二〇〇一年八月・栃木県某所(再)
機長の予告通りみっちりと取り調べられたがな、なんとかしらを切り通したよ。釈放まで1週間、おまけにプレスパスも取り上げられて日本に強制送還さ。
あのチーム「イェーガー」のかわいそうな連中は数日後に収容されたが、残忍な有様に箝口令が敷かれたらしい。
救難ヘリの機長が言っていたとおり、他にもあんなことがあったらしくてな。米軍としては自分たちのグリーンベレーより数倍強烈な特殊部隊を北が持っていることを秘密にしたかったんだろう。スペツナズが密かに行っているんじゃないか、とか結論したんじゃないだろうか。
帰国してからあの十五号のことを調べた。十年以上、暇を見つけては色々とね。
勿論、素性がばれないよう、気を付けてな。難しかったよ。結局分かったのは陸軍に関係していたらしいこと、それを知っている人間はごく限られていて、記録が一切残っていないことだな。
ん?その後の十五号?
分からんね。ただ、日本に帰って一年後くらいかな、送り主不明の絵葉書が来てね。ちょっと待ってなさい、いま探すから。
そうそう、これだ。サイゴンの消印がある。絵葉書自体は何とも陳腐な南国風景だが、問題はその下、文章だ。
そう、そういうこと。「お前はエアプレーンに殺される」、そう読めるだろ?
送り主の予想?さあな。どうして日本の住所を知ったのか、ひょっとして米国のどこかの組織か、そんなことも考えたが、ひょっとしてあの悪魔の悪戯かな、とも思ったもんだ。
まあ、あの十五号だとしても、見てみなさい、私はその後二百回は飛行機に乗っておる。
最初は用心して旅客機には乗らなかったよ。しかし、カメラマンという商売は飛び歩くのが仕事だからね。私は覚悟を決めて飛行機に乗った。最初に着陸した時の喜びと言ったらなかったよ。一人で歓声を上げた私を見て乗客たちは肩をすくめたものさ。今となっては何と言うこともなくなった。
私は来月アメリカに行くよ。年内はアメリカだ。
ああ、プライベートと仕事が一緒になったようなものさ。九月十一日に通信社の同窓会みたいなものがニューヨークである。
暫く振りにアメリカの街中も撮って見たくなってね。ロスやニューヨーク、人々の暮らし。
あのジャングルとニューヨークの街中ほどかけ離れた所はないが、私はあの街に行くと何故かベトナムを思い出す。勿論言葉もあるが、何と言うのかな、戦場と同じまやかしの賑やかさがあるんだ。そして、真実と嘘と血と汗と糞尿の入り交じった臭いがする。そして……毎日人が理不尽な死に方をする。
そうだ。十五号と出会った後、私は戦場を怖いと思わなくなった。あれほどの恐怖を感じて、あんな魔術のような世界を見てしまったせいなのか……
ああそうか。私は大切な何かを置いて来てしまったのかもな。あの血塗れの大地にね。
姉妹編「悪魔・十五号 」(N4443P)もどうぞ。