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悪い夢みたい

 防疫キャンプを出る時には、ほとんど全員のスタッフが集まって、レヴィーンを見送ってくれた。

 みんなが、たくさんプレゼントをくれて、レヴィーンは五つもの大きな紙袋を抱えることになった。

 スタッフの中にイツキの姿はなかった。それは当たり前ねと、レヴィーンは思う。


 だって、わたしは、イツキにあんなにひどいことを言ったんだから。


 アリーが泣きそうになっていたので、お別れは簡単にすませて、レヴィーンは米軍の『トヨタ』に乗り込んだ。米軍のミラー中尉が、難民キャンプまで送ってくれることになっていた。

 この現代でも迷信深い人はいて、以前にも、防疫キャンプの手伝いをしていた現地スタッフが、私刑にかけられて殺害される事件があった。PKOの若い兵士が三人、警護の為に乗り込んでくれていた。


 岩だらけの荒野を行く車に揺られながら、レヴィーンは防疫キャンプを振り返った。丘陵の上の防疫キャンプは、真っ白い半円筒形の屋根を持っていて、寄り添うように建設されていた。太陽電池のパネルなんかもあって、まるで火星探査の基地みたいだった。

 たぶん、短い白昼夢みたいなものだったのだ。べつに悲しむようなことじゃない。本来の、自分の居るべき場所に戻るだけだ。

 アリーは鼻声で、メールするから、と言ってくれたけど、メールなんかくれない方がいい、防疫キャンプのことを思い出して、きっと辛いだけだ。


 キャンプはどこまで行っても視界から消えないので、レヴィーンは顔を背けて、荒涼とした大地を眺めた。


 イツキが、本当にレヴィーンに飽きてしまったわけではないことくらい、顔を見ればわかる。腹を立てたのは、イツキが本当のことを言ってくれなかったからだ。たぶん、なにか良くないことが起こったのだ。イツキがレヴィーンに話す事が出来ないような、なにかが。


「なにかあったのかいレヴィーン。今回のこの――変更は、やや性急だと思ったんだが」

 ミラー中尉は、遠慮がちにそう尋ねた。

 

「なにも知らされていないのよ、ミラー中尉……なにか知ってるの?」

「いや、なにも知らない」ミラー中尉はあわてて、そう言った。「――本当だ」


 嘘をつくのは無理な人のようだった。防疫キャンプでは、みんながお互いの腹を探り合ってるみたいだ。

 なんだか、すごく嫌な予感がした。


 やがて『トヨタ』は、難民キャンプの中でも危険な場所であるシリア側の外れに入った。レヴィーン達は、その信仰する神の『特殊性』で、そういう扱いを受けている少数民族だった。『異教徒』であるだけでなく、『邪教』扱いされることもある。なにも人を傷つけるようなことはしていないのに、難民キャンプの中では『のけもの』にされていた。


 患者たちが難民キャンプの自警団に、何度も襲われるのはそのせいだった。『邪教』の連中が、禍々しい疫病を呼び出した。そう、彼らは思いたがっている。

 最初の『ハタイ脳炎』は、レヴィーンたち少数民族キャンプの真ん中で発生したけれど、それは『信仰の結果』ではなく、邪魔者にされて、野犬の多いキャンプ周辺部で暮らしていたからだ。


 母親が暮らすコミュニティに入ると、レヴィーンはすぐに異変に気付いた。

 普段はそんなこと絶対にあり得ないのに、男の人達は銃を持っていた。仲間の男の人達はみんな髭を短く切り揃えて凛々しくしているのだけれど、その顔は、緊張で険しくなっていた。


「なにか、あったようだな……」

 ミラー中尉も、異変に気付いたようだった。

「引き返すこともできるよ。レヴィーン。これはあまり、よろしくない」


 ミラー中尉の言うとおりだけれど、レヴィーンは母のことが心配になった。

 母の病気は『痴呆症』だった。過激派が町にやってきてからの辛い体験は、母の脳を委縮させてしまった。母の心は、幸せだった少女時代に逆戻りしてしまっていて、自分のことを若く美しい十代の少女だと思っていた。父が死んでしまったことも理解できなかった。


 密かな約束を父と交わしていて、若き日の父が、週末に自宅からこっそり連れ出してくれるのを、心待ちにしているのだ。

 父が現れないので不安になって、荒れ果てた野原に、独りで彷徨い出て迷子になってしまうこともある。


 親戚や、隣人に母の面倒を見てもらう為に、たくさん、お金が必要だった。


「いいの、母が心配だわ。ここで下してミラー中尉。もうテントはすぐそこだから」

「レヴィーン、彼らを残していくよ」


 ミラー中尉は、後席の若い兵士たちに指示を出そうとした。


「大げさにしないで。なにかあったら……シモーヌにメールする。それでいいでしょ?」

「しかし……」

「大丈夫。危ない所へは行かないわ」


 なかなか帰ろうとしないミラー中尉を送り出して、レヴィーンは母のテントへ歩いた。

 子供の手を引いて、無理やり家に引きずり込む母親がいた。


 銃をもった男性が、駆けて行った。彼らの走っていくのは、レヴィーンが目指すのと同じ方向だった。彼らはレヴィーンの知る隣人ではなく、キャンプ自警団の男たちのようだった。


 やがて、人だかりが見えて、そこに集まっているのは、年配の男性と屈強な若者だった。みな手に松明と銃を持っていた。


 彼らはあるテント――テントとは呼んでいるけれど、しっかりとしたプレハブの住宅だ――を取り囲んでいて、何人かの銃口は、もう、住宅の出入り口に向けられていた。


 悪い夢みたいだけれど、その場所は、レヴィーンの母親が暮らすテントだった。


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