一九六八年一月三十一日0020
「Oh, that's a proper thing.」
女は再び忍び笑いを漏らした。
「Do you fear me?」
「……Who are you?」
「Are you the press person of "the south"? Is it I?…… Uh, you think man of "the north", and it's without mistakes.」
「Northern People……」
女の言葉を繰り返す彼にクククッ、と押し殺した笑い声が掛けられる。静寂に包まれた戦場に立つ『北』の女は腕を組んだ。
「ああ、懐かしい。お前、日本人だな」
「い、Yes」
「では、日本語に代えよう。私の日本語は大丈夫か?何せ少佐が死んでしまってから先、使っていないから」
カメラマンの背筋に押さえ切れぬ震えが昇って行く。
「まあまあ落ち着け。ひとつ深呼吸でもしたらどうだ?そう、そうだ」
女は片膝を突いたまま、空を見上げる。カメラマンは素直に生温く死臭のする空気を吸い込んでは吐き出すことを三度繰り返す。
「どうだ、少しは楽になったか?」
一分ほどの後、女の問い掛けに彼は力なく頷く。
「お前はどの位ここにいる?」
女は打ち解けた気配を見せる。恐る恐る見上げるカメラマンは被りを振った。
「つい最近……半年くらい」
「そうか。私は、そんな最近じゃない。ずっと昔から、ここがまだフランス人に支配されていた頃からだ」
暫く無言の時間が過ぎる。塹壕の縁で蹲るカメラマンは乱れる息を整えるのに必死だった。
「さて……どうしよう」
突然、女の声が冷めた物言いをする。
「お前は見てしまった」
再び息が漏れたカメラマンは必死だった。
「な、何も見ていない」
「そうかな?そこにある骸たち、そいつは夢でないだろう?」
辺りの空気とは間逆の、底冷えするような女の声。
「頼む……助けて」
辛うじて声を搾り出す彼。すると。
「こういう場合、さっさとケリを付けたほうがいいが……」
そう言うや『北の』女は不意に身体を震わせ、両手で自分を抱き締めるような仕草をした。カメラマンは息を呑んだ格好のまま、その姿を見つめるしかない。やがて女はクククッと声を漏らす。笑っていたのだった。
女はひとしきり笑うと、手を横に振りながら弁解するかのように、
「済まない。意味はないんだ。悪戯だ。まあ、それにしても、だ……」
女は小首を傾げると、辺りに漂う血や排泄物の不快な臭いと混じり合ったジャングル特有の腐敗臭を嗅ぐように鼻をうごめかす。
「本当にお前たち人間と言うのは面白いな。北は南の連中のことを排除すべき最大の敵、と言う。南は南で、北が革命を発展させ世界へ波及するのを阻むためにはどんな汚いことも辞さない、とかね」
闇の中、夜目で僅かに認識出来る女の横顔に再び笑みが浮かぶ。
「そいつは人間が言うところのプロパガンダ、というやつだな。思想に関係なく、敵対国同士は当然そういうことになるのが人間だがね……崇高な国家戦略の前では個人の意思など障害にしかならない。現在の『主人』の口癖だ。どう思う?」
女が再び笑う。
「まあ、南も似たようなものだ。重ね合わせてみれば大した違いなどはない。北と南、立っている位置が違うだけだ」
そこで女はやれやれというように両手を上向け首を振る。
「なあ、一方的に私がお喋りしている。言葉を失ったのか?お前は」
カメラマンはごくりと唾を飲み込むと、
「お……あなたは何者だ?」
「お前で構わないさ。そう、私は『ヒトゴゴウ』だ」
「ヒトゴゴウ?」
「かつてそう呼ばれていた。お前の母国でな。今はナンバー・フィフティーンさ」
「十五号……」
「そうだ。理由は分からないがそう呼ばれていたので、今もそのままだ」