なにも知らない女の子
「ふ~ん、心配してくれるの? 自暴自棄になった患者に襲われるとか?」
「べつに心配してない。患者はそんな元気ないし、きみも自分が思ってるほど性的魅力があるわけじゃない。まだ子供だ。それと、うざい。自分でできる」
イツキは、キット付属のオモチャみたいなちっちゃいピンセットを、奪おうとしたけれど、レヴィーンは手を振り払って、きつい声で言った。
「それだけは駄目。感染経路がちゃんとわかってない。傷口を露出させるなんて最悪」
大事なのは、傷口をちゃんとシールすることだ。
キットには専用の軟膏と代用皮膚絆創膏がある。原則、血液、体液の交換がなければ感染しない筈なのに、それだけでは説明のつかない感染事例があった。なにのはずみでウィルスの侵入を許すか、予想はできない。
感染の原因になる要素は、少ないにこしたことはない。
「メガネは取ってきてあげるよ。つまずいて転んだらまた傷が増えるし」
「そこまで、見えないわけじゃない――」
と言いながらコーヒー缶をさぐった手は、宙を切った。
「嘘つき。見えてないじゃない」
レヴィーンは笑った。
「平気だよ、イツキ。駐車場まで十分もかからないもの」
この絆創膏は、傷が治るまでちゃんと皮膚として機能して、細菌やウィルスの侵入を防ぐ。重度のヤケド患者用に開発されたものだ。
防疫対策の初めの頃は、こういった装備が足りなくて、スタッフからずいぶんと事故者を出してしまったそうだ。
今では、末期患者の処置には、ナイフも針も通さないアームスーツが使用されるし、業務のストレスを解消するために、スタッフ棟では防護服を脱いで、映画を見たり、本を読んだりすることも出来る。
レヴィーンは手当を終えて、傷口をぴしゃっと叩いた。
「いってぇ……」
「待っててね」
レヴィーンは無造作にエアロックに入った。換気洗浄サイクルが始まったら、インターバルが終了するまで誰も出入りできない。
イツキはここで、レヴィーンが帰るのを待つしかない。
「あ、ばかっレヴィーン。駄目だって。規定違反だ。単独行動は禁止――」
エアロックの向こうに、イツキのすごく焦った顔が見える。やっぱり心配してくれている。
「――あ、レヴィーン……あのな、女の子には慎みってものが……」
防護服に着替える為、服を脱ぎ始めたレヴィーンを見て、イツキは顔を赤らめて後ろを向いた。鮮やかな蛍光イエローの防護服を着ながら、レヴィーンはついつい、にやついてしまう。
レヴィーンのことを気にかけてくれている。それに子供だと思っていたら、きっと顔を赤くしたりしない。
人を殺すための機械をいつも従えているなんて不吉だけれど、イツキはべつに死神じゃない。イツキは誰も傷つけない。素直じゃないけれど、きっとまっすぐな人だ。
もうずっと忘れていた、女の子らしい華やいだ気分は、逆に、レヴィーンの胸をちくりと刺した。
イツキには言えないけれど、もし、なにかがあっても、そんなことレヴィーンは平気だった。
それが、レヴィーンには後ろめたかった。
イツキは、レヴィーンのことを、なにも知らない女の子と思っているようだったから。