怯えて暴れるだけの、ただの肉の塊
母親のテントに入れて貰おうとしたけれど、自警団の兵士が、誰も入れないように警備をしていた。レヴィーンが説明しようとしても、話さえ聞いて貰えなかった。
兵士たちは迷惑そうな顔だった。またこの厄介者たちのせいで面倒なことになった、といった気持ちが、身振りにも表情にも表れていた。このまま緊張が高まれば、住民にさえ発砲しかねない雰囲気だった。
なんどか押し問答を繰り返して、諦めたレヴィーンは、周囲に誰か知っている人を捜した。
目についた小柄で肉付きのいい中年の男性は、ジュミルといって、少数民族キャンプの代表を務める人物だった。清廉な人柄で知られるキャンプの有名人だ。
レヴィーンは人ごみを押し分けて、ジュミルの前までたどり着いた。
「ジュミル! わたしよ。これはどういうことなの?」
レヴィーンの姿を見て、ジュミルは人の好さそうな赤ら顔を曇らせた。
こんな状況で甘い見通しにすがるほど、穏やかな人生を送ってきたわけではなかった。ある程度、覚悟は出来ていた。だから、そのように言った。
「もし、説明しにくい話でも、わたしは取り乱したりしない。教えてジュミル。わたしの母は、感染したの?」
「レヴィーン、済まない。少し目を離したすきにキャンプから出て……」
「……野犬に咬まれたのね」
「ほんとうに済まない、レヴィーン。みんなで探したんだが、遅かった」
母は、野犬を追い払う電撃柵を乗り越え、荒野にさまよい出たのだ。
可哀想なお母さん……優しい父の姿を捜して徘徊し、父ではなく野犬に出会ったのだ。母は怯えて、父の名前を呼んだだろうか? 助けに来るはずのない父を待ち続けたのだろうか? 母はもう、レヴィーンが誰かもわからなかった。いつも知らない人に――知らないと思い込んでいる人たちに――囲まれて、怯えていた。
「どういう状態なの?」
「咬まれたことを隠していたんだ。まわりが気づいた時には、もう凶暴で、手が付けられない状態だった」
「誰かに被害は?」
「今のところは大丈夫だ」
誰も傷つけていない、と聞いて、レヴィーンは胸を撫で下ろした。いつか、こんな日がくるのは分かっていた。たぶん、本当の母は、父が処刑されたあの時、父が一緒に連れて行ってしまったのだ。
ここにいるのは、日差しや、物音に苦痛を感じ、怯えて暴れるだけの、ただの肉の塊だ。
不用意に近づくと、噛みつかれ、感染の危険がある。自警団の兵士でさえ、近づけなくて右往左往していた。
もし、可哀想な母の人生に、誰かが幕を下ろさないといけないのだとしたら……それは、わたしの仕事だ。
他の誰にも、代わりをさせるつもりはなかった。
ジュミルは、腰に銃を差していた。たぶん一度も使われた事がないだろうと思われる古臭い銃は、よく手入れされて、ピカピカに光っていた。ジュミルにとっては、きっとお守りみたいなものなのだろう。
「ジュミル、その銃を貸してもらってもいい? わたしには、それが必要なの。それから、自警団の兵士に説明をして。わたしが、娘が中に入るって 」
 




