表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
70/87

彼を守ってあげて

 また一人、死亡確認の診断を終えて、シモーヌはスタッフ棟に帰ってきた。エアロックの気密ランプを確認し、防護服を洗浄ブースに収め、洗浄シャワーを浴びた。


 こういった事で、いちいち感傷にひたるつもりはなかった。それでは、いずれ仕事をこなす事が出来なくなる。レヴィーンのこともそうだった。自分の娘が死んでしまったような痛みを感じたけれど、それにかまけていては、この地での感染拡大を防ぐことは出来ない。


 微量のオゾンが混じった、突風のカーテンをくぐり抜けると、もう、髪も肌も乾いていた。

 不織布の服を身に着け、殺菌済みの白衣を羽織り、シモーヌはもう一つのエアロックをくぐった。

 室内に入ると同時に、もう一度だけ、手を消毒する規定になっている。シモーヌはアルコールのゲルを手に取り、よく手になじませた。


 と、シモーヌは背後の通路に、人の気配を感じた。まるで死神のような、冷ややかな気配だった。シモーヌは背後を振り返った。


「……イツキ。おどかさないで。どうしたの、他のみんなは?」


 イツキは防弾仕様のベストを身に着けていた。ベストのポケットには半透明の弾倉がぎっしり詰まっている。肩にはスリングで全長の短い銃を下げていた。

 それはシモーヌも知っているベルギー製の銃で、PDWという変わったカテゴリーに属していた。小さな弾頭で初速が高く、貫通力に優れている。携行できる弾数が多いのも特徴だ。

 いつもの黒縁メガネではなく、破片を防ぐ薄い色のシューティンググラスをかけていた。

 銃を持っているイツキは、それが本来の姿でもあるかのように、違和感がなかった。


「シモーヌ。消毒の指令が発動されたよ。まもなく米軍の戦闘車両がやってくる。空軍基地も発進の準備に入った。ここは、もうすぐ戦場だ」

「まさか……あなたがどうしてそれを知ることができるの?」


 イツキは、いまさらそんな事を、といった感じに肩をすくめた。


「シモーヌ……ぼくは『オリゾン』から派遣された工作員だ。もちろん知ることが出来るよ。軍関係者のパソコンにはサーバプログラムをばらまいているし、協力者もいる。ミラー中尉のパソコンだって覗き放題だ。薄々、感づいてはいただろう?」

「でも、そんな……世論が許さないわ……たいへんなスキャンダルよ? いったい誰がその責任を負えるというの――」

 

 イツキは子供に言い聞かせるように、ゆっくりと丁寧に言った。


「誰も言い訳はしないと思うよ、シモーヌ。言い逃れが出来るほど、人の命は軽くない。合衆国大統領が不慮の死を遂げ、トルコでは政権が交代し、軍の上層部ではいくつもの首がすげ変わるけど、たぶん、誰も言い訳はしない」


 優しい笑みのまま、イツキはゆっくりと首を振った。


「我々は、生涯ゆるされない罪を犯した人でなしではあるが、だが、必要なことをやった、と、そうコメントするさ」

「なんてことなの、イツキ。わたしは患者たちをどうすれば――」

「シモーヌ、あなたはスタッフと一緒にここを離れるんだ」

「でも……」

「ここにいても患者を救えるわけじゃない。あなた達が死んだら、もう誰も助けることは出来ない」

「でも、イツキ……あなたはどうするの?」


 イツキは傍らで控えているコディに腕を伸ばした。優し気に金属の肌に触れると、ヴヴッっと人間には聞き聞き辛い波長の音で、コディは応えた。

 

「ぼくには『コディ』がいる。ぼくは戦えるよシモーヌ。レヴィーンが気にかけていた人たちだからね。せいぜい時間を稼ぐさ」

「あなた、一人で?」

「いつでも、一人だった。レヴィーンと出会うまではね。だから、なんてことない。これは、ぼくがもともと住んでいた世界の仕事だ。だからシモーヌ。早く逃げて、『ハルシオン』に襲撃を伝えて欲しいんだ」


 シモーヌは、遠い、美化されてしまった記憶の中にある、シモーヌの為に死んでしまった若い医師を思い出した。最後を迎える直前、その若者も穏やかで落ち着いていた。

 長く話し合う時間はなかった。キャンプ責任者のシモーヌは、エアロックの洗浄サイクルを強制終了させる権限を持っている。認証の為にカードと網膜照合を使用し、シモーヌは今、通ったばかりのエアロックに戻った。

 イツキが、なにか重大な覚悟をしていた。死を覚悟していたようだし、もしかしたらそれ以上の何かを覚悟をしているようにさえ見えた。


 お願いよ、レヴィーン。彼を守ってあげて。


 スタッフに知らせるため走りながら、シモーヌはイツキの為に祈った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ