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電脳コンプレックス  作者: みそおでん
第1章 「藤林大貴」
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Part1 「藤林大貴のありふれた休日」その7

 高級車での送り出しを提案した田中に一礼して丁重に断りを入れ、大貴は全速力で来た道を戻っていく。


 へろへろになりながらも駅前商店街まで戻っていき、ターミナルで巡回バスに慌ただしく乗り込んだ。


 よく利用する水色のバス。西野山方面に向かうもので、15分も揺られれば十分学校近くのバス停に着くよう運行している。


 普段はそれを30分ほどかけて自転車で向かっている道のりだが、今は自転車を取りに家まで戻っている暇がない。


 適当に奥で窓際の座席に腰掛けて通学鞄の中身を確認しつつ、また携帯電話を手に取った。特にこれといった着信はない。


 唯一目を惹いたのは巧からの「絢音のゲームツアー終了。ごはんちゅう」という短い文面と、添付されていた画像データだ。昼食の席に着いている絢音。昼食はパスタらしい。麺を絡めたフォークを口元に近づけ、視線だけを向けている。


 大貴も簡単に返信を返し、無言で携帯電話を閉じた。そこはかとなく下っ腹が寂しい気分になる。


 バスから降りたらコンビニにでも寄ろうと思いながら、目を窓の外に逃がす。外はいくらか雲の影が見えるものの比較的に晴れやかで、朝の予報はピタリであったことがよくわかる。


 天気予報と一緒に言っていた渋滞情報や株価の数字を思い出すが、大貴に確かめる術はない。あまりにも縁遠い内容だ。


 せめてその前後でやっていたニュースであれば、もう少し感想の言いようもあるのだが。


 とはいえそれでも、例えば「どこかの研究施設が爆発した」と言われても「ははー」としか言えず「どこかの企業の顧客情報が漏れた」と言われても「迷惑メール来るようになるのかな」程度のことしか考えられない。


 これが巧なら、もっと「らしい」考察のひとつでも立てられるのだろうが――。


 ぼんやりと物思いにふけっている間にバスは停止した。窓の向こうに【十奈西高校】の文字が刻まれたバス停が見える。


 運賃を支払い大貴はバスから降り、手近なコンビニに当たりを付ける。走り去るバスに心の中で軽く手を振って、赤い看板のコンビニに入った。パンとコーヒー牛乳を掴みレジに並び。


 ふと、それが目に入った。


 雑誌だ。『本日発売』の看板を立てて小さく積まれている。山積みというほどではない。2・3冊が重ねられていて、せいぜい丘積みとでもいった程度。


 週刊の漫画本が並ぶ隣に、CGで描かれたなにかのキャラクターの表紙にした薄い雑誌が置かれていた。学校のゴシップ好きな女の子が持っていた女性誌と似たような厚さだ。


 ――なにより目を惹いたのは、このキャラクターに見覚えがあったのだ。つい先ほどの話だ。


 巧がやっていたあの【ガーデン・レイダース・ネットワーク】だ。闘技場で暴れまわっていた【ガゼル】と同じ、デフォルメされたリスのキャラクターに造形がよく似ている。


 どうやらその【ガーデン・レイダース・ネットワーク】の特集を組んでいるようだ。言葉でしか聞いたことがない手前、大貴には【GRN】の略称はなじみが薄く、ピンと来ない。


 なんとなく、大貴は財布の中身を確認した。お札が1枚。買えなくはない残高だった。だが、しばらくは緊急事態でもバス通学は見送らねばならないだろう。家から水筒を持ち歩かなければならないかもしれない。


 レジの順番が回る。大貴は品物を差し出した。







 しなやかに指先を伸ばし、白い手のひらが虚空に垂れる雫をすくい上げる。


 語るのは古い童話をモチーフにしたおとぎ話だ。不思議の国に迷い込んだ少女が家に帰るために魔女を求めて旅路を歩み、幾多の試練を乗り越える物語。


 それを一時間足らずの尺で収めるためひたすら噛み砕き、現代風にアレンジした物語だ。童話の登場人物やシチュエーションが「安価に再現しやすいように」と裏方の工夫が凝らされている。


 田舎娘だった少女がスマートフォン片手に「あんなにお月さまが綺麗なのに圏外なんて!?」などと悲観しているのもシュールな笑いを誘う要素なのだそうだ。熱を入れて少々度が過ぎる程度に演じるのがポイントだ――そう劇の脚本家が『言っている』。


 今まさに。大貴の隣で。


「――古い童話を料理するオーソドックスな手法のひとつなんだ。にしてもいい演じ方するよな三好ちゃん。いんやぁ、さっすがは俺。よく見切った。マジ最高。超シュールすぎてイヤな汗出てきちゃったぜちくしょうめ」


 大貴の隣でウンウンとむず痒そうに背中を掻くのは海原始というひとつ上の先輩だった。ラフに制服を着崩して、身に付けたピアスやらネックレスやらチェーンやらをただ立っているだけでもじゃらじゃらとやかましく鳴らしている。


 典型的かつやや前時代的なチャラい男の格好だった。ついでに、巧と同じ持病を持っているらしい。


 ーーなお、彼の場合は「馴れ馴れしさ」の延長から来るものなので、巧の「知識ひけらかしたい病」のそれとは結果は似ていても経緯は異なる。


 巧と違い、知識でなく自分語りがややくどいのである。しかも「自分」と密接に関わっている語りの分、ちゃんと聞いているのかを特に気にする。面倒くささとうざさは巧の比ではなかった。


「んでんでんでー、藤ちゃんよぅ。なーんで昼間でサボっちゃったんだ?」


「私用です」


「私用? 女か」


「……」


「ナイスわかりやすさっ!」


 ぐっと親指を突き立て海原は歯をむき出しにしてにかっと笑った。どこか野性的で子供っぽい笑顔だ。


「んじゃーよぅ、どんな子どんな子? どこまでヤッた? A? まさかBなんて軽く越えてんの? 俺とお前の仲じゃん。はーなーせーよー」


 今度は大貴の肩に腕を回してべたべたとくっついてきた。いちいち芝居かかった調子で顔を手で隠したり唐突に奇妙なポージングに挑戦したりするあたり、行動が予想しづらい。しかもいちいち表現が古めだ。


「別に、相談って言われて呼び出されただけですよ。そんなんじゃねーっす」


 そのあまりの面倒くささに、些か言葉遣いが乱暴になる。


「んだよそのテンプレ。お前はもちっと読め。いろいろ読め。

 これはだな、『僕はあの子のことが好きだけどあの子は僕を友達としか見てくれない。あの子が打ち解けて接してくれるのは嬉しいけどそれ以上の関係になるのは決して許してくれないんだ、あーさびしい』

 ――なんてラブコメにありがちな展開じゃねーのっ!!」


「……そーっすか」


 勢いに圧倒されて、大貴はやや引き気味に顔をゆがめた。すかさず海原は大貴を逃がさぬようぐいと回した腕に力を込めて――。


 すぱんっ!


「海原ァ! もっとマジメにやんなさい! さもなきゃせめて声落として! 邪魔なのよ! それに、なにこの台本!」


 海原の脳天は固く丸めた台本に容赦なく打ち抜かれた。響く小気味よい打撃音に押され、ぐへぇ、とまた海原はつんのめり、座っている大貴に顔面を突き刺した。


 大貴の下腹部にも衝撃が走り、どこかしらかから女性の悲鳴らしきものまで耳を刺す。だが大貴の視線は、海原を打った台本にびたりと固まっていた。


 今の今までキャラの一貫しない『現代風田舎娘』を熱演していた彼女だ。筒状に丸め固めた打撃武器を握り締め、両腕を組み悠然と睨みを利かせている。まさしく鬼気迫る雰囲気を帯びて。


「残念ね。まったく残念。尺に収まる巻き方と予算を圧迫しない設定をひねり出したところまでは評価してあげる。

 でも最悪。まず台詞回しにセンスがない。読んでて『ここで笑えよ』ってあんたのイヤらしいニヤツキが透けて見えてくるわ。生理的嫌悪感を覚えるわね。もっと邪念を払いなさい」


「三好ちゃん、要求高すぎ……」


「演じ手は脚本から書き手の内の奥まで推して透かしてキャラクターを表現しなきゃならないの。その脚本の書き手がどろっどろの下心丸出しじゃイヤらしい演技しかできないの。わかり?」


「そいつは願ってもないな。俺ぁ三好ちゃんのイヤラシイのには興味あるぜ。超見たい。なぁ、藤ちゃん?」


「えっ」


 大貴が(肯定したのはやまやまだが、それをおおっぴらにしていいものか考えて)絶句している内に、三好の上履きが木製の床でステップを踏んだ。


 大貴の膝から海原の横っ面が蹴り抜かれ、そのまま荷物を固めた部屋の隅に突っ込んだ。


 もう少し決断力が高かったらああなっていたのかもしれない――大貴は荷物の中で目を回している海原を見て軽く身震いする。日頃辟易としている自分の優柔不断ぶりだが、今この瞬間だけは「それでよかった」と思うことにした。


 っていうか無事なんだろうか、アレ。


 大貴の内心を看破してか三好は大貴をじろりと見やった。大貴はびくりと飛び上がった。


「藤林くん。あなた、午前中の練習サボっといてずいぶん余裕じゃなーい?」


 いやこれは決してサボってみていたわけではなくて、特に役割も振られていない新入生であるということと場の雰囲気に慣れておく必要があるのでとりあえず見学しておけと板垣先輩から指示があったのととりあえず台本と演技の感じを覚えて演出効果のうんたらかんたら――。


 怒涛の勢いで押し寄せる言い訳の荒波の中、大貴の舌先はただただ波に揉まれていた。巧や海原ほどでなくても、案外話せるものである。


 いじらしく三好が口端を吊り上げた。嫌な予感がする。


「いつも『先輩、なにかやることありますか?』って聞いてきてくれる真面目でやる気がある藤林くんらしくないんじゃなぁぁぁい? いったいどうしちゃったのか、私、とっっっても気になるなぁ?」


「いやそれは私用で」


「だから。今現在、身が入ってない理由が知りたいんだけれど」


 ――身が入ってない。


 言われてはじめて気が付いたような気がして、大貴は目を見開いた。広げた目で改めて自らを振り返る。


 ――確かに、大貴の取っている行動はらしくない。普段なら海原の言動の意味やら台本の内容がわからなければもう少し突っ込んで問いかけているはずだ。


 たとえば三好の演技を台本に書き込んだり演出方法の案を自分なりに捻ってみたり、【裏方現場監督(海原称)】の板垣先輩に話を持ち込むことを考えているはずだ。


 だが大貴は今、それをしていない。やろうと努力をしていない。それは心に火が着いていないということで、上の空であるということ。不真面目だということだ――ひどく生真面目な思考であるが、大貴はそう考えた。


「……ごめんなさい」


「謝ってほしいわけじゃあないの私。人間なんだから気が乗りにくいときだってあるものよ。謝ってどうこうなる話じゃないでしょ。『だから』。私は質問をしてるの。ただ『なんで?』って」


 安直な謝罪で許さない。三好はあくまで、大貴に【解決】を求めている。


 大貴は頭に野暮ったく手を当てて「それは、その……」と言葉を濁す。


 普段の大貴からは想像もできない煮え切らない態度だ。それがまた、三好の眉間にしわを増やしていく。


 責め立てる三好の視線は痛かったが、大貴にはどうしても答えられなかった。答えたくないのではなく。私事であるのにも関わらず、ただ純粋にわからなかった。


「痛えーじゃねーかよまったくマジで。危うくプッツンしちまうところだぜ。あー首ひねったかもー。慰謝料要求しちゃうかもー」


 荷物の山で寝ていた海原がゆっくりと起き上がった。口調はまだおちゃらけた雰囲気が残っているが、それは表面的なものだとすぐに理解できた。


 海原は快楽主義者だ。感情をすぐ表に出すタイプで、不快なものに対してははっきり不快と断ずる傾向にあった。とりあえず、ダメージに興奮する異常者ではないようだ。


 その海原が向けた悪態を、三好は頑なに無視していた。大貴をじっと睨み見つめ、意識を背けないよう縛り固める。強く鋭く、重い眼だ。


 ーー対して。


 三好は完璧主義者だ。人を思い通りに動かしたがり、うまくいかないのであればそれに傾倒する癖がある。いわゆるダメ男に入れ込みそうなタイプのように思えた。


 そういう性格的な噛み合いもあってか、ふたりはよく衝突していた。海原は見ての通りのルーズな性格なのであまり部活に顔を出したところを大貴はまだ3度しか見たことがなかったが、その3度ともこうして険悪な雰囲気を作っていた。


 言い争いで済めはいい方だそうで、流血沙汰一歩手前はザラなのだという。


「シカトかよなめやがって。……ったく、あーあーもういいっすいいっす。いいけど――藤ちゃんの理由ってコレじゃね?」


 ひょい、と大貴の視界をなにかが遮った。雑誌だ。ゲーム誌。先ほどコンビニで大貴が買った品だ。


「いやいやわかるぜ藤ちゃん。クソマジメな自分のキャラから外れた趣味あるのを話すってのは結構難しいもんだもんなぁ。ま、この俺の柔軟なキャラクターを参考にして高校デビューしてみろ。今から」


 まさかそれともその性格で既に――とひとりまくしたてる海原から大貴の雑誌をひっつかみ、三好はじっと表紙に眼を落とした。口元は弱く苦みに歪んでいる。


「……どうなの? その、本当にこの【ガーデン・レイダース・ネットワーク】っていうのに興味あるわけ?」


 三好の目がまた大貴に戻る。探るような、訝しむような目だ。さながらエロ本の隠し場所を吐かせようとする母親の目である。――いや、そんな経験はないのだが。


「……本当です」


 でなければそんな雑誌はまず買わない。


「ふーん」


 ふいに三好の口端は小さくつり上がった。雑誌をぱらぱらとめくっていく。背後では海原のみょうちくりんな演説が続いており――。


 人知れず、大貴は肩をすくめた。

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