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電脳コンプレックス  作者: みそおでん
第1章 「藤林大貴」
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Part1 「藤林大貴のありふれた休日」その6

 ひとしきり観戦を終え、現実時間ではゲームを始めてからそれなりに時間が経っていた。


 居間の片隅に置かれた振り子の付いた仕掛け時計をちらりと見れば、そろそろ11時半に差し掛かるところ。昼食を取って午後から部活に出ることを考えれば水前寺邸を後にしなければならない頃合いである。


 その大貴の意図をくみ取ってか、そろそろいいだろう、と巧は【マスター】を走らせた。先ほどの坂を下り、掲示板を過ぎてまた別のドームの前に立ち止まった。立て看板には大貴の知らない象形文字が踊っている。


「ここは【初心者ホール】だ。ほらそこ、エリアの名前が隅っこに出てきた……。ゲームを最初に始めたらまずここに飛ばされるんだ。だから待ってればここに来る。初期設定が終わり次第な」


「なるほど。じゃあ初期設定はどれくらいで終わるんだ?」


「そうだな、ID発行、パスワード設定、ハンドルネーム決定、6つある種族からひとつを決定、いくつかの候補からジョブの決定、単純な格好を決めて、初期のパラメータ偏向、成長傾向の決定、簡単なシステムレクチャーがあって、【サイバーブルース】のレクチャーも入るかな。

 俺は30分くらいだったと思う。だからいい加減終わってるとは思うんだが」


 どうしてやろうかな、と巧がこの期に及んで頭をひねり出した。半ば呆れる大貴をよそに、巧は【マスター】を右へ左へとうろうろさせていると。


 どん。


「あ」


 他のアバターにぶつかった。追突というより接触と形容した方が自然なぶつかり方ではあったが【マスター】とぶつかったアバターはよたよたとその場で足踏みを繰り返しては体を前後左右に大きく揺らして。


 ぱたん。


「……ほう。初心者のゲーム酔いにしては少しオーバーだな」


「酔うのか? このゲーム」


「上等に『仮想現実ヴァーチャルリアリティ』なんて言っても、こいつは人が創る領分を越えないものだ。

 『現実らしく』ても、イコール現実じゃない。入り込めば違和感も覚えるし、人によってはそれにひどく拒絶反応を起こす人間だっている。好き勝手に作れる世界であっても楽園を作れるわけじゃないんだよ、このシステムは」


 巧は下顎を撫で、一瞬考えたように静止する。すぐさま卓上に置かれたヘッドセットを掴み取った。


 ヘッドセットの外観は水前寺の家のグレードを基準にしなくとも、ひどく安っぽいものだと大貴にもわかった。イヤーフックタイプ特有の細いフレームに小さなスピーカー部を持ったそれは、一般の家電量販店でも比較的安い価格で売られているものなのだろう。


 きっと音漏れもひどいだろう。大貴に聞こえてしまうほどに。逆に、これを巧がどんなに耳に押し付けても、外の大貴の声は聞こえてしまうだろう。


 まぁ――巧の購入目的は、まさにそれなのだろうけれども。


「あたたたたぁぁぁ……っ」


 派手にすっ転んでいたアバターがのろのろと体を起き上がらせる。一見、それは人の形を取っていた。しかし赤く長い頭髪に紛れ、薄い紫色の羽を生やしていた。それは鳥類よりコウモリのものに近い。


 先ほどの【ガゼル】のカーリ族のような大きなしっぽも【ジョージ】のような大きな体もない。【マスター】のような垂れた犬耳もなかった。


「大丈夫ですか?」


「あっ、はい。だいじょうぶ――」


 口を突いて出た返答の声色は、大貴にも馴染みがある女声だった。甘く澄んだソプラノの声。目端の巧は口元を緩めている。


「――その、ありが……あ、やっ…………ふんっ」


 巧の【マスター】がその亜人に話しかけ、器用にも手を差し伸べた。亜人は頭をさすりながら視線を右へ左へと泳がせてその手を取りかけ、瞬間そっぽを向いた。


「ほう、関心関心。はじめの言いつけを守ってるのか。……優しくされても邪険に接しろとまでは言ってなかったと思うけどな」


 やれやれとソファーに体重を預ける巧を横目に、致し方ないことだと大貴は考えた。


 彼女は純粋というか幼いというか、とにかく嘘がつけないのだ。自分の内面に対して。


 感謝の気持ちを持ったらそれをすっと言葉にし、いたずらをしてやりたいと思ったらすぐに小指をつまんでちょっかいを出す。


 だから大貴は直に接していて、慕ってくれていることが感じられることがひどく嬉しく――またそれは「友達として」のものであることが少し寂しく。


 ふいに巧はヘッドセットに付いたマイクをつまんだ。にたりと少しだけ唇の端を意地悪く歪め。


「もしかして……絢音、かな?」


「ええそう…………って違ぃ。なにそれ。違うよ。私のハンドルネームはこれ」


 絢音らしきアバターはぴんと自分の頭の上を指差した。小気味よいシステムサウンドが響き、青い四角形のウインドウが表われた。短く【アヤ】とだけ記されている。


「……まんますぎる。そもそも本名を名乗る前から知られている時点で……って、気付けるなら声でわかるな」


 ヘッドセットを外し、巧はそれを大貴に差し出した。表情はにわかに暗い。声で気付かれなかったのがそれなりにショックのようだった。


「なにかないか? 絢音がすぐに俺たちだって気付けそうなこと」


「それ、俺に聞くの?」


「お前と絢音は波長が近そうだからな。……それに、今の俺だと言っちゃ悪いこと言いそうでね」


「………………たとえば?」


「スリーサイズ。初恋の相手。書きためたポエムノートの隠し場所。初キスの味。……さぁて、どれが知りたい? どれもか?」


 ――ダメだこれは。


 頭を左右に振って思考回路に喝を入れた。振り払っては取り付いてくる下世話な詮索観念から来る雑念煩悩を千切っては投げ千切っては投げ、大貴はよろよろとヘッドセットを受け取った。


 ごちゃごちゃ考えを巡らせたままマイクを口元に近づけて。


「す、水前寺。今日のあらたしい白ワンピースはとても似合ってたと思ひまふ……」


 噛んだことにすら気付かないほど動転しながら、唐突に服を褒めだした。


 なんだそれ、と目を丸くした巧をよそに――絢音らしきアバターの頭にヒマワリのエフェクトが浮かんできた。つられてアバターの顔も晴れ晴れとした朗らかなものに変わっていく。


「なによ、それ。そういうのは直接言ってよ。カミカミだし。今更だし。いきなりだし。言い直しもしないんだから誠意もぜんぜんね。ふじばやさんのくせに。ナマイキ」


「ごめんなさい。けど、その…………か、かわいかったと……思う……よ」


「もっとはっきり言いなさい。誰がどうで、なんなのよ」


「ごめんなさい。水前寺の白――」


「お前ら。お楽しみのところ済まないが、そのあたりにしてくれないか。話が進まないんだ」


 延々と押し続ける絢音と恐縮し続ける大貴を見やり、巧は大きく肩を落とした。半ば大貴の頭をひっぱたくようにヘッドセットをかすめ取り「ほら絢音。おにいちゃんの後についてこい」と気怠そうに一喝した。


 ゲームの中の絢音は気の抜けた声を上げて返事をし、巧の【マスター】に寄り添った。


 絢音を連れ、【マスター】は初心者ホールを後にする。ひとまず一通りこの街を回ってみよう、というのが巧の案だ。


「まずは街の雰囲気を掴もう。……疲れるだろうから、混んでそうなところは今度にな」


「そっか。ざんねん」


 絢音のアバターは思付かない歩き方で体を大きく左右に揺らし、がくりと肩を大きく落とした。表情はにわかに陰り、毛先がふるえアクセサリーが揺れる。細やかな動きだ。指の動きや肩の鼓動まで、絢音が現実で見せる仕草によく似ている。


「……まぁ、今絢音は『ゲームの中にいる夢を見ている』って感じだからな。夢っていっても脳は元気に動いてて、頭を覆った【計測器センサー】と【発信機プロポーショナー】が体の感覚器に訴えかけて、その刺激に対する絢音の【反応リアクション】を得ているんだ。

 そしてそれをパソコンの中の【解析装置シミュレーター】がコンピューターが理解できる形に落とし込み、ゲームでの感覚として【反映フィードバック】させている……ってプロセスだな。

 そこに環境状況やアバターの状態、その他もろもろの条件を【観測器オブザーバー】が検知して計算に加え、可能な限り【現実リアル】に則したアクションができるようにプログラムを組んでるそうだ。相当複雑らしい」


「お、おう……?」


 不意打ちだった。最後の『相当複雑』ということ以外、大貴にはよくわからなかった。


「まぁこれを怠ると【仮想現実ヴァーチャルリアリティ】の肝である『感覚的な操作』が意味をなさなくなる。特にこのゲームは感情の揺れがステータスに影響を与える部分もあるし、仕方ないといえば仕方ないが……。

 そうやって操作性に労力を尽くしているせいか、ところどころプログラムが甘くってな。公式バグ技なんてものがあるくらいだ。プレイヤー自作のパッチなんかも組み込みやすくってな。『遊べる隙間』が多いのもコアなファンが付く理由の一つなんだろうな。

 日夜バグ技探してるハードユーザーもいるらしいぞ」


「……そ、そーなんだ」


 そのハードユーザーお前だろ、というツッコミを大貴はあえて飲み込んだ。どうせそんなことをやってそうである。この男は。


「あまりに探しまくるもんだから、一部の区画なんか通行禁止にされてたな。最近だと【黄泉路扉】がその例だな。どうも今運営が忙しいらしくて通行止めしかしていないが」


「ははー」


 生返事程度は返すものの、やはり大貴に巧の解説は難しい。辛うじてなんとなく理解できたのは「現実に則したアクション」というものの難しさと必要さだ。


 人が入っていながら、全部の動きがシステム的に決められているというのもおかしな話だ。そのためにもアバターは、人を受け入れる器として広い汎用性が求められるのだろう。


 人を創るというのは、それこそ至難だ。人の関節の数だけジョイントを備えればいいというほど単純でもない。


 きちんと拘束し、連鎖し、連成し、より【人体リアル】と同じ操作性を実現できなければ、それは【仮想現実】として成立しない。ヴァーチャルリアリティなどという技術の導入になんの意味も成さなくなるだろう。


「あの【エッグ】に限らず、操作データは余すことなく保存されてるんだそうだ。次世代AIや人型ロボットの開発に使われるらしい……が、そのくせまだまだ感情の拾い方がヘタクソだ。微妙な感情の揺れを掴もうとして仕損じているらしい。さっきのヒマワリがいい例だ」


「そうなのか?」


「そうだろ。さっきの言い方はあんな満開な喜び方か?」


 問われ、大貴は想像する。いたずらする普段の絢音。大貴にちょっかいを出す絢音。大貴を困らせる絢音。


 いずれも大貴にとってみれば、極めて真面目に怒っているように見えたのだが、その実あれは、存外楽しんでいたのだろうか。絢音は大貴が困る姿を見てせせら笑って愉悦を覚えていたとでも――思いたくない。


「……そうだよな。そーだ。きっとこのプログラムはポンコツなんだ。ぜったい」


「いやそこまでか? せいぜいあれは五分咲きかそこら……あ、やっ……悪い、なんでもない。その方が幸せかもな双方」


 大貴と巧がそろって大きく頷いた。モニターの先では絢音改め【アヤ】がゲーム世界に浸っている。人々を眺め、指差し、知らない誰かの会釈に応え、歩いていく姿は、はたから見る限りではとても楽しそうなものだった。


 それを見て、大貴は大きく空気を吐き出した。腹の奥底で引っかかっていた重しを吐き出すように。


「さて……と」


「なんだ、帰るのか?」


 大貴がソファーから腰を上げると、巧は少々不満そうに肩をすくめた。ところどころ感情を隠そうとしないあたり、兄妹である。


「まぁ、午後から学校だからさ」


「日曜なのにか?」


「部活だよ」


「そうなのか。大変だな。演劇部だっけ?」


「そうなのさ。そんなに詳しくないから、頑張って覚えないといけなくて」


「なるほど。――そういう訳だから、絢音。大気にひとつエールを送れ。外部スピーカーはオフにしてやるから」


 えっ、と大貴が驚く間もなく巧はカチンとヘッドセットの耳元に付いたスイッチを操作した。今まで居間の大型スピーカーから響いていた環境音がぷつんと消える。


 代わりに巧から投げよこされたヘッドセットからは戸惑う絢音の声が聞こえる。モニターではあたふたと挙動不審にきょろきょろしていた。


「え、えっ……えっと。ふじばやさん。がんばってね。今度、いっしょにゲームしようよ」



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