Part1 「藤林大貴のありふれた休日」その3
水前寺邸は【屋敷】と呼ぶに遜色ない見事な構えの広い家屋である。(とはいえ【豪邸】と呼べるだけ煌びやかではないのは、単なる水前寺家長の好みが「割と地味め」であったためらしい)
大貴が通してもらった居間は、およそ学校の一般教室程度の広さだった。正直広すぎて落ち着かないレベルである。
その広々したスペースの、隅っこの壁には畳一枚程度の大きさのワイドテレビが置かれ、その前に宴会用のような長く足の低いテーブル、続いてゆったり5人は掛けられそうなソファーが並べられている。
そうして居間に必要な家具を余裕を持って置いても、なお卓球を1・2試合並行してできそうなほどの広さが残っていた。
――それだけの広さがありながら。
「それ」は、無視しきれないだけの存在感を放ち続けていた。
「【エッグ】だ。レッドリズム社製の【サイバーブルース】の中でも、最高級品だぜ?」
絢音からプレゼントされた駄菓子袋を片手に、巧が軽く白く丸々とした表面を手の甲でたたいた。卵のような外壁がゴン、と鈍く揺れる。
大貴はただただ目を丸くした。
なんだこれ、と。
その中はスモークガラスのようなもので薄く見て取れた。限界まで背もたれを倒したリクライニングシートのような、人ひとりが横になれるシートが備えられている。周りは2・3のパネルで固められ、ジョイントアームの端にはヘルメットのような形状の球体をL字にくりぬいたものが取り付けられていた。
全体の高さは2メートル強といったところ。水前寺邸の居間だからこそ余裕があるものの、大貴の部屋では天井を引っ掻きかねないほどに高い。
一見するとどこかの会社のコンセプトモデルのような『近未来感』を重点に置いていることがよくわかる造形だ。単純な『でかい卵』などというファンシーなだけの代物では決してない。
もっと別の、大きく明確な目的があって開発されたものなのだろう。眠りに落ちる人間を守り、抱え、沈んでいくように――まさしく「電脳の海を溶け込む」ために。
「【サイバーブルース】って……アレだろ? パソコンの中に入るやつ」
「そうそう。よく知ってたな、大貴」
「知ってるって。高校生なら、10人に聞いたら1人2人は持ってるって答える感じのだろ。……あ、今バカにしたのか?」
「違う。説明の手間を考えたんだ」
「……まぁ、ウチにはないし、どうやって使うかは知らないけど。前に友達が持ってたのを見せてもらった時はもっとこう……小さかったぞ」
「だろうな。最近じゃヘッドギアタイプやヘルメットタイプの『小型簡略化』製品が割と安値で出回ってるし、普通【サイバーブルース】って言えばそっちだろう。
だが、やはりこういう大型タイプの方が安全で快適に電脳に『潜』れる。そこはスピーカーやパソコンと同じだ。小型化できる技術は十分あるんだが、やはり性能面はどこかしら見劣りしているんだ」
「なんていうか、よくわからないけど……すごいんだな。前にこんなのゲーセンになかったか? あ、もしかしてこれって格ゲーとかできる?」
「格ゲー? ……まぁ、そりゃあできるだろうな。【サイバーブルース】っていうハードウェアがあるんだから、あとはソフトウェアさえあれば仮想現実体験は可能だな。
ソフト開発のための【ヴァーチャルリアリティストラクチャ】も専門的にはかなり有名になっているから、組み立てるのはそう無理難題って話でもないんじゃないか?
コンピュータのデータベースに適応させれば普通にマウスやキーボードの延長としてパソコンを操作できるし、対応ゲームなら世界観に入り込むことだってできる。
シューティングもロールプレイもシミュレーションでもなんでもだ。……エロゲーだって、もしかしたらそのうちにな。ニーズ次第だろ」
いやでも待てよそういえばどこかの会社が――巧が頭をめぐらせる。語り出したら止まらないのは、巧の悪癖のひとつだ。
その傍ら、絢音も目をぱちくりとさせていた。大貴同様、見るのははじめてなのだ。きっと届いたのは屋敷を留守にしていた間ーー街中を散策していた間なのだろう。
「もしかしてこれ、お前の誕生日のプレゼント? さっすがまた……高そ」
「そういう体ではあるかな」
「そういう……テー?」
眉をひそめる大貴の傍ら、巧は薄く笑った。隣で【エッグ】を物珍しげに観察する絢音の頭に手を置いて、視線の高さを合わせて口を開いた。
「どうだ、絢音。やってみないか?」
「ええっと、おにいちゃん。わたしがゲームするの? これで? どんな?」
「選んでおいたよ。【ガーデン・レイダース・ネットワーク】ってヤツだ。大手ってほど利用者もいないがグラフィックの完成度も高いタイトルで、メジャーマイナーってところかな。
全体のクオリティも低くないし、適度にごみごみしてないからやりやすいはずだよ」
「それ、戦争ゲームじゃ……」
「世の中戦争ばっかりじゃないさ。ネットゲームも一つの社会で、一つの世界だからな。絢音が気楽に遊べるような場所もちゃんとある」
「そ、そうなの? ……そうなんだ」
妙な理屈だが、絢音はひとまず納得したようだった。
――最近のゲームには疎い大貴だが(数か月前に行きずりのゲームセンターで古い2Dの格闘ゲームをやったきりだ)、その【ガーデン・レイダース】というタイトルには聞き覚えがあった。巧のお気に入りのゲームのひとつだ。
以前にも、悪癖の「語り出すと止まらない病」に任せて延々話されたものだ。あまりよく理解できなかったし、しなくていいと思うが。
そのときの語りの一部を抜粋するとーー。
(――「言っても中堅タイトルだからな。期待もそこそこって感じで始めたんだ。けどもう起動してびっくりした。グラフィックがもう……ただリアルっていうわけじゃなくて、なんていうか……繊細なんだ。ものすごく。ゲームを現実と誤認識させないためなんだろうけど、それを凄い気を使って丹念に作りこんでるんだ。【現実的非現実】とでもいおうか。ホント凄い。プログラムをかじった人間として感動した。クリエイターのこだわりを感じたな。
それに【レイダース】のUFOも凝ってんだよ。あのなんとも言えない質感のアダムスキータイプはもう、なんていうかゾクゾクする。一回見てみろ。わかるから。ギャグにしかみえないのに威圧感がすごいんだ、向かい合って。世界観もリアルよりファンタジー寄りだからっていうのもあるんだろうが、エフェクトのメリハリも出来ていてスキル一つ一つを使ってて面白いんだ。
武器もバズーカやらハンマーやら鎖鎌やらってバリエーション多いし、一つ一つ熟練度や改造度があるから時間と成長プラン次第で課金装備と遜色ないレベルにまで引き上げられる。
あとアバターの見栄えもいろいろあってさ。キャラメイクの楽しみも結構あるんだ。種族を自由に選べるのも魅力だな。種族は動物をモチーフにした亜人種なんだ……といっても、やっぱりヴァーチャル対応だから人間の原型は最低限留めているんだけどな。多少キャラメイクの面白みがそがれてしまっているが。まぁそこは仕方ない。ゲームをやめて背中に羽がついていないことに悩まれてクレームが来てもつまらないだろうしな。とにかくだ。そういう見た目の注目があるから、結構種族は簡単に変えられる。経験値や資金もちゃんと引き継がれるしな。レベルは初期化されてしまうが、アビリティ取得に必要なポイントは引き継がれるから明確なデメリットって感じはないかな。
レベルアップで全体的なステータスアップとそのアビリティポイントが入るんだけれど、戦闘経験の過程でプレイングの傾向からステータスボーナスが付く造りで(以下略)」――)
――と。
前後でこの数倍の文字数をウン時間かけて語りまくり、時に図説を交えて「講演」されたのである。その甲斐もなく、大貴には理解できなかったのだが。
とりあえず「なんかすごい」という輪郭だけ伝わってきたゲームだった。
巧は【エッグ】の表面に備えられた操作パネルからスモークガラスのハッチを開いた。
中のシートに絢音を寝かしつけ、体をベルトで保持し、手の届く位置にタッチパネルを移動させ、ジョイントアームを乱暴に引っ張り【エッグ】の中の重たげなフルフェイスのヘルメットを絢音に被せた。
ヘルメットは絢音の頭と比べてふた回りは大きいものでも入る設計のようで、ずいぶん余裕のあるようだ。巧いわく、これでも問題はないのだという。
顎の下にベルトを緩くつなぎ、ふと巧は思い出したように口を開いた。
「そうだ。なにか食べてないな? ゲームに『潜る』時に味覚やら五感を強く使っていると上手くつながらなくて面白味が薄くなることもあるぞ。味だけに」
「………………たべてないよ」
巧の(あまり上手くない)冗談から目を逸らし、絢音はごくりとなにかを呑み込んだ。
「そうか。絢音は正直でいい子だな」
そして眼前のリアクションに対して特に突っ込まない巧だった。
「このまま横になって、タッチパネルを操作して【ガーデン・レイダース・ネットワーク】を選択して『ゲーム開始』。あとはシステム誘導に従えばいい。アバターを作り終えたらあまりうろちょろするなよ。こっちから探しにくくなる」
「うん」
「知らない奴に声を掛けられても無視するんだぞ」
「わかった」
「性別もばらさない。本名も名乗らない。街頭アンケートとかにもむやみやたらと答えない。荒らしは無視してNG推奨だ。ID控えてブロックに入れておけ」
「わかったってば」
いい加減しつこいと絢音は頬を膨らませて抗議する。巧は肩をすくめ――。
「オーケー。それじゃ、ゲーム起動だ」
――【エッグ】に絢音を残し、ハッチを下ろした。スモークガラスの向こうでタッチパネルを操作する絢音が見える。【エッグ】の表面に備えられた液晶パネルに『SYSTEM DIVING』の文字が光った。
「さて、俺達はこっちだ。ほら大貴。待たせたな、これでも食べるか?」
巧は駄菓子詰め合わせの紙袋を大貴に抛って背中を押し、ぴんと指で対面を指した。
【エッグ】を背に置き、5人掛けのソファーにぼすっと少しばかり乱暴に腰掛ける。すぐ手前のガラスづくりのテーブルに放り投げられたゲームコントローラーとテレビのリモコンを手にとった。
巧は正面の畳一枚の液晶テレビの電源を入れた。ほどなくテレビ画面は輝いて、会社のロゴが表示された。大貴でも知っているロゴマークだ。パソコンの起動を知らせるアニメーションである。
(テレビじゃなかったのか……)
軽く度肝を抜かれた大貴に「ほらさっさと座れって」と巧は隣の空いている部分を指差した。悠々寝そべれるほどの広々としたスペースだ。あまりこうした家具にも詳しくない大貴だが――高級感漂う質感である。
「じゃあ、まぁ、お邪魔します」
スペースの一部を薦められるままに座る。柔らかな質感と滑らかな手触りに尻をうずめ――なんとなく、非常に落ち着かない気分になった大貴だった。
「悪いな。お前の分も用意してやろうと思ったんだが、思いのほかアレ高くって」
巧は苦笑しつつ後ろに指先を向けた。見ればわかる。
「アレでも最新型……ってわけでもないんだけどな。どうも安いのはバッテリーの持ちとか処理速度とか機能性とか、いろいろ不安があるんだ」
「不安……?」
「お前、たとえばダイビングをしている途中、深海15メートルの水の中でいきなり酸素ボンベの中身が空になったらどうなると思う?」
「は?」海にはなれているが、ダイビングにはあまり詳しくない大貴はぽかんとしてしまう。「そりゃあ……危ないんじゃないか? たぶん」
「まぁそうだ。乱暴に例えるとそういうことになるかもしれない可能性があることも考えられる、っていう話だ。
とはいえそういう機能不全なんて……まぁ、ちゃんとしたメーカー品で真っ当な使い方をしていればまず起こらないだろうが、その手の信頼性重視でいくと、ああいうでかいものに行きつくわけだ。高いだけあるぞ。快適らしい。ネットレビューではな」
「へぇ……」
金持ちの家の子が高いというのだ。もはや大貴が買える値段ではないのだろう――そう察して、あえて値段を聞くような野暮は言わない。
「ま、そういうことだ。今はああいうイイヤツでのプレイはさせてやれないな。普通のヘッドギアタイプのなら、俺のがあるぞ。やるか?」
「いや、いいよ別に。ゲームなんて」
「ほう。大貴はゲーム、嫌いだったのか?」
「いや、嫌いっていうか――」
ズン、とパソコンモニターの大型スピーカーが大気をかき乱し、大貴はびくりと体を震わせた。巧は隣で平然としたまま、片手のリモコンで音量を下げる。
はじめの暗転していた画面に、また別の企業のロゴが表示される。今度は大貴の知らない会社だ。くだりのゲームを開発した会社なのだろう。
「なんだ、悪かったな。今日は付き合わせて」
「別にそんな――」
「『その代わりに絢音が大好きだからもんだいないですー』?」
「……………………はい?」
ロゴマークを切り裂いて、画面ではファンシーなキャラクターが巨大な怪獣と向かい合っていた。
デモンストレーションのようだ。巧がなんの操作をしなくてもかわいらしい三角耳を頭に付けたネコのようなキャラクターがコミカルな動きで敵の踏みつけ攻撃をかいくぐっている。細く長いしっぽを振って、パパパッ、と分身しているかのような素早い動きを見せつけている。
当の巧は、じっと大貴を見つめていた。にらんでいるとも言えるし、ただ観察しているだけとも取れる。見事に自分の感情をひた隠しにした透明の視線だ。
その得体のしれない重圧が、じわりじわりと体に刺さる。嫌な汗が背中を濡らした。大貴は生唾をごくりと呑み込んだ。
「俺が……なに、それ、どゆいみ。水前寺を? どうだって?」
「ほうほうほう。いや、俺としては別にお前ならかまわないんだが。もし仮に、仮の話だ、イフの話。『恐れおののく』じゃないぞ。仮定の話。
お前が夜な夜な家で『絢音たんかわいいよ絢音たん絢音たんうわあああああああああ』とか言ってバリバリハッスルファイヤーしてたら、絢音はショックかもしれないな、と思って。
いや、俺としては別にかまわないけどな。別に。俺としては」
「……巧。お前結構頻繁に、本当に意味わからないこと言うよな」
ぽかんと目を丸くする大貴を巧は横目に捉えていた。口元を吊り上げニヤニヤとしている。
本気ではない。「だったら面白いんだけどなー」程度の思い付きの発言なのだ。そうに決まっている。どこがおもしろいのか大貴にはいまいちよくわからなかったが。
(……絢音を好き? 俺が?)
紫のネクタイを直し、大貴は自問する。
――水前寺絢音のことは、確かに好きだ。考えていることがすぐ表に出る彼女とは気安く付き合いやすい。「出会い方」は散々なものだったが、今にして思えばーー。
しかし、ここで巧の問うている「好き」とはそういう意味じゃない。それは、大貴にも理解できていた。
では。はたして『その意味』でも――?
大貴は乱暴に頭を左右に振った。やめよう。そう自分に言い聞かせる。
そういう感情について考えるのは――きっと、まだ早い。今の藤林大貴には。