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論理的でかつ倫理的

 腕の中で、レヴィーンは、イツキはなにも悪くないわ、と言った。


 それは間違いだ。と樹は思う。自分こそが悪人だ。嘘つきで、恥知らずで、人の心を知らない。最悪なのは身勝手ですら(・・・・・)ないことだ。身勝手であれば、レヴィーンとの生活を選ぶこともできる。


 もしも、レヴィーンの為であれば、自分はやり直せるだろうか? レヴィーンの笑顔を、たった一つだけの目的にして、退屈な社会生活に耐えられるだろうか? レヴィーンが必要としてくれる、その一点だけで、樹は自分に価値を見出せるだろうか?


 無駄な問いかけだった。命令され、目的を遂行するための機械として扱われることに、樹は慣れ過ぎていた。

 達成困難な任務がない場所に、自分の居場所なんてないと、肌で感じた。


――わたしのことが、もしも、面倒になったり、重荷になったりしたら、すぐに教えてね。べつに嫌いにはならないから。


 レヴィーンは、樹の胸に顔をうずめたまま言った。


――わたしだけ勘違いで、わたしだけ舞い上がって、同情されてるだけなのに、わたしだけ、愛されてるんだと思い違いをしていたら、なんだか惨めでしょ。


 けたたましい音で、目覚ましのベルが鳴った。ノートパソコンもスマートフォンもあるけれど、樹は古臭い機械を使うのが好きだった。それらの機械――時計や、自転車や、内燃機関の車達は、精緻にデザインされ、自分の使命を持ってこの世に生まれた。誰にも恥ずかしくない機能を与えられて。


 目覚ましを止めて、樹は、まだレヴィーンのぬくもりが残るベッドに、座り直した。腕を伸ばして、昨夜のうちにセットしておいたコーヒーメーカーのスイッチを押すと、すぐにポコポコと沸騰を始める音がした。


 キャンプの限られた資源(リソース)の中で、プライベートな空間は、取り分け、貴重で価値が高いものだった。潤沢な空間はないので、樹の部屋も、ベッドと机を中心に構成された極めて合理的なレイアウトとなっている。

 ベッドは机の椅子を兼ね、机は窓際のカウンターを兼ねている。すべての物がベッドから腕を伸ばせば手にすることが出来た。樹にとっては、しごく快適な空間だ。


 樹は、香り立つコーヒーを手にして、机に向かった。仕事の時間だった。

 ノートパソコンを起動して、すでに分かっているIPをコールした。

 ミラー中尉は、パソコンの電源を入れたままのようで、すぐに応答があった。


――心配ない、イツキ。こう見えてもパソコンには強いんだ。


 そう言ったミラー中尉の、底抜けの笑顔を思い出して、樹は罪悪感で、またひとつ自分のことが嫌いになった。


 ミラー中尉に渡した動画プレーヤーには、不正なプログラムの断片を再構成する機能があって、映像やミュージックファイルを再生するたびに、その中に忍ばせたプログラムの断片が組み上げられるようになっていた。

 最終的に完成するのは、古くから使われているサーバプログラムだ。世間では『トロイの木馬』と呼ばれる、古くから存在する悪意あるプログラム(マリシャスウェア)だ。マルウェアともクラックツールとも言われる。


 樹が使うのは、中学生が悪戯に使うのと大差ない、簡単な子供騙しのプログラムだった。対策ソフトを欺瞞する必要もない。その作業は、ミラー中尉自身がインストールの承認を行うことで、代わりにやってくれた。

 クラックするのに必ずハイテクが必要なわけじゃない。目的に適合さえすれば、時には簡単に事が済む場合もある。


 もし、誰か専門家がミラー中尉のノートをメンテナンスして、スパイ行為が露見したとしても、それでも樹に実害はなかった。

 ここは、合衆国法の腕が届く範囲の外だ。騒ぎになれば、樹は姿を消し、名無しの誰か(・・)に戻るだけのことだった。


 ミラー中尉が軍から支給されたノートは、すでに樹のパソコンと同じことだった。


 やみくもに情報を探るのは不効率なので、樹はルールを設定してスクリーニングをかけた。ノートにデータとして残っている情報に重要な物はない。

 重要な情報であれば、内容を確認すると同時に、削除され、なかったことにされる筈だ。ノートパソコンは、盗まれることもあれば、家族が盗み見る可能性もある。


 その条件でスクリーニングし、現れたのは、テキストの断片だった。かなり細切れになっているのは、このパソコンが、データの回収(サルベージ)を防ぐよう、複雑な削除処理を行うツールを導入しているからだ。


 だが、そういう対策には、やはり上をいく対策が存在する。例えば、言葉遊び(アナグラム)の大好きな人工知能《AI》が、アスキーコードの断片を意味ある文脈になるまで、ひたすら並べ替えを行うクラウドサービスがある。それは破損したデータを回収する為のソフトで、有志のプログラマが提供するサービスだ。

 ネットに接続さえ出来れば、誰でも利用することが出来る。法に適合した目的にも、そうでない目的にも。


 浮かび上がってきたのは、対応マニュアルの一種だった。アメリカ合衆国大統領と、トルコ内務大臣の署名があった。危険な文書にわざわざ署名を記載するのは、このマニュアルが極めて高い正当性(マンデート)を必要とするデリケートな対応を含むことを意味している。

 もう一つの理由は、両国のどちらもが、一方的に離反することのないように、という配慮だろう。血判状と同じだ。裏切りは許さない、と言う意味だ。


 内容は衝撃的な物ではあったけれど、予想の範囲を出なかった。むしろこれは、樹が任務の達成の為に考慮するべき、当たり前な人間的対応の一つだった。


 合衆国大統領のサインには、短いコメントが添えられていた。文章は論理的(ロジカル)でかつ倫理的エシカルな構造の英文だった。


――合衆国大統領の職務は、疑いようのない良識と、権威に裏打ちされるべき物ではあるが、人類の命運(・・・・・)を前にしては、その意味を持たない。わたしは甘んじて卑劣漢のそしり(・・・)を受けよう。


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