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一九六八年一月三十日1800

 陽が傾き、乾いた風が東の海側から吹き始め、男たちの汗に塗れた顔を撫でた。

 打ち捨てられた集落の前面に築かれた簡易な陣地はほぼ完成し、時間の許す限り補強と延伸が続く。壕と壕を繋ぐ連絡壕の掘削をする数名を除き、皆、思い思いに待機となっていた。

 「イェーガー」の隊員たちは一見のんびりしている様子だった。しかし、豪胆にもぐっすり寝込んでいる様に見える者を含め、全員が数秒後に敵に襲い掛かかられても対処可能だった。

 開けた北側から山側と呼ばれる西側に掛けて、断続的に掘られた壕の中で、大いびきを掻きながら寝ている一人の兵士も、よくよく見れば擲弾発射器付きの自動小銃に右手が触れ、左手がジャングルブーツに仕込んだサバイバルナイフから数センチのところにある。これは偶然などではなく、ベテラン兵士が自然と身に付けた生き残りの技術だった。


 カメラマンは、ほとんど駆け足の行軍で疲れ切った身体を強いて塹壕掘りを手伝った。

(何も考えない。何も探らない。自分も見つめない。リセットする。無になる)

 塹壕を掘る間、心で唱え続け、目の前の湿った赤土をシャベルで掬って外へ投げ出すことだけを考えていた。最初は、

「邪魔だ、無理するなジャップ」

 などと迷惑がっていた兵士たちも、少尉がやって来て「好きにさせてやれ」と声を掛けると、彼が無心で掘り続けられるよう別の場所に離れて行った。

 いい加減疲れ果て、土くれを投げ出す腕が上がらなくなって来た時、豪快な先任軍曹が脇に来て、黙って彼が掘り出す土を代わって外に盛り上げてくれた。その後ろには、カメラマンが雑に掘った壁を手際よく整形する二人の兵士がいた。そんな周りにも気付かない様子でカメラマンは無心でシャベルを振った。全身の筋肉が悲鳴を上げ、遂に座り込んだ彼に衛生兵が近寄り、両腕を捲くると湿布を貼ってくれ、筋肉のコリを解すタブレット錠を手に乗せてくれた。プロである彼らは、戦闘には素人のカメラマンが、泣き言を言わずに何かに打ち込むことで恐怖を克服しようと努力する姿に共感していたのだ。


 カメラマンは空を見上げながら思考が流れるまま、様々な事を考えていた。あの砲撃の直前の凍り付くような恐怖。結果救われたが、もし先任軍曹が直ぐに離れることを進言せず、少尉がそのまま隊を進めていたら……思わず込み上げた胆汁をごくりと飲み下す。自分の弱さを思い知らされた彼は、のんびりと寛ぐように見える「イェーガー」の面々と自分との対比に苦悩した。


 辺りはいつの間にか濃いオレンジ色に染まり、巨大な夕陽が南国特有の鮮やかな原色を見せて山側のジャングルへ沈んで行く。

 カメラマンは苦悩を振り払うように愛機のニコンを構え、夕陽を背景に佇んでいる兵士の姿を三枚連写した。現像出来たのなら、きっと満足する出来栄えだろう。

 彼らの憂いに満ちたあの表情はいいな、とカメラマンは思った。いつもなら仏頂面で、カメラを向けると必ず顔を背ける彼ら。隠し撮りを狙っても勘の鋭い彼らは察知してシャッターを切る寸前に動いてしまう。

 ところが、今日は横顔を曝している者が多い。戦場の夕陽にシルエットで映える憂い顔の若い兵士たち。惜しいな、運が良ければこいつはハーグの報道写真展入賞ものなのに、と彼は思う。但し、こういう写真に必ずと言ってよいほど難癖を付ける米軍の検閲が持ち出し許可を与えるかどうかは現像してみなければ分からない。


 米軍は通常かなりオープンに取材を許し、戦場カメラマンたちは従軍する部隊の邪魔にならない限り自由に撮影出来る。しかし、この隊の内情は機密事項であり、グリーンベレーほどではないが報道に制限が掛かっている。そんな部隊の兵士が写った写真は即検閲の対象となるからだ。

 しかし彼らの様子から察するに、今夜はその実力を十分以上に発揮しなくては生き残れない。戦場を撮り始めて三ヶ月、危険や悲惨な情景にも慣れ始めたカメラマンにとっては最大の危機と言えた。しかしカメラを構え無心に撮影したことで、彼は自身信じられぬほど落ち着いていた。辺りを一通り撮り収めた彼は、名残惜しそうに愛機のカメラをジェラルミンのハードケースにしまうと、彼なりに待機の態勢に入った。


 分隊支援火器である重機関銃のほど近く、カメラマンは塹壕に寄り掛かりながら腰を下す。迷彩服のポケットから丸められた文庫本を取出し読み始めた。

 南国の夕方は長い。カメラマンは、夭折した大正期の詩人が残した詩集を一時間ほど読み進める事が出来た。


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