犬の躾
唯斗はマニュピレータを眺めるのをやめ、モップを取り上げて掃除に戻った。
あれから、三年の月日がたった。
ほとんど隔週で会っているのに、唯斗との関係に、なにかの進展はまったく見られない。
部屋にこもって、相変わらずゲームとDVDだけの関係だ。おかげで、アリシアは日本のアニメにすごく詳しくなった。古い映画もたくさん見た。
アリシアが来る時は、ちゃんと部屋が掃除されているので、それが進展と言えば進展だと言えなくもない。最初は臭いし、足の裏にいろいろくっついてきた。
でも、アリシアが言う進展とは、ほんとは、そういう「犬の躾」みたいなこととは、ちょっと違う。
三年の間にアリシアの身体は成長して、背丈は唯斗とほとんど変わらないくらいになった。たぶん、他の部分だって、標準偏差よりは大きい。
男子のクラスメートは、目の前にくるとだいたい同じ場所を見るので、大きさと形は問題ないんだと思う。問題があるのは唯斗のほうだ。男性として、とくに深刻な病気じゃなければいいのだけれど。
鏡で、自分の姿をじっくりと眺めてみたことがある。手足は細いし、腰もちゃんとくびれていた。そばかすがちょっとだけ気にはなったけど、そんなに問題があるってほどじゃない。桜色の唇も、少しだけ朱がさした頬も、ぜんぜん、健康的な白人の女子に見えた。
緑色の瞳は、男の人の受けがいいって聞くし、赤髪でも黒髪でもないけれど、栗色の髪だって、そう悪くはないと思う。
べつになにか具体的なことを期待しているわけじゃないけれど、いつまでも子供扱いは、フェアじゃない。
だから、レヴィーンとイツキの様子を見ていると、イライラした。
イツキの気持ちはどうだか知らないけれど、レヴィーンは子供じゃないし、見たところ、ただ明るいだけの女の子でもない。
男って――アリシアは浅く、唇を噛んだ。――男って、ほんと残酷よね。
「機嫌が悪いね? おなか減ったの?」
アリシアのエクソスケルトンは、デッキブラシをへし折ってしまった。なんか、力が入り過ぎた。
うぉと驚いた声で、唯斗は三歩だけ、後ずさった。
唯斗の言う通り、確かに、この外骨格は戦闘にも使えそうだった。
「あいつの装備ってさ? 自立型かな? 遠隔操作型?」
唯斗が言ってるのは、イツキに付き従う蜘蛛型自立制御銃座【コディ】のことだ。
名目上は感染防止の為の『作業補助ロボット』ということになっている。引っかかれたり、噛みつかれたりで感染することが無いように、操作者に代わって、検体の採取をしたり、生体情報を確認したりするロボット、という意味だ。
器用なマニュピレータで、もちろんそういう仕事の手伝いもしているけれど、自警団のバカがキャンプに侵入する事件があって、今ではスタッフの全員が知っている。
蜘蛛型ロボットは、イツキの身を守る護衛ロボット、もっと他の表現で言えば、歩いて、ついてくる銃座だ。
四足歩行で、歩行に使用しない二本の前腕には武器を装備している。全高は、人の背丈より少し低いくらいだった。火器はガトリング式の7.62㎜機銃が腹部に、前腕には大きさからしておそらく5.56㎜機銃。体の大きさからして、どちらも装弾数はたっぷりありそうだった。
滑らかな装甲に四角の継ぎ目があるのは、アリシアの見たところ、榴弾筒を内蔵しているからだ。護身用装備どころじゃない。
歩いてついてくるトーチカみたいな感じだ。本気で暴れだしたら、止めるには戦車を呼ぶ必要がある。
病理調査研究員が扱う種類の装備じゃなかった。
「操作も指示もしていないのかもよ」
「どういうこと?」
「体の一部、なのかも」
「へぇ……手強そうだ」
唯斗は嬉しそうに呟いた。虫も殺さないような顔をしているくせに、唯斗の頭は、いつも困難な敵と過酷な状況を捜している。典型的なゲーマーの病気だ。
アリシアはかぶりを振って、ため息をついた。
いまさらだけど、あたしの大事な男だけど……やっぱり、唯斗は、どこかがおかしい。