Part2 「どろどろとじめじめ」 その7
ゴーグルに示される敵ユニットは未だ多く、減る気配は微塵もない。
そして――近い。
背後。
「――っ!」
ジャンプして回避――するが、足が想像以上に重い。咲のハンマー投げが想像以上に体に負担をかけたのだ。エネルギーを一気に消費しすぎたせいか、はたまた軸足として酷使しすぎたのか。いやに熱い。
避け続けるられるのか――?
緊張する大貴の眼前には敵。先のワニもどきやカエル。それにカメのように厚い甲羅を背負ったものまでいる。
いや、【いた】のだ。
ペッパーが割って入るまでは。
「……おい」
今まさに振り払うような手軽さで敵を両断したばかりの剣を、大貴に向けた。
「邪魔だよ」
吐き捨てる言葉が振り払われた刀身に乗った。
大貴を避けて走った剣が淡く光り、紫電を帯びて力を発した。
それは不可視の圧力となって空気を潰し、嵐の軍勢を引き連れ、空間を引き裂いていく。
――正しく、「空を断つ」。
断空の一閃はワニもどきやらカエルやらカメやらモグラやら――そうした彼方に群れる一切合切を切り裂き、あるいは吹きとばし、あるいは押し潰す。
それは、実に爽快感のある光景であり、大貴との差を雄弁に語った一撃であり。
「――っあー、んんー? なぁぁぁにしてくれてんだ。てめぇらぁ?」
ソレを、呼び起こし怒り滾らせるには十分過ぎる技量であった。
それは、赤く大きな男だった。
長く太い一本角を額に生やし、全身を赤い鎧で守っている。
にたり、と甲冑が歪んで異質な笑顔を顔に貼り付けた。
その様は、彼を取り巻く配下――様々な生き物を組み合わせたり異常発達させたりして形作っている凶暴なモンスターらとは比較にならないほど。
強靭。
剛毅。
堅牢。
否――。戦闘力を意味するステータスだけではない。
対峙しているだけで相手を圧迫し緊張を強いる、これは。
――やはりコレは、『向こう側』のコミュニティの中でさえ【異形】なのである。
「……」
ペッパーは押し黙っている。剣を持ち直し、十分距離があるはずなのに後ずさった。
この異常性は大貴だけの主観ではないのだ。ペッパーも、おそらくこの場に立っている彼の仲間であるモンスターでさえも萎縮している。
それだけの濃厚な覇気だ。常に新幹線が最高速度で突っ込んできているような圧迫感を覚える存在感である。
――正直に言って。
大貴は特に考えていなかった。
ついさっきボロボロに負けた相手である。勝算はない。あるわけがない。力の差は歴然だ。
それでも、じっとしていられないからここまで来たのだ。
たとえゲームの中だとしても、絢音に「自らの最後を意識した行動」など、取ってほしくない。
それを迫るアレを、【異形】を、許す気はなかった。
――許さないことは簡単だ。頑なに、認め続けなければいい。
しかし、撤回させるには、つまり倒すには――どうすれば。
「……首輪付き、か」
【異形】が前進する。
無音であるはずの空穴に、地響きが乱反射した。なにかが再現なく頭も鼓膜も心臓も、なにもかもをがんがんと打ち鳴らしている。
――爪先から脳髄までが満遍なく殴り飛ばされているような気分だった。
向かい合っているだけなのに、少し気を緩めればなけなしの闘争心ごと刈り取られてしまいそうなほどの圧力。
無数の目には見えない死神の鎌のようなそれらを引き連れて。
【異形】は歩く。
周囲のモンスターさえ、ひれ伏し声を押し殺しているようだった。
「くっ……っ、っ、っ……」
隣で、か細く、弱々しく、痩せた引き笑いをペッパーが零した。
あれだけモンスターの軍団を一挙に切り伏せたペッパーでさえ、こうして動揺していた。握った剣が細かく震え、構えもいつの間にか低く崩れている。
喉から水気が消え失せたような、乾いた呟きが2、3小さく発されている。
目だけが爛々と光を失っていない。
――危ない状態だとは、一目で理解できた。
「……おい、お前」
戦意を押さえさせるのだ。剣を下ろさせなければ。
ペッパーの剣の柄に触れる。
瞬間――指先に強い衝撃が走った。
伸ばした片手が肩の上まで跳ね上がった。赤い電撃が巻き、視界がちかちかと点滅さえする。
『アラート。システムエラーです。装備フラグが成立していません』
「はぁっ……!?」
そんな馬鹿な。ちょっと剣に触れるだけでこんなバチバチしたものに弾かれるなんて――。
そうは思いながらも、ニルが説明で「システムエラー」の言葉を使用した限り、無理にでも納得しなければならない。
大貴が片腕を吹き飛ばされてもゲームオーバーにならなかったのも、大貴の体にエネルギーを過給して爆発的なパワーを得られるターボチャージャー的な要素が含まれているのも、すべてそのゲームシステム様の定めたルールなのだ。
システムが白と言えば白であり、黒でも白と言い通されれば白になる。ここはそういう世界なのだ。――忌々しいことに。
「邪魔ぁ……すんなぁ――」
ペッパーが大貴を押しのけ、一歩大きく前に出た。
剣を握り直し、片手をジャケットに隠れた腰に回す。残っていたもう一振りの剣を、鞘から引き抜いた。
――腰に下げていた時は気が付かなかったが、これは今まで握っていた小振りの両刃剣とは形状が随分違った。
まず長く、そのまま腕を下ろせば地面を引っ掻いてしまいそうなほど長い。1メートルは越えないにしろ、80センチはありそうな刃渡りだ。
驚くべきは、抜くまで、まるでそれを感じさせなかったのだ。引き抜く間で剣のステータスを隠す機能が、あの鞘には登録されているのだろうか。
柄も長い。片手の小剣より少し短い程度だ。――こちらは鞘で隠匿できるレベルの話ではないような気がする。この二振りがあのジャケットに隠れた空間にしまえていたのだから驚きだ。現実感を強調している割に、このゲームはこの辺りは適当らしい。
刀身は黒く、片刃である。しかし日本刀のような無駄のない流麗なフォルム、という訳でもない。刃の幅は広く、峰も大きなアクセントをつけて波打っている。曲刀とかいう西洋刀の類のようだ。
「――んのため……そう、なんのためだ。てめぇにそこらに転がる奴らみてーに情けなくぶっ潰されて、こんなもん首に巻き付けられて、ガンガン頭に入ってくる気色悪いイメージにイライラさせられて!」
「はぁ? ……あぁ――そういうことね。おたく」
長い曲刀を無造作に一閃する。衝撃が大気を切断し、地面に散らばる小石が塵となって吹き荒れた。
【異形】とペッパーの間の空間が掃除された。物言わず、消えきらない雑兵の死骸は部屋の隅まで飛ばされる。
「趣味わりぃんだよムシケラぁぁ! こんなブラクラぁ、セットするキャパ残ってんならもう少し大型狩らせろっつーんだよ! あとエフェクト押さえてダメ多くしろ。てめぇみたいに硬いの相手にすんのだりーんだよ」
「ハッ――こっちの台詞だ、クソゾンビ」
そして――ようやく、【異形】とペッパーの足が、同時に止まった。
それは、「握る曲刀の射程距離範囲」ではない。
「手を伸ばせば届く距離」でもない。
正しく――「ほとんど顔が触れ合いそうなほどの距離」である。
密着こそしていないが、ゼロ距離と言って差し支えない。
あれではペッパーの剣はもちろん、【異形】の拳も射程外だ。近すぎる。
しかしそれにも構わない。ペッパーは【異形】の双眸を見上げ、悠然と言い放った。
「てめーの魂胆全部ぶっ潰すためにプライドかなぐり捨ててきたんだ。キングとの再戦も後回しにして、あんないけ好かない羽女に頭下げて力をねだって、未拓のマップに単独で突っ込んで暴れまわって……ようやくだ。こちとら、ようやくなんだよ」
「そりゃあ、ご苦労なこったな…………大変だな、ザコは」
吐き捨てる【異形】に、ペッパーが動いた。
小さく踏み込み、腰や腕の力を連ね組み上げた。
驚異的な加速度をもって、逆手に持った小振りの剣の柄を打ち込む。
低く鈍い音が大きく響いた。
柄先を受け止めた【異形】の赤黒い手甲に小さな波紋が広がった。紫電と火花が小さく飛んだ。
ペッパーが飛び退く。開いた空間に曲刀を走らせ、紫電を帯びた斬撃が駆ける。
弾丸のような速さの、碇のような電撃の砲弾。それを見やり、【異形】は口端をぐにゃりと歪めた。
大きな拳をほどき、広い掌で空を捉える。それらを一気に撃ち出すように、手のひらを振りぬいた。
圧力に固められた空弾が、紫電の碇を撃墜する。衝撃波同士、本質として不可視の弾丸がぶつかり合って白く歪んだ空間を作った。
互いの姿が一瞬消える――。
瞬間、その空間をペッパーが突き破った。空間を貫き、曲刀の剣先が【異形】へと一直線に駆け抜ける。
片手を振るったばかりの【異形】は対応が一瞬送れる。曲刀が【異形】の伸ばした片腕を抜け、額の一本角を突き刺した。
「ハッ」
【異形】は吐き捨て、曲刀の刀身を掴み取った。握力に曲刀が軋み、紫電と火花がガリガリと飛び散る。
「このっ……!」
ペッパーが電撃を飛ばし、小振りの剣で超速の一閃を放った。【異形】の赤黒い表皮がオレンジ色の線が刻まれる。
だが【異形】はびくともしない。曲刀を握る片腕の腱の位置を捉えた剣撃であったが。
ただ純粋に、殺傷力が――破壊力が足りていないのだ。
鼻で笑う【異形】は、曲刀ごとペッパーを投げ捨てた。空中で二転三転しながらも、曲刀の剣先で地面を掻いて無理やり減速した。
そしてようやく、地面に両足が着地した。ブレーキに使った曲刀を地面から引き抜き、肩に背負う。
――図らずも、【異形】と距離を取ることとなった。
大きく呼吸を繰り返し、ペッパーは奥歯をかみしめた。未だ蕪村に仁王立つ【異形】をにらみつける。
「ビリビリすんじゃねぇか。……ま、速いだけの数撃ち野郎ってところか? ゾンビ君」
「抜かせッ……!」




