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電脳コンプレックス  作者: みそおでん
第1章 「藤林大貴」
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Part1 「藤林大貴のありふれた休日」その2

「ほぅわぁぁぁ」


 ぽかーんと口を開けてながら、絢音はぐっと身を乗り出した。食い入るように摩訶不思議――もとい、極めて凡庸な駄菓子を見つめている。


 ひとつひとつ講釈でもできようものならいいのだが、あいにく大貴も駄菓子に馴染みが深い訳ではなかった。


 普通の子どもがこうしたものに触れ親しむであろう時代。大貴はお小遣いというものとは無縁の生活を送っていた。


 両親から与えられたものをこなし、与えられた中で育つ。そういう子どもだった。


 昔読んだ漫画や小説のワンシーンを引っ張り出しつつ、商品棚から品々を代わる代わる手に取っていく。


 たとえば。


 竹ひごフレームに輪ゴムエンジンを積んだプロペラ機は竹ひごの曲げが繊細で初見でちゃんと飛ぶよう作るのは難しいとか、ちくわ状のスナック菓子は味が濃くて癖になるとか、おはじきがいっぱいに詰まった網の袋は小学生のころ見せびらかしていた同級生が多かったがちゃんとこれを使ったゲームもあるとか、ガラス瓶のラムネは中のビー玉を取るのにちょっとしたコツがあるとか。


 どれもこれも実際に遊んだ覚えはない代物だが、しどろもどろにはならないよう、取り繕って解説する。さすがにこれ以上醜態をさらすのは情けない。


 真偽の怪しい大貴の説明のひとつひとつに絢音は目を輝かせた。興味津々になにかを取っては大貴に解説をねだってくる。


 黒光りしている(おそらく黒糖だろう)スティック菓子やら、山積みにされた薄いせんべいやらを掴み取っては。


「これ! どんな味なの? そもそも味するの? ってゆーか、かむの?」


 ――と。


 ――もっぱら食感や味について。


 実体験が少ない大貴には、もはや片っ端から買い与えてみる他はなかった。


 入店からものの数分で、絢音の膝の上はおもちゃ箱の様相に変わっていた。ソースせんべいの黒ソースを頬につけ、今は件の水飴を両手の棒を突き合わせてぐるぐるさせて混ぜ混ぜしている。


「あっ、これは知ってる!」


 水飴の棒を片手に移し、絢音は空いた左手をぐいと伸ばした。商品棚は低い。小学生向けの高さだ。車椅子に腰掛けた絢音でも自力で物を取りやすい。


 絢音は取ったそれを大貴に見せる。


 カードだ。小さな絢音の手のひらに収まる程度の大きさである。厚い紙にイラストが印刷されており、古い浮世絵のようなタッチで描かれているのは力士だった。


 ――いまだに陳列されていることに大貴は驚きを覚えた。


「かるただっ!」


「メンコだよ」


 えーっ、と絢音は頬を膨らませた。


 ーーもうちょっとボケに付き合えクソマジメ野郎、と目で訴えているように思えるのは、おそらく大貴の気のせいなのだろう。そう大貴は自己完結させる。


 が、心は否応なく落ち込んでいく。どうにか挽回しなくては。


(……なら次、その横の円錐形の金属を手に取ったら「そいつはまきびし代わりに使うんだ。一緒についているヒモは遠くに投げるために使う」……なんて)


 律儀に感がいて、大貴はぶんぶんと頭を左右に振った。


 万一、絢音が本当にそんな使い方をしてしまうかもしれない。怖い。それで万一絢音が怪我でもしようものなら――。


「ふじばやさーん?」


 呼ばれた。探るような弱々しい声色で。


 途端に大貴は泥沼の思考を打ち切った。


「そろそろ行こうよ。ふじばやさん、なんだかムリしてる? ときどきなんかヘンだよ」


「お、おう」


 ――完ッ全にバレバレだったのか。


 ずんと大貴の五臓六腑に鉛を流し込まれたように体が重苦しくなっていく。


 嘘をついてしまった。気を遣わせてしまった。心配させてしまった。罪深い。恥ずかしい。申し訳ない。悪いことをした――。


 挫けそうな心を必死に支えて、大貴は絢音を押してふらふらと駄菓子屋を後にする。


 絢音は膝の上でおもちゃ箱同然の紙袋を開き、舌先で水飴を味わっては顔をほころばせ、ふいに背もたれに体を預けた。


 軋む軽合金の車椅子に構わず、絢音は上目遣いに大貴を見やった。眉間に小さくしわを寄せ、少しだけ怒った表情で。


「ちょっと注意されたぐらいでおちこまないのっ!」


「……はい」


「そうやって反省してくれるのはいいことだけど、あんまり自分をどん底に落としすぎちゃうと、なんにもできなくなっちゃうよ」


 説教もそこそこに、んっ、と絢音は舐めかけの水飴を差し出した。小首を傾げ、目の奥は妙に爛々としている。


 胸の奥底でウニが2・3匹踊り狂っているような幻痛に目を細めながらも、大貴は水飴を丁重に断った。


 車椅子の上でむくれている絢音を見つめ、大貴は甘く奥歯を噛みながら歩いていく。


 敵わないな。心から、大貴はそう思った。


 なにぶん、単純に「男と女」という以上に力関係を感じてしまう間柄だ。


 それは絢音の足の話でもあり、水前寺の家の話でもあり、出会った時の状況から続くものでもある。


 絢音とこうして触れ合えるほど近くにいても、言葉遣いこそ横柄でも、大貴の底には高く厚い「壁」があるのだ。


 そうでなくても、とてもでないが、絢音のように相手の腹の中を察して気をかけてくれるようなことは、大貴にはできない。


 ーーもしかしたら。そう大貴が祈り続けていることになるが。


 ーーこの「壁」を乗り越えられるようになりさえすれば、向こう側の絢音のようにできるかもしれない。


 相も変わらず小学生ががむしゃらに走り回っている小学校を過ぎ、第一級河川に架かる車道広い鉄橋を渡り、隣接する野球場を見ないようにして河川敷を抜けて、ようやく水前寺邸まで辿り着いた。


 大貴の背丈の倍ほどもある高さの鉄柵の門を横目に、隣の小さく備え付けられたドア――といっても標準的なサイズである――の脇のインターホンをプッシュした。


 ほどなくインターホンの液晶に田中の顔が映された。相変わらず微笑を顔に馴染ませている。


「お帰りなさいませ。すぐにお開け致します」


 ぺこりと画面越しに田中がお辞儀をすると、大貴と絢音の前のドアが重苦しく関節を軋ませてゆっくりと開いていった。


 大貴は車椅子を押してドアをくぐる。表の鉄柵の高さほどには金持ち然としていない程度の庭の道を――それでも小さな公園ほどはある庭の、車椅子の移動がしやすいよう舗装された一本道を渡る。


 ほどなく大貴は水前寺邸玄関まで辿り着いた。扉の前では田中が背筋をぴんと伸ばして立っていた。すぐに「改めて、お帰りなさいませ」と出迎えてくれる。


 律儀な人だ。大貴が弱く口元を緩める間に。


「田中。おにいちゃんは?」


 労いもなく絢音は用件を口にした。怪訝に眉をひそめる大貴をよそに、田中は微笑とともに回答する。


「居間でございます。先ほど届きました品物にかかりきりです」


「またなにか買ったんだ。……わかった。下がっていいわ」


 どこか突き放したように言う絢音に従って、田中は黙礼を返して一歩後ろへ退いた。踵を返してぴゅっと肩で風を切るような早足で水前寺邸の中へと消えていく。


「水前寺――」


「しょうがないの。昼間は【執事として接してください】って」


 絢音は口を尖らせ、車椅子の背もたれに体を預けた。


 玄関を開くと、田中が組んでいてくれたのであろう室内用の車椅子が残されていた。車椅子を玄関の端にまで寄せ――大貴は絢音に尋ねた。


「水前寺……そういえばこの乗り換えって」


「んっ」


 答える代わりに絢音は片手に紙袋を抱え、両腕を広げてみせた。探るように目を細め、ねだるように小首を傾げる。


 大貴はほとんど反射的に生唾を呑み込んでいた。試されているという事実を肌で感じる。内心がびくりと震え上がった。


 ――つまりなんだ。抱けと。抱えろと。抱いて抱えて乗せ替えろと。


 もはや役得などという規格には収まらない。思わぬ光明というか神のお告げというか冥土の土産というか死刑判決萌え殺しの刑というか。


 とにかく大貴には、そんなに絢音に密着してしまっては、なんというか、ヤられてしまうというか、アレがアレして。


「どうしたんだ、大貴?」


 ふと声がした。耳から頭を殴りつけるに足るだけの声量で、しかし決して厳しすぎない声色の。


 顔を上げて目を移す。毛先の丸まった天然パーマで、絢音と同じ茶色の瞳。背も高く袖からは引き締まった二の腕を覗かせ――黒地の甚平をきっちりと着こなしていた水前寺巧が、そこに立っていた。


 巧が首をかしげ風除室から見下ろす形で大貴を見つめる。それがなぜだかひどく威圧的に見えて、大貴はぱっと絢音から飛びのいた。


「あー、いや、これは……」


 どうにか的確に状況を説明しようと、大貴はせわしなく両手を動かした。しかし手ほどに舌が回らない。うまい言葉が出てこないのだ。


 ひとりあたふたとする大貴に絢音もまた小首を傾げ、仕方なさそうに肩をすくませ言葉を代わった。


「私をそっちに移そうとしてくれただけ」


「ほう、なるほど。しかし大丈夫か? 見た目はわかりにくいが、これでも最近絢音も大きくなってきてるからな。抱えるのも少し大変だぞ」


「えっ!?」


 ぱっと絢音はへそのあたりを両手で隠した。小さくうずくまる姿勢で大貴を睨む。非難する目。


 ショットガンの銃口をどてっ腹に突き付けられた錯覚を覚え、大貴は弱々しく首を左右に振りながらよろよろ2・3歩後退してしまう。


 大貴が退いてできたスペースに滑り込むように巧は素足で玄関に降りた。力強い両腕を回して華奢な絢音を抱き起こし、そう手間も見せずに室内用車椅子に乗せ替えた。


 駄菓子屋の紙袋を抱えたままの絢音の衣服の乱れを確認し、巧は大貴に目を向けなおした。


「ほら、せっかく来たんだ。時間に余裕があるなら上がっていけ。なんでさっきから気落ちしてるんだお前は。いいもの見せてやる。元気が出るぞ」


「いいもの?」


 頭を捻り大貴は考えを膨らませ――すぐに止めた。巧の言う【いいもの】など大貴に想像つくはずがないのだ。駄菓子に感動する感性は、大貴にはない。


 そんな大貴の思考も知らず、巧はふっと笑ってみせた。見るだけで閉じた玄関口にそよ風でも入り込んできそうな、さわやかな笑い方だ。端正な顔立ちをした人間のみに許された、相対した人間の緊張を問答無用で緩和させる必殺技。


 だが。


「そうだ。なにせ大きい。【ヴァーチャルリアリティストラクチャ】対応のインターフェースの仲でも、あれほどデカいのは今時ないぞ」


「……ばーちゃ?」


 見栄を切った巧をよそに、大貴はぽかんと首を捻っていた。

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