一九六八年一月三十一日0100
女、『十五号』はおどけた素振りで壕の上から手を差し伸べる。握手と思ったカメラマンが恐る恐る右手を差し出すと、十五号は驚くほどの力でカメラマンの手を引き、六十キロの体重を軽々と壕の縁まで引き上げた。
突然の動きに身を引いて抵抗したカメラマンだったが、それも無駄。彼はあっという間に小柄な十五号と対面していた。これ以上はない緊張の只中だった、が、カメラマンは向かい合う女の美しさに一瞬、今を忘れた。
「私の顔がそんなにおもしろいのか?」
慌てて視線を逸らすカメラマンに十五号は吹き出し、
「お前たちは私の見た目に相当油断するらしいな、人間」
十五号は笑いながら、
「ハノイでは私を『囲う』という同志もいたからな。見た目と内実が一致しなくとも、お前たちの本能は見た目を取るらしい」
十五号の気軽さにカメラマンは落ち着きを多少取り戻す。それを知ったのか十五号は、
「まあ、そこに座れ」
おとなしくカメラマンが従うと、
「お前、なんでこんなところへ来た?」
カメラマンは唾をごくりと飲むと、
「写真を撮りに」
十五号は笑って、
「それはそうだろ、カメラを持ってるからな」
すっとカメラマンの胸を指さす。
「野心か?正義感か?それとも?」
カメラマンは俯いて、
「野心です。有名になりたいと」
十五号はうんうんと頷き、
「そうだな。好き好んでこんな場所へ来るんだからな」
十五号はそうかそうかと言いながらカメラマンの向かい側、一メートルほど離れた場所にあった切り株に腰を下ろす。そして首を巡らし、
「こいつらは好き好んで来たんじゃないだろうな」
そう言いながら十五号は右手を上向けてすいっと横へ走らせた。無残な骸と化した「イェーガー」たちを醒めた様子で眺めると、
「望んでもいないのに選ばれて戦場で果てる者もいれば、生きているという貴重な存在に気付かない愚かな者が死を弄んだりもする。お前のように、選ばれも呼ばれもしない戦場にのこのこやって来て、な。名誉だか何だか知らないが、生きていることに比べれば圧倒的に下らないもののために命を賭す。ところが、だ。いざ死を間近に感じればこうして命乞いだ。普段信じてもいない神だか仏だかに己の存在存命を祈願する」
そこで十五号は言葉を切ると、すっと右手を夜空に差し伸べ、星のひとつでも摘むような仕草をみせた。夜目に藍々と映る横顔が息を呑むほど美しい。息詰まるような緊張の中、カメラマンは一瞬、恐怖を忘れて魅入った。もしも手元に愛機があればシャッターを切って一枚物にしたはずだった。十五号は手を降ろし左手で右手を包むと、カメラマンのほうに視線を流す。
「全くお笑い種だ、本当に面白いな。生に固着するかと思えば死に惹かれる。一体なんなんだろうね、お前さんたち人間は」
十五号が口を閉じると、しんと静まったジャングルの不気味さが際立ち始めた。カメラマンが思わず身震いすると十五号は、
「感じているな?この圧倒的な孤独。この絶対的な静寂」
十五号の仰向けた顔。夜目に蒼白く浮かぶ首筋から顎のラインが艶かしい。目を閉じた彼女は満足げに吐息を吐く。
「孤独と静寂は私のツレだ。うん、今夜は気分がいい。日本人にも会えたしな」
十五号は立ち上がると、
「さあ、行くんだ」
「どこへ?」
カメラマンは思わず反射的に問うと口籠もる。十五号はニヤリ笑うと、
「どこへなりとも。と言いたいところだが、お前には無理だな、こんな夜更けにここから脱出するのは」
十五号はそう言うなり、ずいっとカメラマンに近付く。びくりとしたカメラマンが思わず立ち上がると、
「喰ったりしないよ。お前に夢を見せるだけだ」
そして右手の人差し指でつん、とカメラマンの額を突いた。