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電脳コンプレックス  作者: みそおでん
第1章 「藤林大貴」
19/82

Part4 「鋼とひずめ」その4

 ジョージが地面にハンマーを叩きつけた。舞台上が大きく揺れ、【異形】はスタンスを広く取って身構えた。


 ジョージの左腕に巻かれた腕輪が輝いた。クリスタルだ。光の色は緑。【イリスシステム】の起動――魔法を使う。


 ちりん。


 振動の合間を縫って、小さく、しかし高く『鐘が鳴った』。ハンドベルのような儚い音だ。


 風が変わった。取り巻く大気のスピードがぐんと早まった。


 そうして、ジョージに招かれていく。さながら、ジョージに吸い込まれていくかのように。


 ――いや。それは違った。


 吸い込んでいるのはジョージでなく――その背後のモノ。


 光の苔を払い、それはずらりと並ぶ鋭い歯を軋ませた。太い骨と肉で支えられ、厚い鱗で守られた四肢。長い2本の角を伸ばし、荒々しい突風に鬣を弄ばせる。


 ――ドラゴンだ。


 思い出す。「あの時」もだ。彼は、こうして召喚していた。


 画面ごしに見た時よりも数段強い存在感で周囲を突き刺し、ドラゴンは大きく口を開いた。


 雄叫びだけで壇上を揺らした。別の周期で体を揺らし、前足の爪を光らせ、勢いを付け。


 狙うのは――足が舞台に張り付き身構える【異形】。


 傍から見ている大貴でさえ、それが明確に知覚できるほどの覇気がそれから放たれている。強い戦いへの意気。「暴力の熱」。


「でぁぁ――ッ」


 【異形】から光が漏れた。赤色のなにか。


 右腕。熱を握る拳が見て取れた。


 青々とした装甲が赤熱の揺らぎの中に呑まれ、赤く、大きく、強く、硬く、鋭く。


「――りゃああッ!!」


 ドラゴンの爪を【異形】の拳が刺した。


 ドラゴンが、【異形】の数倍はある巨大が、大きく仰け反った。【異形】も軽く吹き飛んでいく。


 激情の眼光を突き刺すドラゴンを【異形】は鼻で笑った。ジョージが隆起させた岩のひとつを蹴り飛ばし、再びドラゴンに立ち向かう。


 ドラゴンはまた爪を振りかざし――。


 ――【異形】はドラゴンの体躯を『すり抜けた』。


 ドラゴンの体が量子に崩れ、場に馴染み、消えていく。


 そうだ。そうだった――思い出す。巧が言っていた言葉だ。「召喚は強力だが持続時間は短い」。


 【異形】は時間制限を看破していたのだ。倒せなくても、相手を怯ませる一発を叩き込めば、「次は来ない」と。


 再び【異形】が突撃する。阻むものは幻のように消えていくドラゴンの虚像のみだ。そして既に、それに物理的な意味はない。


 ――否。『ドラゴンの巨像は、未だ消え切っていない』。


 巨大な虚像。既に幻同然のそれは、視界を僅かに汚していた。


 自ら召喚した虚像の影のせいだ。ジョージは【異形】の視認が遅れていた。構えてこそいるが、十分な予備動作が取れない。打たれる。


「――ッ!?」


 瞬間、なにかが【異形】の体に巻きついた。鎖だ。それも1本ではない。2本、3本、5本、10本――【異形】の腕を縛り、足を固め、胴を張りつけ、首を絞める。


 ジョージの張った罠――違う。ジョージはわずかに眉をひそめている。隙だらけのはずの【異形】に対し、ハンマーを打ち込む素振りさえ見せない。


 ――絢音だ。大貴の腕の中、伸ばした腕のクリスタルを光らせている。


 絢音は顔をほころばせていた。疲労の薄化粧の下、いつものように少し自慢げで「してやったり」とした笑い方。その奥底には――大貴の知らない顔が見え隠れしている。


「……また、また邪魔か。またまたまたまたまた……」


 淡く熱気で体が歪み。


「いい加減にィィィ! どいつもぉぉああああああッ!」


 【異形】は吼えた。


 絢音の鎖が【異形】の膂力に弾け飛ぶ。


「うそっ……いくらなんでもパワーありすぎっ」


 飛び散る鎖の欠片に目を丸くする絢音をよそに、【異形】は身を翻した。構えを上げたジョージにすら意を返さない。


 ――睨まれた。


 【異形】が迫る。一歩。また一歩。壇上に亀裂が走り、周囲に隆起した岩石が砕け飛ぶ。吹き上がる熱気に激情が重なる。


 【捕食者】とはまた毛色が違う、強い力。殺意の衝動がそのまま質量をもったような圧力。


 「暴力の熱」などの比ではない。言うなれば「暴力の噴火」「暴力の太陽」。今まで体験してきた一切を蹴散らすほどの熱量だ。


 槍のように、鋭く雨のように、無数で宇宙のように、果てしない【凄み】の奔流。


 言うなれば【強者】の覇気。


 その切っ先が――大貴を突き刺す。


 否、標的は厳密に大貴ではない。


 あくまで本命は戦いに水を差した元凶。罠を仕掛けた者。胸の内の彼女だ。


「――……っ」


 彼女を置いて、大貴は膝を立てた。腰を上げる。


 胸のクリスタルからいくらか赤は抜けている。だが力が入らない。


 足が震える。背中が凍える。


 体の端々からはいまだ蒸気が上がっている。


 関節が軋む。


 左胸だけが、いやに熱い。


 ――怖い。


「――ふじばやさんッ……!」


 叫びと祈り。


 それは鼓膜を貫き淀んだ思考を切り裂いて、大貴の目を見開かせた。意識が思考から感覚に重きを置くようになる。


 左の拳。弱々しく開かれたそれに、大貴は一度視線を落とした。


 体温。感触。そうした『今まで腕に抱いていたものの残り香』を強く意識した。


 ――自然に、極めて自然に、大貴は動いた。


 単純化された意識が緩く開かれていた拳を握り、足を最適な力で踏み込み、安定器の内から『モードC』を取り出す。


 【異形】が口端を吊り上げた。牙をむき出しにし、拳を固める。


 心臓がひとつ動く。白い手甲に守られた大貴の左腕は赤いラインが入った巨人の拳にすり替わる。


 心臓がひとつ動く。【異形】がまた吼えた。互いに間合いには足らない。あと一踏み。


 心臓が、ひとつ。


 動く――。


「わぁあぁああぁぁぁぁぁああああああっ!」


「りゃあああああああああああああああっ!」


 大貴と【異形】が、互いに拳を繰り出した。


 【異形】の拳は『モードC』より一回り小さい。単純な質量では勝っている。


 互いが拳を突き刺し交錯し――片方が打ち抜けた。


 大貴が吹き飛んだ。


 『モードC』は肩から分断され、ボルトやナットが弾け飛び、血液のような粘っこい暗赤色のオイルが頬まで飛び散り、配線がぶちぶちと切れる音が耳元で鳴った。


 意識が、揺れる――。


 後ろへ飛んでいく大貴が見たのは千切れて空中できりもみする鋼の腕と、殴り抜けた【異形】の姿。


 ああ、と大貴は独白する。誰ともなく。


 巧にああまでしてもらって、小ずるい方法でようやく力らしいものを手に入れたのに。


 俺は――なんて弱い。


 ランドセルのような背中のパックが岩に埋まり、大貴の意識をシェイクした。体力ゲージがみるみる枯れていく。


 頭が痛む。背後から正面まで突き抜けた衝撃が大貴の体を激しく痺れさせている。


 動けない。指の1本も。


 ――視界がかすれ――。


 そういえば。


 ――乾いた唇すら震えず――。


 この【夢】の中で眠ったら。


 ――だらんと頭を垂らし――。


 なにを見るのだろう?







 * * * * *







「気概だけか。かーッ」


 【異形】は岩に張り付けた【雑兵】を見やり、打った右腕に視線を落とした。


 黒く煤けた汚れだ。こすれたのだろう。


 ジョージの重厚な攻撃では、まずこうはならない。速度による熱気よりも打撃の圧力による傷やへこみが先んじるはずだ。


 間違いなく、そこで眠っている【雑兵】と拳を交わした際のものだ。


 かすっただけ。しかし【異形】の覇気に曲がらず捻れず、闘志の剣尖を差し向ける気概。そこから放った一撃が帯びた熱。この身に届き得るほどの。


 そんな芸当を。なにより。


「たかが機械兵マナンが……味な真似しやがって。――なぁ?」


 足元に転がる羽を頭に生やした女に視線を落とした。返ってくるのは色の付いた目だ。怒りと悲しみの色。数多い見慣れた色の一握り。


「どんな気分だ? それとも、あんな紙切れの盾なんざ、なんとも思わないか?」


「彼を悪く言わないで……!」


「ああ。あいつは悪くねーな。悪ィーのはテメーだ毛玉」


 【異形】は羽女の肩口に踵を落とした。羽を土と砂で汚し、靴をなめさせるかのように跪かせた。


 背後に視線を感じていた。ハンマーを低く握り構える大男。羽女を蹂躙する【異形】の背中を、ただ黙って見つめている。


 助ける気がない。それを【異形】は察していた。


 アレは戦う理由を常に内側に持っている。


 「戦いたい」「より全力を以って」「より強く」――。


 そんな己の欲求が、あのドラゴンを呼び、あのハンマーを振り回す、純粋過ぎる闘いへの想いが、あの男の原動力だ。


 利己的で排他的。欲望のためならばあらゆる全てを排除する。縁。絆。情。コミュニティ。一切の無駄を削ぎ落とし、ただ天下分け目の大一番で極上の絶品に舌鼓を打って喰い千切ることを至高の快楽としている。


 そのためだけに、針のような頂の上に立ち続ける。破滅主義者の生き様だ。


 それは――【異形】自身も共感出来る感情だった。


 己こそ価値観の原点。己の悦楽こそが最優先課題。


 駆り立てるのは乾いた闘争心。求めるのは勝利の潤い。潤いの源泉は阻む道のりの険しさ。踏破した後の達成感。


 そう、それこそが我々の原動力だ。闘争心の根底。戦いへの意欲こそか。


 故に不意打ちはしない。多人数で戦わない。向かってくるならいざ知らず、自分以外の誰かと組んで戦おうとは思わない――。


 ああ、本当に。


 お前は俺そのものか。


 ここ以外にも、そんな風な考え方のヤツがいるなんて――。


 【異形】にはジョージの考えが手に取るように理解できた。


 彼は、我々は群れない。


 道は己の力で進むもの。踏破の愉悦は独占されるべきもの。


 我々にとって【群れ】とは狩りの標的であり、障害である。


 牙を肉に突き立てられた弱者に、手を差し伸べるような気まぐれは起こさない。力の理論の前に、我々は極めて従順だ。


「……あのマナン、お前のか?」


 羽女は沈黙を守る。答えない。


 【異形】はそれを肯定と受け取った。右腕を軽く払い、五指に青い炎熱を上げる。


「なら、奴に伝えろ。――伝わるようにしてやる」








 * * * * *







 結論から言うと――大貴は生き残っていた。


 意識は朦朧として、視界には時々ノイズが入った。平衡感覚はずたずたでとても立って歩けなかった。左腕などは肩から千切れている。


 並みのアバターならば間違いなくゲームオーバーの判定を受けているものだが、大貴は少し毛色が違った。


 ――第4アップデートにて追加される新種アバター【マナン属】。


 他の種族とは違い亜人ではない。【人型機械】だ。ヒューマノイド。人造人間。そういう類のもの。


 他の種族とは大きく異なる点はいくつかあった。


 まず基本システムである【イリス】――魔法が使えない。


 そのため魔法持続力を意味するMP――【メンタルポイント】の代わりに設定されているのはENP――【エネルギーポイント】で、それを消費しながら行動する。


 エネルギーポイントが枯渇すればエネルギー供給が追いつかない【オーバーヒート】状態となり行動不能となる。


 行動ごとのエネルギーの割り振りは極めてシビアで、不慣れ――レベルと【熟練度】に依るらしいが――であると【オーバーフロウ】を起こしやすく(要は『力み過ぎてしまう』という意味らしい)、ワンアクションでエネルギーを使い果たしてしまう。先ほどの大貴のように。


 【オーバーフロウ】が抑止するため、制御システムとして【トライ・トランス・トリガー】――【T3】の装備が必須となる。それが大貴の【スレイプニル】である。


 【スレイプニル】の三段変形による拡張性と支援AI【ニル】のサポート。そのふたつでイリスシステムを利用できないデメリットを埋めているようだ。


 回復魔法や回復アイテムは使用できない。マナン属の体は人体より武具のカテゴリに近く【消耗度】が設定されている。それがマックスになると、今の左腕のように破壊される。


 四肢が破壊され30秒行動できなければゲームオーバー。また頭部とジェネレータ【コアクリスタル】や体にエネルギーを溜め、伝達しているバックパック・コンデンサーが組み込まれている胴体部が破壊されればゲームオーバーとなる。


 一般の体力ゲージは胴体部への負荷を示している。その都合、どうやら宿屋に一泊すれば治るというわけではないらしく。


『――ですから、本機の作戦行動の続行には、メンテナンスを専門とする技師のパートナーが必要となります』


 一連の語りを終えて、ニルは大貴の脳裏でため息を漏らした。


 大貴はじっとりと目を細め、よたよたと瓦礫を乗り越えた。


 眼下には大きな穴が開いていた。瓦礫を弾き岩を削り土砂を吹き上げ舞台の中心を穿ったそれは、人がひとり入るには十分すぎるものだった。


 【異形】が逃げた際に作っていったものだ。


 ノイズ混じりでよく見えない上よく聞こえなかったが、あの【異形】は絢音に何かをした後、穴を掘って逃げていった。


 おそらくこの穴に飛び込めば【異形】を追いかけられるのだろうが、今の大貴にそんなことはとてもできなかった。


 そもそも追ってまでまたあの【異形】と戦うなど、リスクとメリットがまったく釣り合わない。ナンセンスだ。


「……水前寺?」


 優れない視界で岩の破片や天蓋の瓦礫に気を付けつつ、大貴は座り込んでいる絢音のそばにしゃがみこむ。


 瞬間、頬を引っ張られた。


「こら。ゲームの中じゃアバターの名前で呼ばないとだめなんだよ?」


「ご、ごめんなさい。えー……っと」


 呼ぼうとして、絢音が呼び出し指を指したウィンドウを注視して、大貴は愕然とした。


 名前である。


 それは【絢音】という本名を踏襲したものだ。【アヤ】という。


 大貴も大貴で大概にも【タイキ】だが――。


(……呼び合えって? 今までお互い名字呼びだったのに?)


 ぐるぐると自問を繰り返す大貴を絢音は下から覗き込んだ。頭には音符が踊っている。やはりこの感情表現のシステムは欠陥だらけだ。


「どうしたの? 呼べない?」


 ――そんなことはない。大貴は断言できる。


 そんなことはないが、どうしても胸の奥でなにかが引っかかっていた。


 今の大貴は卑怯だ。いつかのように絢音を傷つけても責任を負えず、これはと決めて絢音のためにこの場に立ったつもりでも【異形】に軽くあしらわれて終わっている。


 大貴はまだ、何かに成れていない。


 絢音と親しく名前で呼び合えるような仲になっていい人間には成れていない。


 ――なのに?


「ふじば……こほん。タイキさん」


「はいっ!?」


 びくりと身を震わせた大貴に、絢音は笑いかけた。


 それは包み込むような、優しい笑い方だった。


「来てくれたんでしょ? 約束通り。……ありがと」


「そ、そんな……俺、お礼を言われることは」


「しました。したの。しちゃったの。あんな怖いヒトに立ち向かってた。私のために。それで嬉しなっちゃったり感謝したくなったりしたらヘン? 私っておかしい?

 ……おかしくないって言ってよ。あのヒトが言うみたいに、モノなんかじゃないって言ってよ」


 ――閉口した。


 満面の肯定も死んだような否定もできなかった。


 どうすればいいのか。どう接すればいいのか。どう投げかければいいのか。


 まったくわからなかった。思考がカラカラと空回りする音が聞こえるようだった。


 押し黙ることしかできない大貴の頬を絢音はもう一度つねる。


「黙んないでよ……ちょうはずかしい」


「ごめんなさい」


 浮かない表情の大貴に、絢音は少しだけ首を傾げて困ってみせる。


「もっとラクになってみようよ。タイキさん、苦しそう」


「苦しいって……」


 当たり前だ。大貴はそう思う。


 好きに自由に、自分らしく生きようとしているのだ。それは、底も見えない自分の中から【らしさ】をすくい上げる行為。


 簡単な話ではない。苦しいに決まっている。必死に探してもがいて、ようやく欠片を握れる程度だ。


 それなのに、ラクになってしまったら、もうなにも掴めなくなってしまうのではないか――?


「だいじょうぶだよ。きっと」


「そんなの……」


「だいじょうぶ。わたしが言うんだよ?」


 頭を垂れる大貴をそっと抱いて、絢音は囁いた。


「わかってるから。ちゃんと見てたから。……がんばったね、タイキさん」


 ノイズのひどい目を閉じる。真っ暗な世界。ほのかなあたたかさ。耳障りな雑音。


 それを心で噛み締めて。


 藤林大貴は、思いきり、泣いた。






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