかしこれを防ぐ有効な手立ては、あまりない。
防壁は端的に言えば熱量の壁であり、その種類は様々だ。だが概ね、あらゆる攻撃に対応し易いニ種類――電磁波を用いるものと、圧縮した空気を形成するものが使用される。火炎などには前者、銃弾などには後者が有効だろう。しかしながら、大気と云うのは馬鹿にできないもので、高圧縮させれば熱や電撃も遮断する。
奴さんが展開したのも、空気を操る空圧系防壁だった。
これは非常に危険だ。防壁とは熱量の壁。触れて平気なものではない。昔は防壁に防壁を打つけて相殺、と云うようなことを試す奴もいたが、大概は鬩ぎ合って何も起こらないか、爆発を起こして碌な目に遭っていなかった。
シールド・バッシュされたら、俺がヤバイ。
相手は鎧を着ているからいい。だけど、俺は生身だ。銃弾を無効化できたのは、それ自体が持つ熱量が少ないからであって、防壁同士の接触時に生じる爆発を防ぐ手立てはない。
しかも、今の俺には相手の防壁を突破する攻撃手段もないのだ。呪いで相手を無力化しようにも、どうも相手は、俺には及びも付かない高度な術で呪詛を弾いている。
今の奴さんは、こちらの様子を見続けているだけだが、何かの切っかけで防壁で殴ってみようと思い付かれたら……。
目的は敵の排除。だが、俺に攻撃手段はない。なら、逆に考える。攻撃なんて、しなくてもいいやと。俺が攻撃せずに、相手にダメージを与えるには?
『弱点は関節部なのだ』
『重量があるので』
『大型化と足への負担が避けられなかったのだ』
重量は自動鎧の長所であり、また弱点。
『地下遺跡のような脆く崩れ易い地形でも活動できる軽量な』
……床を破壊して、落下させれば良くないか?
重量があればある程、落下時のダメージも大きい。
装甲に攻撃は通じなくても、ここは朽ちて脆くなった地下建造物。流石に外壁部分は強固なようだが、俺が立っている踊り場は下が透けて見える金網状だ。下方は……暗くて目視できない。
これ、簡単に破壊できるっぽい?
●
銃弾を弾いた?!
いや弾いたってぇよりか、勝手に銃弾が死んだ。途端に勢いを失い、まるで突然死した鳥みてぇに、全く唐突にカラリと地面に落ちる。何発打ち込もうが結果は同じ。
俺は慌てて奴と距離を置き、防壁を展開した。
なんだありゃあ。
……銃弾を無効化する魔導師の噂は聞いたことがある。どんな手品かは、全く予測さえ付かねぇがな。だから、噂話か怪談みてぇなもんだと思ってたわ。ガキをビビらすジジイの戯れ言。悪さしたら、怖い魔導師に連れてかれるぞぉ……。こいつが、それだってのか?
へへっ、お痛が過ぎたって訳かい。まぁそりゃ、生死は問わずに公女を拐かそうなんて、悪さの極みみたいなもんだよなぁ……。
だからって簡単に死んでやるかよ。
階段を上がれば、そこに霜降りの公女様が倒れてる。それを拾って人質に――。そう考えて階段を跳び越えようとした瞬間、足元が光って体が軽くなった。
●
銃撃が止んだ。階段を占拠していた従者ご一行は、抵抗する手段を失ったらしい。
「ハリー、カーク、スノー、ギヴ。お前たちが先行しろ」
だが念のためか、ナッシュから指揮を任されたハレディは4人を先行させて様子を見るらしい。
この4人は、さっきまでの撃ち合いには参加させていなかった面子だ。ピンク・パンサーの装甲は薄いので、被弾して貫通することを危惧したため下がらせていたのだ。が、向こうの弾が尽きたのなら、そんなことを気にする必要ない。
「了解」
ハリーを先頭に、ハルベルトを膝で構えた4人がしゃがみながら走り出す。
と突然
「伏せろ!!」
ハレディの鬼気迫った声よりも先か、そこに放り込まれたのは……一瞬しか見えなかったが間違いない。あれはドロウ・ポケット製の呪いの人形だ。
一瞬の閃光。爆発で耳が気を失う。
爆風はグチャグチャになって原型を留めていなかった死体と、先行した4人を照明ごと吹き飛ばした。
だが、それでも俺たちは慌ててはいなかった。予想できる範囲内だったからだ。
それからだった。
自動鎧でも戸惑う熱風の中を何かが突き抜けると同時に、激しい擦過音が響き渡る。
「階段から――」
それがイングラムの遺言だった。
擦過音は、背中のマダライトが吹き飛んだカークを引き擦る音。イングラムが死んだのは、それを投げ付けられて姿勢を崩している間に、首にパージ・ナイフを捩じ込まれたたからだ。
白い女だ。そいつが、イングラムのピンク・パンサーから、装甲を引き剥がしている。
直ぐに俺はグラス・パンサーの腿に格納されたオートマチック――ステンド・ファルコンを引き抜き、引き金を引こうとした。だが、それはディラが射線に入ったことで阻止された。
女は片手で引き剥がしたイングラムの胸部装甲をディラに投げ付け、俺とディラの間にいるケタムラーの肩と首にパージ・ナイフを刺し込んで動きを封じると股に足を入れて払い手前に引き倒し、踵で首のナイフを押し込んで絶命させつつ、腰からリボルバーを2丁抜いて俺とディラに向けた。
そこで俺はやっと奴に狙いを定めることができた――女の唇は釣り上がり、目は魚のように見開かれていた――が、ディラの鈍間がハルベルトを発砲したために、俺はその射線から出ることを最優先にしなければならなくなった。
その段になって俺は銃を諦め、格闘で捻じ伏せようと試みる。だが、その銃撃を合図にしていたかの如く、次々と闇が訪れる。
刹那、俺は体に染み付いた嫌な記憶に従って後退する。
明かりを破壊された。俺に向けられたと思ったリボルバーは、俺ではなく、地下遺跡の数少ない照明へ向けられていたのだ。爆発の際にも、階段に近い照明は吹き飛ばされていた。
一瞬の暗闇が訪れ……視界に浅緑の光が指すと、ディラは動かなくなっていた。
自動鎧の光学センサーが赤外線モードに切り替わるには、自動切り替えで平均して約1,3秒かかる。手動なら理論上はもっと早く切り替えられるが、予め分かっていなければ無理だろうな。
女は、その隙を突いたのだ。
ピンク・パンサーは、夜間の市街地で活動することを目的として開発された、泥棒御用達の自動鎧。赤外線センサーと、それを応用した熱源探知機能はあるが、ライトやウィンカーは備わっていない。その純然たる後継機であるグラス・パンサーも同様だ。
見えている範囲に、動体はない。だが正気を取り戻した耳には、まざまざと聞こえた。闇に響く嗤い声と、金属が奏でる擦過音。
この戦い方、この声、この旋律には覚えがある。
「奇声を上げる黒鵠、セシリア・ナオ・マタルかッ!?」
鎧姿しか知らなかったが、意外に美人なんだな……。
一時期、黒塗りのオフホワイト・ルースターを駆って夜襲を仕掛け、ハルテの軍勢に大損害を与えまくった傭兵だ。追撃時には、中身が入ったままの自動鎧を引き摺り回して、敵味方を恐れさせた怪女。
今あいつがやっていることも、それと同じ。
タロフォン軍が五連国を後ろ盾にマファトロネア暫定政府を立ち上げたのと時を同じくして消息を絶ち、今は死亡説まで流れているが……なんでこんなところにいるんだ?
「誰ですかぁ……? 淑女に、そんな酷いことを仰っしゃるのはぁ……? 私は可愛い、砂漠の白鷺さんですよぉ……?」
死角から虚ろな声が響く。
奴の最も得意とするのは、闇に乗じることだ。光学術式と非合法な幻術で姿を消して、音もなく仕事を終える。さっきからキーキー喧しい擦過音も、こちらを恐怖させるだけが目的ではない。狭い通路で音を反響させ、音の出処を判別させないためだ。そうやって、足音を消しているのだろう。
あれから逃れるには、明かりがあるところまで行くしかない。夜には出会いたくない相手だ。
にしても、なんて腕力だ。服の下に駆動外殻を着込んでいるのか? 少なくとも生身ではなさそうだな。
「何か自称してるらしいが、そう呼ぶ奴は皆無だぞ。白鷺は、そんな怪しい声で鳴かん」
多分。
「あらぁ……? もしかして今の声、ペラの双子のどちらかですかぁ? お久しぶりですねぇ」
「久しぶりついでに、見逃してくれませんかねぇ……?」
「あらあら、うふふ、嫌ですわ」
現状、戦いの優位は奴にあるように思える。
しかしそれなら何故、奴はもっと早くにこの手を使わなかった? この戦法には、奴に取っても何かしらのリスクがある。だから今まで階段で牽制し合っていた訳だ。
そう、奴が死守すべきは階段。なら、そこに近い者や近付く者を攻撃する筈。それが最大のネックなのだろう。つまり、奴は階段に繋がる通路を攻撃できる位置にいる。それは階段から真っ直ぐ伸びる通路と、角に入って直ぐの位置。この辺りに、奴はいる。
それに、奴の視界は奪われている筈だ。俺たちには赤外線センサーがあるが、奴はそれらしい物を身に着けていなかった。いくら薄いとは言え、瘴気は瘴気。テレパスを用いた探査法は使えない。奴は音でしか、俺たちの居場所を探知できない。そして、その音は奴自身が潰している。
さて、こちらはどうするか……。最終的には、無闇に銃を乱射する手もある。だが、奴の被害者の大半はフレンドリー・ファイアが死因だ。恐怖に負けて、そうなるように追い込まれる。
戦場で味方にいたときから、敵にしたくはないなと思っていたが……なんでこんなところに。
「せめて、せめてあと2匹ぐらいは……。もっと、もっと私に、火薬と骨を頂戴ッ!!」
ひぇ。
●
痛ってぇな畜生……。あいつ、殺しを楽しむ質だわ。間違いねぇよ。澄ました顔しやがって、腹ん中ぁまともじゃねぇよ、あれは。
何をしやがったって……普通、壊すか? え? 銃弾を無効化とか、呪いで人を沸騰させるなんて滅茶苦茶なことを為出かす輩ならよぉ、素直に攻撃すりゃ一発で片付くだろ? それをおめぇ、壊すか? 一応、この遺跡は重要な歴史資料なんだぞ? 学者も笑うわ。
お陰でトラッシュ・ハウンドは、もうベコベコ。
こいつは人もしくは軽自動鎧との戦闘で、絶対的な優位を確実に確保できるように設計された中自動鎧だ。なのでパージ・ナイフ対策を万全にするために関節部の遊びはなく、装甲も可能な限り少ない枚数で形成されている。そのため何処か一箇所でも変形すると移動すら事欠く。
幸い、基礎フレームは無事だから外部装甲をパージして動けちゃいるけどよ、どんだけ修理費かかると思っていやがる。下手すりゃ赤字だぞ、あんにゃろう……。絶対に殺したらぁ。
にしても、俺は何処まで落ちたんだ? こう暗くちゃ、下手に動けやしねぇ。
次回は2016/06/11 17時を予定しています。
次回のタイトルは「けれど暗闇以外に道はない」。
以下、
これまでに登場した武器のおさらい。
次回からの抜粋はそのあと。
マダライト・ボム
多量のエネルギーを内包可能な天然物質、「マダライト」で作られた爆弾。
炸薬でマダライトに急激な圧をかけることで爆破させる。
マダライトは最も粗悪なブルー規格でも666Wh/m³もの体積エネルギーを持つので、こんな使い方は勿体ない。
パージ・ナイフ
ドアの解放や自動鎧の装甲を剥がす際に用いられる軍用ナイフの総称。
今作で登場しているパージ・ナイフは大陸中央条約機構の規格に合わせて作られたもの。
ネツァル陸軍で採用されており、パンサー系自動鎧の腕部にも収納されている。
製品名は「ジェネシス ハンドルマスター」だが、そんなことまで覚えている登場人物はいない。ジェネシスはブランド名。
自動鎧
タンク・デサントの危険を排除するために、随伴歩兵に戦車とほぼ同等の速度と機動性を持たせるために作られた兵器。その原型は兵士のパワーアシストが主な役割の駆動外殻。
結果的に被弾率と命中率が向上したため、兵士の死傷率が著しく低下した。
当初の防弾性能は気休め程度だったが、後に重装甲化が進むと砲撃も一発程度なら耐えられるように! 行動不能になるけど。
ピンク・パンサー
野茨協会で製造・販売されている自動鎧の雛形、アーキフレームの一種。
坑道での作業用に開発されたもので、事故時の生存率が向上したことで、保険制度が発達している地域で重宝されている。しかし、中古品が出回ったことなどから反社会的勢力へも流通しており、治安組織の重武装化を招いた曰く付きの鎧でもある。
基本的なパワーアシストに加え、自動鎧の中で最も軽量であること、そしてナイトヴィジョンとサーモグラフィを標準装備しているのが売り。
なお、赤外線センサーの邪魔になるため、熱源になるライトは搭載されなかった。
グラス・パンサー
野茨協会で製造・販売されている自動鎧の雛形、アーキフレームの一種。
ピンク・パンサーはその軽量さ故に速度と旋回性能が高かったが、当初から長時間の激しい運動を想定した鎧ではなかったため、走行時の事故や故障が相次いだ。
その欠点を克服するために足回りを大幅に改良し、更に防弾性もより高く! なんに使うつもりなんですかねぇ……。
ちなみにGlassではなくGrace。
ドロウ・ポケット
ネツァル軍で採用されている可塑性爆薬。安価だけど威力は申し分ない。
次回予告
・「……! まただ! 今回は爆発音じゃなくて、何かが崩れる音みたい。結構大きいよ」
・あたしは黄色く叫ぶシュシュを拘束し服の裾を捲り上げる。本当に、はぁ、かわいいわね、全く、ふぅ……!
・「先程の爆発音は……タリスが殉じた音です」
・「パット、獣神のマントラ唱えるの、やめて」
・『そんな外道を清らかな乙女に抜かしやがるのは、何処のどいつだゴラァ。私はとってもプリチーでビューティフォーなウルトラ可愛い、砂漠の白鷺ちゃんだつってんだろ』
・やめて。もうやめて! 女のことで喧嘩するのはやめて!!
・「じゃー、ネサリッシュさんに頼んで、関節の一つや二つ外して貰え。パットなら戻せるし」
・「心配しないで下さい、マル様。先程の約束、必ず守ります」