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未開の部族

 直接患者に触れることは出来ない。防護服で聴診器を扱うことは出来ない。だから、シモーヌは最新式の生体確認装置(バイタルメータ)を使う。患者が手に包むだけで、脈拍、体温、血圧、発汗量、たいていの事がわかる。聴診マイクを取り付ければ、波形で呼吸や心臓の異常を発見することもできる。


 隔離室で診断を受けるイツキは、とても落ち着いていた。

 二週間前の魂が抜けたような様子が、嘘のようだった。


「異常ないわイツキ。部屋を出ても大丈夫」

「ありがとう、シモーヌ」

「元気を出すのよ――」


 馬鹿げたセリフだ、と自分でも思いつつ、シモーヌは言った。


「――あなたが、そんなだと、レヴィーンがとても悲しむわ」

「……レヴィーンが?」

「悪かったわ、イツキ。無神経だったわね」

「いや、いいんだよシモーヌ。あなたの言うとおりだ」


 この二週間、イツキが要望したのは、安物のノートパソコンと、簡単なアスレチック機器だけだった。

 イツキは、経過観察の間、ずっと体を鍛え続けた。高タンパクな食事を要求し、イツキは体重を増やした。

 筋肉質のその体は、部屋に入った時とは、別人のようだった。


 ノートパソコンでなにをしているのか、確認させればよかった、とシモーヌは思う。イツキの様子は普通ではなかった。まるで戦いに備える未開の部族のようだった。


「イツキ、あなたはなにをしようとしているの?」

「ぼくが、なにを?」イツキは笑った。「とりあえずステーキを焼く。一キロは欲しいな」

「ふざけてるんじゃないの。あなたはまるで……そうね、久しぶりに獲物を与えられた、老いた猟犬のよう」

「ぼくが? いったいどんな獲物を? 思い違いだよシモーヌ。報告書を書き、給料を貰う。ぼくの日常に獲物はいない。ただ、ここでの任期がもうすぐ終わるから、社会復帰の準備をしているだけだ」


 そんなたわごとに騙されるほど、シモーヌは世間知らずではなかった。


「イツキ、わたしは、あなたの敵なの? あなたの心配をしてはいけないのかしら?」


 イツキはため息をついて、シモーヌに向き直った。筋肉をつけてもイツキは細身だったけれど、身のこなしからは、獰猛な獣の気配がした。


「シモーヌ。今は話せない。その時がくれば、必ず相談する。それでいいかい?」


 そういいながら、イツキは緑色の不織布を脱いだ。隔離病棟で使用していた物は、すべて焼却するルールになっている。上半身を露わにしたイツキから、シモーヌは年甲斐もなく目を反らした。


 一度だけ、こんなふうに変貌を遂げた青年を見たことがある。それはシモーヌの部下で、医者を目指す若者だった。その医療キャンプは、とても危険な紛争地帯にあって、日に日に、たくましさを増した彼は、ある日、キャンプとシモーヌを守って死んだ。

 それは、夫に話すことが出来ない、シモーヌの密やかな、痛みをともなう記憶だった。


 もうレヴィーンがいなくなってしまった今、彼がなにを守ろうとしているのか分からないけれど、イツキの姿は、シモーヌの胸を疼かせた。


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