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電脳コンプレックス  作者: みそおでん
第1章 「藤林大貴」
8/82

Part1 「藤林大貴のありふれた休日」その8

 かくして。


 部活の後にゲームショップへ向かうことになった。なぜだか。


 終始大貴は目をぱちくりとさせ、半ば海原に引っ張られるようにして自動ドアをくぐる。


 来店一番に目に入ったのは、長い牙をよだれで汚した猛獣だ。重く鋭い咆哮。大貴は思わずびくりとした。今にも薄い液晶画面を突き抜ける気迫がビリビリと伝わる。


「うぉっはーぁ。最近のゲームはすっげーな。CDROM時代のカクカクなポリゴンの面影ねーのな」


「ピンキリよこんなの。未だにドット絵だって人気も根強いし。拡張性が売りのネトゲならグラフィックグレードを落とすパッチだって結構出回わってたはずよ。

 特にパソゲのアクションはPCのスペックで大きく操作性が左右されるから、処理レベルを落とすのに重宝されてるの」


「はーん。三好ちゃん詳しーい。もしやゲーマーの方?」


「うるさい。そういう話を聞いただけだっつーの」


「ムキになるところもまたかわいい」


「ちっ」


 てんやわんやと道中から変わらぬ調子で掛け合いを続けるふたりの先輩にげんなりとする大貴だった。


 たとえるなら「イガグリのようにツンツンとした三好」と「それで嬉々としてお手玉をする野ザル、もとい海原」の図式。昔話でありそうなこの一幕は、部活では日常的(「海原が珍しく部活に出た日」の意)にみられる光景だった。


 入部間もない大貴も見慣れた絵ではあったのだが、今回に限り、大貴は二人の喧騒に挟まれ続けていた。


 いくら頑張っても振り切りも先に進ませたりもできなかったところを見るに、双方とも大貴を逃がすまいと両脇を固めていたらしかった。特別そうした意思疎通の言葉が交わされた場面はなかったはずなのだが。


 ふたりの剣幕に生気でも吸われたのか、肩がどっと重くなっているのを感じた。しかしそれにもめげず、店内をぐるりと見回した。


 端際にネットゲームのブースを見つけた。大貴は進む。海原と三好の間をするりと抜けることに成功した。どうやら口喧嘩の熱が強まりすぎたらしく、大貴に気が回っていない。


 もしかしたら、往路の途中にもこのタイミングを見計らえれば逃げられたかもしれないが――この口汚い喧嘩に本意気で聞き耳を立てるなど、店に着く前に神経がすり減ってしまいそうだ。大貴には、とてもできない。


 ――そもそも。


 気分屋で快楽主義的な海原は、日によって性格のムラが強い。自己顕示欲も強めな方で、アプローチも大概面倒くさいものである。普通に日常会話をするだけでもそれなりに手を焼く相手なのだ。


 提案に乗ればその日の粘着が止まるまで延々面倒だが、断れば日を跨いで根に持たれるのは目に見えていた。今日のこのことを承諾したのも、ひとえにそれが嫌だったからだ。


 対して、三好は真面目である。すべてキッチリ100%に事を運ぼうとする。言ってしまえば委員長タイプだ。


 そんな人とチャラい海原が接触すれば衝突するに決まっている。そんなことは大貴にも容易に想像できる。


 にもかかわらず、今日この場にわざわざ道中ずっと口うるさく喧嘩しながらもくっついてきた三好の思考回路は、まったく理解できなかった。


 大貴はたどり着いたネットゲームコーナーをひょいと覗き込んだ。


 ――存外、売り場面積が小さいことがわかった。壁際の通りひとつを挟む商品棚だけでブースが終わっているのだ。奥に見える一昔前のゲーム機をプラットフォームに置いた中古ブースより狭い印象すら受ける。現行で開発・展開しているジャンルのはずだが。


「む。まぁ、それは仕方ないですね」


 急に脇から声がした。


 大きく飛び跳ねた大貴を「お店ですからお静かに」といたずらっぽく人差し指を唇に当てる。


 頭の横で纏めた髪が揺れ、赤縁メガネのレンズは液晶の光できらりと光った。大貴の胸まで届くかどうかという低い身長と『表面上』丁寧な言葉遣いながら、決して小動物然としないのが彼女だった。


「……宮永さん、いたんだ。もしかして、部活解散してからずっと?」


「気づいてなかったんですか。まぁ距離取って歩いてましたし。まぁもっとも、あのクソやかましい珍獣2匹に挟まれていれば、背後に御柱祭のご神木でも通り過ぎなければ気付きゃしないでしょう」


 なかなか素面では言えないような暴言を吐いて、依然宮永はけろりとしていた。


 海原や三好を相手取るときは「相手が爆発しないよう」極めて気を使って話すのが常だが、宮永との会話はまた勝手が違った。


 丁寧なしゃべり方の中にかなり乱暴な言葉を挟んでくる彼女と話す際は「相手の言葉で心を折らないよう」気を強く持って接しなければならない。


 彼女曰く「あのクソやかましい珍獣2匹」とはまた毛色が違うのは確かだが、彼女との会話も大概気を張って接しなければぽっきり折れてしまいそうだった。


「それなのによく来たな。嫌じゃないのか?」


 ――だって仮に顔を会え汗て話しかけられたら面倒だろ?


 そう言いたい腹の奥は、一応言語化しない。明確な言葉にすると、心が固まってしまいそうだ。


 「この方向」で固まった心で、もう一度珍獣2匹に立ち向かえる自信がない。


「あなたと同じ私的な用事です――」


 宮永から非難に満ちた目を向けられた。昼間の一件もきっちり記憶にしまってあるらしい。


 強く持っていたはずの心が、ぐらりと揺れた。


「――それに、別にあの人たちは嫌じゃないですよ。傍から見る分には。それに劇なんて感性で作るものですから。ぶつかり合うのは大事なことです。

 ……まぁ、そのまま対消滅しろと思うことはよくありますが」


 ため息一つ置いて、宮永はブースの中に入っていく。大貴は彼女の一歩後ろを歩いた。


 ――とても同級生とは思えない言動だった。部に入ってからの時間は1月足らずと同じはずだが、それで彼らの人格を断じてしまう宮永が大貴は不思議だった。


 あるいは、それが【普通の感性】なのかもしれないが。


 手を伸ばして商品棚のパッケージを一つ掴んで裏の説明を眺める宮永に、大貴は意を決した。珍獣2匹を相手取って品定めをするよりは、いくらかマシな相手である。


「宮永さんはこういうの詳しい?」


「ネットの情報を足で稼ごうっていうのがまず間違いと言わざるを得ません」


「そうなのか?」


「ただし、それもネットの情報嵐を泳ぎ回れる最低限の知識がある場合に限りますので、藤林さんのポンコツ知識を念頭に置くとソースが確かで公式な物理媒体はベストですね」


 辛辣な言葉の大雨に降られて肩を落とす大貴をよそに、宮永は手近のガラス張りの商品棚を覗き込んだ。奥に見えるのは専用コントローラーだわ初回限定品と書かれたゴテゴテとした箱だわ増設メモリだわゲーム屋なのに美少女フィギュアだわ、比較的高価そうな代物だ。


「……【ガーデン・レイダース・ネットワーク】……でした? それのなにを探しに? いきなりパッケージを?」


「それは……」


 逃がした視線の先の商品棚にはゲームソフトがいくつも陳列されている。可愛らしい絵柄あり、リアルなCGあり、無駄にはだけた胸元あり。


 それらの『パッケージ』には値札シールが貼られている。価格は――部屋の貯金箱を崩せば、買えないこともないが。


「……なるほど。オーケーです、安定のポンコツ知識ですね。パッケージとは市販されている正規製品版のことです。最近は無料体験版も配信していますから、まずはそちらで試してみてはいかがですか?」


 いやそれは知ってる――なんて返したら怒られるのかなぁ、などとぼんやりと考えて、大貴は閉口した。


「ところで、いったいどういう雑誌を買ったんですか? まぁそんな半端以下のさっぱり理解でいられるような低俗な書籍なんでしょうけど」


 ――でも気になるから見せてください。


 そんな副音声を脳裏に過ぎらせる、探るような上目遣いで宮永は辛辣な台詞を言った。


 この場合、おそらくこちらかがお伺いを立てたらイカンのだろう――。一応察して、大貴は右手を通学鞄に突っ込んだ。


 促されれば応じるところが、彼の「自分らしさ」なのかもしれない。たとえ相手がいくら辛辣でも。なにせ入学早々に出会った海原の(あまり誠実とはいえない粘着質な)頼み込みに折れて演劇部見習いになるような男である。


 大貴の出した雑誌をすぱんと引ったくり、宮永はまずまじまじと表紙を眺めた。


「……【冬期覇権タイトル徹底解剖! 今こそこのストームにライドするチャンスだぜ】【実録・男の待ち時間】【新連載「男子高校生、ゲーセンに立つ」】【巻末袋とじ企画第三弾「棚宮咲妃制服グラビア・初デートはわたしのおうち」】……」


 巻頭の【VRゲーム特集第二一弾「ガーデン・レイダース・ネットワーク」】という一番大きな煽りを敢えて無視し、宮永は表紙の端を音読した。


 やがて、じろり、とまた大貴を睨む。あなた最低です。そう吐き捨てる目だ。完全に汚物を見る目である。


 どうやら健全なゲーム雑誌とは言い難いものだったらしい。ゲームを題材にしている漫画連載や謎の企画だけならまだしも、きわどいグラビアまで掲載していそうなのは宮永にとって相当マイナスだったようだ。


 とはいえそれでもコンビニで「本日発売」と宣伝し並んでいたあたり、それなりに売れているのだろうけれども。


 雑誌を大貴に投げるように突き返し、宮永は商品棚に向き直した。数秒の沈黙の後。


「はい」


 新しくなにかを差し出した。見慣れた学校のA4ノートよりかはいくらか厚い冊子である。表紙にはでかでかと「サイバーブルース入門ガイド」と書かれている。


「……これは?」


「本です」


「いやそれはわかる。何故これを薦めてくれるんだ?」


「まず読むならまっとうな入門書がベストです。ざっと見た限り、それが一番マシそうですから。厚さと価格的に」


 大貴は冊子の表紙と商品棚を交互に見比べ頭を回し――すぐに折れた。本の良し悪しが表面だけでわかるほど、大貴はその造形に詳しくない。大人しくレジに直行することにした。


 紙幣がお釣りの硬貨に変わり、総額に対して財布の重量は重くなった。明日からは家で弁当でも用意していかないとな、と大貴は購入したガイド本を通学鞄に仕舞い。


「……宮永さんはなに買うの?」


「ポンコツさんは自分のことだけ気にしていてください」


 こっそりレジに入った宮永を目ざとく捉えたものの、見事に拒絶された。苦笑しつつ大貴は宮永を置いて店を出――。


「だから! その喩えはおかしいでしょ!? なんで私がモンクなのよ!」


「なんつーか……イメージ? ビシッとしてて、どっかこう……泥臭い?」


「どこが!? どこが泥臭いのよ! スマートじゃない! 私!」


「あー、たぶんそんな風にムキになっちゃうトコ?」


「うあーっ! なによもう遊び人のくせに! パーティの軍資金食いつぶすのはそんなに楽しい!? ねーっ!?」


「んあ、そんな職もあんの? 玄人雀士とかもいたりすんの? あるならそっちがいいな俺。渋いしかっけー」


「遊び人よ! 遊び人遊び人遊び人! リアルじゃ悟り開いたって転職できてフリーターよ! どーせ行き着く先はニートか穀潰しに決まってるけどね! やーいやーい!」


 ――まだやっていた。珍妙な言い争いを。まぁ、ここに来る前から延々続いていたのだから、店の滞在時間程度で終わるとも思えないが。


 その上、端から聞いている分にはその珍妙さは段違いに上がっている。論争としてのレベルと見事に反比例して。


 苦笑する海原がちらりと大貴に目を向けた。訴えるような目だ。僅かながらに哀愁のようなものも感じる。


 助けて欲しいけれど人類じゃ一飲みされて終わりだぜまいったなこりゃ――とでも言いたげな。


「……藤林君」


 海原の視線の移りでか、三好が大貴に気が付いた。


 向けられた半眼の圧力に押され、大貴を思わず一歩退いた。


「ねぇ、私、そんなに泥臭いかなぁ? そりゃあ、ちょっとキレイじゃないかもしれないけれど――」


 三好が一歩、大股で詰め寄った。


 艶やかな肌が蛍光灯の白色光に濡れ、長い指の先が大貴の顎下を引っ掻いた。


 肩口が大貴の胸板に触れ、硬直した表情を上目遣いに盗み見る。


 とてもそんな――男女のカップルを指して使われる、いわゆる】いい雰囲気】のような――シチュエーションとは言いがたい中、大貴はどきりと生唾を呑み込んだ。


 まさか、あんな子供じみた口喧嘩をしていた人が。その直後に。


 ――突き付けられた「大人」の香り。


 その落差に大貴の理解が一瞬遅れる。


「ふふっ、クラクラしてるの? 心臓……ふるえてるよ」


 顎から首筋をゆっくりなぞり、三好はじわりじわりと大貴の体に馴染ませる。


 問いかける三好の瞳。魔力のある黒。


 三好の表現力が成せる技か、はたまた三好の素の魅力なのか――。


 深く思考に沈むより早く大貴はさっと視線を外した。意識して無意識を努め、海原に助けを求めて目ですがりついた。


 それを察して――察しているはずだ。


 海原はニヤニヤと口端を吊り上げ――まるで困っているのを楽しむように。


 ポケットに手を突っ込んで――そこからお助けアイテムとか出てこないのか。というか出せ。いますぐに。


 ふいに右目をふっと細めた。


「……なにやってるんです、センパイ」


 ぶっきらぼうな言葉が三好の後頭部を無遠慮に叩いた。


「なによ、私はただ、ちょっと本気ってのを見せつけてやろうと――」


「本気の投げ売りはまぁ、どうとして。オープンスペースですから。これ以上逢引や珍妙な痴態を重ねるようでしたら、呼びますよ。警察」


 口を尖らせた三好の言葉をぴしゃりとはねのけ、宮永はひとり店から出ていく。部活の先輩であろうと大貴に向けたものと変わらないトゲトゲしさだ。


 三好はふらふらと大貴から離れていく。見るからに血の気が引いた表情。今にもへたりこんでしまいそうだ。真面目な性根故だろう。いろいろショックだったらしい。


 ちらりと海原の顔を盗み見た。もう薄笑いは消えている。


 大貴の視線に気づき、肩をすくめて「はこぼーぜ」と指でジェスチャーした。放っておいたら出入り口の真ん前でうずくまってしまいそうな三好を見直して、大貴は黙って海原に従うことにする。


 三好の脇をふたりで固め、宮永を追って店を出た。


 外は日が大きく傾いており、東の空には一番星が輝いて――。


「……んおっ!? 結構デケーぞ!?」


 ――今、大きな雨雲に呑み込まれていた。海原のリアクションもそれに対するものであると自己完結させる。


 天気予報じゃ今日晴れだったろうがクソ、と海原は悪態をつき、大貴は肩の鞄を担ぎ直した。


「傘、持ってます?」


「んや。まだ降ってねーし、なんとかなるっしょ。まぁ……」


 こいつ送ってかなきゃなんねーなら、濡れちまうかもな。とでも言いたげな表情で海原は三好に視線を落とした。


 弱く震えている三好の肩。唇。指先――曲がって。


「……どこ触ってんのよ!」


 パンチ1発。


 海原のへそを捉えた見事なボディブローだ。それは至近距離のストロークながらも十二分の威力を誇ったようで、海原は顔を真っ赤にゆがめた。引きつった表情で口をぱくぱくとさせ、2歩3歩とよろよろ後退し――撃沈。


「か、海原先輩……」


「藤林君」


 駆け寄りかけた大貴の肩を言葉で叩く。ぎくしゃくとした動きで振り返る大貴に向け、突き立てた人差し指の先を無造作に後ろへ回した。


 「邪魔だ。どけ。トドメを指すチャンスだ。奴との因縁に白黒つけてやる」のジェスチャー――ではないのだろう。


 願望を含めてそう判断し、大貴は「お疲れ様でした」とややうわずった声で一礼する。


「明日もあるから。ちゃんと来るのよ」


 優しい声色で三好は返した。手を振る物腰は柔らかで、先ほどまでの醜態を取り繕えるだけの見事な名演だ。ただ一点、アスファルトに倒れる海原に送る血走った視線さえ無ければ、だが。


 これなら大丈夫だ。たぶん。おそらく。きっと。


 そう結論付けて、大貴は指示に従うことにした。示された方向へ律儀に向かい。


「……ほっとくんですか」


 じっとりとした目で睨む宮永に迎えられた。おそらく行きと同じ間隔で、つかず離れず様子を見ていたようだ。知り合いだと思われたくなかったのだろう。


「糞真面目なのが取り柄かと思ったら。部活動に遅刻するわチャラけた先輩を泳がせるわ私用に付き合わせるわ、今日は半日出勤の割には大した屑人間っぷりですね」


「いや……元々そんなに真面目じゃなかったと思うけど」


「自己分析くらいしてしっかりしてくれませんか。そんなだから海原先輩にもナメられているんです」


「それ、関係あるのか?」


「大いにありますね。自己の基礎が甘い人間は脆いんです。脆弱なものが崩しやすいのはどの土俵でも同じです」


「なるほど」


 いやにはっきりと断ずる宮永の言葉に頷きを返すものの、腹の奥ではかなり驚いていた。


 はたして、この子のこの自信はどこから来るのだろう?


 まさか、その理論はどこかで立証しているのか?


 だとしたら、どうやって――?


 淡い疑問もそこそこに呑み込み、大貴はふらりと宮永の脇を抜けていく。宮永はその後ろにぴったり張り付くように足を進めた。


「でも、やっぱり俺は真面目じゃないよ」


「強情ですね」


「いや……本当にそうなんだよ。親の言うことは聞かないし、みんなに迷惑はかけてるし、勉強はそんなできないし……自分勝手だ」


「屑人間ですか」


「…………そうかも。そうなのかな。キッパリ言われると結構ツラいな」


 大貴は苦く顔をしかめる。その横顔を盗み見てか、宮永はひとつ嘆息した。


「まったく、あなたは……相手にしててイライラしますね。話していたら屑がうつる気がします。さようなら」


 吐き捨てて、宮永は急に角を曲がった。驚く大貴を「家、この先ですから」と突っぱね、せかせかと早足に去っていく。


「……ハッキリ言うなぁ……」


 ひとり立ち止まり、大貴は大きく肩を落とした。







 * * * * *







 ――それは、童話を現代風にアレンジした物語だった。


 主人公の少女は海で溺れ、魔法が存在する不思議な世界に迷い込む。少女は元の世界に帰るため、その世界でも強い力を持つ魔女に助けを求めて旅をはじめる。


 魔女に不可能はない。だが矮小なるものに魔女は手を差し伸べない。魔女を目指す道中、少女の身にはいくつもの災難が降りかかる。少女はそれを、知恵と勇気と旅の仲間との絆で切り抜ける。


 そしてようやく魔女のもとにたどり着いた。


 よくやりました。よく頑張りました。おめでとう。あなたの願いはなんですか?


 はい。ありがとうございます。私の願いは父さんと母さんの家に帰ることです。


 これだけの苦難に見舞われながら? あなたはそれだけでよいのですか? あなたは家族と不仲ではありませんでしたか?


 よいのです。私は旅の仲間との強い絆を手に入れました。今度は、家族との絆を確かめるべきだと考えます。


 わかりました。でしたら、あなたの夢に力を貸しましょう――。







 * * * * * 







 街灯の明かりの下、ベンチに腰掛けていた大貴は台本をぱたんと閉じた。


 背もたれに体を預け、書き込み用に持った水性ペンで台本の表紙をトントンと叩く。


(海原先輩はラストシーンから童話のアレンジにするって決めたって言ってたか。初稿でそれを三好部長に看破されて、童話に思い入れのあった三好先輩と大喧嘩……は、いつものこととして)


 今日のイメージからどう演出すれば喜ばれるのかを考えなければならない。せいぜい大貴の仕事は背景のベニヤ板や小道具を作ったりBGMを用意したりすることだが、できることなら役者に気持ちよく演じて欲しいというのは正直な思いだった。


 今日は【裏方現場監督(海原称)】こと板垣とは話はできなかったが、考えるだけ考えておきたかった。


 無論、無駄になる可能性も少なくない。大いにある。


 実現可能でない。尺を使いすぎる。場面に合わない。現場を知らない大貴がいくら考えても【実用性】は結局のところ、まったくわからない――。


 だが、無駄でもじっとしていたくなかった。


 延々と考え、部活や挟まれていた際に小耳にはさんだ先輩達の『この劇への思い入れ』を思い出し、大貴が台本を読んで感じたことを文字化して書き込み――。


 したり。


 広げた台本に雨粒が滲んだ。慌てて大貴は台本を閉じ、広げていた色々を通学鞄に突っ込んだ。ゴチャゴチャになった鞄の中から折りたたみ傘を探り――。


「……まだ降り始めなんですから。落ち着きなさい駄目人間」


 ――宮永が広げたビニール傘をさっと差し出した。


「ありがとう……ってあれ。帰ってなかったのか?」


「塾帰りです。いつまでやってる気ですか」


 くそまじめ、といやいやしく呟いた宮永の差し出した傘を受け取り、大貴は鞄の中から手を離す。通学鞄を肩に掛け直し、渡された傘を片手で広げた。


「折りたたみ、持ってるんですね。無用でしたか?」


「そんなことないよ。こっちの方が広いし。ありがとう」


「折りたたみは普段から? 今日の予報では晴れでしたし」


「いや、出掛けに注意されたんだ。メールだけど【降る気がする】って」


「……女ですね」


「なんでわかるんだ? あいつ、なんか妙にこういうカンが利いてさ――」


「残念ですね。相手はあなたのことをいい友だちとしか思っていないようです」


「だからなんでっ!? いやっ……残念? 残念ってなんだよ!?」


「……フッ」


 鼻で笑い、宮永は上目遣いに大貴を見やった。


 赤いフレームの眼鏡を上げた。不敵な笑いを口元に浮かべ――きっと大貴が一生かけても覆せない台詞を吐いた。


「この伊織ちゃんに不可能はありませんから」


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