天然ウランから砂糖まで
最後の襲撃は、もう二週間も前だった。国連難民高等弁務官事務所の疫病対策キャンプには、やや、安堵感みたいなものが漂っていた筈だ。
どうしてこんなことに、とレヴィーンは思う。
スタッフの一人が亡くなって、みんなが傷ついた。まだ幼かった彼の為に、レヴィーンも少しだけだけれど泣いた。その少年は、疫病対策キャンプでただ一人だけ、レヴィーンと同じ年頃だったのだ。
でも、みんなで乗り越えたはずなのに、日常を取り戻した筈なのに、どうして仲良く出来ないのだろう?
確か最初は、興味本位の調査ならとっと帰れ、という話だったと思う。
国連難民高等弁務官事務所の疫病対策キャンプは、キャスト整形された発泡スチロール 製だ。テントは与圧されているので造りは頑丈だけれど、ダンスホールみたいに広い、というわけではない。
同じスタッフルーム――ここは休憩所兼、食堂兼、ミーティングルームだ。これでもキャンプで一番広い空間だ――にいれば嫌でも会話が耳に入る。不穏な気配に気がついたレヴィーンは、そっとイツキのそばに寄り添った。
それを切り出したのは、シモーヌ・ルロワ。国境なき医師団が派遣しているフランス人医師だ。医師というよりは傭兵といった方がしっくりくる感じの骨太な女性だ。
そう言えば先日も、携帯に向かって、薬はいいから地対空ミサイルをよこして、と怒鳴っていた。この人なら、本気でトルコ軍の攻撃ヘリを撃墜しかねない。
今はイツキと揉めているけど、べつに悪い人じゃない。志の高い、尊敬できる人だ。むしろ素性で言えば、確かにイツキの方が、ちょっと胡散臭い。
「じゃあ、何人なの? 何人死ねば採算があうの!」
シモーヌ医師はけっこう、頭にきているみたいだった。理由は、たぶんイツキの態度だ。
ポリカーボネート製の天窓から降り注ぐ光が、シモーヌ医師の表情に複雑な陰影をつけていて、疲れた様子もあって、いつもより少し年をとった感じに見えた。
無理もないね、とレヴィーンは思う。
レヴィーンがこのキャンプに手伝いに来てからも、たぶん、それより以前から、この疫病キャンプでは、誰一人患者を救えていないのだ。
説教されているイツキは、大手製薬会社『パナケア』から派遣された若い病理調査員だ。
自分では日本人だと言っていた。ひょろっとした長身のてっぺんに、もじゃもじゃのくせ毛が乗っかっていて、今の姿は青い不織布の室内着だけれど、黄色い防護服を着ている時は、まるでピクサーのCGアニメキャラみたいに見えることもある。
日本の青年が、どういう経緯でフランスの大手製薬会社『パナケア』 に入社することになり、また、いったいどういったいきさつで、疫病が荒れ狂う紛争地帯のど真ん中に、派遣される羽目になったのだろう。なにか仕事で大きなミスでもしたのだろうか?
イツキのことを、すごく、いろいろ知りたかったけれど、イツキは、レヴィーンにあまり自分の話をしてくれない。
「そんなこと言われても。だいたい、ぼくはプロジェクトに承認を出す立場じゃないし、好きでこんなところへ来てるわけでもありません。ただ商品の可能性として病理データを収集に来ただけです。気に入らないが、社命です。無償で新薬開発なら、○ァイザーとか、富○フィルムとか。もっと理念にあふれた製薬会社があるでしょ」
「『パナケア』 に理念はないと言う意味なの?」
「ありませんよ、そんなもの。『パナケア』 の親会社は『オリゾン』です。あなたも知っているでしょう、オリゾン」
『オリゾン』の悪い評判は、世間から遠く離れた難民キャンプにいても聞こえてくる。天然ウランから砂糖まで、CMのキャッチフレーズでも有名な、謎に包まれた世界最大の非公開企業。CMのさわやかなイメージとは違って、利益の為にはどんなことでもやる、と世間では噂されている。
噂が本当なのかどうか、レヴィーンにはわからないけれど、半年に一度くらいの周期でスキャンダルがニュースになるのは本当だ。
輸出禁制品の密輸とか、未開発国での汚職とか、未認可薬物での投薬試験とか。
「わが社が新薬の開発に乗り出さないのは、経済性の問題です。考えてみてください。年間三千人にもみたない死者の為に、いちいち社運をかけてたら――」