組織の正当性
この防疫キャンプは、国連難民高等弁務官事務所が設備を提供し、国境なき医師団が医師とスタッフを派遣し、人権擁護団体である『ハルシオン』が警備を行い、米軍がスペシャリストを派遣して、感染管理体制を敷いている。
なんというか、たいへん複雑な協力体制だ。ともかく、アリシアはそうだと、聞いている。
このキメラじみた組織の正当性――なによ、マンデートって――は、国連安全保障理事会の決議が与える、らしい……ニュースでよくそんな話をきくけれど、正当性なんて代物をアリシアが自分の目で見たことは、一度もない。
政府系組織の『ハルシオン』に対する反応は、いつも同じだ。
疑いの目と、あからさまな敵意。時には本当に攻撃されることもある。攻撃されても『ハルシオン』の部隊は原則無人化されているので、人的な被害はない。
『ハルシオン』は、そういった攻撃を黙殺する、というより、そういった敵意を認識できない。
『ハルシオン』には事務局もなければ代表もいない。法的にも、生物学的にも実体がない相手を攻撃するって――
――なんだか、蜂の群れにバットで挑んでるみたいな感じね。
蜂は敵意なんか理解できないし、怒ったり、悲しんだりしない。ただ、遺伝子に刻まれた命令に従うだけ。襲った人間は、勝手に自分で、痛い目を見ているだけのことだ。
アリシアの身分は、なにかとニュースで話題になる『ハルシオン』から派遣された電脳兵士、ということになる。派遣されるとはいっても、『ハルシオン』の機動戦闘車両【ピクシー 】は、 VRゲーム機【ネブラ・ディスク】をインターフェースにして操作する完全遠隔操作だ。
だから、どんなに激しい闘いの中にあっても、アリシアの身体は、アメリカ合衆国ワシントン州の、清潔なリクライニングチェアの上にある。
それを卑怯だと思ったことはないけれど、でも目の前の患者たちは、生身で、壊れやすくて、自分自身の本当の命を、病気に削られていた。
その女の子は、もし米国育ちであれば、プライマリースクールの中頃だった。ちょうどアリシアが『ハルシオン』の作戦に参加し始めた年頃だ。あどけないクルド人の女の子だった。
このアルファ病棟に居るということは、この少女は、感染し、本格的に発症する前段階にあるということになる。
実は、『ハタイ脳炎』をややこしくしている原因の一つは、クルド人内部の民族問題だ。
病禍は難民の中でも、特殊な宗教を信仰する少数民族内で発生した。歴史的に、周辺国の政府からも、同じクルド人からも迫害を受けている人たちだ。
自警団は、邪教を信仰する異教徒の誅滅、という背景を持っている。なにも悪いことはしていないのに、とアリシアは思うけれど、敬虔なキリスト教徒ではないアリシアには、ここでの信仰がどれほどの意味と影響力を持つのかは、想像できなかった。
レヴィーンと同じように、この女の子も、その不幸な民族の出身だろう。子供は、誰がどんな神を信じているかなんて、そんなこと知らない。
たぶん、この子にはそれを知る機会も、与えられない。
キャンプの病棟は、三つのグレードに分かれていた。
アルファ病棟は、未顕感染者、感染してはいるが、まだ発症してはいない状態のことだ。
ベータ病棟は、発症初期段階。体の不調はあるものの、日常の細々は自分の面倒を見られる状態。この時点で、患者は防刃防弾の隔離病室へ移される。
ガンマ病棟は、発症末期。通常、患者は拘束具を使用して固定され、スタッフは単なる防護服ではなく、プロテクションスーツを身に着ける。噛みつきによる万が一の感染を防ぐためだ。
アリシアとヌエが使用する強化外骨格は、恐ろし気な外観をしているので、アルファ病棟、特に小児病棟にはあまり立ち寄らない。
今も、掃除の最中に、窓の外から様子を窺うだけだ。
おしゃまなその子は、もう、お話がしたくて仕方ない様子で、防護服のスタッフを捕まえて、ずっと口を動かしている。仕事にならないので、スタッフは、ミラー中尉を連れて来て、その子の前に座らせた。
ミラー中尉は子供の相手が得意らしい。
飽きもせずに、ずっと話に耳を傾けていた。
アリシアは、その年頃の自分を思い出した。ずっと昔、まだ唯斗と出会う前、まったくなにも知らなかった頃の自分だ。




