Part5 「ヒトであること」その1
不快感を隠しもせず、スレイドは剣を無造作に払った。あの『鉄屑』の一部が粉になって辺りをふわりと照らして、風の中へと消えていく。
切り払った残骸など、気にも留めない。砂と鉄のコロイドの舞う洞穴に背を向け、荒々しく舌打ちをする。
――これからどうしてやろうか。
最初はなんとかモチベーションも保てていたが、いい加減に限界だった。
あんななにも考えない機械どもと戦い続けるなど、想像しただけで背筋が凍る。これ以上、おままごとじみた遊びには付き合いきれない。
かといって、適負けてやる気も、もうなくなった。あんな機械にやられるくらいならば、いっそ自殺した方がマシというものだ。
時間制限など知ったことか。暴れるだけ暴れ、壊せるだけ壊す。
ぐるぐるぐるぐる。廻り続ける観覧車のように、両腕と両脚を振り回すのだ。
後には塵ひとつ残さない。割って砕いてすり潰して消し飛ばす。
そうして――。
なくなってしまえ。/ 作り上げるのだ。
そうすれば。
「……」
――などと、考えた矢先に。
厚く地下洞穴を踏み、震えた空気が肌を突き刺した。
暗く深い闇の只中から、それは、スレイドの前まで現れた。
その姿は。
「――ククッ、っぁぁぁあああああああああああーっ!!」
腹の奥から絞り出したような奇声を発し、スレイドは身を翻した。
迫るハンマーを紙一重で避け、手に持った大剣を無造作に払った。相手の胴を切り裂く寸前、ハンマーの長い柄がそれを止める。
小さく火花が散り、それが消え入るよりも早く相手の腹めがけて乱暴なケンカキックを放った。
間髪入れずにハンマーは剣から離れ、キックは虚空を蹴飛ばした。
「ははははははははははッ!! いんやぁ、あんた最っ高だよ!! まさか、こんなタイミングで来てくれるなんて、さぁ?! ちゃーんーぷぅー?」
「黙れ」
「ククッ、つれねぇなぁ。まーいいや。どうでもいい。なんだっていい。
ああ――いい気分だ。
最高だよ。言うことがない。ベストだよ。これで、気持ち良く――」
ハンマーを中段に構え、ジョージは小さく舌打ちした。スレイドは粗雑に大剣を振り回し、洞窟のあちこちを切り刻んでは土煙を上げ砂礫に砕く。
――暴力が形になる。
砂の血飛沫が一帯を呻く尽す。無限の傷が折り重なり、一個の大きなクレパスを穿つ。クレパスが重なる。大気が砂塵に埋まっていく。
ここは砂漠の蟻地獄だ。もがき、吼え、動き、握り、走り、振るうほど、砂塵が体と武器を削り取る。
一歩が重くなる。一呼吸毎に砂を噛み、関節が抉られ、眼球に突き刺さる。
自分が砂に馴染んでいく。この一歩は階段だ。自分が今までから乖離する。自分を置いて、階段をあがる。
視界が砂に埋まる。
反して、闘気は膨れ上がる。
咆哮がする。砂が潰れ、一瞬視界が暗く切り開かれる。砂の雨を削ぎ、数コマにハンマーか、大剣の影が映り込む。
奴はいる。同様に階段をあがり、遥か先の天上に向かっている。
闘気が砂の牢獄を無損失で突き抜け、交錯し、入り乱れ、潰し合う。
砂の枷に傷付き、重くなっていく体を置いて。
その闘気は、進み、化ける。
天上へ向かう。しかしこんな荒々しい魂に、その場所は不釣り合いだ。
より無明に、無頼に、無秩序に――瞬く、狂い、踊り、嗤い、果てる。
――ああ。
実に蠱惑的な旅路の果てだ。
全身で全霊と全力を顕す。その身一切を塵ひとつ残らぬほど炎にくべる。
背中に何も背負わず、握り続けた両拳を解く瞬間。張り続けた意地すらかなぐり捨てねば辿りつけぬ絶世の境地。絶対的な極み。愚の頂。
――そう。
全てを捨て、全てを快楽に賭けたものだけがたどり着く、堕落の絶頂。
――これこそ、悪魔のみが踏み入れる領域だ。
* * * * *
曇っていた思考が、再び瞼を開いた。
霧が、晴れたのだ。
果てしない時間だった。一呼吸の間に10のアクションを差し込まれるような息苦しさと加速感。刹那の時が悠久にも感じられた。
現実では不要と切り捨てられる微細なデータさえ直接脳に叩き込まれ、しかしその情報の濁流を完璧に見極め、掻き分け、泳ぎ渡る。
普通に暮らしているだけでは決して得られない経験と体験が濃縮されていた。
あの状態を続けられるなら、人は1秒を1日にも1年にもすることが可能だろう。情報処理の粋がこの身を突き抜けたのだ。
あの時、あの間。藤林大貴は未来さえ予測していた。ロジックに則った演算式が次の先の行動を予測し、最善手を弾き出して手足を突き動かしていた。
あれは、可能性だった。『あのときもっと上手くできていれば』。先んじて、そういう「if」を導き出す演算式だ。
あれを使えば、従属すれば、決して間違わない一生を送れる。そういう可能性を謳っていた。
藤林大貴は、それでも、と続ける。
あの霧は、この世界には、その式が与える可能性には、成長がない。
経験がある。現実のような体感もある。その上、間違えない。後悔することがないと保証された世界。
しかし、それでも、足りないのだ。
濃縮された「それ」を味わう時間がない。
それがなければ、これはただのデータの蓄積だ。――生きているとはいわない。
経験の意味を考え、体感を反芻する。苦渋を舐め、悩み抜いての結論こそが重要なのだ。
藤林大貴は、そうやって、ここまで来た。
その結論の是非に自信があるわけではない。最適解だったという保証もなければ、絶対の善である可能性など、もちろん無い。
だが、きっと――。
それを含めてのものなのだ。人間とは。
ただ正しいだけのシステマチックに差し出された回答を受け取るだけで、なんの価値があるというのだ。それを良しとしたのなら、人間など正解のロジックの檻の中で飼われた愛玩動物に過ぎない。
『藤林大貴』という個人を殺し、ロボットの首でも挿げ替えているだけだ。そんなのが、人生であるものか。
痛みを伴ってでも、考えて、悩んで、迷い、納得を得て、歩き出す。
いま。このとき。
藤林大貴は、そう望んだ。
――望んでしまったのだ。
靄が晴れた意識が命じる。「目を凝らせ」と。
――よく左目が見えなかった。ノイズがパリパリと入り込む。
先ほど斬られた衝撃だろうか。意識ははっきりとしているが、頭がひどく重い。思考の回りが心なしか悪いのもそのせいかもしれない。
けれど――これは、見間違いではない。
見た覚えがある。この【妖精】を。
この体になったばかりの時に。
あの時は感情もよく読めなかったが。
「……いたみ? いたみ――?」
動揺、しているのか?
――なぜ?
「いたいって、なぁに?」
瞬間、背筋が凍った。
見開いた目。彼女の目は焦点が合っていない。――それ以上に。
その目に映っているのは。
遅れて声がした。呼び声。後ろから。
とても覚えがある。その声のぬくもり。頭に羽を生やしたシルエット。
声。ことば。それは。呼んだのは。
――なぜ、そこにいる?
「いたみ。いたみ。――しってます? 『あなた』なら」
――まて。
今。おまえはなにを言った。
どこを見て、なにを言った。
『あなた』とは。
痛み。教える。
――絢音に向かって?
「まて……ッ!」
【妖精】は既にこちらを見ていない。目を向けさせなければならない。
――そこを、みるな!
追いすがる。膝を立て、思いきり、手を伸――。
「……!」
――右腕が、なくなっていた。
いつから?
わからない。意識が、時間が曖昧になっている。いったい、いつから?
放心する大貴の膝が悲鳴をあげた。体には肩から膝にかけて深々とクレパスが走っている。いつの間にか。どうしてか。
亀裂が広がり。姿勢が崩れる。前のめりに倒れ、土を舐める。
左腕と右足を頼りに起き上がろうとして、しかし失敗する。左膝が致命傷だ。自重の半分を支持するだけの力さえ残っていない。
起き上がり、倒れ、土に顔をうずめる。その繰り返し。
繰り返す。何度も。何度も。何度も。
――だからといって。
見捨てろというのか。諦めろというのか。たかだか、こんな体ひとつが壊れているというだけの理由で。
そんな、それは、それで、なんて――ッ!!
「それが、いたみ、ですよね?」
悪寒。
首を回し、視線だけで振り返る。【妖精】の姿は見えない。
代わりにいるのは、頭に羽を生やした彼女だ。
「あっ……」
口を開きかけた。その目の前で。
彼女は、笑った。口端を歪め。目を細め、指先で唇をなぞる。
「あぁ――そう、なのね」
違う。
声は同じだが。
この声は、記憶にあるものと違う。
あれは、ちがう。
あれは――。
「その顔ぉ……きっと、痛みに耐えているのね」
あれは――ッ!
地面を殴りつけ、痺れる骨身を杖に立ちあがった。左目がちかちかとノイズを発している。それにも構わず、大貴は彼女を睨みつけた。
「……すっかりもとどおり?」
「なにをした!? てめぇ……なんなんだよ!?」
「あら、わかるの?」
「バカにするな……!」
「どうです? 痛いですか? そうですよね。私、あなたの願いをちゃんと叶えましたよね?」
「――ッぁけんな!!」
指を結んだ。乱暴に間合いを詰め、振りかぶり。膝、腰、肩、肘が回転。一直線に拳が走る。
そして、ただ空を掻いた。
あれがなにか超常を起こしたわけではない。
ただ――体のクレパスから火花が噴き出しただけなのだ。フレームはぐにゃりとくの字に折れ曲がり、鉄の塊を支持などしていられなくなって。
否が応でも、元のように顔を地面に擦り付ける姿勢に戻ってしまう。
「……大したことない。これで、いたい? これで、あなたの現実?
だったら、本当に――くだらない」
首筋がゾクリと凍りついた。背骨のラインをやわらかいものがなぞり、耳元に囁きの吐息がふわりと当たる。
あれが、絢音の姿をしたあれが、風に吹かれて透けたかと思うと、すぐ背後に移動したのだ。
ごく自然に。スキップでもするように。消えて、現れる。
「……!」
決定的だった。
アレが、大貴が目の当たりにして、対峙しているものが――あれとは違う、異なる意味で【異形】であふことを。
現実は雄弁に語っていた。
一介のプレイヤーに、こんなことができるはずがない。
あれは【支配者≪マスター≫】だ。この世界、このゲームを定義し、管理するもの。
言い換えれば――神――いや、悪魔か。
「あれ、それとも、もしかして」
反応できない。頬に彼女の指先が触れた。あたたかい。人肌の。
「まだ、たりない?」
だったら。
最後の一言を聞き終えないうちに、背中に衝撃が走った。
胸が貫かれ、心臓を鷲掴みにされ――抜き取られる。
幻覚?
否。実感する。
幻であって幻ではない。実のある幻。
それはもはや本物の。おわりを直感させる。かんかく。
鼓動が、血流が、思考が、
とま――る――。




