Part1 「藤林大貴のありふれた休日」その5
――次の瞬間には。
【マスター】は街並みを一望できる高台に立っていた。
その絶景に踵を返し、すぐ脇の大きな建物の前に目を向けた。
鉄柵を上げた石造りの大きな建物だ。ドーム状の建物で、一際人の集まりようは凄まじい。
もっとも、その人だかりを『黒山』と形容するのは、トラ柄だったりパンダ柄だったりシマ柄だったりと見た目が多様過ぎる故にできなかったが、とにかく、とてもではないがドームの中にはとても入れない様子だ。
「うわぁ……」
「ここはいつ来てもこんな感じだよ。対人戦やモンスターとの乱取りもできるし、ゲームオーバーの心配もなくレベルアップに尽力できるのが最大の利点だな。利用料金かかるけれど。
……にしても本当、すごい数だ。それでも処理落ちしないのはさすがだよ」
「そうなのか」
「そうだろ。一日何台のパソコンがこの場所のデータの更新して反映してるんだって想像しただけでちょっと気持ち悪くなる。『【ガーデン・レイダース・ネットワーク】は全く新しい画期的なプログラム言語を開発し、従来の3倍の処理効率を実現した』なんてこと言われたら俺は信じるね」
巧をして「気持ち悪い」と言わせるほどのデータ量。大貴に上手く想像はできなかったが、とりあえず凄そうだ、と適当に覚えておく。
そうして自己完結している間に、巧は「……しかし、入れそうにないな」と肩をすくめた。
確かに画面上の人だかりはがっちりだ。さながらラグビーのスクラムのように固く塊になっている。これならば、もしかすると軽自動車を弾き返せるかもしれない。
「……ほう」
にやりとして、巧はドームの天井に取り付けられたモニターを指差した。十字のポイントがモニターに合わさり、大貴は軽くボタンを押した。
また新たにウインドウが開き、ゲームの中のモニターが大きく表示される。クマ人間とリスの亜人が互いに向き合っていた。
「なるほど。こりゃあギャラリーが集まるわけだ。運がいいな大貴。ホルダー戦だ」
「ホルダー? 鍵にでもつけるのか?」
「いや、キーホルダーじゃない。ホルダーってのはエンブレ……そうか。そこから説明しないとな」
また長々話しそうな前置きを置いて、巧は言葉をつづけた。
「いいか。まず、この【ガーデン・レイダース・ネットワーク】では最新バージョンにアップデートされるたびに新要素のデモンストレーションを兼ねた大きなイベントが催されるんだ。そしてそのイベントに参加したプレイヤーのうち、ひとりがMVPが選ばれる。そいつにはエンブレムが贈られるんだ」
「トロフィーみたいなものか?」
「そういう感じだ。今まで3度のバージョンアップがされて、バージョンごとに3回のイベントがあった。だから、エンブレムもそれに合わせてたった9個しか出回っていないんだ。
だからああしてエンブレムの所持者の【エンブレムホルダー】に戦いを挑むんだ。相応の対価を用意してな。
対人戦ならそういうアイテムの賭けバトルも珍しい話じゃない。立ち合いのジャッジを用意して、必要なら戦いの場になるダンジョンやらターゲットやらを指定して……結構下準備が面倒だけどな」
「なんだそれ。トロフィーがメンコやベーゴマ扱い? なんか一気に扱いのランク下がったな」
「そう言うな。わかりやすい強さの証だから、自己顕示欲の強いトッププレイヤーは特に手に入れたがってる。トッププレイヤーなら相応の賭け品を持ってこれるから、ホルダー側にも悪い話じゃない」
「強さの証かぁ……」
呟いて、大貴はゲームの中のモニターを注視する。熊然としたキャラクターは体が大きい。片手で巨大なハンマーを振り回していた。
対するリス人間は小さい。周囲の人だかりのキャラクターと比べれば巧の【マスター】は平均並だということがわかるが、あのリス人間はそれより頭一つ小さいだろう。
被った赤い帽子のつばが広く、表情はまるで見えない。指でつまんだ細い指揮棒のようなものをピンと熊に伸ばしている。
「なら、このふたりは強いのか?」
「強いな。片方のクマキャラ……【クドマ族】の方がホルダーらしい。
ハンドルネームは【ジョージ】――ああ、俺も聞いたことある。クランに所属しないフリーランスで、闘技場にばかり顔を出している。それで付いたあだ名【闘技場の主】。
【ベル】――このゲームの召喚魔法のことだが、その装備タイプを好んで使うらしい」
「……は? 鐘? 装備?」
「【ベル】だ。確か綴りは【BEL】だった。基本的に鬼のように燃費が悪いが、威力が高い。いわゆる必殺技的なものと思ってくれればいい。
獣の形で召喚する現象タイプと、その特性だけを憑代を指定して呼び出す装備タイプ、自分自身に憑依させる強化タイプの3種類があるんだ。順に効果の持続時間は長くなるが、範囲はじめ召喚魔法自体の効果が弱くなるのがネックだな。
【ジョージ】は武器を強化した攻撃が得意みたいだ。ダイナミックなアクションが目立つが、プレイヤーの繊細な立ち回りとよくかみ合って読まれにくい攻撃が強みでタイマン無敗。
で、相手のカーリ族は……なんだこれ。無名だ」
モニターの柱に注視して、巧は怪訝に眉をひそめた。
簡単に書かれていたクマ男――もとい、クドマ族の【ジョージ】の戦歴は目を見張るものがあった。公式対人戦の戦闘回数は3ケタを超え、にもかかわらず敗北経験はゼロである。素人の大貴にもその実力は伺い知れた。
それと比べて、このリス人【カーリ族】の【ガゼル】の戦歴は、まさしく無名とそれだった。
こなしたミッションも参加イベントもゼロ。対人経験はすべて勝利だが片手で数える程度のものだ。プレイ時間も極端に短い。初めてから一日二日と経っていないのだろう。
だが、総合レベルもステータスもひどく高いのだ。その部分のステータスだけが【ジョージ】のそれに比肩し、ものによっては凌駕すらしている。
「……ってことは課金族か」
なんだ、と巧は吐き捨てた。聴きなれない単語に大貴はまた首をかしげる。
「要は金で買ったんだよ。現実の金で。経験値と強い武装をな。しっかしまぁ、よくあれだけ買ったもんだ。金はあるが、真似する気にはなれないな」
「そうなのか?」
「そうだろ。あのプレイ時間でトッププレイヤー相手に戦えるだけのステータスをそろえてるんだぞ? いくら使ったんだかな」
呆れたように巧が呟く。モニターでは【ジョージ】が素早くハンマーを振り下ろした。並べれば体の半分よりも大きいであろう頭部が【ガゼル】に迫る。
【ガゼル】は地面を蹴って後ろに避けた。外れたハンマーが土色の地面を大きく揺らし――。
爆発。
土砂が吹き荒れ【ガゼル】の体は泥の飛沫の中に消えていく。
――見失った。そう大貴が思った瞬間。
咆哮が水前寺邸の大型スピーカーを割った。
「うわっ!?」
超音波のような金切り音の暴力に耳をふさいで巧は慌てて音量を下げる。大貴も両手で耳をふさいでいた。その目の前で。
泥で塗りつぶされた大気の中、【ジョージ】は片腕を天に突き上げた。
固めた拳の先が黒ずんだオレンジ――茶色に輝き、周囲に舞い散る土砂を吸い込んでいく。
一方で、泥が別の赤い光をかき消した。
【ガゼル】の指揮棒の先の光。それは、まっすぐ【ジョージ】に向けられている。
ハンマーは半ば地面に埋まっている。その柄を握る【ジョージ】は動かない。
杖先の赤い光が泥を燃やし、【ガゼル】の毛並みを茜色に照らし出した。【ガゼル】の腕輪の宝石が赤く発光する。
光が伝搬し、ピンと伸ばした指揮棒の先を緋色に燃やし――大きく大きく、炎を撃ち出す。
【ガゼル】の体よりも巨大な炎熱の球塊が、砲弾となって【ジョージ】に走る。
【ジョージ】は茶色に輝かせた右腕を――動かさない。避けるよりも圧倒的に熱弾が速い。
着弾する。赤々とした豪熱が【ジョージ】を燃やし、地面を燃やし、大気を燃やし――飲み込まれた。【ジョージ】の右手から出てきたものに。
それは大貴が見たこともない形をしていた。
否、語弊がある。正しくは『生で』見たこともないものだ。
空想の世界でならば、幾度か目にしたことがある。
鉄のような鱗が連なる強固な表皮に、大きく強い顎と牙。頭部に生やした天を衝く太く長い2本角に、金色の鬣を風に流す。長いひげを揺らし、大地を掴み引き裂く強靭な四肢。
――ドラゴンだ。
「ほう。ここで【ベル】か。勝負に出たぞ」
巨大な猛獣の突然の出現に、一瞬【ガゼル】はひるんだようだった。指揮棒が一度大きく揺れる。
その隙を衝いて【ジョージ】の右腕がハンマーを握りなおした。【ジョージ】の右腕にも腕輪がついていた。装飾の結晶が緑色に輝いている。
背後のドラゴンは一度強く咆哮した。【ガゼル】は大きく震え上がり、巧はまたスピーカーの音量を下げる。
【ジョージ】が大きくハンマーを振り上げた。隙だらけのモーションだ。
だが震える【ガゼル】は動けない。
【ジョージ】の背後のドラゴンが、光に変わる。ハンマーの頭部がドラゴンの顎に変貌した。
【ガゼル】を見下ろすドラゴンの目。
【ガゼル】は指揮棒を弱々しく持ち上げた。先に燈る火。それを飲み込むほどに大きく広がり、涎を垂らすドラゴンの顎。
――勝敗は明確だった。
「【ガゼル】の敗因はゲームステータスに頼りすぎたところだな。【サイバーブルース】で操作の自由度は格段に上がるが、プレイヤーに慣れがなけりゃ、ああいう土壇場の駆け引きで後れを取る」
「……なるほど」
青い棒で表示されたライフゲージが吹き飛ばされて地面に倒れる【ガゼル】を一瞥し、【ジョージ】は高らかに勝利の雄たけびを上げる。
モニターの奥から、周囲からも大きく歓声が上がっている。【ジョージ】のあのパワフルなファイトスタイルはかなり好評を博しているようだ。
あるいは、単純に【ガゼル】のプレイスタイルをあまり好ましく思っていないプレイヤーもいるのかもしれないが――。
――それは、大貴の預かり知らぬ話である。