Part5 「ヒトであること」その2
「……起きたか?」
目を開けて一番に見えたのは、最悪の犬面だった。
これで気絶は二度目、ということになるだろうか。
多少記憶が混濁しているらしい。体験と記憶と、時系列が曖昧になる。
大貴は地面に寝転がっていた。これはいつだ。時間――は、相変わらず表示されない。
案外、敵の巣穴に降りた後すぐか。それとも広間での戦闘中か。
だったら、現実味の薄いその後のことは全部――いや。
すぐにかぶりを振って、あり得ない仮定を打ち消した。それはただの願望だ。論理性を排した希望にすぎない。
肩から先がなくなっている右腕は雄弁だ。体のクレパスも、あれが嘘ではないと語っている。
全て現実だ。
――絢音が【支配者】の手に落ちた、というのだろうか。
正直に言えば、大貴はまるで状況を把握できていない。
あの【妖精】が人ならざる――プレイヤーの領域に留まらない、という意味で――ものである。それはわかる。
だが、絢音はどうなったのだろう?
乗っ取られた? それとも【妖精】が絢音の身なりをコピーしただけなのか?
あるいはもっと最初から、このゲームで絢音と思っていたものはすべて【妖精】の変装だったのかもしれない。
全部が全部嘘っぱち。それなら、どんなにいいだろう。
そういえばこのゲーム中の絢音は妙に攻撃的で――。
「くぉらぼーっとしてんじゃねーよトーシローが」
「こはっ!?」
頭蓋から小気味良くキレのいい打撃音がはじけ、大貴の思考は勢いよく外に押し出された。
痺れと鈍痛が頭を巡り、しかしそれもペパーミントの刺激が舌先から頭のてっぺんを突き抜けるように、ある種、晴れやかな気持ちになる。
「俺様が呼んだんだからとっとと応えろクソが。いつまでも額押さえてんじゃねーよ。痛くねーだろゲームだぞ。調子乗ってるだけならぶっ飛ばすぞコラ。やんのかオラ」
「お、おう? ……悪い」
なぜこいつはこんなに機嫌が悪そうなんだ――?
周囲には(残念ながら)絢音の姿が見えない。やはり、先ほどのものが事実なのだ。
大貴はがくりと落ち込んで――ああなるほど、と変に納得してしまった。
トーシャが不機嫌な理由だ。
おおかた、絢音を見失ってしまったのだろう。おかげでどんなに格好をつけても絢音にアピールらしいことはなにひとつできない。
絢音がいなくなれば当然、彼女目当てで協力していた大貴に手を差し伸べてやる必要はなくなる。
しかし同時に――見失った絢音がどこにいるのかトーシャよりも正確に推察できそうなのは、より付き合いの長い人物だ。つまり、大貴である。
加えて、大貴を捨て置いたと知られれば、絢音の心象も悪くなるかもしれない。
要するに「面倒なだけで特別助けたくもないが、点数稼ぎのためにはも仕方なく喜んで助けている風の態度を取らねばならない」というジレンマ(と呼ぶには明らかに程度が低い)を感じているのだ。
不条理もいいところだが、直してくれるなら黙るしかない大貴だった。
「確認、してもいいか?」
「とっとと済ませろ。残りの腕も折るぞ」
「やめてくれ……。でだ、まず――ここは、どこだっけ」
「地下迷宮だ。てめーが自分で降りたところじゃねーかよ、タイキ」
「……うん、そうだった。気がしないでもない。――今、いつ?」
「都合よくシステムのタイムカウントはエラー表示だ。【潜って】やると時間間隔が狂って狂って正直よくわかんねーよ。お前が寝込んでからならそこそこ経ってるかもな。ここに来てからっていうなら、もう知らん」
「……って……」
さらりと流して見せたが。トーシャ。
使用時間がわからないっていうのは、かなりでかく、まずい問題じゃあないのか。それは。
「んー? まぁいいんじゃねーの。知っても任意ログアウトできねーからどうこうできる話じゃねーし。強制ログアウトのアラートもでねーし」
トーシャはそう言った。取り繕っている様子はない。動揺した様子も、怯えた様子も。
真実、平気な顔している。
おかしい。ノイズがちかちかと入る左目を押さえ、大貴は怪訝に眉をひそめた。
長時間の使用が危険だというのを知らない――わけではないだろう。大貴さえ知っている情報を、トーシャがこぼしているなんて考えられない。
では、この余裕はなんだ?
「……不安じゃないのか?」
「つか、んなこと気にしてる場合か? おまえ、立てんだろ。
どれ、みてやる」
確かに、それは気にしたところでどうにかなる話ではないのは本当だ。今立てないことも。だが――。
答えを窮する大貴をよそに、トーシャは体のクレパスをまじまじと観察している。膝から肩までを傷に沿っていき、やがて視線は右肩の切断面に移った。
一度息を吐いてみせ、トーシャはなにもいわず、大貴から離れた。
「……」
「おい……」
せめてなんかいったらどうなんだ。
「俺には直せない」
「……は」
――なんだと?
「クレパスの方は埋めんだけだからゴミでもなんでも詰めて蓋すりゃいい。そっちは簡単だ。すぐできる。
ただ、右腕の完全修復は無理だ。仮に右腕の千切れた方のパーツがあれば別だが、ないならそらから神経系だのを作れっていう話になる。
さすがに無茶だぜ。そもそも神経系なんて見たことさえないんだ。適当におまえの既存の神経系との互換性もわからない。
その上、完璧に直すにはその神経を右腕の骨格の中を通して、間接部のアクチュエータと接続して、駆動領域を狭めないよう神経の配線に気を遣わないといけない。
神経系の断裂部に近い位置でならそのまま神経引っ張り出せるかもわかんねーから……肩関節だけでいいなら楽勝かもしれんけどな。工作精度高すぎ。情報少なすぎ。マジしんどすぎ。
――おまえの体を切り刻んでいいなら神経の情報も少しは掴めるんだが、どっちにしろこんな場所じゃできん」
最後にやたら物騒な言葉を添えて、トーシャはやれやれと肩を回した。ほどなく、青い光が大貴の視界の端に差し込んだ。あの【鍛冶】の光だが――。
「……なら、どうして直してるんだ? 俺、あんたに報酬なんて払えないぞ」
「うっせーうっせーばーかばーか。おまえにゃ動いてもらわなきゃ困るんだよ、俺が。……それに、話がある」
「話?」
「アヤちゃんの様子がおかしい。ここまで一緒にきたってのに、急に俺に目もくれずにシュン、だぞ。ダッシュで追ったのに影も形もない。あったのはこの通りの鉄屑廃材だけだ。
文字通り、消えたとしか思えない。かといって、ショートカットなんてダンジョンの中で出来るわけがない。プレイヤーが。ログアウトもできない状況で。
裏ワザか? チートか? それとももっと得体のしれない『抜け穴』か? どれにしろ尋常じゃない。ゲームをやりながらそういうプログラムを実行できるなんて、だ。
そうなれば……リアルで付き合いのあるお前を問いただす以外ねーだろ」
そう言って、オラ終わりだ、と大貴の腹をばしんとたたいた。どうやら師匠のシシガミと同じく、直したものの動作は反射ができるかで見定めるらしい。
大貴は上半身をむくりとあげた。左手左肩両膝両足。右腕以外はすべて問題なく動作した。力も入る。
しかし――。
「俺の知っている限り、あいつには、そんなことはできない。考えられるのは…………あいつの兄ちゃんか、それとも、もっと別なものだ」
「別ぅ? そういうセリフを吐くからにゃ、目星は付いてるんだろうな?」
「期待、しないでくれるか」
「どういう意味での期待かは知らんが……安心しろ。おまえが考えるような期待はしちゃいない」
吐き捨て、トーシャは大貴の腕を引っ張った。首に回させ、肩に担ぐ体勢を取る。
「なにせ、おまえの理想は高すぎる。
おまえばっか高尚な人間様になったってなぁ、おまえのまわりにゃ俗物ばかりだぞ。この俺のようにな、
結局、おまえ、浮いちまうぜ? いや、沈んじまうか。カタいしオモい」
「……そう、か」
――おそらく。
絢音と同じことを、トーシャは言っている。よく覚えている。
遥か昔のような、遠い時間と場所でした会話だ。そう感じてしまうほど、時間感覚が曖昧になってきている。
――この世界に生きる多くの、おそらく藤林大貴以外の全ての人間は、きっとそうなのだ。
だからこそ。
この現実世界と隔絶された「世界」にジャンプしては、幾分単純化されたコミュニティを作る。
「人間になりたい」「絢音に見合う人間になる」――総じて「現実の自分を変える」などという、現実を意識した目的を基に、ここまで来る者などいない。
なぜか――それは。
いかにこの世界がリアルであろうが。
この世界が『ゲーム』だと、『現実ではない』と、全ての人間は理解しているからだ。
一過性の閉鎖的な世界に全ての望みを託す人間はゼロではない。しかしその望みを、更に現実へと繋げるような人間はまずいない。
所詮、ゲームなのだ。
その経験が、体験が、レベルアップが、日常にどう影響がある?
日常にモンスターはおらず、魔法も出せない。剣を握ったところでアバターほど軽やかには動けず、目には相手の弱点箇所などマーキングされない。
この世界の技能で現実にフィードバックできるのはなにか?
クランでのコミュニケーションか、それともショップでの売買や経営、物流か。
しかし、それらも現実から見れば単純化されている。考慮の幅が狭まった領域で培われるものだ。そのまま活かせるはずもない。
――――おそらく。
全ての人は、この場に現実を忘れるために来ているのだ。
その正体はコンプレックスだ。複雑に絡み合った一切。茨の網であり、捉えられた痛みである。
ともすれば、【妖精】の呼び声は悪魔のささやきだ。
現実で複雑に絡み合っていたいくつもの思考。それは悩みであり苦しみであり楽しみ、希望だ。
それらラインはこの世界に足を踏み入れた途端に、この世界に合わせ「意図的に」シンプルになる。
誰もが、現実と切り離されたがっているからだ。現実を忘れている。あるいは忘れようとしている。一時、忘れるために来ている。
ここに『遊ぶ』ために来ているからである。『楽しむため』であり、『悦に入る』ため、あるいは『達成感』『征服感』『充実感』――とにかく、現実では得難い何かを求めてここに来ているからである。
多少なりとも求めるもの、欲望が押し出されている。その分、人の思考は本来の複雑さから離れることになる。簡単になってくれるのだ。
そのラインの束を解きほぐし、望みの線を引き当てる。
【妖精】はただ、その実現を耳元でささやき、手を差し伸べているだけなのだ。
所詮ゲーム。その手を取らない人間はそういない。
その結果が大貴のこの鉄の体であり、あの力であり――もしかすると、今の絢音なのだ。
今、大貴がこうして肩を借りながらでも自分の足で立てているのは、【妖精】が引き当てたラインがそうだったからに過ぎない。
現実とこの世界を切り分けず、ゲームプレイヤーでなく「藤林大貴」であろうとしたからだ。
力のみを求めれば、もしかしたら、力の重みで溺れ、意識の削れた人形のカタチになって暴れまわっていたかもしれない。――そのカタチを、大貴はよく知っている。
絢音が欲しいなどと考えていた日には――やめた。想像もしたくない。
「おい、なんか言い返せって」
「いや……悪い。沈んでた」
「ハッ。皮肉で返しやがったか。やるようになったな、こやつめ」
けらけらとトーシャが笑う。不思議と、今まで感じていた不快感は無くなっていた。
トーシャか、あるいは自分が変わったのか。そもそもこの笑みは今までのそれとはまったく異質なものなのか。――あまり、考える気にはなれないテーマだ。
「しょうがないだろ。今は――悪いけれど、これが俺なんだ。
重くても、沈んでも、ダメでも、頼りなくても、どうしようもなくても、歩く向きは自分で決める。その先で手を差し伸べられたら受け取るかもしれないし、壁があるなら飛び越え……られなくても、回るなりをする。
気に入らなくても、納得できなくても、許せなくても、それが俺なんだよ、今の。――だったら、受け入れるしかないじゃないか」
「開き直ったのか?」
「そうじゃない。理想や夢や目標と今が違うからって、今までを否定するのは良くないって思えるようになっただけだ」
「……そこまで、なんつーの、潔癖性? 徹底、いや……完璧主義だとは知らなかったが……いったいどうした。どういう変化だ」
「信じたくなったんだ。それだけ」
「なにを?」
「俺が、だいじょうぶ、ってことを」
そして、それがきっと、【妖精】の――悪魔の手を振り払う。一縷の望み。たったひとつ、己を守れる盾で、悪魔を貫く剣となる。
なにより、「絢音を信じる」ということになるのではないか。
――なぜ、今までそう思えなかったのだろう。
これだけ幾度も思い悩みながら、しかしその深淵には達していなかったということか。
あるいは信じられなかったのか。幾度も聞いていたはずの感謝の言葉に胸を打つまで。絢音の中に、自分がいることを。
絢音に比べて貧困な感受性だ。また自分が嫌になる。
「…………」
トーシャがじっと大貴を見つめている。半目で。じっとりと。
触れたらいけない。なんというか、どうせ面倒な難癖をつけられる。そう直感して、慌てて顔を背けた。相変わらず視線を感じる。
「くっ……靴底、なんかごわごわしないか?」
「あぁん? 苦し紛れになーに言ってんだてめっ……?」
怪訝に歪んだトーシャの顔から、はたりとシワが消えた。数秒、彫刻のように硬直し。
「――やべぇぞ逃げ」
張り上げたトーシャの声は、轟音にかき消された。
地鳴りがする。獣の唸り声のような、狂人の奇声のような、悪魔の手招き。
逃がしはしない。
天が落ちる。足場が崩れる。赤と黒がひとかけらの光を押しつぶす。
伸ばした最後の手のひらは、真っ黒な空を掴み、ほどけた。




