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電脳コンプレックス  作者: みそおでん
第2章 「弓引く先に」
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Part4 悪魔の証明 その4


 「赤」が拳を振り上げる。


 その破壊力については既に特筆する必要はない。直撃すれば身が砕けることは間違いない一撃だ。それに速い。


 ダッキングからのサイドステップを踏み、L字に体を動かした。


 機敏な動作に「赤」も追従する。裏拳が飛ぶ。寸前まで迫る。


 直撃こそしないものの衝撃と圧力は体をくまなく突き刺した。全身がしびれ。応答が遅れる。


 「赤」の追撃はやまない。左右から、上下からも「赤」の砲弾のような重く速い攻撃が迫る。


 攻めに間隙がない。息つく間がない。


 ――ならば。


 踏み込む。体がしなり、足元がベクトルを定め、柔軟な全身のアクチュエータが送られてくる爆発的なエネルギーに応えた。


 軽快な回転音が背中を押し、取り巻く白煙が周囲の黒を薄い蓋をした。


 持ちませんよ。精神も機体も。どれほどの無謀な選択だと思ってるんですか。警告。警告。警告――。


 脳裏は囁く。しかし、通るはずの高い声は何故だか靄が掛かったようにしか聞こえない。


 全神経を前方に束ね、ただ「赤」の一点に注いだ。


 「赤」の剛腕。


 それが内包する圧倒的な攻撃力に背筋が凍り、魂が杭で貫かれる。胸がじんと熱を帯びる。


 左の拳を握った。あれに比べれば酷く脆弱で貧相。正面から迎え討つなど無茶無謀。だが。


 「赤」の剛腕が空を破裂させた。大気をおしのけ、一切を千切り散らすような荒々しい一撃。


 その軌道は、見えない――。


 もとより見てから回避行動を取っていては間に合わない速度と距離だ。必要なのは未来予測。それは――。


 踏み込む。半身を横に逸らし、僅かに位置を変える。


 剛腕が迫る。――頬を、かすめた。


 それだけで衝撃に膝が落ちた。肩のプロテクターが吹き飛んでいく。目の前の液晶には強くノイズが走った。


 だが、左拳は感触を掴んでいる。


 「赤」の腹の感触。赤い装甲の隙間を縫って、防御の甘い弱点を捉えている。


 そこへ、ただ最短の距離を走ったのみの軽い拳だが、カウンターで入った。効かないはずはない。


 だが「赤」は動じない。表面上、動じない。


 効果がないはずはないのだ。それが何千分の一の一撃であろうと。


 何千回、何万回と繰り返せば「赤」は落ちる。


 ――そんなことが。


 脳裏にまた言葉が走った。


 ――できると思っているのですか。何分、何時間、何日と気を張らなければならないのですよ。そんなことが。


 続く「赤」のハイキックもダッキングでかわし、水面蹴りで軸足を捉えた。「赤」が小さく震える。そうだ。効果はある。


 手足で四足動物のように地面を蹴って体を跳ね飛ばし、「赤」のストンピングを回避した。


 姿勢を起こす。「赤」が距離を詰める。手刀。袈裟掛けの一刀。低い姿勢を保持して一歩、大きく踏み込んだ。


 背中で悲鳴が上がる。金属がひしゃげたのか。また黒が砕けたのか。――変わらずこの身体は動く。知ったことではない。


 しかし衝撃が背中を押す。踏み込みに一層の勢いが籠る。「赤」の懐を突き抜け、体ごと叩き込んだ。


 「赤」を押し倒す。マウントポジションを取った。拳を固め、顔面を殴りつけた。


 1発。2発。4発。8。16――。


 殴っている拳さえ麻痺してくる。感覚が死んで――感覚?


 少しはマシになってきたが。そう「赤」は口を開いた。


 だがテメェにはがっかりだ。折角また戦おうと思って、仕掛けまで作ったのになぁ。


 「赤」は、いつしかまた歪んでいた。打たれ続けているため。違う。もっと別の理由だ。

 

 テメェは弱くなった。「赤」は評する。


 殴り続ける拳の手首を握り捉えられた。逃げられない。


 そりゃあ、レベルは上がったらしいな。状況判断も上がった。反応速度も上がった。体の使い方のロスもぐんとなくなった。


 まぁ、時々いるわな、こういうコツを掴んだら劇的に強くなるタイプ。……って言っても、テメェの場合はちょいと出来過ぎだが。


 ああ、もしかして、さっきのヤツと同じかぁ。……まぁいいか。とにかく、だ。


 「赤」は続けて評している。拳を掴む掌の、圧力が強まる。フレームが軋む。たわむ。悲鳴を上げる。


 テメェは弱くなった。


 拳が軽くなった。


 弱くなった――どういうことだ?


 テメェらはな、俺と同じところにまで落ちてきちまったんだよ。


 弱くなった――嘘だ。今までのオレが、おまえにここまで切り結べるものか。


 俺と同じ、誰かの駒になっちまった。


 弱くなった――強くなった。嘘をつくな。強くなったのだ。そうなって。そのために。切り捨てた。


 糸に繋がれた人形だよ、テメェらは。


 テメェは本当に、弱くなった。


「だまれ……うそを、つくな!」


 操られて、俺をぶっ倒すポーズをとったってな。


 テメェ、俺を「見て」いねぇ。ただの「的」以上に見えてねぇ。


 それじゃあ勝てない。他のザコどもは知らんが。俺には勝てん。


 シンのない拳ごときが。この俺に。響くか。届くか。


 倒せるものか。この俺を。


 なめるなよ、鉄屑。


 これがテメェの、たったひとつの現実だ。


 ほら、くれてやる。


 ――瞬間、「赤」の言葉が断ち切られた。


 乱暴に乱雑に、体が宙に投げ飛ばされた。丸めた紙くずを部屋の片隅に捨てるような、なんの気のない動作だった。


 【足】からジェット噴射を放った。宙空でブレーキをかける。


 まるで勢いが弱まらない。役に立たない。


 抵抗虚しく、体は天井に叩きつけられた。


 衝撃。球体関節を千切りかねないほどの高い負荷全身をくまなく突き刺した。


 ほどなく体は天井にずぶりと埋もれた。抜け出せない。動けない。身動き一つ。


 「赤」が揺れ、そばの壁面に突き刺さった剣を引き抜いた。


 対応。反応しなければ。攻撃のリーチが伸びた。リズムも変わる。パターンもだ。


 まともに一撃もらうなど、あってはならない。耐えられるわけがない。この体の耐久性能ごとき、10倍あってもまだその一撃にさえ耐えきれない。


 体は動かせない。天井に完全に埋まってしまっている。抜け出すのには時間がかかる。


 逃げられない。避けられない。反応できない。


 ――なんだ。


 ――では、終わりではないか。


 そして、一閃。


 左大腿から左目まで、一直線に断層が走った。


 足は悲鳴を上げ、左胸の急所が白黒と点滅する。ゴーグルは割れ、衝撃で白がはじけ飛んだ。


 瓦礫とともに受け身も取れずに地上に落下した。視界が真っ黒に塗り潰された。


 見えない。なにもみえない。


 これは――地面をなめているせいだ。這い蹲り、屈服し、顔さえ地面から離せないほどダメージを受けているだけに過ぎない。


 決して、「赤」が消えたからではない。瓦礫が頭を潰したわけでもない。


 結果として、命を拾ったのだ。少なくとも、あの状況からは。


 立とうとする。両手に力を込める。膝を立てる。フレームが軋む。アクチュエータが小刻みに震える。顔を上げる。


 ほら、まだあれはいる。


 逃がさない。逃すわけには。


 倒さなければ。


 だってあいつは――あいつは――?


 ――なんだっけ。


 ――いったい、なんのために、こうまで――――?


「――では、私の手を取ってください」


 白い洞窟に、青い風が差しこんだ。青々とした淡い光の粒子。溶けて消えてしまいそうな白い手を差し伸べた、それは。


「『また』、私があなたに力を与えます。叶えます。あなたの願いを。あなたの望みを」


 ――のぞみ。


 潜る。潜る。促され、問われ、答えを探し、また真っ黒の海にしずんでいく。


 暗暗とした淀んだ思考の海底。これは、頭に霧がかかっていることが関係しているのだろうか。


 上も下もわからなくなる濁流の中――。


 それらしいもののかけらの姿を、なんとか捉えた。


 名前さえ分からない。他でもない自分の。


 それはいのりである。


 のぞみである。ねがいである。きぼうである。そして、ゆめである。


 ――こうであるようにと。


 こうありたいという、カタチを示した未来予想図。


「――それは?」


 これは。


 醜悪だ。


 そして切実だった。


 海原を荒らし、黒く染め上げた中でも輪郭を伝えよと必死に手を伸ばすような、魂の叫びた。


 ――人間になりたい。


「あなたも?」


 では、私とともに。


 私とともに歩めれは、あなたは私と一緒にヒトになれるのです。


 さあ、手を。私の手を取り、魂の救済を。


 ――魂。救済。助けを。


 誰かが言った。助けを求めるのは正しいことだと。


 助け合うべきだ。ヒトはひとりで生きていない。だから助けを求めよう。みんなで手をつなぎ、みんなで世界を回すのだ。


 そして、


 みんなで仲良く、地獄に落ちればいい。


「……」


 唇を噛む。空気を舐め、乾いた舌先を意識する。


 意識する。ぼやけた頭が、胸の内の感情の名を教えている。叫んでいる。


 忘れてはならないその名は。


 『空虚』――だ。


「ぁ――」


 ――ちがう。そのがらんどうの中で、それは語った。


 助けを求めるだけではダメだ。


 この手は伸ばすためだけじゃないはずだ。掴むこともできるはず。


 まだ、なにも掴んでいない。


 まだ、何者にもなれていない。


 人間になりたい。というのは、そういうことではないのだ。


 ただ、両足に自分だけの力を込めて立ち上がりたい。


 瞼を開き、だだっ広い世界の地平線を見据え、自分の足で歩いていきたい。


 行く当ても、歩幅も、自分で決める。


 それが正しい人間なのだと、思った。


 待ってるだけでは意味がない。あの機械の日々と、それではなにも変わらない。


 たとえ痛みを伴っても。傷つき血を流しても、人である痕跡を残し、その意味を魂に刻みつけたい。


 ただ、差しのべられた手を取るだけの人形でいるなど。


 何者でない自分のままで固定し、思考を止め、流される人生など。


 その痛みを、もう知っているはずだ。


 それは、深い擦り傷の血を止めようと、傷口に向けて砂が嵐となっていく襲いかかってくるような痛み。


 乾いて乾いて仕方ない。いくら渇望しても、手を伸ばしても、あまたの砂の嵐はその願いに蓋をする。


 たとえ苦しくとも、辛くとも、それが幸せなのだと。砂漠はそうかたりかけている。


 その目を焦がす太陽の輝きも、目を奪う花々の華やかさも、全て余計だ。


 ただ生き、死んでいくだけならば、なにも広い世界で数多の苦しみに体を削られなくてもいいだろう?


 ならばこの砂塵にだかれていればいい。生きている証を小さな痛みと渇きで与えよう。


 さあ。疲れたのならば膝をつけ。この腕にだかれ、ただ眠ってさえいたとしても、いずれ終わりの時が来るのだから。


 だから――などと。


「……できるか。それでも、おれは……人間、なんだ。

 誰かに寄りかかって、のぞみを叶えてくれるだけ、なんて……

 そんなの……おれはッ!」


 ――そう。せめて、そう、言いたい。


 たとえ傷ついても、迷っても、見失っても、疲れ果てても、泥をすするように道端で倒れても。


 「自分のことは自分でどうにかする」。自分の足で立ち上がって、歩いていけるように。


 心まで毒され、傷つき、疲れ、風化させたくはない。タフなセリフを吐きたい。


 悔しさに打ちのめされて顔を涙で汚しても、「それでも」と。「まだ終わらない」と言い続けたい。


 でなければ。なにもできない矮小で醜悪な本性の俺が、そんな気概さえ持てなければ。

 






 ――「だいじょうぶだよ」――






 でなければ。


 こんな自分を信じてくれた彼女が、あまりに浮かばれない。


 人間になりたい。自分に胸を張れる人間に。彼女にも誇れる、正しい自分に。


 でなくては――。


 彼女に、この気持ちさえ伝えられないじゃないか。


「……これが、ぜんぶだ。ぜんぶなんだよ、これが。俺の腹の、奥のそこまで、ぜんぶの気持ちだ」


 これ以上の言葉も、これ以外の気持ちもなにもない。


 『――――藤林大貴』は、ようやく自分を取り戻したように、そう宣言した。


 思考の霧は晴れ、しかしあの「赤」の――【異形】の一撃のせいで目はかすれている。それでも、ようやく光が戻った気さえしていた。


 震えていた指先にも血の気が戻る。――この体に血が通っているとは思えないが。


 重く、しかし体は動く。


 顔も上げられる。


 目に映った彼女の――【妖精】とかつて名乗った彼女の、表情は。


 ――とても傷ついているように見えた。


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