Part4 悪魔の証明 その2
そして。
やがて。
どこかへ。
消――。
「赤」が見える。それは「敵」の色。
なぜかって――そう決められているからだ。
銃口が向ける。牙を光らせる。爪を立てる。剣先が突き付ける。そういうことをする色。
体は動く。反応する。応答する。動作する。
弾を回避し、牙を砕き、爪をねじ切り、剣を折る。
障害を退け、「赤」の根源を「破壊」する。
「破壊」自体は難しいことではない。身体的な弱点。攻撃の隙。そういった意識の「消失点」を狙うのだ。
2つ「点」が重なり合う致命的なポイントを衝く。そうすれば簡単だ。
数フレームだけ開くそれを、的確に打ち抜く。
そうして一撃。まだ起きるようならまた一撃――。それを繰り返すだけの単純作業。
難しいことではない。特別に早くなくてもいい。特別な武器は必要ない。
ただこの拳が、最短距離を駆け抜けるだけでいい。
「そこ」を割り出すのも至極明快だ。気分の悪い点を、不快な感覚を、フラストレーションの濁流を遡り、打ち抜くだけ。呆れるほどの単純作業。
不快な雑音が耳を撫でる。 おどろおどろしい霧になり視界を霞ませる。煩わしい気配が芯になっている。不快なにおいと最低の肌触りの風を引き連れている。
その正体は、哀願である。殺意である。罵倒である。叱咤である。激怒である。欲望である。その中のたったひとつであり、すべてである。
どろどろとした感情の連なり。周囲を燃やし自身さえも融かしていくような熱量の流動。とにかくそれは、そういう姿となって目の前に現れる。
そんな溶岩のようなものたちが、赤く暗い衝動の塊が、その後に「攻撃」を引き連れる。
敵を封じるには、その流れに――予兆に乗ればいい。「波」に乗り、「赤」の中心を握り、潰せば、「点」は確実に破壊できる。
その流れを見る「目」と実行する「速度」さえあれば、とても簡単で単純な作業なのだ。こんなもの。
そして――また。
何度か、何十度目か。それとも何百度目か。何千となのか。
とにかく、また――「赤」の中心を握った。
皮膚に滲み、肉を伝い、骨を震わせる。濁流の源泉が侵食して来るような気分だ。不快で、不愉快なその流れを、アクチュエータの回転とともに五指でメキメキと縛り付け、食い込ませ、圧迫させ。
「赤」の溶岩が冷めていくのを――怒りが諦めに、殺意が錯乱に、闘争心が絶望感に移っていく様をじっくりと味わって。
潰した。無慈悲に。不条理に。無遠慮に。
手には感触が残る。「赤」を打ち抜いた感覚。柔らかく、ほのかに温かい。
ああ――言ってやる。
哀しみ。怒り。絶望感さえ――煩わしい。
だから、いますぐに――。
拳が何かを握り、引き抜く。そうされた「赤」が消える。
――消える。
「赤」が。障害が。鬱陶しいもやとともに。
――ああ。
世界に黒が戻ってくる。怒りも哀しみも絶望感も溶け消えて、正しい調和を取り戻す。
これだ。これこそ、煩わしい一切が排除された今こそ――正しい。
だからこそ、今オレの心は凪ぎている。
害されず、脅かされず、虐げられず。ただ、『在る』。
なんて心地よい。安定していること。侵されないこと。――平穏であるということだ。
これは、いきものが求め続けた形だ。心の安らぎを具象化したかのような世界――。
この真っ黒い中で、煌煌とした「赤」。なくならない色。不快な色。
嫌なのだ。不快なのだ。気持ちが悪い。こんなもの。
――いま、すぐにでも消してやる。
残らず、すべて。すべてをだ。
一個。一個。また一個。
順番に丁寧に、「赤」の中心を指先で感覚を確かめていく。引き抜いたものに絡まるものが肘に滴り。
握り、潰す。作業的に、淡々と。ひとつずつ。
中身が腕にまとわりつき、肌から骨身にしみていく。
ああ――ようやくだ。
正しい静寂が。真の平穏が、戻ってくる。
真っ暗だ。
どこにも見えない。なにも見えない。
真っ暗だ。
「赤」も見えない。なにも見えない。
真っ暗だ。
本当に――。
オレは、どこに行こうとしていたのだろう。
ここが最も正しい場所なのに。
どこに。これ以上はないというのに。ここから動く必要など、ないというのに。
――そのはずだ。
本当に――?
頭の奥で誰かが囁く。あなたはたったあれだけの時間で、すべてを忘れてしまう程度の人間なのですか――?
「あなた」とは誰の事だ。
オレの頭の中の言葉だ。けれど、オレでない誰かが発する、オレのことば。
あの溶岩の流れの本質のような――過去からの独白だ。
ふいに、暗闇が切り裂かれた。
また「赤」。今度はひときわ大きい。器の大きさでなく、中身の強大さを物語っている。強い「赤」だ。
これを、知っている。
名前は――。
* * * * * *
【異形】。
そう呼ぶものは少なくなかったが、特別認めたつもりはなかった。「アレら」を基準にすれば、レイダースなど、残らず異形なのである。姿形で自分を特別視するなど、ナンセンス極まりない。
そもそもだ。ころころ武器も見た目も性格も変えるような連中に言われる筋合いはまったくないのである。
事実、「アレら」は自分の本来の形を忘れ、簡単に捨て去るような、平気でそうできるような連中だ。むしろこちらの台詞――なのだが。
結局のところ――『どうでもいい』。その一言に帰結してしまうのもまた事実だった。
主旨ではない。彼らを言葉で抉るなど。
殴り抜け、蹴り砕き、切り刻む。主旨とはそれだ。『戦い』『勝利する』ことこそが。
しかし――。
それさえ退屈だった。
歯ごたえがない。貧弱すぎる。
攻撃は子犬の体当たり程度に留まり、防御は枯れ木の樹皮にさえ満たないものまでいる。
弱すぎる。
「まぁ――その基準でいや、テメーはかなりいい線いってた。その点は褒めてやっていい」
黒焦げた肩の装甲を乱雑に投げ捨て、座に粗く腰掛けた【異形】――否。
上級モンスターが冠する【ハイレイド】の一種、その中でも屈指のフィジカルを誇る【甲蟲種】『ヘルクス』。
そして、その括りでもなお最上級である【朱紅】の鉄鋼皮を持つ『スカーレット』。
――そして。
個体としての名は――『スレイド』。
それが、自らの玉座から、数十メートル先に視線を投げた。
勇敢にも、愚かにも、無謀にも、スレイドに単騎で立ち向かった男。何度かの剣戟と鍔迫り合いを演じた男。衝撃と剣圧に身を灼かれた男。
――その果てに力尽きた一人が、そこで朽ちている。
スレイドの剛腕と強脚、大剣と切り結んだ彼の得物は疲労の限界をゆうに超え、刀身は粉となって砕け散った。もはや柄の一端が残るのみである。
体も同様に、余す場所なく「たたき」にされている。指一本動かせないダメージである。
外骨格でない彼は見た目でややわかりにくいが、身体の芯材である骨で、無事で済んでいる箇所はまずないだろう。
――今度こそ。
否。これで「そう」なるのであれば、この彼との戦いはとうの昔に終わっている。
一度目の幕切れは開始2分ほど。彼の剣と同時に蹴りを放ち、スレイドの脚が先に彼のわき腹を捉えた。骨でどうというのなら、ダメージを加味してもその時点で終わる。
二度目は拳だった。ガードの上からだが、刀身から伝播した圧力の激流は彼の身体に大穴を開け、砂埃をあげて遥か後方に吹っ飛んだ。壁に身体を埋め込んだ姿まで確認している。
そして三度目。いよいよ面倒になって抜いたスレイドの剣で、縦一文字に切り捨てた。スレイドの力と速度から成る剣の雷だ。切り裂け、黒焦げ、燃え尽きる一撃なのだ。
――にもかかわらず。
この男は声を無くした蝉のように地面を舐め、しかし、スレイドにいまだ這い寄っている。
生きている。だけでなく。戦う気でいる。
時間稼ぎとか、暇つぶしとか、そういった「浪費」の念は伝わってこない。
これは、甚だシンプルな一本の矢だ。
そのためだけに存在する。そのためだけにベクトルが与えられたかのように。
――これだけ見せ付けられてもなお、この男は、スレイドに勝利するつもりでいるのだ。
そこには守りたいものがあるわけではない。主義も主張もなく、富や名声を目指しているわけでもない。誇りさえ希薄。
ガラスの背骨で身体を支え、ただ、スレイドに勝つ気だけでいる。取り憑かれたように。機械のように。プログラムのように。NPCのように――。
常識では考えられない。
スレイドに這ってでも向かってくる精神もさることながら、そしてそれ以上に、 ルールを無視した生存能力に。
吐かせる必要がある。追従出来ないよう四肢と首を胴から切り離す前に。
「……お前、ついさっき、俺がチャンプとやり合う前に蹴散らされたらしいな」
――別に覚えていたわけではない。倒した敵を律儀に覚えていては、スレイドの頭はすぐにパンクだ。
単に、倒れているアレが喚いている言葉からの推察である。
「……俺は歯応えがあった奴は忘れん。相応に敬意を払っているつもりだ。
チャンプ、キング・ジョージ。いいハンマーを持ってた。立ち回りの機敏さ・繊細さと一撃の重さを持ってる。『構え』に入られると俺も崩すのに肝を冷やすぜ。ある程度のダメージは覚悟しなきゃならない。現に、胸と片腕を持っていかれた。
ザ・ナイト。ガイスト。黒塗りの武器で固めたヤツだ。初めて俺が直々に出向かずに戦った男だ。独力で来たんだよ、この『座』までな。デカいランスを軽々振り回す。ダッシュの加速力とジャンプのバネで直線的かつキレのある機動力が持ち味だ。俺の装甲も刺突で撃ち抜く。あの豪突をいなせなかったらここにいなかっただろうな。
ガリアン。自分で獣というだけはあった。ハンドスピードで俺にあれほど肉薄していた奴はいない。こっちは小回りが素早かったな。懐に入られてからは雲を掴むようだった。打撃の連続で装甲が焼け焦げた。
そして――いや。ヤツの名は聞きそびれていた、か。あいつは貧弱な分際で俺の装甲に傷を入れるどけの爆発力のある。とにかく、ヤツがいた。将来有望かもしれんな。まぁ、今はメンタルバランスが悪い。我を活かし切ればいい線いくかもしれん」
顔を歪め、スレイドは語った。牙を光らせ、記憶の中の極上に舌鼓を打ち。
また、意識は冷たく眼下のモノに向けられた。
「だが、貴様は知らん。しかし俺を肉薄出来た。いいポテンシャルを持っていた。だが、貴様の力は知らん。
――もっとも、三度続けてようやくの手前、あいつら『本物』と並べちまうのはアンフェア、だな」
座から腰は上げず、スレイドは冷ややかな視線で彼を足蹴にする。嘲笑し、吐き捨て、唾を吐く。
「――そう、貴様はアンフェアだ。貴様らはもともと、そんなにすぐに強くなれるはずはない。強くなれるのなら――貴様のようなのが俺の前にもっと来ない理由がなくなる。
死霊のように、機械のように、ただ執着のみで貴様が俺に向かって来続けられるなど、あり得ん」
スレイドの常識に沿った疑問を投げかける。
ジョージ。ガイスト。ガリアン。3人の実力は時間によって裏打ちされていた。
単純な攻撃の中に含有した高度な駆け引き。一撃必殺をちらつかせ、攻撃のギアの回転を巧みに操作し、敵を翻弄し巻き込みすり潰す。
ステータスに左右されない、戦闘者としての経験と技術がものを言う領域。一朝一夕では身につかない積み重ねの成果である。
それを、持ち合わせたはずのない時間を――その果てにある「もの」を、この男は振り回している。
「ならば、だ。――貴様、アウトサイダーだな?」
アンフェア。アストレイ。アウトサイダー。ルールを無視し踏み外したもの。
この男の存在は、スレイドのみならず、全ての戦うものに対する冒涜である。侮蔑である。嘲笑である。
――これだけは。
強いもの、たとえゆがみ変質しようとも「強さ」さえ持ち合わせているのであれば、あらゆる存在も命令も意思も良しとするスレイドだが、この存在だけは、許すわけにはいかなかった。
「……踏みにじられようが、吐き捨てられようが、結局俺にはどうだっていいのさ。舞台に流れる音楽、雰囲気……ああ、TPOとか言うのか? どうだっていいんだよ、そういうモンはよ。
俺は、俺の気分がよくなれれば、それでいい。だから、俺の音頭で踊れねぇのは目の前から消えろ。――シンプルだろ?
イライラするんだよ、てめぇ――ッ!」
――続く言葉は、破裂音にかき消された。
すんと、辺りは静かになる。
静寂が流れていた。その流体はこの『座』で掃き溜めのように淀み、溜まり混んでいる。濃厚に色づいている。
スレイドの色だ。たかがNPCの感情の色。
嫌悪。憤怒。憎悪。そういった、どろどろとした、スライムのような流れ。
――その中に。
やがて、またひとりが現れた。




