エピローグ 「少女は病室の前に立つ」その3
怒号が飛ぶ――錯覚を覚えた。
いやいやさすがのこの男でも、こんなところで騒ぐはずはない。常識で大貴はそう考えるが――しかしそれでも、なんか不安だ。
大貴は巧の言葉に固唾を呑む。なにを言われるんだ俺を
「とぼけんなよ馬鹿野郎。絢音だよ。……あれから会っていないじゃないか? つかナニ? 告白したってマジ? マジポン?」
「…………」
混乱している。あの水前寺巧が。
大貴が知る中でも特上の異常さだ。
告白。その二文字がかくもヒトをぶち殺せるとは。言葉って怖い。
「そ、そもそもだよー。まだ目が覚めてから時間が経ってないじゃないか? 会えるタイミングなんてあったか?」
「それだ」
「え?」
「おまえ、もしかしてこのまま会わないつもりじゃないか?」
唐突に巧が糾弾した。
弾丸が大貴の胸元を貫く。真に迫る巧の視線。
はぐらかすこともできず、大貴は少し顔を背け、逆に質問を返してしまう。
「……なんでそう思うんだ?」
「俺もあいつの兄貴やって長いからな。お前と絢音、二人が考えそうなことはだいたいわかる。
絢音が【妖精】を受け入れたのはお前を助けるためだ。そのコンプレックスに板挟みになったお前を不憫に思ってな。……当然、そこに絢音の幸せはない。絢音自身のための幸せはな」
「……本当にそうだとしたら、俺がいない方が、あいつは幸せになれる」
――いくら一緒にいるのが好きだと言っていても。
そのために全てを犠牲にしてしまえるほどではないはずだ。絢音にそれを迫れるほど、大貴は独りよがりにはなれなかった。
「そう考えて自分の望みを殺すのがお前ら似た者同士のバカ共だ。バカップルといってもいいな……お、意味が違うか? それともダブルミーニングかな?」
「そうだなぁ……」
「ぬ?」
今度は巧が顔を歪めた。大貴の台詞が肯定ともスルーのついでに出た思案の言葉なのか、巧が取りかねている。
巧の答えが出るより早く、大貴は口を開いた。
「今回のは……なんていうのかな。踏ん切りがつかないっていうか……違うな。なんとなし、重要だけれど、決定的なきっかけじゃないと思うんだ」
「ほう」
「1番は……決着、かな。俺の今までとの。
……正直、今回のことで身に染みたよ。この事件は、決して彼女のエゴだけじゃなかった。彼女の願いに俺は共感できたし、だからこそニルも、あいつも俺を救おうなんて思ったんだ。俺を焚きつけて、持ち上げて、煽って。
俺も、きっと彼女も、そんなのはいらないんだ。少なくとも、俺が欲しかったものはそんなものじゃなかった。俺は……」
「なら、その決着になぜ絢音を巻き込もうとする? お前の決着だ。お前が一人で自分の内側で区切りとつけて、今まで通りにしていくことだってできるはずだろ?
少なくとも絢音はお前を可哀想とは思っていても、お前のいる今の生活は嫌っていない。絢音が続けたがっている日常をぶち壊す気か?」
「それでも…………確かめたかった、のかな。自分の気持ちを」
罪を告白するように重々しく、大貴は独白した。
「ずっと怖かったんだ。絢音を傷つけて、その後ろめたさで気になってたんじゃないのか? 楽しかったのは、その後ろめたさが紛れているだけじゃないのか?
もし、この気持ちに区切りを入れたら、もう絢音のことを考えなくなるんじゃないか――なんて。
……本当にそうなのか、違うのか、ちゃんと自分で知りたかった。誇りたかったんだ。
俺の人生は誰かに振り回されたものじゃなく、ただの履歴でもなく、俺が俺の気持ちに素直になってできた結果の積み重ねだったんだって。
――彼女がそう言ったように、俺ははじめから、ちゃんと人間だったんだぞって」
「エゴだな、それ」
「そうなる。……ごめん」
「俺に謝る話でもないだろう。筋が通って……いや、いるのか。いるな。なにせかわいいかわいいぐうかわの妹をノリで下僕になる様な尻軽野郎の食い物にされていたわけだからな」
にやり。巧の顔が歪んでいる。
こうして『ぐうかわの妹』をダシに大貴をいじり倒して遊ぼうとしているあたり、ひょっとすると、巧は大貴の『決着』がどういう結末を辿るのかを察したのかもしれない。
そして、大貴もまた。
「さて、どうしようか。どうしてくれようか。なにをしてもらおうか……?」
意地悪く笑う巧。その前で大貴は少し肩をすくめて、しかし少しだけ満更でもない気分になっている。
病室のベッドに身を沈め、大貴は目を閉じた。
時間は過ぎていく。肌を突き刺す寒さは遠く、このただ心地よい暖かさも次第に遠ざかっていく。
太陽の熱波がもうすぐやってくる。その前に来る曇天の梅雨さえ越せば、輝きの夏はすぐそこなのだ。
その雨は、たしかにこの身で受けねばならないだろう。
陰湿なコンプレックスのその先。この手を伸ばして、本当に大切なものを抱きしめるために。




