Part2 「どろどろとじめじめ」 その2
『――なるほど。各プレイヤーに配布されているマップデータは【上からの視点】による二次元的なエリア情報です。それではこれはわかりません。
目視による状況判断でしか得られない情報です。百聞は一見に如かず、とは確かな検知のようですね。諺とは奥が深い』
ニルも脳裏で賞賛の鐘を鳴らした。とはいえ相変わらずの無感情な声だった。
しかしながらカラッとした響きに反して、それはいやに耳にへばりついた。
特に理由も言わずこの灯台の展望台まで大貴を引っ張ってきたのがトーシャであることをふと思い出したから――ではない。そこまでトーシャにこだわっていない。そうである自分でありたい。
むしろ――そう。
自分への説法じみたその言葉が、この景色の裏側に深く染み付いているような気がした。ただそれだけの話だった。
手元のひとつで、ミクロな視点でしか物事を見れない。そのためにマクロな情勢を見失う。
ちょうど「絢音が心配だ」という、その実、絢音自身すら無視した理由をタテにここまできたように――。
「あのときはなんとも思わなかったけれど、【あいつ】が地面の下に逃げたのには理由があったんだ。【あいつ】はみんなを連れて、地面からなにかを狙ってるんだよ」
「【あいつ】……?」
「そう。こーんなおおきくって、てかてかしてて、頭とかばーんってなってて、びりびりしてて、かちかちで、むちむちしてて」
「おいタイキ。……召使い、使用人、下僕、犬。――ああ、もう、なんか好きな呼ばれ名があるならそれで呼んでやるぞトーシロー。だから説明しろ。いつまでフリズってんだ。低スペか。電話回線か。さっさとアヤリンガルしろ」
トーシャは思考に落ちていた大貴の頭を肘で突いた。
どかどかどかどか。小突くというより殴るに近いそれは、大貴の意識を軽くシェイクする。
揺れる視界と意識に暴力のフィルタを掛けられて、トーシャと大貴自身の意図と反して反応が遅れた。
なおも肘で突くトーシャを押し込み、大貴は応えることにする。うるさいしうざったいし無礼ではあるが、それでも返すべき借りはあった。公平を努め、説明を試みる。
「お前に会う前に出くわしてた奴のことだと思う。人型で、デカい。全身赤黒い鎧みたいなものを身につけてた。頭に大きな一本角を持っていて、怪力だった」
「人型、大型。それに鎧、角……か。ハイレイドの『ヘルクス』かもな」
「なんだそれ?」
眉をひそめる大貴に絢音も同調した。聞きたがる表情のふたりの目の前でトーシャは手首を振る。
「――後で教えてやる。まずそっちの話を全部聞きたい。……で、そいつがどう繋がる?」
不服そうな絢音を横目に、大貴は言葉を続けることにする。
「後で教える」といったのだ。大貴を無闇に逆撫でし軽薄な言動が目立つトーシャではあるが、発言の責任は取る男だ――そう、大貴は思っている。
無論、勘に過ぎない不確かな根拠である。大貴にとって不快でしかない男だが【それだけではない】のだと、心のどこかが感じている。
――そうだと思いたいだけなのかもしれないが。
「そいつは俺の腕を殴り壊して、ジョージと互角に戦って、闘技場に大きな穴を掘って逃げたんだ」
「穴掘りか。一応、地盤沈下に繋がりそうなワードが出てきたな。
……その他、根掘り葉掘りと聞いてやりたい言葉もいくつかあったが、まぁいいだろう。後にしてやる」
ばりばりと頭を掻いてトーシャはその場に腰を下ろした。遠く広く周囲に目を向け、ひくひくと黒い犬鼻の先を上下させた。
――妙な沈黙が続いた。数十秒、少なくとも数分には満たない程度の間。大貴はすぐに痺れを切らせた。
「後で教える」といったじゃないかこの野郎。急に黙って黄昏やがってこの野郎。
そう脳内でわめきちらす大貴の気持ちを知ってか知らずか、絢音がすい、と静かに身を寄せてきた。腕を絡め、艶のある唇をこちらの耳元に近づける。
「……タイキさん。あいつ、きっと敵のボスクラスなんだよ。人型ってそういう序列、高いって聞くし。それに、ちょっとカブト虫っぽかった。昆虫モデルって、やっぱりつよいのだって聞くよ?」
「へぇ……」
その絢音の推論、その論立てはこのゲームの知識に関わるものだ。ゲームプレイをつづけた人間のささやかな経験則とそのプレイヤー達の情報網から得た情報が根幹にある。
彼女のプレイを初めてからの期間は大貴とそう大差ないはずだった。
だが、先の作業場の紹介が巧と被っていたところを見ると。やはり。
意外に――あるいは【当然】ながら――絢音はこのゲームに順応しているのだ。大貴が当初思っている以上に深く。
表面をなぞり最初のダンジョンを往復していた大貴など足元にも及ばないほど。
絢音が語ったのは『敵の原則』だ。それはモデルを見抜く【情報】とそのモデルが適応されたことで敵の力量を推量できる【経験則】に基づいている。
というのは、あるいは『未知のゾーンに踏み込んだ際の自衛手段』としてこなれたプレイヤーには浸透して然るべきものなのかもしれない。
だが、なんというのか――。
大貴とってみれば、それは『絢音が遠のくのを感じる』だけでもあった。
知らない一面が見えてきて、「もしかしたら手を伸ばせば届くかもしれない」という淡い期待をバッサリ切り落とす。そんな現実が。非常に刃を向けてくる。
淡い希望と妄想の雨雲が晴れる。晴れてしまう。
――カラッとした空。高い太陽。
あらゆるものが払われた日の下。ハッキリ見えるのは――ボロ雑巾のように汚らしく朽ち果てた、自分自身。
生唾を飲み込む。目が落ち、削り砕けた街が見える。
――眼下のこれは、まさに今の投影だった。
「さて。タイキ、もう終わったかー?」
「……なにが」
「いや、たそがれてるっぽい目をしてたからな。また」
したり顔でトーシャが言った。
いつの間にやら腰を上げ、絢音と大貴の間に割り込んでいる。――なるほど、これに無反応であるなら確かに惚けていると認知されても致し方ない。
もう遅いとは自覚しながら、しかし大貴も精一杯の反抗を見せる。掴みかかろうと腕を――。
「おう。俺にも見えたぞ。ざっと見て三箇所はあったな、穴。
まぁこれだけごちゃごちゃしてると全部見えたって保証はないし、本物って確証もないけどな。
だがいくら海際で足場が比較的脆いって言っても、勝手にあの頻度ですり鉢状に土地がへっこむっていうのもおかしな話だよなぁ。ま、見えた中に一つくらい本物はありそうだ」
――捻じり上げられた。手首、肘、肩と三点で回転節が悲鳴を上げ、大貴の右側がマイルドな痛みに麻痺を起こす。
ちかちかと【異形】に左腕を折られた絵が頭にちらつく。奥歯を噛む大貴をよそに、トーシャは至って涼しい顔で言葉を続けた。
「まぁ、こうなるとひとつだな、敵の目的は。いい作戦じゃないか? 正面からの物量戦よりは搦め手の方が成功しやすいだろうし。
電撃的にやってるのもミソだ。狙いは灯台なんだから、最終ターゲットの敵軍を率いてる【大将】も灯台のあたりを張っていたらその内でてくるだろう。
その間、素材や撃墜スコア欲しさにガチ勢は小さいモンスターの群れに釣られていく。時間稼ぎとも知らずに。誤算はせいぜい、俺らみたいな変化球ってことか。
――どうした、アヤちゃん」
「その……タイキさんがくるしそうです。みるから」
「お? おお、痛いか?」
絢音に指摘され、トーシャが(わざちらしく)今気づいたと目を丸めた。(ニヤニヤと口元を緩め)心配そうに(装って)声を掛けてくる。
「さっきの鼻ツネツネはいたかったぞ。これに懲りたら俺様に逆らうなよドシロートが」――そういう副音声さえ聞こえてくる。
ここで「いたいっていうかビリビリ正直気持ち悪いから勘弁してください」と本音を零したいには山々なのだが、それはとても気が引けた。
これ以上この男に弱みを見せたくない。可能な限り。既に遅いかもしれないが。
「……じゃ、いくか」
――なんて、考えているうちにトーシャは捻じり上げた腕を離した。
肩も肘もギシギシと軋む。指の開け閉めさえしにくい。油が足りていないのだろうか。
「ぼけっとすんなよタイキちゃぁぁぁん? こっからが本当の地獄ってやつだぜ」
「はっ……?」
腕の感覚を確かめる大貴の背中を乱暴に叩き、トーシャはにやりと口端を歪めた。
その意味は、不思議と理解に難くなかったが。
しかし、いくらなんでも、これは。――という奴である。
「やかましい。とっとと降りちまえってんだばーかばーか」
雑な暴言を吐いてトーシャが大貴の尻を蹴り飛ばす。押し出された体が空をもがき、鉄のブーツが接地面積の少ない質量兵器と化してエッジをごりごり、削り。
「うわあああ――」
しかし、その身を眼下の奈落に沈めることだけは回避した。
――絢音に抱き留められる格好で。
「ひぁ……!」
思わず声が上ずった。急いで離れ――いや絢音を乱雑に扱うなど間違ってもできない。
理性が激流となって脳内で踊る。さながらそこはマッチが投げ捨てられた世界の火薬庫だ。
押し込められた火薬のコンテナにつっこまれたそれは爆発を起こして更なる爆発を呼び、焼け焦げた空間を二重三重と塗り潰す。
爆熱の赤で元の色さえ思い出せなくなるまで、およそ2秒半。
それは大貴にとって、例えるならメビウスの帯にも似た出口の見えない無限の道筋を超光速で駆け抜けているような思考の圧倒的空回りを体現させたものであり。
――第三者的視点に寄れば、ただ絢音に抱きついて固まっているだけだったりする。
「…………あっ……あのね? ふ、じばや……さん?」
囁く絢音。大貴の心臓が高く鼓動する。
心なしか左胸が赤い。そして熱い。今にも隙間という隙間から蒸気が噴き出してしまいそうだ。
するすると大貴の腰に回っていた絢音の両手が離れていく。現実と同じ、細い両腕が離れていく。
絢音が少しだけ顔を背け、指先は唇をなぞる。
少しだけ頬が紅潮しているのは――。
「――ッ、加減に下見て来いっつってんだよすり潰すぞこの鉄クズゥゥゥッッ!!」
そして絢音の脇をすり抜け、靴底が大貴に腹を強かに捉えた。
べこん、とかへっこむような音がしたかもしれない。名残惜しくつま先はか地面をひっかいて小さな砂煙を上げ、両手は既に届かない彼女に向けて虚空を掻いて。
――大貴はひとり、【異形】を追って闘技場の穴を落ちていった。




